講師:北岡 伸一 氏(独立行政法人国際協力機構 理事長)
演題:「今後の日本の国際協力」
1.はじめに
ご紹介いただきました北岡です。
本日は、私がどういう考え方で国際協力機構(JICA)で仕事をやっているのか、そして、日本が現在置かれている地理的、歴史的位置から国際協力がどうあるべきだと考えているか、ということをお話しさせていただきます。
2.自由で開かれたインド太平洋構想
(1)国益とは
最初に、自由で開かれたインド太平洋構想(Free and Open Indo-Pacific)の話から始めます。
私は、いかなる政策を考えるときも、基礎は国益だと思っています。この国益という言葉は、戦後日本では非常に人気のない言葉でありました。しかし、国益という言葉が失われた結果、省益、社益、私益がはびこったわけです。全体として、日本の利益はどこにあるか、今生きている我々だけではなくて、将来まで見通した大きな日本の利益はどこにあるか、という議論がなされなくなったという問題があると思うのです。お世辞を言うわけではないですけども、このことを考えている人がいるとすれば、財務省です。それから外務省です。全体像を捉えていますからね。私は財務省の方々が大きな視野を持って活動されることを非常に期待しています。
国益というのは、ばらして言えば、独立、自由、繁栄、安全、それから、良き伝統の維持・発展です。この点では、どの国も同じです。
(2)日本の地理的・歴史的条件
ただ、国益を具体化するときに問題になるのは、地理的・歴史的条件です。
特に、日本の場合はどうかというと、東にアメリカ、北にロシア、西に中国という、それぞれが巨大な縦深性を持っている国があるわけです。縦深性を持っているということは、世界に少々動乱が起こっても、何とかやっていける国々です。日本は、資源、人口の規模などから考えて、1国だけでは一つの極になれない国です。
この3国の中にあって、日本は非常に難しい位置にあるのです。かつて宇垣一成(日本の陸軍軍人、政治家)が「日本の東にアメリカ、北にロシア、西に中国がある。これらはいずれも横紙破りの国である。」と言っております。つまり、普通の外交の常識があまり通用しない国だとしています。これは、今日も変わりません。
その中で、日本が自ら一つの極になろうとしたのが戦前の失敗であり、日本は一つの極になることを断念した、これが戦後の歴史の始まりです。
しかし、そこでも北にロシア、西に中国、東にアメリカがあるのは同じです。しかも、近隣に非常に複雑な歴史を持った韓国、北朝鮮という国があるわけです。その中で、日本はアメリカと組むという選択肢しかないのです。
(3)インドの覚醒とインド洋の重要性
日本は、戦後、極になることは断念したわけですが、戦後の発展、復興を遂げていく中で、東南アジアの国々との関係が非常に強まっていったことは御承知のとおりです。
さらに冷戦の終焉以後に起こった大きな変化の一つは、インドの覚醒だと私は思っています。インドという巨大な潜在力を持っている国が、それまで輸入代替、外の支援を受けないと言っていた国が、そうではなくなってきました。
遡ってみれば、マラッカ海峡を通ってインド洋へ、というルートは、戦前も日本から見れば非常に大事なルートでした。このルートの平和と安全を保障していたのは、大英帝国であり、日英同盟でした。
戦後は、これに代わって、日米同盟が安全を保障するようになったわけですが、アメリカの力にも陰りがあったり、中東に問題が生じたりして、日本のインド洋地域、さらには湾岸地域への関与が徐々に増えていきました。古くはオイルショックの頃からアメリカの要請もあって、日本は湾岸地域に対する政府開発援助(ODA)を始め、2001年の9.11の後はインド洋で補給支援活動を行い、その後は自衛隊を出すことまでやりました。また、アデン湾の海賊対策もやっていて、インド洋地域に対する関与が増えています。
また、今世紀の初めぐらいから学会でもインド洋地域の重要性、かつ太平洋との連結性の強まりということについて、「インド太平洋」というコンセプトを使う人が増えてきています。
