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危機対応と財政(1)諸外国のリーダーシップ

国家公務員共済組合連合会 理事長 松元 崇

新型コロナウィルスへの対応に世界各国で難しい試行錯誤が続いている。そのような中、シンガポールとフランスの調査機関は、各国における自国の対応の評価で日本が最下位だったとの調査結果を公表した(時事、2020.5.8)。コロナウィルスによる人口一人当たりの死亡者数で世界最低水準、欧米の100分の1程度、韓国やシンガポールと同程度なのにそのような結果だった。

新型コロナウィルスへの対応の違いの背景には、わが国と諸外国におけるリーダーシップの在り方の違いがある。財政は、危機対応時のリーダーシップを支える重要な柱であると同時に、いざ財政危機となれば強力なリーダーシップが求められる。財政を考えるにあたっては、リーダーシップの在り方を理解しておくことは必要なことといえよう。本稿は、そのような問題意識から、危機対応と財政について考察してみたものである。元々は、筆者が、主計局の調査課長時代にとりまとめた論稿で、適宜リバイズしているが、必ずしも最新の情報をフォーローできていない。財務省の出向者に調査依頼を行えた当時とは異なる筆者の現状に照らしてお許しいただければと考えている。

1.英国の首相のリーダーシップ

「もしも私が首相としてふさわしくないのであれば、他の人間を首相にすればいい。私が首相である以上、自分の良いと思う道を進む(ブレア首相)」(「英国大蔵省から見た日本」木原誠二、文春新書、2002)というのが英国首相のリーダーシップである。それは、ジョンソン首相の、コロナウィルスを巡っての、あるいはEU離脱をめぐってのリーダーシップの発揮ぶりからうかがうことが出来る。英国は「首相統治制」と呼ばれることもあるほどで、英国の首相は民間のオーナー社長と同様の強いリーダーシップを発揮している。

英国の首相の、リーダーシップの背景には、(1)地位の安定性、(2)選挙で実質的に直接選ばれることからくるカリスマ性、(3)政策形成の主導権、(4)人事権がある。

地位の安定性は、英国の首相が、選挙で負けない限りは本人の意思に反して交代させられることが無いことからうかがわれる。労働党・保守党のいずれを問わず、我が国のような3年毎の党首選挙といったものが無いのが英国である。

カリスマ性は、英国流の選挙から生み出されている。英国の選挙は、候補者個人にお金のかからない、個人後援会組織が認められない党営選挙である。英国の選挙では、党首が強いリーダーシップをもって決定する党の公約(マニフェスト)以外に候補者個人の公約は存在せず、党の公約がぶつかり合う。そこで、多数を取った党の党首が首相になる。それは、実質的に首相を直接選挙する仕組みとなっており、それが首相のカリスマ性を高めている。

英国の首相の日常的な政策形成を支えるシステムとしては、関係閣僚で構成される内閣委員会の制度がある。首相自らの議長による内閣委員会としては、防衛、外交、憲法問題についてのものが、副首相が議長の内閣委員会としては社会問題、環境、地方自治についてのものが、大蔵大臣が議長の内閣委員会としては経済問題、公共支出、雇用についてのものが設けられている。英国の首相の政策面での強力なリーダーシップの背景にあるのが、英国の与党には我が国の政審・総務会のような党独自の政策を議論する機関が存在しないことである。この点は、党内民主主義が重視される我が国の感覚からは、なかなか理解しがたいところであるが、英国では当選1回の議員にも党の部会などでそれなりの発言権があるというようなことはない。英国の首相は、年に一度の党大会で決定される党の基本的な政策形成についても議事日程の調整等を通じて大きな権限を持っており、その延長線上で選挙公約も打ち出される。

