このページの本文へ移動

ニイ「ガタ」、「トキ」、書いてみませんか?第二十八回

みなでエールを。

新潟県総務管理部長(元財務省広報室長) 佐久間 寛道

非常に厳しい状況が続いていますが、飲食店のテイクアウト・デリバリーを通じて応援する「エール飯」が全国各地で行われるなど、様々な工夫が行われていますね。新潟県庁でも、古町花街の伝統ある様々な料理店からお弁当を作って頂く取組が3月中旬から続いています。

応援歌(エール)が切磋琢磨

さて、エールといえば、現在放映中の連続テレビ小説の題名です。1909年福島出身の作曲家古関裕而さん夫妻をモデルにした、第二次世界大戦で傷ついた人々の心を音楽の力で勇気づけていこうという物語です。高校野球の「栄冠は君に輝く」、「東京オリンピックマーチ」、「モスラの歌」まで、古関裕而さんの曲は様々な場面でなじみ深いのではないでしょうか。連続テレビ小説の題名にもなっている応援歌(エール)。若き古関裕而さんが作曲した早稲田大学応援歌の「紺碧の空」のエピソードも登場するようです。「わせだー わせだー はーしゃ はーしゃ わっせっだ」という締めは耳に残りますよね。作曲当時は第七応援歌、その後第一応援歌に。一体応援歌は何種類あるんでしょう。これは、慶應義塾大学のカレッジソングとも言うべき応援歌「若き血」に対抗して、22歳の古関裕而さんが1931年に作曲したものです。その後、慶應義塾大学は、同じく古関裕而さんに依頼して1946年に応援歌「我ぞ覇者」が誕生したのだそうです。

さらに遡ると、「若き血」は早稲田大学の校歌(「都の西北」と呼ばれています)に対抗して1927年に作られたものだそうです。大胆に縮めれば、1907年に制定された「都の西北」がなければ、「若き血」の存在も、古関裕而さんが両校の応援歌を作ることもなかったかもしれません。

写真:現在も見学可能な相馬御風宅

芸術の持つ力

さて、話題が福島や早稲田や慶應義塾で、なかなか新潟が出てきませんね。「みやこのせいほく わせだのもりに」ではじまり、最後に「わせだ」のエールを7回送る「都の西北」の歌詞は、1883年新潟県糸魚川市出身の相馬御風(そうまぎょふう)さんによるものなのです。卒業まもなく、24歳で母校早稲田大学の校歌の作詞を依頼されるなんてすごいですよね。歌謡曲ですと、日本初の流行歌と言われる1914年の「カチューシャの唄」、動揺「春よこい」などの作詞が有名で、詩人、良寛研究の第一人者など文芸全般で活躍した文人です。

また「エール」に戻ります。新型コロナウィルスによる肺炎で残念ながらお亡くなりになった志村けんさん。山田耕筰さんをモデルにした音楽界の重鎮、小山田耕三役として、5月1日から出演されていることも話題を呼んでいます。「赤とんぼ」等で著名な山田耕筰さんは校歌を多く残していますが、日本大学、東京都市大学、また新潟県内で言えば新潟明訓高校など、作詞相馬御風、作曲山田耕筰の校歌が見られます。

さらに新潟関係では、戦後歌謡界の代表的作曲家の遠藤実さん、疎開をきっかけに現在の新潟市で育ちました。新潟市には記念館のほか、内野駅前広場には、ボタンを押すと千昌夫さんの「北国の春」舟木一夫さんの「高校三年生」遠藤実さんご自身の唄「ふるさとよありがとう」が流れる顕彰碑があります。「ふるさとよありがとう」は、新潟への感謝の気持ちがこもった曲です。

「春よ来い 早く来い … おんもへ出たいと待っている」という気分ではありますが、今回改めて様々な応援歌を聴き、学んでとても元気がでました。甘いかもしれませんが、幸せは工夫次第でアップするな、と実感。芸術の持つ力は素晴らしいですね。すべての方が困難な状況にある中、お互いのエールが行き渡りますように。