現在位置 : トップページ > 広報・報道 > 広報誌「ファイナンス」 > 平成29年9月号 > 職員セミナー「サル化する人間社会」

職員セミナー「サル化する人間社会」

職員セミナー

平成29年5月17日(水)開催

講 師

山極 壽一 氏

京都大学総長

演 題

「サル化する人間社会」

1.はじめに

堅いお仕事をされている方々ばかりだと思いますので、ちょっと私の話で頭を柔らかくしていただければと思います。

私は、霊長類学といってサルを研究しながら人類の祖先の暮らしを探るという仕事をしてきました。これはなかなか世の中のために役に立たないなとずっと思ってきたのですが、最近、人間の歴史を有史以前にさかのぼって探るというのがだんだん人気を博してきました。それは、人間の生物学的な歴史というものを探らないと、人間というものがわからなくなってきたと。一体、人間って何だ、ということに大きな疑問が湧いてきたわけです。そういう中で、我々が長年やってきたことが少しはお役に立ちそうだなということを、少しお話しさせていただこうと思います。

2.サルとヒト科の類人猿

(1)ゴリラとサルの違いのほうが、ゴリラと人間の違いよりも大きい

人間はサルではありません。でも、ゴリラ、オランウータン、チンパンジーという、皆さんが日常、こいつらサルだよなと言っている動物が人間の仲間なのです。これはゲノムというものがわかってきて、そのゲノムの中のわずか1.2%しかチンパンジーと変わっておらず、ゴリラとは1.4%です。だから、ほぼ99%のゲノムは、このオランウータン、ゴリラ、チンパンジー、人間というのは一緒ということです。だから、それを一緒にしてヒト科、ホミニディ(Hominidae)と呼んでいるわけです。ゴリラとサルの違いのほうが、ゴリラと人間の違いよりも大きいというのが特徴です。

(2)サルの特徴

では、サルとヒト科の類人猿とはどこが違うのか。皆さんは、ニホンザルを一度は見たことがあると思います。左の上の図では、餌を間に置いて、2頭のサルが向かい合っています。こちらを見ているサルが弱く、お尻を向けて近づいているサルのほうが強い。こういう時には、弱いほうのサルは、必ず餌から手を引っ込めて、そして、自分に敵意がないことを表明するような顔の表情を浮かべなくてはいけないのです。これはグリメイス(grimace)といって、人間の笑いに似ています。つまり相手に媚びる。サルは常に自分と相手のどちらが強いか弱いかをはっきり認知しています。

もう一つ、他のサル同士のどちらが強いか弱いかもサルはよくわかっています。右下の図では、真ん中のサルが一番弱い。餌に手を出そうとしたら、目の前に自分より強いサルがやってきたため、餌に手を出せない。でも、ふと右手を見ると、目の前のサルよりも強いサルがやってくるから助けを求めます。そうすると、右の一番強いサルにとって、目の前で自分より弱いサルが強そうな態度を示していたら、自分の社会的地位が脅かされるので、それを追いかけます。そうすると、結果的に一番弱い真ん中のサルが餌をせしめることができるというわけです。これがサル知恵なのです。

(3)チンパンジーやゴリラの特徴

一方、左側の写真では、真ん中に何やら持っているチンパンジーがいます。これはオスです。チンパンジーは時々動物の狩り(ハンティング)をします。とってきたサルを今食べようとしているところで、真ん中のオスのチンパンジーは体が大きいし、力も一番強い。餌を独占しようと思えば、独占して食べられるが、周りにおばさんチンパンジーがやってきて、その肉をせがまれます。そうすると、オスのチンパンジーは、どうしても断り切れなくなって、それを引きちぎって食べるのを許してやります。

