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ファイナンスライブラリー:樋口 耕太郎 著『沖縄から貧困がなくならない本当の理由』

評者 渡部 晶

光文社新書 2020年6月 定価 本体900円+税

沖縄における貧困問題は根が深い。昨年11月23日・24日に那覇で開催された第22回日本乳幼児精神保健学会全国学術集会沖縄大会(童(わらび)どぅ宝~社会で支える親子の成長)に、門外漢ながら参加する機会を得た。元沖縄県職員で子どもの貧困問題に長年取り組み、最近「誰がこの子らを救うのか 沖縄―虐待と貧困の現場から」(2020年 沖縄タイムス)を世に問うた山内優子氏や、関係者必携の「子どものための精神医学」(2017年 医学書院)の著者で、学習院大学定年退官後、沖縄で臨床をはじめた滝川一廣医師の講演などから、沖縄における貧困が、子どもの成長に大きな影響を与えていることを再認識させられ、問題の深刻さをあらためて噛みしめた。そのような中での自治体の保健師の現場での奮闘ぶりには頭が下がった。

著者の樋口耕太郎氏は、沖縄の貧困問題を洞察する本書について、「随分以前から私が肌で感じていたものを、ようやく言語化することができました。愛(の欠如)がいかに社会に影響を及ぼすか、という視点でまとめたものです」という。樋口氏が那覇市松山の飲食店で16年にわたり、延べ3万人の人たちと行った2万時間の「心の会話」から導き出した仮説を提示するというユニークなものとなっている。

かなり以前のものになるが、沖縄出身者の秀逸な沖縄論に、「沖縄の県民象 ウチナンチュとは何か」(沖縄地域科学研究所編 ひるぎ社 1985年)がある。ここでは、沖縄における最大の情報メディアは「何と言っても“対話”」だとの指摘がある。そして、知人同士の会話では「目先の変わった記事を求めるということは本来の目的ではなく、同じセンテンスの微妙なニュアンスや言葉の裏に含まれた意味を知ろうとする、いわゆる深読みが主たる方法にならざるを得ない。すなわち、沖縄でのお互いの会話は、読書に例えればいわゆる精読なのである。しかし、ヒトの人生とは他者にとっては本質的に重苦しいものであるから、その会話は、できればそうした部分に直截に触れないように通常進められる。‥(中略)‥ヤマトンチュの側からは、“要するに…”にあたる分がつかめない」というのだ。樋口氏は、このような難しさを「心の会話」という斬新な方法で乗り越えることができた。

樋口氏は、1965年生れで、岩手県盛岡市出身である。1989年筑波大学比較文化学類を卒業、野村證券に入社。米国での勤務に加え、ニューヨーク大学経営学修士課程を修了するなど、金融分野で研さんを積んできた。2001年に、不動産トレーディング会社のレーサムリサーチへ移籍し、2004年に沖縄のサンマリーナホテルを取得、愛を経営理念とする独特の手法で再生したが、再建手法をめぐり、東京本社と対立し、解雇されたという。この解雇前後に、離婚を経験。家族をはじめそれまで持っていたものをすべて失った(第5章で詳述)。その後、2006年に、事業再生を専業とするトリニティを設立し、代表取締役社長となった。2012年には、沖縄大学人文学部国際コミュニケーション学科准教授を兼務しているほか、沖縄経済同友会常任幹事も務める。

本書については、その一部を構成する論考が地元紙沖縄タイムスのウエッブに2016年から2018年にかけて掲載されたが、発売直後から沖縄の書店の売り上げランキングの最上位に入り、たいへん大きな反響を呼び、何度も増刷されている。「根源的な問題は、沖縄の中にこそ、ある。」との著者の主張が沖縄で真剣に受け止められているのではないかと思う。

本書の構成は、「はじめに 沖縄は、見かけとはまったく違う社会である」、「第1章 『オリオン買収』は何を意味するのか」、「第2章 人間関係の経済」、「第3章 沖縄は貧困に支えられている」、「第4章 自分を愛せないウチナーンチュ」、「第5章 キャンドルサービス」、「おわりに これからの沖縄の生きる道」などとなっている。

このうち、第3章までと「おわりに」で、これまでの沖縄の社会構造を、豊富な実例をあげつつ活写するとともに、「本土化」の進展を展望する。一般論となるので、当然例外もあるわけだが、沖縄社会の特色をうまく言語化していると感じる。「沖縄では皆クラクションを鳴らさない」、「沖縄の学生は教室が暗くても自ら照明を点けない」、「沖縄では松山容子パッケージのオリジナル・ボンカレーがいまだに販売されている」といった観察だ。また、沖縄振興策が、貧困問題の改善に必ずしも貢献していない現状を鋭く指摘する。商取引においても、人間関係の維持に重きがおかれ、競争が働きにくい社会であるとする。