人事権については、英国の首相は、党に相談することなく、自らの判断のみによって各省の大臣や副大臣を任命し罷免している。それは、誰を大臣に任命するかが、内閣の支持率に、そして次の選挙に大きく影響するからである。英国では、各省の大臣は、毎週議会で行われる野党のシャドー・キャビネットの大臣との間の厳しい討論(クウェスチョン・タイム)でポイントを稼がなければならず(ネットでも配信される)、優れた討論能力を持つことが不可欠とされている。英国の首相は、自らの政策を実現するために、組織を自由に変更する権限も持っている。例えば、内閣府の所掌事務や組織、担当大臣を臨機応変に変更して強力な政策展開を図っている。英国の首相は、事務の官房副長官からの報告に基づいて各省庁の局長以上の人事も承認している(各省庁の大臣には人事権はない)。1979年にサッチャー首相が総理に就任した際、サッチャー改革に反対を公言していた各省局長クラス以上の官僚約20名を更迭した例が知られているが、選挙で民意を得た首相の改革に反対を唱えていたという例外的な事例で、通常は事務の官房副長官からの報告通りの人事が行われている。

2.米国の大統領のリーダーシップ

英国の13の植民地(州)が独立戦争を戦って建国した米国では、独自の憲法や刑法を持つ州の権限が強く、かつての大統領は今日のように強力ではなかった。今日のような大統領のリーダーシップが確立されたのは、南北戦争を指導したリンカーン大統領以来とされている。そのような米国の大統領には、政策形成面では英国の首相のようなリーダーシップはないが、地位の安定性や人事権、カリスマ性では英国首相を上回るものがある。グローバルなレベルでは、米国の国力を背景に他国の追随を許さない力を持っている。

地位の安定性は、トランプ大統領がウクライナ疑惑で史上3人目の弾劾を受けたにもかかわらず結局無罪放免となり、むしろ支持率を高めたことからうかがわれよう。ちなみに、史上2番目の弾劾を受けたのは、大統領官邸でモニカ・ルインスキー・スキャンダルを起こしたクリントン大統領で、やはり無罪放免となり大統領の任期を満了した。いずれのスキャンダルも、我が国であれば、かなりの確率で首相退陣になったものだったと言えよう。そのような米国大統領の地位の安定性の背景にあるのが、大統領のカリスマ性で、それは4年毎の国を挙げての「お祭り」とも言える大統領選挙によって作り出されているものである。

政策形成面に関しては、米国議会に議案を提出出来るのは議員だけで、議案を提出できない大統領が法案を必要とする政策を実現させようとすれば、まずは与党の関係議員との連携を行い、その上で与野党の議員に議会工作が必要になる。英国のように与党議員だからといって大統領の政策に従うという慣行は無いからである。その背景には、英国のような党営選挙でなく、各議員は自らの力で当選してくることがある。議会には、コーカスと呼ばれる政策に関する与野党横断の議員連盟があって、関係団体からの強力なロビー活動(議会工作)が行われており、大統領の議会工作は、それに対抗しなければならない。大統領は議会工作を上手に行なわないと、法律を伴う政策の実現は図れない。大統領の議会工作が容易でない背景には、米国における議会の高い政策立案能力もある。議会の各委員会や議会会計検査院(GAO)には、公費で多数の政策スタッフが配置されており、議員のために政策の分析を行っている。そのような高い議会の政策立案能力とバランスさせるために、米国憲法は大統領に拒否権を与えている。それは、議会の3分の2に相当する実質的な立法権ともいえるが、自らの政策実現という局面で使えるものではない。

そのような中で、オバマ大統領以来、頻繁に用いられるようになり、トランプ大統領も多用しているのが大統領令である。大統領令の第1号は、リンカーン大統領による奴隷解放令で、先の戦争において日系人を強制収容所に入れたのもルーズベルト大統領による大統領令だった。しかしながら、大統領令は、連邦最高裁判所で違憲と判断されることもあり、また議会がそれを否定する法律を作れば、無効とされてしまう。

ということで、米国大統領の政策形成面でのリーダーシップは英国の首相に及ばないが、危機ともなればそのリーダーシップは強力なものになる。米国には「一朝事あるときには星条旗の元に一致団結する」という伝統があるからである。米国大統領は米軍の最高司令官であり、また、CIAにテロリストに対する殺戮兵器を用いる秘密工作を命ずる権限も持っている(「ブッシュの戦争」ボブ・ウッドワード、日本経済新聞出版社、2003)。トランプ大統領が、新型コロナウィルスへの対応について、自分は戦時下の大統領だと宣言し、国防生産法に基づいて医療物資の生産を民間企業に命じたのも、そのような権限を発動したものである。