このようなわけで、自由で開かれたインド太平洋構想というのは、中国の膨脹に対抗して出てきた概念ではなく、そもそも戦前からの日本の発展の大きなリアリティとして存在したものです。この地域がうまくいっているときには、日本は発展してきたということを申し上げておきたいと思います。
(4)中国の「一帯一路」
こうした日本の歴史的な発展の一部として、不可欠な部分としてインド太平洋があり、むしろ、これにチャレンジしてきたのが中国の「一帯一路」だと思います。
「一帯一路」というのは、言い換えれば、「全ての道は北京に通ずる」というような話だと思いますが、実態はいろいろなプロジェクトの組み合わせです。動機も様々で、中国の資源の確保、影響力の確保、あるいは、中国で余った物資の輸出などいろいろなものがあります。それを一つ一つ精査して、良いものは受け入れる、まずいものには対抗する、というきめ細かな取組が必要だということを私は主張してきました。「一帯一路」と協力する4条件、つまり、調達の公平性とか、開放性、透明性や、相手国の財務健全性への配慮とかを安倍総理が言われましたが、背景として、私の主張も勘案して頂けたかと思っています。
(5)普遍的価値が根底に
インド太平洋地域を見ていますと、「自由な貿易」、「海洋の自由」、「民主的価値」、「法の支配」を大事にしています。
私は民主主義のエッセンスの一つは、やはり法の支配だと思っています。法の支配のエッセンスは、最高権力者といえども、法の前では裁かれ得るということになります。従って、民主主義のエッセンスと極めて近いといえます。
こう考えると、この地域は非常に重要な普遍的価値を根底にしているわけです。
例えば、フィリピンとかインドネシアは、かつては独裁国家だったわけです。1950年代、1960年代にインドネシアが民主化するなどということを思った人がいたでしょうか。
かつて、スカルノ大統領は「ガイデッド・デモクラシー」ということを言って、欧米から嘲笑されました。指導された民主主義、そんなものあるかと。しかし、過去数回、立派に自由な選挙で平和裏に政権交代が起こっている。日本の賠償があり、インフラができて、その結果、日本の企業が進出しました。日本の企業の多くは輸出企業であり、輸出企業は、世界と競争するから、腐敗があってはならないですよね。競争力を保つために相対的にクリーンですし、さらに雇用を創出して、中産階級ができました。それが民主主義の土台になったと考えています。ですから、この自由で開かれたインド太平洋構想というのは、既に長い歴史をもって発展してきていた、そして、将来にわたって守らなくてはいけない重要なビジョンだと私は考えております。
3.国家のあり方
(1)国家は残る、超国家機構は成立しない
次に、国家のあり方について、私の考えを申しあげます。
かつて、国連あるいはそれを発展させたような世界政府や、非政府団体や民間企業が力を持つといったノン・ガバメンタル・アクターズ、あるいは、スーパー・ガバメンタル・アクターズの可能性がよく言われましたが、「国家は残る、超国家機構は成立しない」というのが私の予測です。
国家の定義は「軍事力」の正統的独占であり、また「警察力」、「徴税力」を持っていることです。普通の国民は、税金なんか取られたくない、警察に取り締まられるのも嫌だと思います。でも、警察とか軍隊とか、徴税組織があり、それらを担うことを国民が受け入れられる主体としては、やはり国家です。国連などがこれを担うことは受け入れられないでしょう。これは将来も変わらないものです。
(2)国家のアイデンティティとは
国家には国家たらしめるものが必要です。私は、国家のアイデンティティの礎は言語と宗教だと思っています。これはJICAに来てから特に痛感しています。
例えば、ジョージアとか、アルメニアに行くと、彼らはもう何百年も海外に移民を送り出しているわけです。ところが、在外のアルメニア人とか、ジョージア人というのは、きちんとアルメニア正教やジョージア正教への信仰を維持しているのです。言語も維持しています。
ところが、日系ブラジル人の場合、3世になると日本語を流ちょうに話す人は少なくなります。