沖縄の社会構造で数値的に明らかなのは、沖縄では貧富の差が大きいということである。各県ごとのジニ係数を示す唯一の公的な統計である、総務省「平成26年全国消費実態調査」によれば、沖縄県のジニ係数は、フロー面でもストック面でも総じて高い。ジニ係数で見る限り、沖縄県は格差が大きい県といえる。そのような社会構造がつい最近まであまり変化してこなかったのだ。

また、マクロでの生産性向上につながる経路は、残念ながら学問的にもきちんと解明されているわけではなく、沖縄経済についても明確な道程が描けるわけではない。しかし、評者としては、著者が指摘する1つ1つのミクロの問題(事業への参入退出の自由の確保など)に地道に対処していくことが行政の課題だと思う。著者は、沖縄の未来について、2010年代になり急速に進展する「本土化」ではない、「第三のデザイン」を希求している。

転じて、第4章・第5章では、著者は、「心の問題」を考察する。そこでは「自尊心の低さ」が貧困を招く真の問題とされる。自分を愛することができるかどうかが死活的に重要だという。また、経済官庁に務めているものとしては、かなり戸惑う記述が続くが、後半部分の文章の力は大変なものだ。著者は、実はこちらの方をより書きたかったのだとの感想を強く持つ。このあたりは、「キリスト新聞」での書評(http://www.kirishin.com/book/44613/)で高く評価される。「キリスト教から見れば、著者の言動は『隣人を自分自身のように愛せよ』という本質を生きている。沖縄と向き合った著者が、愚直に言葉を紡ぎながら、沖縄と日本の『自尊心』を育む『愛の経営』を語っている。」というのだ。

本書に関連して、沖縄の精神科デイケア施設で臨床心理士として4年間の勤務経験を持ち、「野の医者は笑う―心の治療とは何か」(2015年)や「居るのはつらいよ―ケアとセラピーについての覚書」(2019年 紀伊國屋じんぶん大賞2020 第1位、第19回大佛次郎論壇賞受賞)という優れた著作を世に問うた東畑開人・十文字学園女子大学准教授は、ツイッターで、「『沖縄から貧困がなくならない本当の理由』を読んでいる。主張の可否はわからないのだが、『村落共同体的な経済の回り方』の記述がとても面白い。『商品の良さ』ではなく人間関係が消費を決める、つまり『馴染みの店で買うこと』には商品を得る以上の価値があるという経済。」、「自己肯定感という概念は市場経済とセットになっている。リスクをとることができて、イノベーションをもたらす個人を理想の人間にしたときに、自己肯定感は徳になる。そしてそのとき、共同体の和を大事にするという徳は『自己肯定感が低い』と貶められてしまう。複数の徳を並び立たせるのは難しいな。」(@ktowhata 8月2日)とつぶやいていた。非常に的確で有意義な指摘だと思う。

ちなみに、東畑氏は、「自分が変われば世界が変わる」という資本主義が育んだ考え方をさかんに唱える「野の医者」(様々な治療者)が沖縄に多い理由を、貧しさに求めている。典型的には、母子家庭で、不安定な雇用形態で日々の糧を稼ぐ中で、その女性が心の不調を訴えるようになるという現実が横たわる。東畑氏は、沖縄タイムスの「沖縄政経懇話会21」の7月定例会で講演し、沖縄ならではの仲間意識の強さが心の居場所となり得る一方、外れると孤立を生みやすいという二面性に触れたという(沖縄タイムス令和2年7月28日朝刊3面)。沖縄で、地縁・血縁から外れた際の難しさを痛感する。残念なことに、地方交付税で措置されているはずの民生委員の充足率は日本の中で最低水準だ。

著者も、沖縄出身ではないが、上述のように、沖縄で「愛の経営」を展開した結果、それまで得たものを失って心にも大きな傷を負った。「愛に生きること、愛の経営を再び実現すること、が人生の目的となり、それまで重要だと思っていた一切のことに関心がなくなってしまった。沖縄で、志を同じくする生涯のパートナーと出会い、『愛の経営』を専業とする事業再生会社を設立し、本土に戻ることをやめた」という。東畑氏が「野の医者は笑う」で指摘する、「自分を癒したもので、人を癒す。人を癒すことで、自分自身が癒される」という、「傷ついた治療者」(ユング)が、ここでまさに立ち現れたように感じた。

沖縄について関心を持つ向きには、ぜひ一読をお勧めしたい話題作である。