現在位置 : トップページ > 広報・報道 > 広報誌「ファイナンス」 > 平成30年9月号 > 新々私の週末料理日記 その25

新々私の週末料理日記 その25

8月△日土曜日

「危険な暑さ」が続いた後は台風、そしてまた「危険な暑さ」だ。日本の気候はどうなってしまったのだろう。午前中に、近所にちょっと出かけたら、息をするのも苦しいような暑さだ。暑熱に重さというか圧力を感じる。熱波の重みにふらふらになって帰宅。涼を求めてそのままプールに出かけたら、少々頭痛がする。プールで体を冷やしたつもりが、水分と塩分の補給が不十分だったために、軽い脱水症状かナトリウム不足になったらしい。這う這うの体で帰宅して、塩を嘗(な)め梅干しをしゃぶり氷水を立て続けに飲んでソファーに倒れこむ。

小一時間寝たら、ようやく元気になった。体調が戻ると、現金なもので腹が減る。家の者は、私が寝ている間に、昼食を済ませて外出したようだ。炊飯器にご飯はないが、麺類は乾麺の蕎麦、そうめんに加えて、冷蔵庫に中華麺と焼きそば用の蒸し麺がある。そうめんではあっさりしすぎて、体力回復には不向きだろう。夏だから焼きそばかな。ただ残念なことにキャベツももやしもないので、屋台風のソース焼きそばは作れない。となると餡かけか。冷凍庫にシーフードミックスがあるので、海鮮餡かけにしようかと思ったが、豚小間の使い残しも発見。両方使ってカレー味の餡かけにしよう。カレー粉のスパイスの成分は、猛暑で弱った体によさそうだ。

カレー粉の黄色の主成分であるターメリック(ウコン)は肝機能を活性化し、抗酸化作用にも優れるといわれている。辛みの素の唐辛子に含まれているカプサイシンは、脂肪の燃焼を促進し食欲を増進するらしい。香りをつけるコリアンダーは消化を促進し、クミンには加えて抗酸化作用もあり、オールスパイスも消化促進や抗菌の作用に優れるという。ジンジャー(生姜)は免疫力を向上させるとのことだから、カレー粉にも含まれているが、加えておろしようがも使うことにしよう。

中華スープの素とオイスターソースを効かせたカレー味餡かけ焼きそば完成。いと美味し。蒸し麺一つでは足りず、結局もう一玉追加で焼いて食べてしまった。猛暑で弱った体力の回復のためとはいえ、カレー餡をたっぷりとかけた焼きそば2杯は明らかにオーバーカロリーだ。ジムに行くか、もう一度プールに行くべきだが、「危険な暑さ」を考慮し、運動は次の機会に譲ることにして、とりあえずは体力の温存策を取ることに。再度ソファーに寝転び、カレーに傾いた我が勢の赴くところ「カレーライスの誕生」(小菅桂子著、講談社)を読む。

同書によれば、日本人がカレーに接したのは幕末維新前後である。(以下同書による。)万延元年(1860年)、福沢諭吉は「増訂華英通語」という中国語の英語の辞書に手を加えて英語の発音をカタカナで付記したものを出版した。その中でCurryの発音は「コルリ」と付されている。勿論、著書の言うとおり、この時点で福沢がカレーとはいかなるものか知っていたか明らかではない。

会津出身の山川健次郎(後の東大総長)は、明治3年国費留学生として渡米するが、その船の中でカレーに出会っている。洋食のバターの匂いに閉口して食事をとらずにいた健次郎少年は、心配した船医に食事をとるよう勧められ、米飯がついているカレーを選んだが、カレーがどうしても食べられないので、杏子の砂糖漬けをもらってそれをおかずに米飯だけ食べて飢えをしのいだという。

岩倉使節団は、明治4年、セイロン島でカレーに出会っている。この時の旅行記「米欧回覧実記」には、同島は「西洋『ライスカレイ』ノ料理法ノ因テハシマル所ナリ」と記されている。

山川と同じく会津出身の柴五郎(後の陸軍大将)は、明治6年陸軍幼年生徒隊に第二期生として入学する。教官はすべてフランス人で食事は当然洋食であったが、土曜日の昼食のみはライスカレーであったという。柴が回想するに「同僚の多くは…食事不味しと不平いうも、余にとりてはフランス語以外は、まことにもって天国に近し」とのことであるから、彼はカレーをすんなり受け入れたのであろう。

カレーと日本人の出会いはこんなものだったようだが、文明開化以降洋食が普及する中で、カレーは日本の国民食として急速に広まっていく。日本人が受容したカレーは、スパイスを家庭で料理しながら調合する純粋なインド式ではなく、出来合いのカレー粉を用い小麦粉でとろみをつける英国式カレーであった。カレーの普及に大いに寄与したとされる軍隊の「カレー汁掛飯」の調理法も、カレー粉と小麦粉を使う英国式だった。

