財務総合政策研究所

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9.第八回研究会(5月28日)

 国別報告「中国」

(1)中国を取り巻く国際関係

東京大学東洋文化研究所 教授
田中明彦


 [1] はじめに

 前半に中国を取り巻く国際情勢についてごく簡単にポイントを述べ、後半は、最近の中国を取り巻く外交問題、特に米中関係について述べたい。


 [2] 1990年代の東アジアの国際政治

 最近10年ぐらいの東アジア国際政治におけるキーワードとして、「(A)三つの『脅威』の転変」、「(B)四つの危機」、「(C)競争的協調主義の登場」、それから「(D)重層的地域枠組みの展開」という4つのタイトルで見ることで、それなりの筋道が明らかとなるのではないか。

 「(A)三つの『脅威』の転変」というのは、この地域において何があるいは、どこが脅威だったかという認識の問題である。「(B)四つの危機」とは、現実として四つの危機が生じたという事態である。「(C)競争的協調主義の登場」とは、主要国の間の関係の対応がどのように変化したかということである。「(D)重層的地域枠組みの展開」とは、この地域全体を取り囲む枠組みがどのように変化し、また、その枠組みにどのような特徴があるのかということである。


(A)三つの『脅威』の転変


  (a) ソ連の脅威の消失

 ここ10年間の最大の注目点は、冷戦が終結し、東アジア地域においてソ連が直接的な軍事脅威とは見なされなくなったことである。その後、基本的に数年の間ロシアのプレゼンスは、この地域にないも同然という状態になった。この影響は、各国によってかなり違いがあり、アメリカ、日本、中国の持つ、ソ連に対する認識はそれぞれに違うため一概には言えないが、91年末にソビエト社会主義共和国連邦が解体し、継承国であるロシア連邦の軍事的能力低下が著しいことは、やはり大きな特徴であった。軍事的脅威の低下が、それ以後の中ロ関係、日ロ関係の進展に関係してきている。


  (b) 「日本の脅威」論の登場と退場

 冷戦の終えんプロセスとほぼ同時に脅威と見なされるようになったのは日本であった。「冷戦が終わり勝ったのは日本だ」あるいは(冷戦が終結した)89年が、「日本によるアメリカ買い占めの年」であったとアメリカから見られたのは、このような事情を象徴している。93年に発足した第1期クリントン政権が、東アジア政策に関し重要な政策として取り上げたのは対日市場の開放であった。ブッシュ前政権のような市場への参入規制を撤廃しようとするものではなく、数値目標を掲げ、数値による客観的な結果を求めて日本市場を開放しようという形で行われたのは、この日本脅威論が背景にあった。しかし、クリントン政権の包括協議でミッキー・カンター通商代表が懸命に働きかけている間に、日本でバブルが崩壊してしまった。カンター・橋本の自動車部品交渉が終了してみると、日本の経済は実は大したことがなかったというのが、この一連のプロセスである。


  (c) 「中国の脅威」論の登場

 日本のバブルが崩壊した頃から、「日本は大したことがない」とアメリカの中で薄々思われ、代わって徐々に「中国の脅威」論が出てきた。89年の天安門事件直後は、中国がおかしくなってしまうのではないか、孤立しているという印象があった。しかし、その2〜3年後になると、中国経済は非常に速い速度で成長しているだけでなく、解体した旧ソ連から懸命に武器を購入しているのではないかという疑惑や、南シナ海における中国海軍の活動も注目されるようになり、「中国脅威論」が出てくる。この「中国脅威論」は、92〜93年から高まり、95〜96年にかけて1つのピークを形成する。

 冷戦後の10年間を脅威の認識の面で考えると、ソ連が崩壊し、日本が脅威として高まり、その後低下、そして中国が脅威として高まったということである。可能性として、今後「アメリカの脅威の増大」を付け加えてもいいのかもしれない。認識のレベルにおいては96〜97年ぐらいにかけてアメリカはとてつもなく強い存在となり、関係国に対し、様々な要求を押しつけてくるという印象がある。中国からみればアメリカは脅威に見えるだろう。「三つの脅威」にアメリカを加え「四つの脅威」とし、「中国の脅威」に対する認識がやや落ち着きを見せるなか、「アメリカの脅威」が上昇していると言ってもいい。


