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ファイナンスライブラリー:『キャッシュレス・イノベーション 決済手段の進化と海外事情』

財務省財務総合政策研究所 編

きんざい 2019年12月 定価 本体2,500円+税

評者 渡部 晶

財務総合政策研究所では、財政及び経済に係る課題について様々な研究を行い、成果を逐次公表してきた。「女性の活躍に関する研究会―多様性を踏まえた検討―」の成果物である「女性が活躍する社会の実現―多様性を活かした日本へ―」(加藤久和・財務省財務総合政策研究所編著 2016年10月 中央経済社)については、2017年1月号の本誌で紹介した。本書は、近年、多くの国で飛躍的に進展しているキャッシュレス化をテーマとして「デジタル時代のイノベーションに関する研究会」(座長 柳川範之・東京大学経済学研究科教授)を2018年12月から2019年4月まで開催、調査・検討された成果である。

手元にある「週刊金融財政事情」(2020年1月20日号)では、「2020年版金融を読むキーワード」が特集され、「総動員の地域金融行政」から始まる10項目が専門誌の視点から選択・掲載されている。本書と直接関連するとみられるテーマとしては、「始動する機能別・横断的な金融法制」(資金移動業者を3類型に再編など)、「サイバーセキュリティ2020」、「リブラ&中銀デジタル通貨」、「新潮流『金融API』」、そしてずばり「金融機関のデータ利用」(銀行の信用を生かした新たなビジネスモデル)など10項目の半数にも達する。本書が取り上げたテーマがいかに時宜に適しているか、デジタル時代が金融に与える巨大な影響を示す証左だろう。

本書は、第<img style="vertical-align: text-top;" src="/common/images/no_01.gif" alt="ローマ数字1" height="13" width="13">部は支払手段の多様化についての専門家の論文(第1章~第5章)で、分量で半分ほど、第<img style="vertical-align: text-top;" src="/common/images/no_02.gif" alt="ローマ数字2" height="13" width="13">部は海外調査を踏まえた海外の動きを明らかにした論文(第6章~第9章)、第<img style="vertical-align: text-top;" src="/common/images/no_03.gif" alt="ローマ数字3" height="13" width="13">部はデジタル化の先進事例としてシンガポールの動向についての論文で残り半分という構成・配分となっている。

まず、冒頭の「総論」において、柳川座長が「キャッシュレスの動きと今後のイノベーション」と題して、座長の見解や本書全体のエグゼクティブサマリーを提供する。座長が研究会の成果を踏まえ指摘する貴重な論点はそれぞれ今後より深める必要があるのはいうまでもない。特に、評者としては、上記の金融財政事情のキーワードにも登場する「金融機関のデータ利用」、そのなかでも「情報銀行」の可能性については、現実の問題としてまったなしですぐにでも深めるべきテーマだと感じる。また、「決済」は、ひとびとの生活の中で、重要な「ライフライン」あるいは「生活インフラ」である。支払手段のイノベーションについて、柳川座長が推奨する「アジャイル的な制度設計」という発想を取り込んで進むにして、これまで日本ではあまり社会問題化していない「金融排除」を顕在化させないためには、ただ単に市場動向に流されるだけではなく、財務省・金融庁・日本銀行も含めた関係者のかなりの知恵と連携が必要だと感じる。以下、各章について紹介する。各章の冒頭には、それぞれ論文要旨が掲載されている。

第1章「デジタル経済の進展と支払手段の多様化」(酒巻哲朗 前財務総合政策研究所(以下「財総研」とする。)副所長)では、キャッシュレス決済に係る現状を様々な統計を参照しつつ活写する。国際比較のなかでは、日本で発達した「銀行口座間送金」の存在について注意を喚起する。また、これも意識されることの少ない「自己所有住宅の帰属家賃」の統計上の扱いが我が国のキャッシュレス比率を考える上でもポイントであることにも言及する。キャッシュレス決済は、いわゆる「デジタル・プラットフォーム」の1つだとし、デジタル・プラットフォームによるイノベーションを活かしつつ、適切な競争環境や消費者保護を実現するルール整備が必要だという視点を示す。また、サイバー犯罪、災害等非常時への備え、デジタル・ディバイドへの対応など広く論点を整理する。

第2章「キャッシュレス化と決済サービスの変化」(淵田康之 野村資本市場研究所シニアフェロー)では、キャッシュレス化の担い手の拡大の状況、銀行が主たる決済サービスの担い手である既存の決済制度から決済サービスの高度化のために決済改革が各国で進展しているとする。具体的な事例として、小口決済におけるモバイル送金サービスやその常時即時化、「割り勘」・「支払いリクエスト」などの付加価値サービスの提供などが分析される。また、諸外国の決済改革は、政府の強いイニシアティブが背景にあるとの指摘を重視すべきだろう。決済サービスは、規模の経済性やネットワークの経済性を伴うため、最適な供給に政府の果たす役割は無視できないとの指摘は重い。

