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各地の話題/「ファイナンス」令和2年11月号

軍港と城下町ふたつの歴史から成る街 舞鶴

舞鶴税務署 総務課長 中沢 隆浩

1.はじめに

舞鶴税務署は、京都府北東部の日本海に面する舞鶴市を管轄しています。

署の沿革は古く、明治22年6月に開設後、一時、宮津税務署に行政を移管していましたが、昭和22年7月に旧帝国陸軍舞鶴要塞司令部跡に庁舎を設置し、現在もその地に構えています。

舞鶴市の面積は約350km2で市街地は旧田辺藩の城下町・商港から発展した「西舞鶴」と海軍の軍港から発展した「東舞鶴」から構成され、東端は金沢国税局小浜税務署管内の福井県大飯郡高浜町に隣接しています。

写真:旧帝国陸軍舞鶴要塞司令部
※署敷地内には、「舞鶴要塞司令部跡」の石碑があります。

2.軍港に適した地形「舞鶴湾」

舞鶴湾を一望することができる五老ケ岳(標高301m)を挟み、西側に位置する西舞鶴地域は、奈良時代から開け、天正8年(1580年)に戦国の武将細川藤孝(幽斎)・忠興父子が田辺城(別名舞鶴ぶかく城)を築城して以降、細川、京極、牧野氏3万5千石の城下町として栄えました。

また、東側に位置する東舞鶴地域は、明治34年に海軍鎮守府が開庁されてからは軍港として大きく発展し、現在は海上自衛隊舞鶴総監部が置かれています。

市街地の碁盤状に整備された通りには、「三笠」、「八島」、「朝日」等の軍艦の名前が付けられており、街歩きをしながら通りの名に目を向けることも旅の楽しみのひとつです。

そして、日本海から深くえぐるように形成された舞鶴湾は湾口が狭く、敵艦からの侵入がしにくい上に、周囲を取り囲む山は、要塞として敵艦を迎撃することができます。

この特徴は海外の軍港でも見られ、ハワイの真珠湾の地形は舞鶴湾とそっくりな形をしています。

地図:舞鶴湾(出所:Google Maps)
地図:真珠湾(出所:Google Maps)

3.近代日本の礎を築いた「赤レンガ」

近代国家としてヨーロッパ列強と渡り合うため、明治34年に舞鶴湾ウォーターフロントに舞鶴鎮守府(初代長官は東郷平八郎)を開庁しました。

そこでは、魚雷庫、小銃庫などの旧海軍関連の施設をはじめ、トンネルや橋脚などの生活基盤まで、日本が近代化を進めていくための礎として様々な建造物が造られました。

写真:明治後期の雰囲気が漂う赤レンガ倉庫

現在も12棟の倉庫が残っており、「赤レンガパーク」と呼ばれるこのエリアは、ジャズライブ等のイベントが催されるほか、カフェとしても利用され、人気のある観光地の一つとなっています。

4.世界記憶遺産に登録「舞鶴引揚記念館収蔵資料」

昭和20年、第二次世界大戦が終結し、旧満洲(現・中国東北部)や朝鮮半島をはじめ南太平洋など多くの国や地域に約660万人もの日本人が残されました。呉をはじめ、18港の引揚港が全国に次々と設置され、舞鶴では昭和20年10月7日に最初の引揚船“雲仙丸”が入港してから昭和33年9月7日の最終の引揚船“白山丸”の入港まで13年間にわたり約66万人もの引揚者・復員兵を迎え入れました。

舞鶴引揚記念館では、シベリアの地で使用したコートなどの防寒着をはじめ「引揚證明書」などの文書類など全国から約16,000点の貴重な資料の寄贈を受け、うち約1,000点を常設展示しており、平成27年10月10日に収蔵資料のうち570点がユネスコ世界記憶遺産に登録されています。

写真:引揚桟橋 引揚者を迎え入れた平和の象徴

5.海、陸のネットワーク拠点「舞鶴」

港町としての舞鶴の歴史は古く、およそ5,300年前の丸木舟が遺跡から出土したことで、この地が縄文時代から海とともに歩んできたことがわかりました。

近年は、多くのクルーズ客船が入港しており、その種類も定員4,000名を超える大型客船やラグジュアリ船など、バラエティに富んでいます。

また、舞鶴港と北海道の小樽港とを結ぶ大型フェリー「新日本海フェリー」が毎日運航しており、船内の露天温泉やクルーズディナーを楽しみながら、約21時間の優雅な船旅をすることができます。