(B) 四つの危機

 東アジアの国際政治における前述したような基本的な認識の変化の中で、この約10年の間、非常に危機的な事態がいくつか存在した。それぞれ別々の危機であるが、ある種、この冷戦後の時代を象徴したものが現実として生じたと言える。


  (a) 94年朝鮮半島の危機

 北朝鮮の核開発疑惑問題をめぐる米朝交渉、北朝鮮とIAEA(国際原子力機関)との交渉が94年の春に決裂寸前となり、アメリカが大々的な経済制裁に踏み切るという瀬戸際まで行った問題である。最後の段階で、カーター元大統領が北朝鮮を訪問し、金日成主席からの譲歩を得て危機は回避されたが、当時のアメリカの国防長官だったウィリアム・ペリーによると、「この94年の春ほど東アジアが朝鮮戦争以来の大戦争に最も近づいたときはない」と言われる危機であった。北朝鮮がなぜ核開発を行おうとしたかということも、考えてみると、ある種、冷戦の終結と関連している面があろう。


  (b) 95年日米同盟の危機

 95年9月の沖縄における少女暴行事件を契機に、日米同盟に対する信頼が瞬間的に日本の中で非常に揺らいだ。その後の、95年の防衛計画大綱、96年の日米安保共同宣言は、もちろん沖縄の事件があったからではなく、以前から計画としてあったが、実際には、この事件により、かえって、日米同盟を改善させる方向へ向かわせた。

 象徴的な沖縄の事件はもちろんのこと、その前段階では、日米自動車部品交渉が95年前半まで非常に大きな問題としてあり、「日米関係は経済問題に引きずられて漂流してしまうのではないか」と懸念された。


  (c) 96年台湾海峡の危機

 台湾の総統選挙の直前に中国が台湾海峡で大規模な軍事演習を行い、ミサイル実験を行ったことに対し、アメリカが台湾海峡周辺に空母部隊を二隊送り、米中関係が緊張した。


  (d) 97年アジア通貨危機

 97年の夏からは、全く別の危機として、「アジア通貨危機」が発生する。

 「三つの『脅威』の転変」と「四つの危機」のポイントでは、東アジアにおいて冷戦が終結した後、どの国がどのような役割を演じるかということに関する認識の面で、ソ連の脅威が消滅した後、日本が脅威になり、次いで中国がその対象となり、今度はアメリカが対象という動きがみられる。一方、現実問題として一歩誤ると非常に危機的な事態の発生が予測された。


(C) 競争的協調主義の登場

 東アジアの国際政治は不安定で危険なのかというと、そこまではない。認識の面での不安定性と現実の面での危機を前に、主要国間で放置しておくことによる危険性を排除するため、相互間の関係を改良しなければという認識が起こってきた。つまり「仲良くなるのを競争する」という、私の造語では「競争的協調主義」という。以前英語のペーパーでは、competi-tive bilateralismと言ったこともあるが、日本語ではこのような言葉で表現している。具体的な事例を挙げると、95年以降、東アジアの主要国──日米中ロ(韓国を加えることが可能である)相互の2国間の首脳外交の頻度が極めて高くなってきた。

 時系列順に言うと、日米同盟の危機後、96年にクリントンが訪日し、日米安保共同宣言をする。それと同時期に、中ロでも首脳会談を開催する。したがって、日米と中ロという形で、関係が改善する。この日米と中ロの軸で対立することも考えられるが、97年ごろからは、橋本政権における対ロ外交が進展し、日ロ関係が改善する。97年には江沢民が訪米し、米中関係が改善する。98年には、クリントンが夏に訪中し、その後、暮れに日韓首脳会談があり、それから、日ロ首脳、日米首脳会談、日中首脳会談と続いた。日中間も、その合間に橋本総理が訪中し、李鵬が訪日するということもあった。この2年ほど、年末に会談ラッシュが続いている。

 したがって、「競争的協調主義」とは、どこかの2国間関係が改善すると、それに敵対する2国間関係が改善するというよりも、全般的な傾向として、他国ががどこかと改善すると、自国もその国との関係改善を行うという協調へのインセンティブが働く2国間関係が登場しているということである。