そのようなことでいいのだろうか、やればできるのではないか、と私は思うのです。今日、日本語はネットで読めるし、漫画やユーチューブもある。だから、これらを使えば日本語というアイデンティティのコアを維持することは不可能ではない、日本ももう少し努力したほうがいいのではないかと私は思うのです。
宗教のほうは、日本にはジョージア正教、アルメニア正教のようなものはありません。代わりにあるとすれば象徴としての天皇制です。もちろん、明治国家における天皇制のようなものは困るのですが、もっと長い歴史の中にある天皇制は、今のような文化的な、もう少し軽やかなものです。ですから、皆さんがよく御存じのとおり、中南米、特にブラジル辺りへ行くと、日系人たちの皇室に対する信頼は大変なものです。
同時に、日本に興味を持ち、関心を持ち、集まってくる人は、みんな日本人だと受け入れたらいいのではないかと私は思っています。ナチュラリストだったC・W・ニコルさんとか、ラモス瑠偉さんとか、ドナルド・キーン先生とか、国籍を取ろうが取るまいが、日本人だと私は思うのです。日本に愛着を持ち、日本文化に愛着を持つ人はみんな日本人だと。そのような人たちをみんな受け入れていくのがよいのではないでしょうか。昨年のラグビーW杯の日本チームが好例です。
(3)優秀な政治家・役人をいかに確保するか
国と国とが何もしなくてもみんなが仲良くしてくれるなんていうことはあり得ません。もちろん、なるべく軍事的な競争はしたくありません。文化的な競争は歓迎するし、経済的な競争は重要だと思うのですが、そのために必要なものは、有能なエリートです。有能な政治家、有能な役人、これをいかに確保するかということはとても重要なことです。
どうやって確保するか、これは難しくていろいろなことが必要ですが、一般論だけを言っておくと、今の日本の状況は相当ひどい状況にあるわけで、将来国がどうあるべきかという大きなビジョンを考えて、それに向けて取り組むことが重要です。
4.西太平洋連合を目指して
(1)太平洋島嶼国やASEAN諸国との関係強化
私は将来的には、西太平洋連合、あるいは、太平洋連合というものを作ることを考えたらどうかと思っております。
先ほど、国家は残る、と申し上げましたけども、国家というのは、最低でも人口が1千万人とか、2~3千万人あって初めて、一つのユニットになるだろうと思っております。さらに大国としてやっていくためには、何億人という人口を持っていないと、なかなか発言権がありません。
私は、ヨーロッパにEU(欧州連合)があり、アフリカにAU(アフリカ連合)があるのなら、日本からフィリピン、インドネシア、ベトナム、それから、太平洋島嶼国、うまくいけばオーストラリア、ニュージーランド、こういう国々が加わった太平洋連合あるいは、西太平洋連合というものを将来的に作ることを日本は念頭に置いたらどうかと思っています。
私は、EUの一番の成果は外交政策の統一だと思っています。EUは、国際政治の舞台において、いろいろな案件についてEUのコモン・ポジションを打ち出し、それと同時に、イギリスやフランスも自分の立場を言う。つまり、我が国はEUのポジションに完全に同意である、さらにつけ加えるとこういうことが言える、といった発言をするわけです。
大枠をすり合わせるのがEUの非常に大きな成果であると考えますと、私は、大陸から少し離れたフィリピン、インドネシア、これに中国に対する警戒感のあるベトナムをくっつけて、さらに、ミャンマーを加え、マレーシア、できればシンガポールも共に取り組む。少し難しいのは、ラオス、カンボジアかなという気がいたしますが、このラオス、カンボジアといえども、長年の経済協力のおかげで、国民は非常に親日的です。
こうした国々とは、実はそんなに対話があるわけではないのです。ASEANとの金融方面の対話は非常に多くありますが、ドイツ、インドなどと比べると、政治全体を通じていつでもすぐ会って話ができる関係というのは、まだありません。
そうした関係がないことには理由があって、テクノクラート(技術官僚)はいるのですが、自由にビジョンを語れるような人たちはあまりいなかったのです。それがだんだんできるようになってきました。
