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新々私の週末料理日記 その37

5月△日土曜日

コロナ自粛の巣ごもりで、やることがないものだから、このところ週末は朝から1~2時間散歩することにしている。今日は家から30分ほどかけて、こじんまりした氷川神社まで出かけた。参拝すると、二宮尊徳の「今日の暮らしは昨日にあり 今日の丹誠(たんせい)は明日の暮らしとなる」という言葉が掲げてあった。まことに金言であるが、「今日の感染状況は二週前の自粛にあり」と詠みかえたくもなる今日この頃である。

散歩の途中に歩いた商店街でも、飲食店は大半が休業かテイクアウト限定であり、書店もシャッターが閉まっている。商売を営んでいる方やそこで働く方たちはさぞや大変なことだろう。対策には、財政出動も必要だと思う。一方で我が国の財政状況は悲惨な状況にあり、コロナ禍以前から連年巨額の赤字を将来世代に付け回している現状だ。おじさん連のオンライン飲み会でくだ巻きながらコロナ対策を論ずるときには、「若い世代、将来世代には申し訳ないが」という前口上だけでもつけようと思う。前口上をつけたところで意味はないかもしれないが、気は心というではないか。

参拝を済ませてよたよたと歩きながら、昨晩読んだ本のことを思い出す。コロナ禍で図書館が臨時休館なので、書棚をひっくり返して古い本を読むことが多い。先日「中国の歴史」(講談社)全10巻のうち何故か1~5巻が出てきた。昭和49年刊だから40数年も前の古書であるが、中国四千年の歴史の前では40年やそこらは誤差のうちに入るまいと決め込んで、このところ、テレビの時代劇を観ていないときに少しずつ読んでいる。

昨晩は漢の武帝の前後を読んだ。紀元前140年に16歳で即位した武帝は、54年に及ぶ在位中に武威を四方に輝かせた。といっても武帝自身が親征したことはなかったが、対匈奴戦をはじめとする大規模な度重なる外征は、文帝・景帝の二代にわたって充実が図られた国家財政を窮乏させ、新たな財源を要することなった。そこで登場したのが、桑弘羊らの法家思想の財務官僚たちであり、彼らによって塩鉄専売制、均輸・平準法、告緍令(告発奨励制度)による財産課税の強化などの財政政策が進められた。

国家による塩鉄専売制(後に酒にも専売制導入)が、従来製鉄業や製塩業を営み巨利を得ていた地方の豪族の反発を招いたのは当然であるが、均輸法と平準法についても、政府が商品の買い付けや運搬を行い物価の統制を図るものであるから、大規模な商業を営んでいた地方の豪族層の利潤を減少させるものであった。財産課税の強化も、緍銭すなわち蓄蔵貨幣に対する重課税であったから、主として中規模以上の商工業者に対する課税であった。かくて実務的な法術官僚たちによる財政政策の下で、地方豪族や商工業者の不満が高まっていた。

武帝の次の昭帝の代、紀元前81年に、詔勅によりいわゆる塩鉄会議が開催された。各地方から「賢良」、「文学」と称する民間有識者60余名が長安に招集され、塩鉄専売制など新財政政策を存続すべきかどうかについて、丞相車千秋、御史大夫桑弘羊ら有司(政府高官)との間で激しい論戦が戦われた。桑弘羊は武帝時代以来の新財政政策の立案施行者であり、当時の行財政の事実上の最高責任者であった。

賢良たちは、「民間の疾苦するところ」を諮問されたのに対し、塩鉄専売など政府自ら民と利を争って民を本業(農業)から末業(商工業)に赴かせる政策は廃止すべきと主張した。儒家思想による農本主義を標榜しているが、彼らの廃止論が地方豪族・商工業者の利益に適うことは論を俟たない。賢良・文学の出自も地方豪族層であったろうし、また、地方豪族は、族的結合や家族倫理などの面から儒学と親和的でもあったと思われる。

これに対し、桑弘羊らは、現実主義に立ち、現在政府のなすべきことは匈奴など外敵の侵入を防ぐことであり、辺境防備のための財源として専売制などは存続して国庫の充実を図るべきであるとした。そして、賢良・文学は尚古思想による理念主義を主張するだけで、当面の国策に具体的提案がないと非難した。しかし、賢良・文学は、車千秋、桑弘羊ら政府高官を畏れることもなく執拗に論難した。同書は、一介の書生に過ぎない賢良たちが廟堂で時の権力者を激怒させるような発言を重ねることができた事情として、彼らの背後に、桑弘羊をしのぐ実力者である大司馬大将軍霍光の存在を指摘する。彼は軍職にあったが、尚書(上奏を皇帝に取り次ぐ役)を兼ねて、内朝(丞相府、御史府など国政の執行機構である外朝に対して、皇帝・帝室の私的な面を司る機構を総称)を統率していた。

しかし、塩鉄会議の論争の結果は、酒専売制の廃止だけに終わった。政府側に、賢良・文学の主張は国策に対する理解力がなく専売制の不便を言ったに過ぎないものと片付けられ、地方豪族の期待も内朝勢力の支援も、老練な財務官僚の桑弘羊を圧倒することはできなかった。

