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路線価でひもとく街の歴史 第3回

第3回 「岩手県盛岡市」 かわまち盛岡と金融街の栄華

盛岡城下町は1597年(慶長2年)、南部信直の築城に始まる。場所は中津川と雫石川が北上川に合流するところが選ばれた。河川が外堀の役目を果たすこと、舟運による物流を見据えてのことだが、それが現代に至って岩手山を背に城と川が織りなす街の風景を形成している。盛岡の城下町は丁字路を多用した「五の字」の町割が特徴だ。商業地は奥州街道に沿って配置され、とくに中津川を挟んだ盛岡城の対岸が賑わった。街道を南下すると新山河岸がある。多くの川舟が発着した川湊が盛岡城下の玄関口だった。

呉服町金融街

明治以降も街は中津川沿いに発展。中心地となる呉服町には近代の地域経済を支えた銀行が集積した。いくつかは往時をしのぶ歴史的建造物として盛岡の見どころになっている。図1.盛岡の1957年(昭和32年)の路線価図は1957年(昭和32年)の路線価図である。A地点、盛岡城から中ノ橋を渡った交差点に岩手殖産銀行(後の岩手銀行)の本店があった。東京駅赤レンガ駅舎の設計で知られる辰野金吾、葛西萬司の設計で1911年(明治44年)竣工。1896年(明治29年)に創業した盛岡銀行の新たな本店として作られた。その後盛岡銀行は破たんしたが、1936(昭和11年)に岩手殖産銀行が建物を譲り受け本店とした。岩手銀行の本店が現在地に移転した後も、2012年(平成24年)まで中ノ橋支店として使われていた。現在は岩手銀行赤レンガ館として一般公開されている。国の重要文化財である。

図1.盛岡の1957年(昭和32年)の路線価図の時点ではB、C地点も岩手殖産銀行の施設だった。B地点にはロマネスク・リヴァイヴァル様式の重厚な洋館がある。国の重要文化財で2002年(平成14年)に市の文学館「もりおか啄木・賢治青春館」となった。地元出身の建築家、横濱勉の設計で竣工は1910年(明治43年)。盛岡銀行の新築移転の前年に第九十銀行の新たな本店として作られた。第九十銀行の由来は1878年(明治11年)に南部藩士の出資で創設された第九十国立銀行である。第九十銀行は途中その他2行との3行合併の時代を経て1941年(昭和16年)、岩手殖産銀行に合流した。

図中Cは現在の盛岡信用金庫本店である。石造の重厚な建造物で前面に立つ6本の列柱が印象的だ。三井本館や国会議事堂を彷彿させる新古典主義の流れを汲む。赤レンガ館を手掛けた地元出身の建築家、葛西萬司の設計で1927年(昭和2年)に竣工。1921年(大正10年)に設立された盛岡貯蓄銀行の本館だった。同行は1943年(昭和18年)に岩手殖産銀行に合流。路線価図の翌年、1958年(昭和33年)に盛岡信用金庫が建物を買い取って本店にした。図中Dには富士銀行盛岡支店があった。今のみずほ銀行である。前身の安田銀行の出店は1892年(明治25年)、東北では福島、仙台、会津に次いで古い。この界隈の路線価は、図中の太線で示した肴町通りが高かった。江戸期以来の商店街で、今は菜園にある川徳百貨店が1875年(明治8年)以来、通りの角地に店を構えていた。当時は松屋百貨店もあった。県下唯一の全天候型のアーケードは1983年(昭和58年)にかけられたものだ。

昭和の菜園、平成の盛南地区の開発

もっとも盛岡市の最高路線価は肴町ではなく、盛岡城の向こう側「菜園飯塚洋品店南側通」にある(図2.広域図)道路の名前は「大通り」といい、図1.盛岡の1957年(昭和32年)の路線価図つまり昭和32年の時点ですでに肴町通りの路線価を上回っていた。周辺一帯を大通・菜園地区という。南部藩の菜園を由来とする大通・菜園地区には岩手農学校と実習田があった。昭和初期、南部土地株式会社の開発を機に発展を遂げた。「五の字」の町割の中でこのエリアは碁盤の目だ。飯塚洋品店は東西の大通りとこれに直交する通称「映画館通り」の交差点の北西角にあった。通りを南下した元の青果市場に川徳百貨店が移転するなどその後も商業機能の集積が進んだ。

盛岡城の東から西に中心地が移転した背景には、1890年(明治23年)の盛岡駅の開業がある。煙害を避けるように配置され、元々郊外の位置づけだった駅前だが、交通の主力が舟運から鉄道に移るに従って求心力を強めていった。

1969年(昭和44年)、拡大した市街地に呼応して鉄道路線のさらに外縁を迂回するかたちで盛岡バイパスが開通。車社会化が始まった。ロードサイド店舗の出店が続く中、90年代には郊外に新市街地の開発計画が始動した。「ゆいとぴあ盛南」と称された盛南地区の計画面積は313haで2013年(平成25年)に事業完了。盛岡市中心市街地活性化基本計画でいう中心市街地が218haなので、その1.4倍ほどの街が川の南側にできたことになる。盛南地区には2006年(平成18年)に大規模モールがオープン。3年前に高速道路ICの下にできたモールと相まって商業の郊外化が加速した。肴町、大通・菜園地区を擁する中心市街地の売り場面積シェアは2000年前後まで30%近くあったがここ数年20%を割り込んでいる。市の調査によれば歩行者・自転車通行量も減少傾向だ。

他方、中心市街地の居住人口は微増傾向にある。市の人口はここ5年減少傾向にもかかわらず、マンションの建設が進み街なか居住が増えた。最高路線価の位置は今も変わらず、2018年には26年ぶりに上昇に転じた。商業の郊外化は見受けられるも街の総合力はよく保たれている。歩いて楽しい街を念頭に城と川の風景を生かしたまちづくりが奏功したようだ。昨年、官民連携事業として北上川河岸の木伏緑地に芝生広場、公衆トイレそしてコンテナ店舗が整備されカフェや地産地消レストランが開店した。盛岡城跡公園の中津川に面する芝生広場の改装計画も進行中だ。近世城下町と近代の金融街による歴史の重層性はそのままに、より便利に快適に街の魅力が高まってゆく。

プロフィール

大和エナジー・インフラ 投資事業第三部副部長

鈴木 文彦

仙台市出身、1993年七十七銀行入行。東北財務局上席専門調査員(2004-06年)出向等を経て2008年から大和総研。2018年から現所属に出向中