人事権については、米国の大統領の権限は強大である。大統領の交替期には、ワシントン全体で2万人もの人が入れ替わるとされているが、トランプ大統領は、大統領交代期後にも頻繁に幹部を交替させている。米国流の三権分立の下、閣僚の人事に関しては、上院の承認が必要とされているが、米国における政策の実行は英国の議院内閣制などの場合と異なり、必ずしも閣僚がいなければ出来ないわけではない。例えば、かつてのキッシンジャーのように、大統領の個人的な任命による補佐官が行うことも多い。上院の承認が求められることによって、大統領の人事権が大きな制約を受けているということはないのである。

3.ドイツの首相のリーダーシップ

ドイツの首相は英国の場合と同様に選挙で与党が負けない限り交代しないのが基本である。戦後、奇跡の復興を指導したアデナウアー首相、東西ドイツ統合を実現したコール首相を始めとして長期政権となった首相が多く、現在のメルケル首相も15年目を迎えている。ドイツは議院内閣制と大統領制の混合形態をとっているが、大統領の権限は外国との条約締結権や連邦首相、連邦裁判官等の任命の提案等の形式的なものとなっており、実際に大きな権限を持っているのは首相である。ちなみに、ドイツの大統領は、連邦議会議員と各州議会から選出される同数の代議員による連邦集会による間接選挙で選出されている。

政策形成面については、英国のように議会の与党がほぼ完璧に首相の指揮に従う慣行が存在するわけではないが、与党に政審・総務会といったものが存在しない中で、首相が強いリーダーシップを発揮している。我が国の憲法に当たるボン基本法の修正が、何度も行われているのである。その様な政策決定についての強いリーダーシップの背景にあるのが、ドイツの選挙においても英国と同様に、政策を中心とした論争が行われていることである。そのような選挙の結果として与野党の政権交代が行われており、また、連立政権となる場合にもしっかりとした政策協定が行われている。

人事権についても、ドイツの首相は英国の首相と同じく、大臣の数及びその所掌範囲などを自ら決定して組閣を行っている。ちなみに行政府の所掌範囲の変更は、わが国でも戦前は、英独と同様の仕組みで行われていた。それが、戦後、国家行政組織法によって全て国会が決めることとされたのである。この点については、戦前のドイツにならった制度である天皇の行政大権を民主化したものだとする解釈があるが、立法過程を見てみるとそうではない。GHQが米国流に、議会が承認した予算の範囲内であれば、行政府の内部部局の組織は臨機応変に変更できるとしていたものを、それでは「国会の意思を無視したもの」になるとして、当初案が修正されたのである(「昭和財政史-終戦から講和まで」第4巻、pp345-347)。当初は、米国や英独と同様の仕組みだったというわけである。今日のわが国の仕組みは、会社の組織を社長が決められず、株主総会で決めなければならないというようなものである。このわが国独特の仕組みは、従来、問題とされることはなかったが、2001年、英国に倣って総理のリーダーシップを支える仕組みとして内閣府の制度を導入したところで問題を生じることになった。それは、筆者が内閣府の官房長を務めることになって痛感したことである。新たな業務が法律で付け加わるたびに内閣府の組織が肥大化し、機動的に総理を補佐することが難しくなっていたのである。この点については、省庁への移管の措置等を容易にすることが必要ではないかと思われる。今後、検討が必要な点といえよう。

4.フランス大統領のリーダーシップ

フランスでは、強力なリーダーシップを発揮しない政冶家は政治家として失格で国民の支持を得ることなど出来ないと言われている。大統傾は「われわれのフランスのために」というスローガンを掲げ、強力なリーダーシップを発揮して国民をひっぱっていくのである(「フランス主義のすすめ」深野紀之、近代文芸社、1999)。今回のコロナウィルス対策でも、マクロン大統領の命令一下、外出制限措置がとられた。かつては、ミッテラン大統領による命令一下、ルーブル美術館のガラスのピラミッドや新凱旋門が造られたりしている。