会議の翌年、かねて霍光による外朝への介入に反発していた桑弘羊は、内朝内の霍光と上官桀の対立に際して上官桀に与し、燕王の謀反に参画して誅殺された。しかしながら、桑弘羊の財政政策は、霍光が政権を掌握した後も、深刻な財政状況にかんがみてか、酒専売の他はそのまま維持された。

この一連の経緯を、内朝対外朝すなわち皇帝側近勢力対実務官僚機構という図式だけでとらえることに無理はあろうが、あえて単純化して言えば、この時期皇帝の権力が専制的な方向に強化される過程で、内朝・外朝間の均衡が皇帝の側近勢力である内朝側に傾いてきたということであろう。誤解を恐れずさらに単純化して言えば、内朝側は縁戚関係など皇帝との個人的な結合に基礎を置くのに対し、外朝側は法制度を重視する。従って前者は、時の政権の求心力増大を最優先するので、民心の動向に敏感であり、恤民政策を志向する。これに対し、後者は制度の安定性・永続性を重視するので、不人気な政策を政権に背負わせることもいとわない。悪く言えば、内朝の側は目先の人気取りに走って制度の将来的な安定を損ないがちであり、他方外朝の実務官僚たちは、法理の厳格な執行に励む結果、酷吏の批判を招き、さらには社会に不満がたまりやすいということか。二千年以上も前の塩鉄会議であるが、現代に生きる我々にも考えさせるところ大きい。

柄にもないことを考えながら歩いていたら道を間違えた。家の者が、今日の夕食に鰯のパン粉焼きを作るというので、私は、何かの記事に出ていた砂肝のコンフィと、野菜ときのこのマリネを作るつもりだ。ついでに砂肝とにんにくとオリーブ油の風味のきいたセロリの葉入りスープも作ろう。スーパーに寄って買い物をして帰らなくては。

砂肝のコンフィのレシピ(4人分)

〈材料〉 鶏砂肝1パック(300~400g)、にんにく1片(皮をむく)、粉末タイム、乾燥ローズマリー数本、オリーブ油、サラダ油

(1)砂肝を2つに切り、塩小匙1と胡椒適量、粉末タイム少量を振り、手で揉んでなじませたら、しばらくそのまま置く。(砂肝は2つが1セットになっているのでそれを切り離すだけでよい。それ以上の下処理不要。)

(2)小さめの鍋かボウルに砂肝とにんにく、ローズマリーを入れ、砂肝が隠れるまでオリーブ油とサラダ油を半々の割合で注ぐ。鍋か深めのフライパンに湯を沸かし、その中に砂肝の入った鍋を入れ湯煎にする。湯煎の湯が沸騰する少し手前ぐらいの火加減で2時間煮る。時々湯を補給すること。(湯煎にせずオーブンで煮る場合は70度2時間。)

(3)砂肝が入った鍋を出し、砂肝をガラス瓶などに取り出す。煮油の上澄みを(時間があればキッチンぺーパーを敷いた笊で濾して)、砂肝の入った瓶に注ぐ。煮油の底に砂肝から出たコラーゲンなどのエキスが沈殿しているので、これが混ざらないよう上澄みだけ注ぐこと。残った油とエキスは後述するスープに使うとよい。

*できあがった砂肝のコンフィは、冷蔵すれば2~3週間もつ。そのままフランスパンを添えてワインや洋酒のおつまみにしてもうまいし、フライパンで焼き目をつけて、適当につけあわせを用意して盛りつけると本格的な一品になる。私の一番のお勧めは、適当にスライスして、後述する野菜のマリネの上にのせ、上から煮油をかける食べ方である。

砂肝エキスのスープのレシピ

〈材料〉 砂肝の煮油(及びエキス)、セロリの葉10枚ぐらい、セロリの茎の細いところ、玉ねぎ1/4~1/2個、人参1/3~1/2本(いずれもあらみじん切り)、白ワイン50cc

(1)砂肝の煮油でセロリの葉以外の野菜を2分ほど炒め。白ワインを加え、さらに湯800ccを注ぎ加熱する。

(2)セロリの葉を加え、塩、胡椒で味を調える。

きのこと野菜のさっと煮マリネのレシピ

〈材料〉 マッシュルーム6個(石突を切り落とし、縦に半分に切る。他のきのこでもよい)、セロリ20センチ(ピ-ラーで筋を取ってから、3等分し、さらに縦に4等分にする)、人参半本(太目の拍子木切り)、黄パプリカ半個(横半分に切ってから縦に1センチ幅に切る)〔調味料〕ワインビネガー(又はりんご酢)大匙6、白ワイン大匙6、乾燥ローズマリー数本、塩小匙1/2、胡椒少々

(1)鍋に調味料を入れてよく混ぜ、パプリカ以外の具材を入れ、落し蓋をして強火で一煮立ちさせる。沸いたらすぐ火を止め、パプリカを加え、再度一煮立ちさせる。

(2)火を止め、そのまま冷ます。