例えば、亡くなってしまいましたけども、タイのスリン・ピッスワン氏(元タイ外相、元ASEAN事務総長)には、政策研究大学院大学(GRIPS)で授業を受け持っていただいたり、諮問委員にもなってもらい、年に何度か来日して、そのたびに白石隆さん(前GRIPS学長)や田中明彦さん(現GRIPS学長)と一緒に会食して、意見交換をするというようなことをやっておりました。
こういうことが頻繁に起こるような、しかもオンラインでやればいつでもできますし、現に直接会うのだって、週末にバリ島で集まろう、というようなことが簡単にできるような関係を作って強化していくことが必要だと思います。
(2)梅棹忠夫「文明の生態史観」
この発想の根っこは、古くは梅棹忠夫先生の『文明の生態史観』という本にあります。50年代に出たもので、梅棹先生の議論は「日本はアジアだ、と盛んに言うけれども、コンティネンタル・アジアとは非常に違う」というものです。コンティネンタル・アジアは、強大な帝国が生まれ、その結果、国民に自由はないところだとしています。
ところが、沿岸部では封建制があり、封建制では封建領主の競争の隙間に自由がある。また、海に逃げることもできるわけで、それができているという共通性を持っているのは、日本と西欧だと彼は言ったのです。西欧と日本はそうした共通性があるとしているわけです。ですから、日本はアジアの一員として中国と似ているというよりは、ユーラシア大陸の沿岸部にある地域として、むしろ西欧と似ているわけです。
この本が書かれた当時、東南アジアについては視野の外だったのですが、東南アジアの戦後の発展により、そうしたところに入る可能性ができつつあるのではないかと私は思っておりまして、その前提で太平洋連合とか、西太平洋連合ができればいいな、と考えております。
5.JICAの取組
(1)開発協力大綱
以上を前提に、少しJICAの話をします。
ODAの基本方針として、まず開発協力大綱(平成27年2月10日閣議決定)があります。「国際社会の平和と安定及び繁栄の確保に一層積極的に貢献する」ということが開発協力大綱に書いてございます。この開発協力大綱は、国益という言葉が盛り込まれたことで話題になったものです。国益については冒頭でも触れましたが、日本にとっては、自由な貿易ができ、紛争は平和的に解決される、そうした国際秩序を維持することが一番の国益だということです。
そのために、うちに閉じこもるだけではなくて、もう少し外に出て、いろんな協力をしようではないか、ということです。そのときに念頭にあったのは、より積極的なODAと、より積極的なPKOと、より積極的な外交活動、この三つです。
(2)ODA実績
ODAの実績は、皆さん御承知のとおり、計算方法が変わったものですから、2018年以降少し浮上しまして、GNI比0.28%になっています。ただ、DAC(OECD開発援助委員会)加盟国の平均(0.31%)よりはずっと少なく、目標の0.7%にははるかに及びません。
(3)JICAのビジョン
開発協力大綱を具体化していくため、私はJICAのビジョンを「信頼で世界をつなぐ」と改めました。
JICAのアプローチは、他の国のドナーと比べて、顕著な特色があります。それは、相手の国とよく相談して、何がいいかを一緒に考え、それを共にやる、協力の姿勢です。少し時間をかけても、対等に相手と協力することであり、上から下への援助や支援とは異なる姿勢です。
途上国の人は差別されることに敏感です。日本というのは、あまりそのような差別をしない国だ、という好感を持ってくれているので、これだけで我々にとっては、大分プラスの材料で、金額の少なさを補っていると思っております。
こういうアプローチの基礎にあるのは相互信頼です。「信頼で世界をつなぐ」というのは、ただ空想的な絵空事を持ってきたのではなくて、我々の実績に照らして、これを我々の指針にしようということに決めたわけです。
(4)「人間の安全保障」と「質の高い成長」
我々のミッションは、大きく分けて二つ、「人間の安全保障」と「質の高い成長」です。