フランスもドイツと同じく議院内閣制と大統領制の混合形態であるが、ドイツと異なり大統領の権限が強い。それは、戦前の第三共和制の下で、議会が強く、弱い政府しか持ち得なかったことが、ドイツとの戦争の敗北につながったとの反省から、ド・ゴール大統領が米国よりも強力な大統領制(第五共和制)を導入したことによるとされている。そのような現在のフランスの仕組みは「共和制君主政治」とも言われている。

フランスの大統領のカリスマ性の背景には、米国の大統領選挙にも似た仕組みで選出されることがある。日本の仕組みと異なるので理解しにくいが、要は、米国の大統領選挙の予備選挙と本選挙の組み合わせと同様の機能を果たす2回投票制が行われているのである。元自治省で自治体国際化協会のパリ事務所長も務めた山下茂明治大学教授(地方自治2002.4、第653号)によれば、フランスの大統領選挙においては、「一回目の投票で過半数を得た候補者がいない場合は、上位二人だけに絞った二回目の決戦投票が行われ、その有効投票の過半数を得た者が当選者となる。このため一回目には、相互に政治的な立場、考え方のかなり近い候補者同士が競い合うことも普通であり、その中でより多くの得票を得た者だけが二回目に残る。(中略)かくして決選投票の勝者は、有効投票の過半数を必ず獲得して、政治的な権威を身につけた上で、共和国大統領に就任する」。一回目では、同じ旧ド・ゴール派からシラク、バラデュールが争うというように、米国の予備選挙と同じような光景が展開されるというわけである。フランスの大統領の任期は、かつて7年だったものが現在は5年になっている。それは、民意が流動的になってきた中で、大統領と議会の支持基盤が異なるコアビタシオン(保革共存政権)が出現して大統領権限が弱まってきた。それを、7年の大統領の任期を5年の下院議員と一致させて同時選挙にすることによって、コアビタシオンの出現機会を抑制し、大統領権限を強化しようとしたものだったとされている。

人事面において、フランスの大統領は、首相を指名するだけでなく首相の推薦に基づいて閣僚を任免する権限も持っている。大統領は、議会の解散権も持っており首相と協力しつつ議会運営をコントロールしている。そのようなフランスの大統領は、内政面は基本的に首相に任せ、外交・防衛面で特に強力なリーダーシップを発揮している。サミットにフランスから参加しているのは大統領なのである。

内政についてのフランスの首相のリーダーシップは、フランスの強力な官僚制に支えられている。フランスの政党にも、我が国の政審・総務会のような政策の事前調整機関は存在しない。政策の調整は議会の場で行なわれているが、米国のような政策に関する強力な議員連盟は存在しておらず(「官僚病の起源」岸田秀、新書館、1997)、政府が議会の議事日程について強い権限を持っている中で、首相の政策形成面におけるリーダーシップには強力なものがある。そして、内政面でも非常時となれば登場するのは、やはり大統領である。今回のコロナウィルス対策でも、国民向けに対応を直接呼びかけたのは、マクロン大統領であった。フランスの大統領は、非常事態宣言を行えば憲法改正と議会解散を除いては何事もなしうる権限を持っている。その場合の大統領権限への歯止めは、非常事態宣言によって自動的に開催される議会の特別会くらいとされている。

5.我が国の首相のリーダーシップ

我が国の首相のリーダーシップは、戦後、ワンマンと言われた吉田首相以来、様々な変遷を遂げてきており、その下で、高度成長が成し遂げられ、オイルショックを乗り切り、格差の少ない社会が創られてきた。しかしながら、バブル崩壊後、経済がうまく回らなくなると、様々な改革の動きの中で、首相のリーダーシップを強化して政治主導の政治を実現していこうという改革の動きが出てきた。ここでは、そのような改革が行われる以前の仕組みを見ておくこととしたい。