(D) 重層的地域枠組みの展開

 90年代の東アジアの国際政治の一つの大きな特徴としては、多角的なさまざまな枠組みが初めてできたということが挙げられる。89年、APECが、当初、経済問題を扱う会合として創設され、その後、93年から首脳会議が加わり、実質的には政治会合になった。94年からはASEAN地域フォーラム(ARF)というものができ、安全保障問題を多角的に取り扱うという枠組みができた。また、96年にはアジア欧州会議(ASEM)ができた。それから、97年の暮れには、「ASEAN+3」つまり、ASEAN首脳会談開催時にASEANと日中韓の首脳会談ができた。98年の暮れにもハノイで開催された。

 東アジアにおける国際関係の中で、実務担当者(役人レベル)の交流が非常に密接になる基盤をつくりつつある。APECは典型的であり、APECに関連している会議は、閣僚関係の会議だけでも10ほどあり、末端レベルでは1週間に1回、どこかでAPEC関係の会議をやっているのではないか。各国で国際関係に関与している人間の数が非常に多くなっている。

 これは、軍艦と軍艦の対決というパワーポリティックスの国際関係から、人と人とが結びつくというような関係に近づいていると考えられる。その密度としては、ヨーロッパと比較すると低いが、それでもこのような枠組みが存在しなかった80年代までのアジアと比べると大きな変化である。


 [3] 米中関係の不安定性

 90年代の東アジアの国際政治全体を見ると、「三つの『脅威』の転変」と「四つの危機」は危機要因となり、認識も不安定であり、実際に危機も頻繁に発生する。だからアジアの国際政治は気をつけなければいけないということになるが、「競争的協調主義の登場」や「重層的地域枠組みの展開」を考えると、単に暗い側面を強調するばかりではなく、事態を健全な方向に導いていく要因も存在しているということである。

 これらの諸要素の中で一番重要なことは、米中関係の安定である。米中両国は尋常ならざる特殊な国である。この特殊の組み合わせが、必ずしも安定的ではない理由をアメリカ側の要因と中国側の要因に分けて指摘したい。


(A) アメリカ要因

  (a) アメリカ外交のイデオロギー性

 よく指摘されることだが、いかなる米政権(例えばイデオロギー外交が嫌いだと公言したキッシンジャーがその地位を担った政権)においても、アメリカ外交のイデオロギー性をゼロにすることはできない。非民主主義的な体制に対して根本的な不信感が常にアメリカ外交のバックグラウンドで動いている。


  (b) アメリカ国内政治のダイナミックス

 アメリカの国内政治が対外政策、特に対中政策に与える影響が非常に大きいということがある。天安門事件以降、アメリカ国内において、民主党、共和党の国内政治的に左右両極端に位置する勢力(ジェシー・ヘルムズとマサチューセッツのジョン・ケリー等)が、「反中国」となると一致するわけである。

 外交政策に関しては国内政治、特に大統領選挙との絡みが非常に強くなってきている。昨年1年間かけて共和党はクリントン大統領のスキャンダルを追及していた。結局、逃げ切られてしまった。そして、かえって昨年11月の中間選挙において、依然として議会は上院も下院も共和党が多数を占めているが、94年以来の共和党優位の議会の構図をやや共和党不利な方に向けてしまった。特に下院においては、94年の選挙で大量当選したニュート・ギングリッチの同志たちの多くが落選することになった。中間選挙で敗北したにもかかわらず大統領弾劾をやって、かえって国民に「共和党は何だ」というような意識を生ませてしまった。そのために共和党内では、次の大統領選挙において、今回の失敗を外交政策で取り戻そうという動きが非常に強くなってきている。

 その流れと同時期に、大問題となったのが、中国によるアメリカ核開発技術のスパイ活動である。去年の夏頃から議会でクリストファー・コックス議員を長とする調査委員会が設置され、調査が行われてきたわけだが、「中国は一貫してアメリカの核弾頭製造技術を盗んできた。その中には核弾頭を小型化する大変高度な技術があり、これを中国が盗んできているのだ」という報告内容が、調査が終了した2月ごろから外に漏れるようになった。調査委員会は、調査報告書(「コックス報告書」)の中から国家安全保障にかかわり合いのあるものについて全部調査したものを3日前に発表した。この中国の核製造技術を盗用したいう話と、共和党が大統領選挙に外交政策を利用する戦略がかなりの程度一致する。