さらに、ロシア、韓国と舞鶴市を結ぶ、初の国際旅客航路が新設され、令和2年9月17日、第一便が入港したところです。今後、新型コロナウィルス感染症が収束し、多くの人が行き来することに期待を膨らませています。

陸路においても、軍港を擁する日本海側の主要都市舞鶴と大阪とを鉄道で結ぶ「阪鶴鉄道」計画が明治26年に起こり、明治37年には直通運行が実現しました。

その後、鉄道国有法等により営業が譲渡されるなどの経緯がありましたが、「阪鶴鉄道」は現在のJR福知山線や阪急宝塚線の原型となっています。

写真:舞鶴港と小樽港とを結ぶ「新日本海フェリー」

6.舞鶴湾が育む「舞鶴の食」

舞鶴湾で獲れた新鮮で良質な白身魚を使用し、1つ1つ手作業で作りあげた「舞鶴カマボコ」は、シコシコとした歯応えと魚の旨味が豊かな逸品です。

また、4月から8月下旬に獲れる岩ガキは冬季のカキより身が大きくクリーミーで、食べ応えがあり、生食でもカキフライなどの調理をしてもおいしくいただけます。

写真:舞鶴カマボコ
写真:岩ガキ

7.おわりに

舞鶴市には、今回紹介したほかにも、「近畿百景第1位」に選ばれた、「五老スカイタワー」からの眺望や柔らかく甘い肉厚の身が魅力の「丹後とり貝」など、まだまだ見所、食べ処が沢山あります。

また、赤レンガ倉庫や古くからの街並みは、映画やドラマのロケ地としても利用されており、これまでに見た映画のワンシーンと出会えるかもしれません。

大阪、神戸、京都方面からは中国自動車道や舞鶴若狭自動車道などの高速道路を利用して比較的短時間で来ることができるほか、市内の道路も整備され、スムーズに観光をすることができます。

歴史や食文化が豊かな舞鶴に是非、お越しください。

[写真提供:舞鶴市]


未来に向けて発展するまちづくりを推進 大阪福島

大阪福島税務署 総務課長 辻本 武史

1.はじめに

大阪福島税務署は、大阪市の西北部に位置し、大阪と神戸をつなぐ交通の要衝として、福島区及び此花(このはな)区を管轄しています。

福島区の地名は、菅原道真が筑紫(九州・大宰府)へ赴く際この地を通り、里人に土地の名を尋ねたところ、「餓鬼(がき)島(じま)」と答えたので、将来の幸を願い「福島」とその名を改めたという古事によります。

此花区の地名は、昔、百済からの渡来人王仁(わに)が詠んだと伝えられる「難波津(なにわつ)に 咲くやこの花 冬ごもり 今は春べと 咲くやこの花」の古歌にちなんだものといわれています。

当署は、昭和16年に此花税務署(現在の福島区、此花区及び北区の一部を管轄)が北税務署から分離して設置された後、昭和18年に大阪福島税務署(現在の福島区のみを管轄)が誕生、昭和57年に大阪福島税務署が此花税務署を統合し、現在に至っています。

なお、平成29年からは、「税務署事務処理センター(東淀川センター)」の対象署となっているほか、平成30年からは、「課税部コールセンター(大阪福島センター)」が当署に設置されています。

2.のだふじ(福島区の花)

「のだふじ」は、豊な房が特徴で、平成7年に区の花に制定されました。

この「のだふじ」は、南北朝時代からその美しさが知られ、江戸時代には「吉野の桜」、「高雄の紅葉」とともに三大名所と言われ、野田の藤見物が盛んでした。

江戸時代には、野田村の「藤之宮」と呼ばれた春日社(玉川2丁目)周辺が、藤の名所であったことは、「摂津名所図会」に「野田藤春日の林中にあり昔より紫藤名高くして」と紹介されています。

なお、令和6年度に発行される新五千円札は、紫色を基調とするデザインがなじむということで、「のだふじ」が描かれることになっています。

写真:大阪福島税務署内に咲く「のだふじ」

3.「松下幸之助」ゆかりの地

大正7年に松下幸之助が大開町(おおびらきちょう)に移り住み創設した松下電気器具製作所は、次第に成長を遂げ、創業時の工場では狭くなり、大正11年と昭和4年に大開町の中で移転をしました。