まず地位の安定性については、戦後の首相の数を諸外国と比較してみると、わが国の首相の地位が安定性を欠いていたことがうかがわれる。その背景には、一人一人がそれぞれの公約を掲げて自力で当選してきた与党議員によって担がれてきたことがあった。例えば、93年の細川首相、94年4月の羽田首相、更に同年6月の村山首相の誕生の間に政党の分裂・再編は様々な形であったが、有権者による選挙が行われたことは一度もなかった。98年の、参議院議員選挙敗北の責任をとって橋本首相が退陣した後も、小渕、梶山、小泉の3氏が、連日マスコミに登場して政策についての公開討論を行ったが、国民による選挙が行なわれたわけではなく、首相を選出したのは自民党の両院議員総会だった。そのように選出される首相に、諸外国の首相や大統領のようなカリスマはなかった。

政策形成面でのリーダーシップも、与党(連立与党)議員によって担がれることから制約されていた。与党の政審・総務会といった機関が政策形成面で強い力を持っていることも、首相の政策形成面のリーダーシップの制約になっていた。そのプロセスを尊重しないと、党内民主主義に反するという批判を受けることになったのである。

人事面のリーダーシップも、与党議員によって担がれていることから制約されていた。中選挙区制の下、一つの派閥の議員だけでは与党内での過半数を得られないことから、首相は他の派閥(連立内閣の場合は他の党派)にも配慮した人事を行っていた。田中(竹下)派が総理を担いでいた時代には、田中(竹下)派の幹事長が閣僚候補者のリストを取りまとめて首相に届け、それに基づいて組閣が行われるパターンが一般化していた。マスコミの批判も、間接的に首相の人事権を制約していた。新たな内閣成立後しばらくするとマスコミからの政権批判が始まることが多く、それが、首相の政策の成果を見届けた上で、その可否を問う形で国民に信を問うことを難しくしていた。野党の国会質問も、そのような状況下、政策論争よりもスキャンダルたたき的なものが多かった。そして、マスコミや野党の批判で内閣の支持率が低下すると、「人心一新」のために内閣改造が行われ、それが各派閥の「人事異動」を促進する機能を果たしていた。内閣改造を行っても支持率が回復しない場合には、与党内での他派閥の領袖への「政権交代」が促されることにもなっていた。ちなみに、かつては毎年のように内閣改造が行われていたが、それは岸内閣での安保騒動の後を受けて成立した昭和35年の池田内閣以来だとされている。池田内閣においては、毎年7月に改造が行われ、中堅議員を中心とする内閣と、派閥領袖を取り込んだ「実力者内閣」とが交互に組織された。また、閣僚の交代と同時に党三役等の人事も行われていた(「歴代首相物語」牧原出、新書館、2003)。

そのような仕組みを変えていこうとしたのが、2001年、自民党予備選挙の地方での圧勝という異例の状況で登場した小泉内閣であった。小泉首相は、人事面でも政策形成面でも従来の慣行にとらわれない手法によって、それまでの我が国の首相のリーダーシップに大きな変化をもたらした。閣僚人事では、(1)派閥推薦(2)党三役と相談(3)年功序列という従来の慣行を無視して5人の女性、3人の民間人を登用した(「日本型ポピュリズム」大嶽秀夫、中公新書、2003)。また、一内閣一閣僚を宣言して年中行事としての内閣改造を行わないこととした。2003年の内閣改造では、自分の派閥から幹事長を出さないとのそれまでの慣行を破って自派から安倍幹事長を指名し、また大幅に若手の登用を行った。政策形成面では、閣僚会議や民間人閣僚の活用、更には小選挙区制の下での政党交付金の配分という力を持つようになった幹事長との連携で、党の政審や総務会の議論をリードし、自らの政策の実現を図った。

今日の首相のリーダーシップは、そのような小泉首相の改革の延長線上にあるが、諸外国の首相や大統領のリーダーシップとは多くの点で違いが見受けられる。民主主義の基本である選挙に関していうならば、その後、民主党が行ったマニフェスト選挙の結果が必ずしも評価されなかったことから、個々の候補者が後援会を中心に自らの公約への支持を訴える従来のスタイルに戻っているといえよう。

次回以降、まずは、諸外国の首相や大統領のリーダーシップを支える選挙制度、そして、官僚機構、政策議論の状況などについて順次見ていくこととしたい。