「人間の安全保障」は、実は曖昧なコンセプトでありまして、議論の分かれるところですが、全ての人間は尊厳を持って生きる権利がある、恐怖や欠乏から自由になって生きていく権利がある、それをみんなでサポートしよう、というものです。これは非常に崇高な理念だと思います。我々は、それを基礎にしております。
もう一つは「質の高い成長」です。「質が高い」とは、少し分かりにくいですが、インクルーシブ(Inclusive)で、サスティナブル(Sustainable)で、レジリエント(Resilient)なものだという意味です。
インクルーシブ、つまり成長の結果、すごい格差ができるようなものを我々はしたくない。より平等主義的な発展に協力したい。
サスティナブル、あるときボン、と伸びるけれども後が続かないということもしたくない。
そしてレジリエント、各種災害や緊急事態に対応できるような、自らの脆弱性を低減できるような能力を身に付けさせる協力をしたい。
このような「質の高い成長」を実現するというのが、我々の狙いです。
(5)「人間の安全保障」の具体例
最近、JICAとしては「人間の安全保障」のほうに、やや力を入れているつもりです。ちょうど去年はTICAD(アフリカ開発会議)もあったものですから、それを打ち出しています。
ア.ミンダナオの平和と開発
尊厳を持って生きる権利はどこから始まるのか。一番最初は戦争をやめる、紛争をやめる、人が死ぬのをやめる、そこから始まるわけです。
例えば、我々が方々で説明するのは、ミンダナオ和平です。長年にわたって、モロ・イスラム解放戦線とフィリピン政府の間に紛争が続いていました。それを我々はずっと辛抱強く対話を続けて、現場レベルで両者が和解するようなプロジェクトを進めてまいりました。
イ.防災(強靭な社会づくりへの協力)
次は、防災です。インドネシア・スラウェシ地震というのが2年ほど前にありました。その時は、みんな緊急支援で駆けつけ、インドネシアはそれを受け入れるのですが、原因の究明、復興計画の策定というところになり「ここはJICAにお願いしたい」とインドネシアが言ってきたのです。だから、日本が引き受けました。そのような信頼関係ができているのです。
ウ.海外協力隊
海外協力隊も大変評価が高いのです。現在、新型コロナウイルス対策のため彼らは日本に引き上げて仕事がないという状況で、我々も苦慮しています。その中で、国内での支援活動をしたり、あるいは、彼らのパワーアップのために大学院に行ったり、遠隔で海外への支援をしたりということをやっているのですが、なかなか大変です。彼らの中にはコロナが一段落したらまた行きたい、という人が9割ぐらいいて、まだ士気は高いのです。
海外協力隊の活動はいろいろなところで行ってきていますが、戦後始まった頃は、例えば、フィリピンに行くと「日本人だ」と言って石を投げられたそうです。そこをずっと苦労して、水も電気もないところで、現地の言葉を話して入り込むということを続けてきており、そうした姿勢はやはり評価されております。
(6)「質の高い成長」の具体例
「質の高い成長」の方は先ほども申し上げたように、インクルーシブで、サスティナブルで、レジリエントである、ということを打ち出しているのですけども、その中にもいろいろあります。
まずはチリの鮭です。JICAが養殖のための基礎技術を伝えたのです。
それから、ブラジルのセラード開発です。荒野を開発し、大豆がたくさん取れるようにしました。
また、インドのデリーメトロというのが面白い例です。デリーに地下鉄を作った、その結果、一種の小さな文化革命が起こりました。それは、インド人が地下鉄に乗るために行列を作るようになったのです。インド人は、電車が来たら、押し合いへし合い、屋根の上まで上るというのが典型的なイメージだったのですが、今はそれはやりません。なぜなら、3分後に電車が来るということがちゃんと表示されますから。何もそんなことはしなくていいのです。
インドネシアでも昨年地下鉄が走り出しました。我々は都市交通には前向きです。なぜかというと、都市交通というのは、まさにインクルーシブな発展を促進するものだからです。
