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シリーズ日本経済を考える 75

シリーズ日本経済を考える 75

セイラー教授の「行動経済学」異端が異端でなくなった日*1

一橋大学経済学研究科 准教授

竹内 幹

1 はじめに

2017年のノーベル経済学賞は、行動経済学への貢献が称えられ、シカゴ大学のリチャード・セイラー教授が受賞しました。本稿では、同博士の業績を中心に、行動経済学について概要を説明していきます。

セイラー博士の受賞理由を、ノーベル財団は4つ挙げています。まず1番目の理由として、現実の人間はどこか非合理的であることを実験やデータによって示したことです。経済学の教科書が前提としているような「合理的経済人」は、意思決定のための計算を完璧にこなしたうえで、合理的な判断を下すのに対し、現実の人間の行動はそうではありません。特に、その事実に経済学的な意義づけを見出し、経済学へのフィードバックを果たした点が、重要な功績として認められたといえます。

2番目の理由は、「ナッジ(Nudge)」と呼ばれる、公共政策にも取り込まれている考えの下地を作ったことの貢献です。現実の人間は、様々なところで判断ミスをしたり惑わされたりします。ナッジという政策プランは、補助金や規制によってそのような個人の行動変容を誘導するというよりは、選択肢の提示方法や意思決定のタイミングを少し変えることによって、惑わされやすい個人の癖をいい意味で逆手にとって行動変容をもたらすというものです。受賞理由の3番目は、人の公平性を重んずる気持ちと市場の関係について、4番目は行動ファイナンスについてのもので、これらについては後述します。

「ホモエコノミカス(Homo Economicus)」ともいわれる合理的経済人は、自分にある選択肢を全て把握し、それぞれの選択肢からどのような結果が得られるかを全て計算できる人です。かなり非現実的だと感じるかもしれませんが、必ずしも、こういう人間しかいない、あるいは、人間はこうあるべきだということを経済学は言っておりません。合理的な人間だからといって利己的で嫌な奴ではなく、本来の意味は「一貫性のある選択をする」ことでした。

なぜ一貫性が重要かというと、我々経済学者は、消費者や企業の行動を、何らかの形で説明したいと考えているからです。人の行動をその人の心理や生い立ちなどで説明しようとしても、その説明が本当かどうか確かめることはできません。例えば、あの人は気分が明るいからこんな消費をした、気分が暗いからあんな消費をしたなど、何とでも言えてしまいます。そこで、100年ほど前に経済学では、本当かどうか確かめられない人の内面を探ることはやめて、その人が何をしたか、客観的に観察できる行動にのみ着目して理論を立てようというアプローチが主流となりました。そこで、理論で分析可能であるのは、一貫性のある行動であり、それを「合理的」であると定めたわけです。

行動経済学は、合理的でない人間の分析をしたという点が新しく、100年ほど前の話にもう一回立ち戻って見てみようというものであります。

2 「合理性」に限界のある個人の諸行動

合理的な個人は現実には存在せず、色々な「アノマリー(例外事象)」や、心理学的な癖のようなものが報告されています。ノーベル財団のプレスリリースにもあった二つを紹介します。

一つ目は、保有効果(Endowment Effect)です。経済学の教科書では、財の価値は一定であるとします。一定でないと理論化やモデル化ができないので、一定だとみなしたうえで、どんな理論やモデルが立てられるかを考えます。

保有効果をみるために、私が「実験経済学」を教えている早稲田大学で、受講生に対してこんな実験を行いました。ブックマーク(しおり)を用意し、受講生を、ブックマークをあげる人と、あげられないが買いたければ買える人とに、ランダムで分けます。そして、ブックマークをもらえた人にはそれの売値、もらえなかった人には買値を聞きます。買値はだいたい200円になり、市場価格に近い、妥当な値付けでした。ところが、売値を見ると、手放したくないという思いが発生し、100円ほど買値より高くなります。

このような現象は、様々な実験で知られています。もちろん、売る人は儲けを狙い、買う人は安く買おうとして安く入札するからではないか等の批判はありますが、丁寧に色んな実験をしてみると、やはり保有効果、つまり持っているものを手放すことは苦痛であり、それに対して追加的な補償がほしくなるということが良く知られています。保有効果について、買値はWTP(Willingness-to-pay)、売値はWTA(Willingness-to-accept:保有を諦めるときにもらう額)と言いますが、この間にはシステマティックな差異が存在しています。