右側のゴリラもそうです。今フットボール状の大きな果実をオスのゴリラが取ってきました。その分け前にあずかろうとして、メスや子どもたちが群がっているわけです。そうすると、オスはちょっとずつそれをちぎって落としてやります。それを子どもやメスたちが拾って食べるわけです。これは、絶対サルにはできない光景です。ゴリラやチンパンジーはそれができるということは、優位な立場の者が分け前を取ることを許してやるということに尽きます。そして、向かい合うことによって、強い、弱いというものが反映されない。これは何かの光景に似ていませんか。人間の食事に似ているのです。人間の食事も同じものを向かい合って一緒に食べるという行為で作り上げられています。それができるのは、ゴリラやチンパンジーと同じ感性を持ってないといけない。つまり、向かい合うという姿勢が重要なのです。

(4)60万年前に人間の脳は成長を止めた:集団規模の違いに応じたコミュニケーション

350万年前に生きていたアウストラロピテクスという、まだホモ属になっていない古い人類は、ゴリラと脳容量が変わらなかった。それは大体10人から30人くらいの集団で暮らしていたと考えられます。最初に脳が大きくなり始めた200万年前のホモ・ハビリスでは、脳の容量は600ccを超えました。これは恐らく50人くらいの集団に匹敵します。

だんだん脳を大きくして、現代人の1,500ccに匹敵するのは何人なのだというと150人くらいで、150人という数の人間と付き合えるように人間の脳は大きくなったわけです。そして、そこから成長を止めてしまいました。これがすごく重要なのです。60万年前に脳の大きさは成長を止めているわけですが、そこから別のことが始まっているわけです。すなわち、人間の社会の中にいくつかの規模の違う集団があって、その規模の違いによって、人間はコミュニケーションの手段を変えているということが予想できるのです。

マル1規模が10人から15人の場合

これは私がずっと研究してきたゴリラの集団サイズに匹敵します。この10人から15人という数をお聞きになって、皆さんはどういう集団を思い浮かべるでしょうか。スポーツの集団です。サッカーが11人、ラグビーが15人、これが大体マキシマムです。いざ試合になったら、合図や手ぶりや目くばせだけで11人、15人のチームの全員が一つの生き物のようになって動けるわけです。これはゴリラと一緒です。ゴリラの平均集団サイズは10頭くらいですが、言葉を使わずに彼らはあたかも集団が生き物のように統制されて動くことができる。これは、日常生活でいえば家族です。家族同士というのは、言葉を交わさずに、もう一目会っただけで、あるいは後ろ姿を見ただけで、こいつは今日どういう気分でいるかというのがわかるわけです。それは、身体の癖や日々の行動を見慣れているからこそできるわけで、そういう集団が実は我々の身近にあるということです。

マル2規模が30人から50人の場合

では、30人から50人は、何なのかといったら、これは学校のクラスの人数です。学校のクラスというのは、一応コントロールできる集団としてリーズナブルな数なのです。例えば宗教の布教集団もこの数です。軍隊の小隊もこの数です。

マル3規模が150人の場合

では、我々の今の脳に匹敵する150人という数は何なのかというと、面白い報告があります。それは、今でも食糧生産を自分でせずに、自然の恵みだけに頼って生きている狩猟採集民の村の平均サイズが150人だと言われています。150人というのは、正に言葉によってつながっているのではなくて、過去に何かを一緒にした記憶によって結びついている。何かの行為という記憶が接着剤になっているわけです。私は年賀状を書く時に思い浮かぶ人数だと言っております。

何の疑いもなく、何か困ったら頼ることができる人、つまり「社会資本」(ソーシャル・キャピタル)のマキシマムな数というのは、せいぜいこのくらいだということです。60万年前からそういう頼れる人の数というのが大体決まっているということです。