途上国の欠点は、下手をすると、お抱え運転手付きの超金持ちと、めちゃくちゃなバスに乗っている庶民に分かれてしまうことなのです。地下鉄というのは、まさにその間の中産階級を後押しするものなのです。しかも、地球温暖化対策としても良い効果を持ちます。
ただ、インフラ整備は下手をすると、価格の高いインフラを無理やり輸出するということが出てきます。これはいかがなものかと思っています。
そこで私は、インフラ輸出に関して、「相手国の発展に本当に役立つ」、「相手国と日本との関係強化に役立つ」、「日本の企業や経済にとって利益がある」、「JICAの財務にとって過大な負担にならない」という4つの原則を立てました。これらの原則に即して、日本の国益である信頼を損なわないようにしていくべきだと思っています。
(7)JICAの重点的取組
JICAが今、重点的に何をやっているかということをお話しさせていただきます。
ア.中小企業の海外展開支援
日本の多くの企業は中小企業であり、大体地方にあります。このうち良い技術や何かを持っている企業と海外のニーズをくっつけるお見合いをJICAはやっています。これは越川前副理事長が精力的に取り組まれたものです。
イ.JICA開発大学院連携事業
私が力を入れてやったのは、JICA開発大学院連携事業というものです。今、世界で開発学の本場はどこか、というと、一応イギリスということになっているのですが、やはり途上国としては、途上国から出発して苦労した日本に来て学ぶのがいいのではないか。留学生に日本に来てもらい、主専攻は金融論でも、国際政治でも、農業でも、防災でも何でもいい、ただ、カリキュラムのうちの1割ぐらいは、日本の近代化の勉強をしませんか、ということで、留学生受入れの仕組みを作っています。
JICAだけでは教えられませんので、日本中の70~80ぐらいの大学に協力していただき、何人かずつ受け入れていただいております。
我々のターゲットは途上国の若手の官僚です。いい人材を日本に連れてきて、日本で勉強してもらう。日本の成功、失敗、どういうふうに教育政策を広げてきたか、公害対策はどう行ってきたか、そんなことを勉強してもらうのです。きっとあなたの国の発展に役に立ちますよ、と。彼らはきっと親日家になってくれるのです。そして日本の大学でも、もっといろいろな先生に外国語で授業をし、そして外国人とつき合ってほしいのです。
JICA開発大学院連携事業のこうした講義は、大学院の修士課程で、英語でやっています。難点は、日本について英語で話せる専門家が少ないということです。そのため、放送大学とJICAとで組んで番組を作りました。私も、田中明彦さんも、白石隆さんも講師をしています。「日本の近代化を知る7章」という英語の番組を去年作り、今年、さらに増えて15章になります。
ウ.JICA日本研究講座設立支援事業(JICAチェア)
こうした取組を日本でやっていると、外国の方は「それは面白そうだから、うちでもやりたい」と言われるようになりました。初めは、ヨルダンの王様でした。アラビア語訳はうちで作るから、ヨルダンで放送させてくれないかと言われました。
我々はそれに刺激を受けて、世界の100の国にJICA Chair for Japanese Studiesという、JICAが主催する日本研究の小さなユニットを作るという取組を始めました。日本について勉強したいという人がいる時に、現地ですぐに学べるようにするべきだと考えています。
このユニットは非常に簡単です。例えば、ある国のトップクラスの大学を選ぶ。ルワンダだったら、ルワンダ国立大学というのがあります。そこに日本研究の講座を作ってもらう。講座では、海外協力隊が日本語を少し教える。それから、日本について英語で書かれた本を200冊寄附する。また、「日本の近代化を知る7章」のビデオ、将来的にはもっと増やしますが、それを置いていつでも見られるようにする。そして、そこに日本について英語で話せる人を1週間程度派遣して何度か授業をしてもらい、学生と交流する、ということを年に2回程度やる。その事務はJICAの事務所が担当する。そうすると、1カ国1,000万円以下で出来るのです。これで、日本のプレゼンスをもっと打ち出そうと考えているわけです。