これを経済学的に考えると、財の価値は一定ではなく、交渉がすごく困難であるということになります。本来なら、財の価値が一番高い人のところに、その財が行けばいいわけですが、一旦持ってしまうと手放したくなくなり、コースの定理が前提とするような交渉がすごく困難になってしまうのです。さらに、ここからが行動経済学的なのは、この保有効果が存在していることを報告したことに加えて、非合理性の中に法則性を見出し、モデルでうまく説明しているところです。

このグラフ(図1 プロスペクト理論における「価値関数」)はプロスペクト理論における価値関数を示しており、2002年にノーベル経済学賞を受賞した心理学者が提唱したモデルです。

横軸に利得、縦軸に満足度や価値などを示します。このグラフの特徴は、原点を境に、S字型のカーブを描くことです。さらに、原点が参照点となり、それが動くという考え方が新しい点です。さっきの例ですと、ブックマークをもらった人は持っている現在が参照点となります。ですから、手放すということは、原点から左にいくことで、売値は垂直方向の下落幅を基準に算出されます。一方、これから買おうという人は、未保有の現在が参照点(原点)となります。ブックマークを買うことは、原点からの右への移動に相当し、その価値は垂直方向の上昇幅となります。S字型カーブが左右非対称であるため、売値>買値となると説明がされます。このプロスペクト理論は、いろんな局面で応用できたため、アノマリーの理論化に成功していると言われています。

二つ目は、メンタルアカウンティングで、心理会計とも訳出されています。人は最適化問題を解くときには、すべての選択肢を比較検討することはできないので、問題を細かく分けて考えてしまいます。例えば、今月の消費を考える際は、消費全体に何万円というのではなく、食費、娯楽費にそれぞれ何万円というように「口座」を分けるのです。これをメンタルアカウンティングといいます。もちろん最適化問題が簡単になるメリットもありますが、デメリットは、局所最適に陥ってしまうことです。一個一個の部分では最適化問題を解くのですが、合わせてみたところ、うまくいかないということが知られています。

有名な例として、ニューヨークのタクシードライバーの労働供給行動を分析した論文があります。横軸が稼働率(労働時間中ずっとお客さんを乗せているわけではなく、乗せている時間の比率を稼働率とする)、縦軸が労働時間というグラフを見ると、緩やかに右下がりの相関になることが知られています。つまり、稼働率が高い日は、あまり働かない場合が多く、逆にお客さんがあまりつかまらない日は、たくさん働いて、お客さんを探します。ここから分かることは、ドライバーの多くが一日単位で売上目標を決めていることです。これもメンタルアカウンティングの一例で、一日の売上目標を達成して部分最適をしています。ところが、これは非効率的です。というのは、稼ぎ時にはたっぷり稼ぎ、お客さんがいない日は早く切り上げたほうがよいはずだからです。そのためには、売上目標は長期の一週間や一ヶ月単位で管理する方が本当は良いと言えます。推定によれば、目標を売上金額ではなく労働時間とするだけで売上金額が5〜10%ほど改善するにも関わらず、メンタルアカウンティングを行うため売上が伸びないということです。

さきほど紹介したプロスペクト理論の価値関数は、良いニュースと悪いニュースをどのように報告すべきか、という議論でも使われるので紹介します。まず、(A)給与が1,000ある場合、そして、(B)給与700に追加ボーナス300がある場合を比較します。(A)と(B)は、標準的な経済学モデルでいえば、年間1,000もらえるから大差ないと考えますが、人によっては参照点が変わりその都度リセットされるため、実際は(B)の方が嬉しいはずです。良いニュースは、こまめに出す方がいい、というのが一つのインプリケーションです。逆に悪いニュースはまとめて出す方がいいと言われています。また、利益と損失、良いニュースと悪いニュースは一緒に伝えるべきか否かについては、良いニュースと悪いニュースでトータルしてプラスかプラマイゼロなら、同時に伝えた方が嬉しい。ただ、損失がより大きい場合は、損失を味わって疲れきった後に、良いニュースを伝える方がいいようです。

3 セルフコントロールの失敗と、それへの対処。

現在バイアス(Present Bias)というのは本当に色んなところに出てきます。「現在」と「将来」の違いはすごく気になるが、「近い将来」と「遠い将来」の違いはさほど気にならない、というバイアスです。