ところでカレー粉は、18世紀後半にイギリスのクロス・アンド・ブラックウェル(C&B)社が製品化した。同社は、この「カレー粉」は東洋の神秘的な方法で製造されたとして、成分を秘匿していたため、その製法はなかなか解明できず、そのため長い間C&B社の製品が市場を独占していた。日本でもカレー粉については、長きにわたり、C&B社の製品以外は見向きもされなかったが、昭和初期のC&Bカレー粉偽造事件がきっかけとなって国産カレー粉が見直され、普及していったという。

同書は、「インドを出発したカレーライスがいかにして日本に取り込まれ『にっぽんのカレー』として定着していったか、その過程を追いかける」なかなか読み応えのある本である。その趣旨からすると、著者のいうとおりやや傍論ではあろうが、エピローグにある「ライスカレー」か「カレーライス」かの議論は面白い。明治時代の書籍では概ねライスカレーとされていたものが、大正末から昭和初期にはカレーライスが大勢となったらしい。つまり料理の内容は変わらず呼称が変わったということのようだが、分類学としては吉行淳之介の説が、妙に説得力があって興味深い。「カレーライスとは、すなわちカリー・アンド・ライスで、本場のものもしくは本場に近いものというニュアンスが感じられ、一方ライスカレーは本場ものを翻訳して日本化したものという感じが」あり、「香辛料を色々使って複雑な味にしようとしているものはカレーライスで」「黄色くてどろりとして、福神漬けがよく似合うのがライスカレーである」という彼の説は、さすがである。どうでもいいことながら、大いに納得した。

それにしても昼飯は少々食べ過ぎたが、カレーとなると必ず食べ過ぎてしまうのはなぜだろう。私が週の大半の昼食をとる社員食堂で、ご飯を盛りつける係の人の手元を、眼を凝らして観察したが、カレーライスのご飯の盛りは、自然体でも、定食のそれに比べて1.5倍以上あるようだ。しかも、定食を選択した人の半分ぐらいは「ご飯は少なめに」と依頼しているが、カレーの場合は逆で、3〜4割ぐらいの人が「ご飯大盛り」と頼んでいた。さらに言えば、カレーライスの人のうち、サラダの皿も購入した人は2割ぐらいで意外に少なく、コロッケや揚げ春巻きのようなボリュームのある副食を追加した人が3割ぐらいいて…。閑話休題。自らの観察力を自慢するのは、このぐらいにとどめた方がよさそうだ。

調子に乗ってカレー餡かけ焼きそばを大盛り2杯食べてしまった夏バテ気味の私だったが、同書を読み終えるころには、カレーのスパイスの効能ですっかりさわやかな気分になっていた。さて、夕食はプルコギでも作って栄養をつけるかな。(カレーで高揚してしまった私は、迂闊にも、家人が、私の作るにんにくと胡麻油をたっぷりと効かせた牛肉満載のプルコギを、どろりとした日本式ライスカレーと同じぐらい毛嫌いしていることを完全に失念していた。…気分がよすぎるときには注意せよ。)

カレー味餡かけ焼きそばのレシピ(4人分)

〈材料〉 中華蒸し麺4玉、豚小間200グラム、冷凍シーフードミックス1パック(300グラム位、解凍しておく)、人参半本(皮をむき、4センチ位の拍子木に切る)、玉ねぎ中半個(縦にスライス)、青梗(チンゲン)菜(サイ)1株(一口大に切り、軸と葉に分けておく)、カレー粉大匙4、おろししょうが大匙2、合わせ調味料(中華スープの素、オイスターソース、砂糖各大匙1、醤油大匙1、紹興酒又は酒大匙4、片栗粉大匙3、水400cc)

(1)中華鍋か大き目のフライパンに油小匙2を中火で熱し、麺を手で軽くほぐしてから入れ、醤油少量(小匙1程度)を振りかけ、さらに軽くほぐしてから、円盤状にまとめて、焼き色がついたら裏返す。同様に焼き色がついたら皿に盛る。これを4回繰り返して4人分の麺を用意する。

(2)麺を焼いた鍋に油大匙1を足し、強火で豚肉を炒める。色が変わったらシーフードと玉ねぎ、人参を入れ、1分ほど炒めたら、青梗菜の軸とカレー粉とおろししょうがを加え、炒めながらよく混ぜ合わせたら、合わせ調味料を加える。

(3)混ぜながら中火で煮立て、とろみがついてきたらチンゲン菜の葉を入れて弱火にし、味見して味を調えたら麺にかけて完成。

  *豚肉と冷凍シーフードと両方冷蔵庫に残っていたので両方使ったが、もちろんどちらかでよい(むしろそちらが正統であろう)し、鶏肉でも、ひいかでも、いいだこでもかまわない。

 **野菜もたまたま冷蔵庫にあるものを使ったが、キャベツ、白菜、ピーマン、ヤングコーン、木耳(きくらげ)などでもよい。

***ここでは鍋を洗う手間を考慮して、先に中華麺を焼いてから、その鍋で餡を作る方式にしたが、もちろん、鍋を二つ使って、先に餡を仕上げてから、別の鍋で麺を焼いてもよい。その方が、焼きたての麺を食べることができる。

財務省の政策