エ.外国人受入れ促進
それから外国人受入れ促進に対する協力です。
外国から来た人が、日本に来て、仕事をしてお金を稼いで、日本にいてよかったと思って帰ってもらわなければいけないので、何か困ったらいつでも相談に乗る部署、組織が必要になります。
私は、日本の主な自治体には、そのような人を配置しておいて、何でもすぐ対応できる、多言語で対応できる、という仕組みを作っておくべきだ思うのです。そのコアになれるのは、多分JICAの職員ではないかと思うのです。このことを昨年の暮れ頃に菅官房長官に申上げたところ、官房長官はポジティブに反応してくださって、徐々にこれを進めています。
オ.世界保健医療イニシアティブ(仮称)
JICAにとって最近一番の話題といいますか、私が打ち出しているのは「世界保健医療イニシアティブ(仮称)」というものです。
我々は世界でいろいろなことをやっていますが、医療、保健の分野では、どちらかというと予防が中心でした。母子手帳、栄養、それから手を洗うなどです。これも大切ですが、現在は治療にも取り組んでおり、現にいろいろなところに病院を作っています。一番古いのは、後藤新平が台湾に作った医学部および附属病院です。後藤は、そのあと満州にも病院を建設しています。戦後は、日中友好医院というのを北京に、60年代には、ベトナムのサイゴンに病院を作りました。これらの病院は体制の転換を超えて、現在も立派に機能しています。
このように、病院というのはインパクトが大きいものであります。かつ、企業が経済活動をするときに困るのは、病気になったときにかかる病院がないことなのです。
我々の計算では、中規模ぐらいの病院なら50億円から80億円で作れます。有償資金協力、無償資金協力を組み合わせ、ADB(アジア開発銀行)その他のドナーとも協力し、また、民間企業の参画も求めることで、そんなに無理なことではないと思います。
カ.多様なパートナーとの取組
最後にもう1点だけ申し上げると、我々はいろんなドナーやパートナーとの協力がとても重要だと思っています。最近の例はナイジェリアにおけるポリオの撲滅です。これは、ローン・コンバージョンといって、我々がナイジェリア政府にお金を貸し、その資金で政府がポリオの予防接種を実施します。予め設定した予防接種の条件をナイジェリア政府が達成したら、そのローンの返済はゲイツ財団が肩代わりしましょう、という仕組みです。つまり、JICAの信用と現場力とを組み合わせて、資金を動員しようというものです。これはパキスタンでもやっております。
国際社会は、やはり未だにP5(国際連合安全保障理事会の常任理事国である米・英・露・仏・中の5か国)の影響力が強いのです。国際機関にインプットしていくよりは、国際機関の外で協力するほうが有効ではないかと思います。
そうした観点で、例えば、赤十字国際委員会(ICRC)・JICA協力とか、日本とイスラム開発銀行との協力などをやるほうがいいのではないかと思います。そのほうが現地の国民には、日本、あるいはJICAという形が見えやすいのではないかというのを考えていて、その意味でも、ゲイツ財団とのローン・コンバージョンというのは、一つのモデルケースと思っております。
ご清聴ありがとうございました。
講師略歴
北岡 伸一(きたおか しんいち)
独立行政法人 国際協力機構 理事長
東京大学法学部卒業、同大学院法学政治学研究科博士課程修了(法学博士)。立教大学法学部教授、東京大学教授、国連代表部次席代表を経て、2012年東京大学名誉教授。2012-2015年国際大学学長、2015年より国際協力機構(JICA)理事長。
小泉首相の「対外関係タスクフォース」メンバー、安倍首相の「安全保障と防衛力に関する懇談会」座長代理、外務省「日中歴史共同研究」日本側委員座長、「いわゆる『密約』問題に関する有識者委員会」座長などを歴任。
著書に『清沢洌―日米関係への洞察』(サントリー学芸賞受賞)、『日米関係のリアリズム』(読売論壇賞受賞)、『自民党一政権党の38年』(吉野作造賞受賞)などがある。近著は、『世界地図を読み直す』、『明治維新の意味』など。