有名なアンケートがあり、まず、次のA・Bを選択させ、その後にC・Dのどちらかいいか質問するというものです(図2 現在バイアスと時間非整合性参照)。

まず、(A)26週間後に100ドルもらうのと、(B)30週間後に110ドルもらうのどちらかを選択してもらうと、Bが多く選ばれます。また、(C)今100ドルもらうのと、(D)4週間後に110ドルもらうのどちらかを選択してもらうと、Cが多いのです。Bを選び、Cを選んだ場合は、現在バイアスが顕れています。というのも、AとBは、26週間経てば、CとDになっていることに注意すると、BかつCという選択に一貫性がないことに気づきます。当初はBを選択したにもかかわらず、26週間経ってみれば、事後的にAを選択しており、時間非整合的なのです。これは、楽観的な計画を立てて、事後的に破たんする人の典型的なパターンで、貯蓄できなかったり、自己投資に失敗したりする人に多くみられます。

このようなバイアスを逆手にとって行った研究が、セイラー博士のSave More Tomorrowプログラムです。貯蓄ができない人のクセを逆手にとり、貯蓄を促すことに成功しています。貯蓄できない人は、今が大事であると考えてしまいます。そこで、「1年後の昇給時に貯蓄を始めませんか」と聞くわけです。貯蓄できない人は今が大事なので、「1年後ならば」とコミットしてしまいます。具体的には、「もし一年後に給料があがったら、そのうちの少しを追加的に貯蓄に回す」ということにコミットしてもらいます。ランダマイズ実験ではないので結果の解釈に注意は必要ですが、貯蓄率が3.5〜13.6%ポイント上がったそうです。

貯蓄に補助金をかけたわけでも税制上の優遇措置をとったわけでもありません。ただ、意思決定のタイミングを少し工夫するだけで、行動変容を起こすことができたというわけです。このように、金銭的なインセンティブに必ずしも頼らず、意思決定のクセを利用した働きかけを「ナッジ(Nudge)」と言い、情報提供の仕方・フレームワークや選択順序を工夫することを指します。政策において、費用が少なくてすむマーケティング的手法を取り入れようと、イギリスやアメリカなどを始め全世界的にナッジの考え方が政策現場に浸透しつつあります。例えば、イギリスでは、納税申告の時に「お宅の周りに住んでいる人のうち○○%が納付済です」という、一行を加えるだけで期間内納税率が約5〜15%ポイント上がり、職員の労働時間や人件費軽減に繋がったと報告されています。

4 公平性重視などの社会的選好

ノーベル賞受賞で挙げられた3番目の発見は公平性と、その市場経済のなかでの働きです。最後通牒ゲームを使って説明します。登場人物はAさんBさんの2人、その場に1000円があるとしましょう。Aさんは1000円の配分を提案することができ、Bさんは、その提案を承認するか拒否するかを選択します。BさんがAさんの提案を承認した場合、2人ともその提案内容で1000円を分配しお金を得られますが、Bさんが拒否した場合は、どちらもお金を得られません。多くの実験がなされており、AさんとBさんの金額配分は7:3程度となるのが平均的な結果です。やはり、あまり不公平な提案をしても、Bさんに拒否されてしまうから、ある程度は公平な利益分配に落ちつくのでしょう。

このゲームは実は価格調整メカニズムと同じ構造となっています。Aさんが分配提案することは、売り主が価格付けして売買提案することに似ています。Bさんが提案を拒否する場合は、売買が不成立でどちらも追加的な利得は0であり、提案を承認した場合、売買が成立し2人ともに追加的な利得が発生します。

双方に利益が生ずるにもかかわらず、その利益の配分が不公平である場合には、取引が成立しにくいことを示唆しています。例えば、Uber(ウーバー)の事例があります。2014年12月にシドニーで人質をとった立て籠もり事件が発生し、その付近からタクシーに乗って逃げようとする人が多く発生しました。需要が増えれば価格が自動的に上がるシステムが発動し、料金は4倍に跳ね上がったところ、世論から猛烈な批判を受けました。経済学的には、需要が増えた場合、価格が上がって需給がバランスすると教えています。しかし、消費者、あるいは値付けをしている方も、必ずしもいつもそれを望んでいるとは限らないようです。このように、公平性という心理学的なコンセプトに、経済学的な意味づけをした貢献は重要なものでした。

もう一つの例として、賃金が挙げられます。単に生産性に応じて賃金をつけるというのが、経済学の教科書の教えるところで、それこそが労働市場の効率性を高めるとされています。しかし、実際はチームで働くと「なんであの人の方が給料が高いのだ」等の意見が出てきます。その人の能力が高いとわかっていても、釈然としません。したがって、公平性は賃金の決定要因のひとつでもあり、労働市場は必ずしも効率的ではないことを示唆しています。このように、価格決定に関して公平性の観点も大切な要素であるという経済学へのインプリケーションにつなげたわけです。