この跡地は、お世話になった地元に寄付したいと、当時ベビーブームで不足していた幼稚園と公園として使用されることになりました。

松下幸之助さんは、「凡事(ぼんじ)徹底(てってい)」(当たり前のことを徹底的に行う)を唱えておられたそうで、当署もこの精神を心掛けながら、日々勤めています。

写真:松下幸之助創業の地記念碑

4.大阪市中央卸売市場

第一次世界大戦が終わった大正7年頃、経済情勢の急激な変動から、日用品の廉売(れんばい)、物価の安定を図るため、大阪市では公営市場を設置しました。

同年に「米騒動」が起き、国民大衆の食生活が非常に不安定となったことから、生鮮食料品の安定供給の必要性が高まり、大正12年に中央卸売市場法が制定、大正14年3月に開設許可を得ました。

昭和6年11月、水陸運ともに至便な現在の福島区野田に当時、東洋一の規模の中央卸売市場を開場しました。

なお、平成元年から全面建替え工事が行われ、平成14年11月に完成し、市場施設を一新するとともに市場情報システムを構築するなど、生鮮食料品流通の基幹をなすシステムとして発展を続けています。

当署においては、例年、朝の市場見学を実施させていただいています。

写真:朝の市場(まぐろのせり市)見学の様子

5.夢洲(ゆめしま)地区、舞洲(まいしま)地区、此花西部臨海地区のまちづくり

○夢洲地区(大阪市の一番西に位置する人工島)

当該地区は、平成29年8月に「夢洲まちづくり構想」を策定し、「日本国際博覧会(EXPO2025)」の開催やIR(統合型リゾート施設)の建設候補地として、今後の更なる発展が期待されています。
なお、北東の一角は、高水準のコンテナ物流拠点となっており、その西側には大規模太陽光発電施設が設置されています。

○舞洲地区(夢洲の東に位置する人工島)

当該地区は、物流・環境等の大阪市の発展を支える機能の集積を図るとともに、多様化する市民のスポーツ・レクリエーションの需要にも対応できるよう、まちづくりを進めています。

○此花西部臨海地区

当該地区は、内陸の西側先端に位置し、陸海の交通の利便性が高く、テーマパークゾーンのUSJ(ユニバーサル・スタジオ・ジャパン)を中心に工業、業務、商業・住宅等の各ゾーンに区分され、快適な居住空間の形成や賑わい、集客・観光の拠点づくりの推進により、複合的な市街地の形成を目指しています。

6.おわりに

福島区は、戦後、闇市として発展した昭和遺産の「野田地獄谷(じごくだに)」やラーメン激戦区としても有名であるなど、グルメスポットが数多く存在し、食べ歩きが堪能できるホットな街になっています。

交通もJR(環状線・東西線・桜島線(JRゆめ咲線))、阪神電鉄(阪神なんば線)、地下鉄(千日前線)及び市バスが市内要所に通じており、至便な立地ですので、お近くにお越しの際は、是非お立ち寄りください。


自然・歴史・味覚を求めて…~丹波の魅力「再発見」~

柏原税務署 総務課長 小北 耕司

1.はじめに

柏原税務署がある丹波地方は山陰道8か国の一つで、中国山地の東部に位置しており、周囲を標高500mから900mの山々に取り囲まれています。

また、丹波市内には、本州一標高の低い(海抜95m)中央分水界があり、瀬戸内海に注ぐ加古川と日本海に流れる由良川の分水点となっており、「水分(みわか)れ」と呼ばれています。

管轄は丹波篠山市と丹波市であり、平成の大合併により、平成11年4月に旧多紀郡の4町が合併し篠山市が誕生、また、平成16年11月に旧氷上郡の6町が合併し丹波市が誕生しました。

その後、篠山市は市名変更の賛否を問う住民投票の結果、令和元年5月に丹波篠山市に市名変更されています。

柏原税務署は、明治20年に兵庫県収税部租税検査委員が氷上郡役所内に駐在し、同郡の収税事務を管理したのが始まりです。

国税庁開庁時は、現在の管轄区域内に柏原税務署及び篠山税務署の2署が存在していましたが、昭和41年に篠山税務署が廃止され、柏原税務署1署となり現在に至っています。

2.2つの日本遺産

丹波篠山市には、文化庁が地域の歴史的魅力や特色を通じて我が国の文化・伝統を語るストーリーとして認定する「日本遺産(Japan Heritage)」として、「デカンショ節」と「丹波焼」が認定されています。