 つまり、これは中国たたきでもあるが、クリントンたたきにもなる非常に好都合なテーマなのである。特に重要なのは、この報告書によると、非常に高度な核弾頭小型化技術を中国が盗用したことが政権内部で把握されたのが95年であり、それから、中性子爆弾の技術を中国が盗用したことも、96年には大体掌握されていた。にもかかわらず、この重要な情報を大統領に伝えていなかった。96年の台湾海峡危機以後、クリントン政権は中国関係を修復しようと努力し、軍事交流も実施した。反クリントン大統領側からすると、この報告書を用いて「国家安全保障に決定的な影響のあるスパイ行為が見つかっていながら、それを隠し、中国との関係を改善させるのみならず、軍事交流をさらに深めるというのは一体どういう話だ」ということになる。中国に対する批判にもなると同時に、クリントン大統領の適格性に対する批判にもなる。この報告書が出たのが3日前で、さらにその直前に、NATO軍によるベオグラードの中国大使館爆撃があった。米中関係の将来に対して悪影響を及ぼす事態が重なり、大変な問題になってきている。


(B) 中国要因

 このアメリカ要因に加えて中国要因もかなりある。今回のコソボをめぐる事態に対する中国側のコメントなどを見ると、それらが非常に浮き彫りになる。


  (a) 中国外交における古典的国際政治観

 現代の国際社会における中国の国際政治観には、人道的な配慮でどこかの国が何か政策決定をするとか、相互依存の関係においてお互いの調整のために国境を越えて何かを行うというのは、理念としては理解できるが、感情としてはよくわからないというところがあるように見える。

 コソボの件で、雑誌「半月談」に載っていた記事(後に「北京週報」に引用されていた)が述べる中国の古典的国際政治観を見てみよう。「アメリカおよび西側列強がコソボを非常に重視しているのは、コソボがバルカン地区で戦略的価値があるからである。バルカン地区は中東の原油、パナマ運河と同じように、西側にとってはきわめて重要である。NATOは東へ拡張しようとしているが、ユーゴスラビア連邦はその拡張の障害物となっており、だから西側はこの障害物を取り除こうとしているのである」。このような認識で、中国はユーゴスラビア問題をとらえているのである。おそらく第1次世界大戦前や、ビスマルク時代の認識では、「まさにこういう理由でコソボに進攻している」と納得するであろう。しかし、現在、トニー・ブレアやシュレーダーにこの文章を見せれば、「ドイツ人がNATOの空爆に参加しているのは、こういう理由であったのか」と驚くと同時にあきれてしまうであろう。また、アメリカ側にしても、「コソボに戦略的価値がある」ということに対し、「山の中にあるコソボのどこに戦略的価値があるのか」と、驚くだろう。アメリカがユーゴスラビア紛争に介入することを躊躇していたのは、ユーゴスラビアはアメリカにとってほとんど戦略的価値がないからであり、今度、NATOが空爆でほとんど全加盟国一致で行動しているのは、まさにこれがNATO諸国にとり、利害関係がないから一致しているわけである。このような、中国の古典的国際政治観はいろいろな面で問題がある。


   (b) 中国中心主義

 「古典的国際政治観」に加えて、中国は「中華思想」、「中国中心主義」、あるいは別の言い方では「自意識過剰」という面が強いと考える。

 中国大使館爆撃についての「北京週報」のコメントを見てみたい。「だれの目にもはっきりしているように、中国はすでにアメリカの主導するNATOがヨーロッパやその他の地域で覇権主義、強権政治および『砲艦政策(武力外交)』を推し進める時の大きな障害となっている。まさに北京のある市民が言っているように、中国がNATOのバルカン半島に対する軍事介入を敢然と非難しているから、『中国は今NATOの目の上のこぶ、肉に刺さったとげとなっている』」。私は、NATO諸国がコソボ空爆を決断した際に、国連の安保理にかけなかった理由は、中国がおそらく反対するからだろうという意識からかもしれないが、空爆することに対する中国の対応をほとんど考慮していないと思う。中国がそれで文句を言ったからといって、「また言っているんだな」と思うだけで、別に「目の上のこぶ、肉に刺さったとげ」などとNATO軍は思っていない。しかし、自己認識の中で、中国が言えば世界中がこれを耳を澄まして聞いていると考える、この「自意識過剰」もかなり大きな問題である。