(5)共感力:共食と共同の子育てを通じた人と人との結びつき

では、このくらいの人たちをつなぎとめる接着剤として、言葉は必要ないとしたら、どういうコミュニケーションがあったのかということになります。「共鳴集団」という10人から15人くらいの集団があって、それが集まって地域社会が営まれている。この地域社会というのは、実は身体の同調によって作られているものです。身体の同調は何を意味するかといったら文化です。その文化の象徴はお祭りです。そういう日々の体の動きに何の疑いも抱くことができないような文化的同調性、これを私は「音楽的コミュニケーション」と呼んでいますが、これも言葉は要りません。そういうものは、我々が持っている身体の同調能力と同時に、精神的な同調能力にもなっています。精神的な同調能力は何かというと共感力です。共感力が増加したから、その150人という数が維持できるようになった。150人というのは、過去に何かを一緒にした記憶、つまり共感力を発揮した記憶によって結びついているのです。そして、それ以上の人たちと付き合う必要が出てきたため、我々は言葉を作る結果になった。我々が五感でもってそれをつなぎとめることができなくなったことから、その一つの装置として言葉というものを生み出したのです。

人間は、先ほど少し御紹介した食物の分配行動、これはさらに発展して、我々は何の疑いもなく共食をしているわけですが、そういう行為と、もう一つ重要なことは、共同の子育てによって、その共感力を高めてきたというふうに思っています。

(6)人間の子どもの特徴

マル1人間の赤ちゃんは離乳期が早い

ゴリラから見た人間の子どもというのは実に不思議な特徴に満ちています。まず、人間の赤ちゃんは大きく、体重がkgを超えることが多い。そして、人間の赤ちゃんはよく泣き、よく笑います。大きな体重で生まれるということは、成長して生まれてくると思ったら大間違いで、お母さんにつかまれないくらいひ弱だし、成長が遅いのです。成長が遅いのにもかかわらず、1歳、2歳でお乳を吸うのを止めてしまいます。すごく変なことが起こっているわけです。

マル2子どもをたくさん産む必要:離乳期を早めて次の出産を準備

なぜ人間の赤ちゃんは、まだ乳児のうちに離乳してしまうのか。その秘密は、人間の祖先が熱帯雨林、これは未だに類人猿が住み続けている場所ですが、そこを出たことに起因すると思います。人類の祖先が最初に始めたのは、直立二足歩行です。それは熱帯雨林の外で広く分散した食物を集めて、手に持って、それを仲間の元に運ぶのに適していたから、これが発達したのだろうと言われています。

もう一つ、違う課題がありました。熱帯雨林を離れたら、登って逃げるための木がないので、今より1.5倍以上大きいライオンや何種類もいたハイエナなど、たくさんの肉食獣に狙われていたはずです。しかも肉食獣は幼児を狙います。幼児のほうがつかまえやすく、おいしいのです。

だから、幼児死亡率がすごく上がった。それを補充するために、たくさん子どもを産まなければならなかったはずです。しかし、人間はサルの仲間ですから、1産1子というのをずっと続けてきた。だから、一度にたくさんの子どもを産めないため、毎年子どもを産む。毎年子どもを産むためには、赤ちゃんをお乳から引き離さなくてはいけないわけです。なぜならば、お乳をやっているとお乳の産生を促すプロラクチンというホルモンが排卵を抑制します。ですから、次の子どもを産めない、子どもを早く離乳させれば、このプロラクチンというホルモンが止まって、次の出産の準備ができます。こういうことを初期の時代に人類は始めたのです。オランウータン、ゴリラ、チンパンジーというのは、離乳年齢は全部、大臼歯が萌出してからです。人間だけ大臼歯が萌出するずっと前に離乳しているわけです。そのために離乳食が必要になったのです。

マル3急速に成長する人間の脳:身体の成長に回すべきエネルギーを脳の成長に回す

では、なぜ生まれる時の体重がゴリラの2倍以上あるのか。私もゴリラの赤ちゃんを育てたことがありますが、がりがりです。生まれた時の体重は1.6kgくらいしかありません。人間の赤ちゃんはkgを超える。その重さ理由は体を包んでいる脂肪なのです。ゴリラの赤ちゃんの体脂肪率は5%以下です。一方、人間の赤ちゃんは15%から25%もある。それは、脳の成長を助けるためのバッファーなのです。