〇デカンショ節

「デカンショデカンショで半年暮らす」の歌詞で知られるデカンショ節は、「民謡に乗せて歌い継ぐふるさとの記憶」として、平成27年に日本遺産の第1号に認定されました。
毎年8月には、夏の風物詩として、篠山城跡三の丸周辺において、「デカンショ祭」が開催され、江戸時代の民謡を起源とするデカンショ節によって、丹波地域の時代ごとの風土や人情、名所などが歌い継がれています。

写真:デカンショ祭

〇丹波焼

六古窯の一つである丹波焼は、鎌倉時代(13世紀)に開かれ、質朴で釉流れの美しさで知られており、「きっと恋する六古窯-日本生まれ日本育ちのやきものの産地-」として、平成29年に日本遺産に認定されました。
毎年10月に開催される丹波焼陶器まつりでは、約60軒の窯元巡りや陶器市などが催され、多くの観光客で賑わっています。

写真:丹波焼最古の登窯(明治28年築窯)

3.春日局生誕の地「興禅寺」と黒井城跡

丹波市には、江戸幕府三代将軍徳川家光の乳母であり大奥の礎を築いた春日局の生誕地として知られている戦国時代の山城「黒井城」の下館(平常時の住居)跡である興禅寺があります。

境内には春日局の産湯の井戸や腰掛け石などが残り、幼い日の春日局をしのぶことができ、また、七間濠や野面積みの高石垣、白い塗り塀が当時の風情を今に残しています。

背後の黒井城跡(標高356m)は、典型的な戦国時代の山城跡と高い評価を受けており、山頂からの展望はすばらしく、別名を「保月城」といいます。秋から冬にかけては黒井城跡から雲海を眺めることができます。

写真:興禅寺

4.丹波杜氏

丹波杜氏は、日本三大杜氏の一つに数えられています。

丹波杜氏の供給地は多紀郡(現丹波篠山市)の村々で、元禄時代から農閑期の「出稼ぎ」により生活の糧を得ていました。「灘のお酒はどなたがつくる おらが自慢の丹波杜氏」とデカンショ節にも唄われているとおり、「丹波流」と言われる高度な酒造技術により、灘五郷の酒造りを支え、最盛期(明治38年)には、600人の杜氏がいたとされています。

また、丹波杜氏の酒造技術の向上、労働条件の統一を目的に、全国で初めての酒造組合が設立され、その後、「丹波杜氏組合」へと発展しました。

現在、同組合には、杜氏43名、蔵人65名が所属し、主に兵庫県下の酒蔵において、酒造りに従事しています。

写真:丹波焼の猪口と管内醸造銘柄

5.秋の丹波はおいしい丹波

〇ぼたん鍋

郷土料理百選にも選ばれる「ぼたん鍋」は、猪の狩猟が解禁される11月中旬から食べることができますが、旬は猪の脂が乗り始める12月のはじめから年末までといわれています。管内には、個性豊かな味わいを提供する店舗が複数あります。

写真:ぼたん鍋(牡丹様の盛付け)

〇丹波三宝

丹波黒大豆(丹波黒)、丹波栗、丹波大納言小豆を「丹波三宝」といいます。丹波三宝は、丹波地方の豊かな土壌と昼夜の温暖差による丹波霧により育まれ、どれも粒が大きいことが特徴です。
丹波黒大豆は、お正月の縁起物として重宝されるほか、約2週間の旬の時期には、枝豆として味わうことができます。丹波栗は、栗羊羹などの和菓子やスイーツに姿を変え、定番の丹波土産となっています。また、高級和菓子などに用いられる丹波大納言小豆は、「大納言は殿中で抜刀しても切腹しないですむ」にちなみ、煮ても腹が割れないことから「大納言小豆」と名付けたといわれています。
このほか、秋の丹波は、丹波松茸、丹波山の芋など自然の恵みがたくさんあり、おいしい丹波を満喫することができます。

写真:丹波三宝

6.おわりに

今回、ご紹介できたのは管内のほんの一部にすぎません。この他にも、年間を通して目を楽しませてくれる紅葉の名所、明智光秀ゆかりの地など多くの名所旧跡が存在しています。自然、歴史、味覚を求めて、「丹波へ来ないな~(来てください)」。

[写真提供:丹波市観光協会、丹波篠山観光協会]