5 行動ファイナンス

(金融市場での判断バイアス)

最後に行動ファイナンスをご紹介します。意思決定の実験研究では「アノマリー(Anomaly)」がたくさん報告されており、合理性モデルへの強力な批判となりました。

これに対し、経済学の主流派は、「たしかに、個人は限定的な局面においては、非合理的な行動をすることは分かっている。しかしながら、非合理的な企業がいたら、市場から淘汰されるはずであり、市場の合理的な機能は全体として揺らぐことはない」と反論してきました。最後通牒ゲーム等の色々な実験は、個人の意思決定を研究室のなかで人工的に再現したにすぎず、普遍性はないというのです。

ところが、市場機能が一番効率的だと考えられている金融市場・株式市場においても、非合理的な行動が淘汰されていないことを次々とデータで示したのが、行動ファイナンス分野の研究です。

たとえば、セイラー博士がJournal of Economic Perspectivesにおいて、様々なアノマリーを紹介していまして、その中に「1月効果」というものがあります。1904年から1974年までの毎月の株の収益を見ると、平均0.5%くらいの収益なのですが、毎年1月だけ3.5%になっているというのです。これは、決算や損益通算をするために、12月時点で保有株式を売却することが多く、一部株が値下がりするためのようです。また1月になると新しい資金が入ってきて、株の値段が上がる。大型株にはこの傾向は見られませんが、中型・小型株ではその影響が大きく、特に1月に小型株の収益は目立って高いようです。これは裁定が働いていない証拠といえるでしょう。

もうひとつ「ディスポジション効果」として知られるアノマリーがあります。これは、個人投資家は、利益確定が早すぎて、損切が遅すぎるというものです。これがゆえに、個人投資家は、株式取引を繰り返すほど資産を減らしてしまいます。

このバイアスは先程のS字型の価値関数で説明されます。図1の原点にあるのが参照点ですから、買値としましょう。含み益は原点より右側、含み損は左側になります。含み益部分では、グラフの形状が感応度の逓減を表しており、この部分ではリスク回避的になります。したがって、さらなる値上がりを期待するリスクがとれなくなってきます。反対に、含み損部分ではリスク愛好的になるので、損を取り返すために無謀なリスクをとることになります。

このような現象を、単なる「よくある話」として報告するだけでなく、それを経済学にフィードバックする、経済学的インプリケーションをつける、一つのモデルで整合的に説明できるという点が、経済学者にうまく心理学が受け入れられた理由だと思います。

6 まとめ

このようにいくつか経済学に心理学的の知見を統合し、アノマリー報告集としてではなく、経済学的位置づけとモデルを使った整合的な説明を繰り返し行ってきたことが経済学会から大きく評価されたところです。

「経済理論家(theorist)の心理学に対する見方が変化し始めた」という書き出しで始まる論文が一流の学術雑誌QJE(Quarterly Journal of Economics)に掲載されています。その論文は「経済学はその特異な理論体系を脱して、非現実的なモデルに頼ったメカニカルな均衡分析をやめるだろう。そのときに、経済学は真の人間科学になるのだ」と締めくくられています。これは、全米経済研究所(NBER)の創設メンバーであるミッチェル博士によって100年以上前に書かれたものです。まるで今回のノーベル賞の受賞に対するコメントのようです。逆に言うと、100年たってようやくこの自己批判に応えたのではないかと思われるかもしれません。

それに対する回答は、ある意味イエスであり、ある意味ノーです。ただし、経済学の進歩を振り返ると、この100年間の理論分析はきわめて実りの多いものでした。現実の政策に取り入れられた理論もあります。メカニズムデザインなどの分野で得られた知見は、今後も政策現場に活かされていくのではないでしょうか。

今日お話しした内容は、セイラー博士が書かれた『行動経済学の逆襲』にも記載されています。行動経済学の解説だけでなく、行動経済学が主流派に批判されながらも徐々に経済学に受容されていく過程もドキュメンタリー風に楽しむことができる書籍ですので、おすすめします。本日はご清聴いただきありがとうございました。

*1) 本稿は、平成29年12月6日に開催された、財政総合政策研究所のランチミーティングの講演録をもとに再構成したものである。

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