第3章「キャッシュレス化が進んだ場合の金融政策の論点」(藤木裕 中央大学商学部教授)では、中央銀行がデジタル通貨を発行した場合の金融政策への影響についての様々な論点、現金との代替(キャッシュレイス化)の見通しが整理される。中央銀行によるデジタル通貨の発行には、直接型と間接型があるが、ここでは、専門家の間で有望とされる間接型を中心に理論的な考察が行われている。マイナス金利の付利が容易になる点などがメリットとされる。また、日本の現在の現金需要では、退蔵現金の存在が大きく、現金との代替はこれがデジタル通貨とどの程度交換されるかによるとする。関連して、週刊ダイヤモンド2020年1月18日号のコラム「金融市場異論百出」での加藤出・東短リサーチ代表取締役社長の指摘(英国では新札が登場するとしばらくして旧札の法的通用力が失効するが、日本はそうではないこと)に留意すべきだ。なお、ケインズ経済学の碩学・故大瀧雅之・東京大学社会学研究所教授は「経済学・入門」(有斐閣 2009年)で、ドイツの社会学者ジンメルを引き、「貨幣は同質で大量に生産でき、実用の用に供しないものほど望ましい」としていた。デジタル通貨は、この要件にピッタリだ。貨幣の本質論を踏まえた、より幅広い議論が求められているのではないか。財総研においても、リブラの登場などを踏まえて、さらに研究の深化を望みたい論点である。(本稿入稿後、1月21日に、日本銀行は、同行を含む主要中央銀行による中央銀行デジタル通貨(CBDC)の活用可能性を評価するためのグループの設立を発表した。)

第4章「キャッシュレス化の政策的インプリケーション」(渡辺智之 一橋大学大学院経済学研究科教授)では、キャッシュレス決済の4様式(銀行預金、電子マネー、仮想通貨(暗号資産)、電子通貨)に分けて、検討を深めている。キャッシュレス化をキャッシュレス比率から見るだけでは不十分であり、そのキャッシュレス化の中身を検討すべきとする。渡辺教授は、アメリカ財務省が、2006年にDirect Express CardというマスターカードブランドのGRP(general purpose reloadable)プリペイドカードを導入し、銀行口座を持たない者にも電子的に送金できるようになり、電子化が100%になったことを指摘し、日本でもマイナンバーカード等の仕組みを利用した電子マネーの発行などによる、公務サービスの高度化、効率化を提案する。また、ビッグデータの公的部門での活用の促進を提起する。

第5章「キャッシュレス化の普及に関する考察」(木村遥介 財総研総務研究部研究官)では、キャッシュレスでは、プラットフォームを提供する企業(プラットフォーム企業)が存在し、このプラットフォーム企業が、消費者と事業者という2つの利用者グループの間の相互作用を考慮して、価格の設定を行うという。このような相互作用が存在する市場(両面性市場)についてのこれまでの研究の蓄積を踏まえ、具体的に、クレジットカード市場におけるカード会社の企業行動を分析する。カード会社は、消費者には低い利用料金(ゼロを含む)を設定する一方、事業者に対してはプラスの利用料金を取ることで利潤最大化ができる。ところが、最近、キャッシュレスを提供する企業は、双方にゼロ価格を設定し、他のビジネスなどから補填しているとする。

第6章「スウェーデン及びドイツにおけるキャッシュレス化の現状と課題」(小部春美 前大臣官房審議官兼財総研副所長)では、「キャッシュレス先進国」といわれるスウェーデンと、現金志向の強いドイツというEU加盟2カ国について調査する。スウェーデンでは、預金保険で保護されている商業銀行マネーと連動しているところに特徴があり、ドイツについては、日常的な少額の支払いでは現金の利用割合が高いが、支払額が大きくなると、デビットカードの利用が増えるという。また、スウェーデンでの現金の利用維持についての議論が紹介されている。第7章「スウェーデンの動向」(上田大介 財総研総務研究部主任研究官 小見山拓也 前財務研総務研究部研究員 井上俊 財総研総務研究部研究員)、第8章「ドイツの動向」(奥愛 財総研総務研究部総括主任研究官 佐野春樹 財総研総務研究部研究員)は、第6章をうけて各国の動向を詳述している。スウェーデン中央銀行の法定デジタル通貨の検討状況や、ドイツの現金志向に「決済の匿名性」や「自由」を重視する国民の意識などの詳しい調査は興味深い。なお、週刊エコノミスト2020年1月14日号の報道(WORLD WATCH)によれば、スウェーデンは国会で、大手金融機関に対して「消費者の現金の引き出し」と「事業者の売上金入金」が行える場所を全国に適切な範囲で設けることを義務づける法案(2021年1月施行)が可決されたことを付言したい。

第9章「韓国の動き」(中尾睦 前財総研副所長 奥愛 財総研総務研究部総括主任研究官 井上俊 財総研総務研究部研究員)では、韓国の動向を活写するとともに、日本に比してキャッシュレス化が大幅に普及しているゆえんを、政府主導の政策展開にみている。

第10章「シンガポールにおけるデジタル化の進展」(笠原基和 前金融庁総務企画局企画課信用制度参事官室課長補佐(在シンガポール日本国大使館一等書記官))は、2014年以降、Smart Nation構想のもと、政府が強力にデジタル化を推進してきたことで、様々な展開が進んでいることがわかる。その一環として、電子決済に大きな変化が生じているという。

「キャッシュレス」については、Fintechもそうだが、日本では、言葉だけが先行して踊っているような印象も強かったが、今回の財総研による目配りのきいた研究成果により、かなりその含意するところが見えてきたと思う。この問題は、財務省にとっても極めて重要な政策分野であることを改めて認識させられた。ぜひ広く一読をお勧めしたい1冊である。