人間の赤ちゃんの脳は、生まれて1年以内に2倍になります。5歳までに大人の脳の90%に達して、12歳から16歳で完成します。ゴリラの赤ちゃんの脳は、生まれる時の脳の大きさは人間の赤ちゃんとあまり変わりません。でも、4年間で2倍になって、そこでストップします。人間の赤ちゃんは、先ほどお話ししたとおり3段階で成長し、なおかつ生まれて1年以内に2倍になります。非常に急速に脳は成長します。その脳の成長が支障を起こすと困ることから、たくさん脂肪を蓄えて生まれてきます。エネルギーの供給をそこで補うためです。実は我々大人でも脳の重さというのは体重の2%しかありませんが、摂取エネルギーの20%を脳の維持に使っています。非常に脳というのはコストの高い器官です。5歳以下の子どもは、実に摂取エネルギーの40%から85%を脳の成長に回しているわけです。では、そのエネルギーをどこから持ってくるのかといったら、本来なら身体の成長に回すべきエネルギーを脳の成長に回すというのが人間のやり方です。

マル4人間の子どもの身体の成長パターン

身体の成長を遅らせて脳に過大な栄養を送る必要が出てきたため、人間の子どもの身体の成長パターンは変な話になりました。

インファント(幼児)の時は、最初は身体の成長は速い。しかし、脳にどんどん栄養を取られるため、成長速度は下降します。そして、5歳くらいで90%に達すると、脳の成長はゆっくりになり、今度は身体にだんだんエネルギーを回せるようになります。そして、身体の成長がストップする12歳から16歳になると、今度は、脳の成長がストップし、その年代になると今度はエネルギーを身体の成長に回すことができるようになります。そうすると身体の成長がアップし、それを「思春期スパート」と呼ぶわけです。女の子のほうが男の子よりも2年早く、そして、ピークは男の子のほうが高い。これは皆さんも経験的によくおわかりになると思います。だから、「思春期スパート」というのは、脳の成長に身体が追いつく時期であって、複雑な社会に生きる人間にとって、その時期は同時に学習によって社会的な能力を身につける期間でもあるわけです。非常に重要な時期なのです。

「思春期スパート」がある時期というのは、身体と脳の成長のバランスが大きく崩れる時期で、その時に冒険してみたり、あるいは野心を起こして、友達同士のトラブルに巻き込まれたり、あるいは精神的に病んで自殺をしたりということが増えるのだと思います。

その時期を大人が支えないと子どもたちは社会的にきちんと安全に自分を見据えられないということになります。

(7)人間の赤ちゃんは共同保育をされるように生まれてきた

人間の赤ちゃんが共同保育をされるように生まれてきた証拠があります。それは、赤ちゃんがよく泣くということです。ゴリラの赤ちゃんのように、小さく生まれ、そして、お母さんがずっと1年間赤ちゃんを離すことがなければ、赤ちゃんは泣く必要がないのです。ちょっと身動きをすれば、自分の不具合や不満をお母さんに訴えられる。でも、人間のお母さんは、赤ちゃんを離しちゃうわけです。他の人の手に渡したり、あるいは机の上に置いたりします。だから、赤ちゃんは離れたお母さんに対して泣いて、自分の不具合を訴えなければならなくなった。そして、同時ににっこりと笑います。そのために、自分の赤ちゃんでもないのに、様々な大人はその赤ちゃんの愛おしさに引かれて、何とかしてあげたいと思うのです。だから、これは赤ちゃんがそういう特徴を自分の意思で発するわけではないので、赤ちゃんは生まれつき共同保育をしてもらうように生まれついていると言ってもいいだろうと思います。

(8)家族の論理と集団の論理:両方をマネジメントできるのが人間

脳容量が増大して、共同の保育が必要になってから、家族というものが必然的に生まれたと私は考えています。複数の家族が集まって、コミュニティー、地域社会というのを作ることによって人間の家族はその効力を発揮する。両方ないとだめなのです。でも、この両方を並行してマネジメントできる動物はいません。ゴリラは家族だけ、チンパンジーは集団だけしか持っていません。なぜならば、家族の論理と集団の論理というのは時として拮抗するからです。家族は見返りを求めずに奉仕するのが当たり前です。親は子どものために何かをしてあげたからといって、見返りを求めたりはしないはずです。今は見返りを求める人もいるかもしれませんが。一方、集団の論理というのは、何かをしてもらえば、お返しをしなければならないと思う、そういった義務感によって作られています。集団を離れれば、その義務は生じなくなるのですが、集団の中ではその義務が原則になっています。

