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巻頭言:霞が関に博士号取得者は不要か

慶応義塾大学 総合政策学部教授 中室 牧子

2019年日本学術会議の公開シンポジウムで、川崎茂・日本大学経済学部教授が用いた資料によれば、各省庁の統計部署の職員に占める修士号・博士号取得者の割合が、(総務省統計局を除けば)各省庁おおむね5%程度にとどまっているという。行政の中に専門家の比率が低すぎることが一連の「統計不正」を引き起こす背景にあったのではないかとの指摘である。

統計不正問題のみならず、私自身も日本最大のシンクタンクと呼ばれてきた霞が関の分析力の低下に危機感を持つことが多い。つい先日、筆者が有識者として参加する「規制改革推進会議」では、「不登校児童・生徒への支援」について議論が行われた。義務教育期間中の児童・生徒の不登校者数は16万人に達し、6年連続で増加している。こうした状況について、小林喜光議長から「過去6年間の不登校の増加の原因は何か。いじめなのか、虐待なのか、貧困なのか。その根本的な原因となっている問題にこそ対処すべきではないか。」との問題提起が行われた。それに対し、文科省は令和2年度の予算で1,700万円を投じ、調査・研究を行う予定であるという。この調査・研究では、「子供が書いた回答内容を大人が見られないような形で調査を委託した業者に出してもらって、それで集計と分析をする」との回答があった。

率直に言って、私はこの回答に大変驚かされた。不登校の原因についての調査はこれから行われるのに、数多くの不登校対策は既に行われてしまっている。まるで順序が逆ではないか。一方、不登校増加の原因については、国内外でかなりの研究が行われている。近年、多くの研究者や実務家が関心を抱いていることの1つには、「小1プロブレム」あるいは「中1ギャップ」と呼ばれる、幼小あるいは小中の「接続」部分に生じている問題がある。例えば、幼稚園では比較的自由度の高い活動が認められていた児童たちが、小学校へ入ると規律が重視される集団行動が中心となり、そうした環境変化に不適応を起こしているのではないかということだ。もし、「接続」に何らかの問題が生じているのだとすれば、児童・生徒は、自分が不登校になった理由が「接続」部分にあるのだと冷静に分析し、言語化することができるのだろうか。

小林議長の問いに対して、文科省の担当者は「ただ、いろいろ関係者から話を聞くと、人間関係の構築が苦手な子供が多くなったとか、ちょっと発達障害があるような子供も増えてきたのではないかとか、ネットの影響があると言う方もいらっしゃいます。」と答えており、これまでは関係者からの意見聴取を通じて、「問題の所在」を把握しようとしていたことが窺える。この事例によらず、日本の行政には、過去の研究を精査し、客観的に現状を把握し、問題の所在を明らかにしようとする分析を行う情熱がすこぶる弱い。政策形成の主戦場は、関係者の利害や意見の調整にあると考える行政官は多い。

修士号や博士号の取得者は、自らの研究を遂行するにあたり、過去の研究の精査、現状の把握、問題の所在を明らかにする技術と習慣を身に着けている。こうした技術と習慣を持つ人材をもっと登用し、組織内で積極的に活用できないのだろうか。修士号や博士号を取得した人材は「使いにくい」とか「すぐに離職する」という懸念はあろう。しかし、広く国際社会に目をやれば、海外では、学位を持つ政治家や行政官、国際機関のリーダーが活躍している。海外には、日本がお手本にすべき事例は多いように私には思われる。