動物がこの2つを組み合わせることができないのは、人間ほど高い共感力を持っていないからです。

(9)子どもが憧れをもち、大人が教える

共感能力の発達によって、人間の子どもはゴリラやチンパンジーにはない能力を持つようになりました。それは「憧れを持つ」ということです。ゴリラの子どももチンパンジーの子どもも憧れを持ちません。淡々と大人になるだけです。でも、人間の子どもは、例えばイチローみたいになりたいなと思いながらバットを振ったりするわけです。目標を持つ、それは他者の中に将来の自分の姿を見ることができるからです。そのために、その目標を大人たちが理解して、共同で育児をします。そして、先回りをして、君はこういうふうになりたいのだったら、こういうことをしたほうがいいよというサジェスチョンを与える。正におせっかいをするわけです。教育というのは究極のおせっかいです。ゴリラの子どももチンパンジーの子どもも教えられなくても育つわけで、彼らは学習します。でも、大人が教えることはありません。人間だけが教えるわけです。その教えるというのは、正に子どもがそういうことをしたいと願うからであり、大人が子どもよりも経験を積んでいて、そのためにはこういうことをしなければならないという知恵と経験を持っているからなのです。そのやりとりが教育というものであり、そのやりとりの果てに人間の社会が作られているということだと思います。

3.サル化する人間社会

(1)コミュニケーションの変容による家族の崩壊

今、人間の社会の根本に据わっていた家族が崩壊しようとしています。それは、別にみんなが家族を崩壊させようと思っているわけではなく、コミュニケーションが変わったからです。つい最近まで人間のコミュニケーションの基本は、顔と顔とを対面させて、言葉以外の情報を加味しながら信頼関係を作っていく、そういうコミュニケーションだったわけです。ところが今、離れてコミュニケーションを取るのが当たり前になりました。そういった共同体が崩れると、個人というものがどんどん前面に出てきます。自己実現、自己責任ということが問題になり、個人が様々なものと裸で接する時代になったのです。家族のフィルターもなく、共同体というフィルターもない。個人だけが様々な制度と向かい合っているというのが現代の状況なのです。その結果として、私は「人間社会はサル化してきている」と言っているわけです。それは、先ほどご紹介した優劣を反映させてトラブルを防ぐサルの社会というのは、実に効率的で経済的だからです。戦う必要がないのです。戦う前にもう勝敗を決めてしまって、弱いほうが退く。

家族をやめてしまったら、そういうことが必然的に起こってきます。自分の利益を高める相手と一緒に暮らそう。自分の利益を高めてくれなくなって、自分の利益を侵害するのだったら、その仲間は排除しよう。そして、集団の外にいる人間は、集団の中にいる人間の利益を損ねると考えられるから、その外の人間に対しては敵対しようという話になって、社会がどんどん閉鎖的になっていくと思います。

(2)IT時代の若者は他者との交流が苦手で共感力に欠ける

今、我々は、既にITが出現してから生まれてきた子どもたちを抱えています。今の20代の子どもたちというのは、我々とは違う、我々というのは60代のことを言っているのですが、全く世界が違うということを考えたほうがいいと思います。つまりIT時代の若者たちの特徴というのは、知識が人から人へ伝達されるものではないということを信じているということです。必要な知識は人から得られるものではなくて、インターネットで検索すれば得られると思っています。では、仲間と何でつながるかといったら、ちょっとしたことをため口で相談するためにつながっているわけです。Facebookもそうです。常時それはオンにしているから、自分一人でいる時間がないわけです。これが今の若者たちの潜在意識だと思います。それは、結果として自己決定をするのが不得手な、他者との交流が不得手な能力につながっていると思います。つまり他人が指示してくれるため、自分で考える必要がないことから、共感力が余り必要ないわけです。そういうことが起こっていると思います。

(3)グローバルな人材に必要なもの

私が考えるグローバル人材というのは、世界と時代の動きを見極められる人です。重要なことは「自己のアイデンティティーを持つ」ということです。自分が何者であるのかということです。そして、ゴリラの子どもたちにはなかった「自己の目標を持つ」ということです。そして「共感力」、他者の気持ちと考えを理解でき、状況を即断し適応できる能力、とりわけ自己決定ができる能力です。それが集まって危機管理ができるのだと思います。

そして最後に、「他者を感動させる能力」を持つということです。これは重要だと思います。ある人から聞いたのですが、松下幸之助さんが生前に若い社員を面接した時に、こいつは将来リーダーになるなと思った条件が3つあるそうです。一つは「愛嬌がある」ことと「運が良さそうに見える」こと。そして最後は「背中で語れること」だそうです。この3つとも言葉は要りません。すべてゴリラに当てはまるのです。

あの20kgを超える筋肉隆々たるオスのゴリラは、愛嬌があるから赤ちゃんと遊べる。そして、メスも子どももリーダーのオスに付いていけるということは、そのオスは運が良さそうに見える、そういう雰囲気を常に保っているからです。最後に、オスは強いということを見せるために振り向かない。ゴリラのあの白い背中がそれを語っているのです。

(4)IT社会とコミュニティーの再建

私たちはITという技術を手放すことはできません。現代の私たちが言葉のない時代を想像できないように、もはやITがない社会は想像できないわけです。だから、IT社会の利点と欠点を十分に理解して、それを利用しなくてはいけないと思います。利点としては、例えば経済的であることや、距離を無視したコミュニケーションであること。この利点は中心がないから、格差は見えません。

一方で、中心がないからリーダーが不在である。誰に付いていっていいかわからないから、信頼関係も欠如します。そして、討論ができないから、すぐ炎上してしまいます。だから、利用の仕方を考えないと、ネガティブなものばかり目立ってしまうということになりかねません。

そして、もう一つ、グローバルな時代ですから、物と人とが急速に流通していきます。その時に、安全と安心はイコールではなくなったわけです。いかに安全な環境を整えても、物と人の動きは止められないことから、安心感は得られません。では、安心というのは一体誰がもたらしてくれるのかといったら「社会資本」です。自分が頼れる人から安心を得るしかないのです。しかし、今、個人がコミュニティーと切り離されて、裸で直接制度と接しており、しかも宗教が力を失って、科学にも頼れない時代であることから、自分で答えを見つけなくてはなりません。そして、世界に中心がなく、テロが勃発して、民族紛争が起きています。また、フラット(均質)な世界にもなりました。どこに行っても新しいことは何もないと若者たちは思っています。だから、ここにきちんとした凹凸をつけなくてはいけません。

そこで、家族が集まったコミュニティーというものをきちんと再建して、「社会資本」を取り戻さなくてはいけないと私は考えています。

次世代のコミュニティーの要件というのは、規模による適切なコミュニケーションを取りつつ、情報技術を賢く利用して、ネットワーク型の連携を作り、ITだけではなく、身体や五感を使った交流を行い、そして、医療技術を使って人間の身体にもっと関心を寄せるということが必要なのだと思っています。

これで私の話を終えたいと思います。どうもありがとうございました。

講師略歴

山極 壽一

京都大学 総長

1975年に京都大学理学部を卒業し、同大学院理学研究科博士後期課程単位取得退学。理学博士。日本学術振興会奨励研究員、財団法人モンキーセンター・リサーチフェロー、京都大学大学院理学研究科長・理学部長などを経て、2014年10月より京都大学 第26代総長に就任し、現在に至る。

専門は、人類学、霊長類学。

財務省の政策