 「多くの中国人の目から見れば、これはNATOがミサイルで中国大使館を襲撃した直接的原因である。」「目の上のこぶ、肉に刺さったとげ」だから、これをたたく。そして、「襲撃は丹念に画策されたものである。NATOの目からすれば、ベオグラードは例のシグナルを中国に伝える格好の所である。NATOの考えでは、口実がないため、北京の天安門に爆弾を投下するわけにはいかないが、『意外な事故』という隠れみのであるミサイルで中国大使館を襲撃するのは良い方策である。」と分析している。知識ある中国戦略家も多く、全ての人がこのようなことを考えているとは思わないが、しかし、このようなコメントが出ているのは、相当な「自意識過剰」あるいは「自己肥大」観が存在している。つまり、米中という組み合わせはなかなか難しい関係だ。


  (c) 共産党政権の正当性の問題

 改革・開放政策のもと経済成長が進み、中国共産党の正当性をマルクス・レーニン主義などの思想だけでは維持できなくなった際、権威主義政権が正当性として用いる常套手段は、パフォーマンスとナショナリズムである。パフォーマンスがうまくいかなくなったとき、その代償としてナショナリズムを用いる傾向がある。中国では、最近ナショナリズムに訴える論調が、やや強くなっている。

 このように、このアメリカ要因、中国要因を考えると、米中関係の安定性の確保はそう簡単に実現できない。


 [4] まとめとして

  大きな流れで言うと、「米中関係の不安定性」は大きな問題であるが、ある程度、両国の指導者たちが抑制的対応をとれれば、この「米中関係の不安定性」が「競争的協調主義」とか「重層的地域枠組みの展開」を覆す方向に向かわないのではないか。「アメリカ外交のイデオロギー性」と「中国外交における古典的国際政治観」、それから、「アメリカ国内政治のダイナミックス」と「中国の自意識過剰」という相対立する要素が存在するにもかかわらず、米中両国の間には共通の利益が相当程度あり、これを全部覆してしまおうというところまではなかなかいかないのではないか。現に、先ほど挙げたコソボ問題の引用にもかかわらず、中国政権の公式な発言では、アメリカとの関係を全部壊すつもりはなく、WTOへの加盟は進めるという方向である。

 アメリカの政権でも、議会の中で様々な批判はあるものの、中国を完全に敵対視する勢力はそれほどは強くはない。共和党支持者の中には中国市場との関連がかなり深い人もおり、次の大統領選挙候補者として共和党の中で一番有力と思われるブッシュ・テキサス州知事の場合を考えてみても、仮にキャンペーンが成功し、当選した際、中国を敵視し過ぎると、当選後仕事にならなくなってしまう。その面でいっても、ある程度のレベルに達したら修復の方向に向かうだろう。米中関係が修復できない場合、日本にとっては影響が大きく、大変な問題となるため、何とか修復してほしいという希望を添えておく。



(2) 政治的側面から見た中国経済 

 専修大学法学部教授 
 岡部達味


 [1] 依然として政治優先の社会

 中国が依然として政治優先の社会であることは言うまでもない。今日の政治を考える上で、単純化して言えば、政治の具体的中身は経済と安全保障である。したがって、中国以外の国においても経済は政治と密接な絡み合いをしているわけだが、社会主義政権(実質的には権威主義的政権)下の経済は政治と不可分である。

 今、中国は「社会主義市場経済」と言っている。「社会主義市場経済」と言うときの「社会主義」とは何か。現在、社会主義の定義自体がわからなくなってきている。かつてならば、社会主義は経済的側面から見れば、公有制、計画経済、労働に応じた分配、この3つが主たる特徴であると言っていた。しかし、これはみんな揺らいでしまった。トウ小平は、社会主義とは「生産力を増大せしめるものである」と定義した。そうなると、何でも社会主義ということになりかねない。私は、「社会主義」というのは、「自分たちはマルクス、エンゲルス、レーニン、スターリンと続いたマルクス・レーニン主義の正統的後継者だ」というスローガン以外の何物でもないと定義してきていた。しかし、中国内部に存在する保守的なグループ(中国では保守的なのは左で、進歩的なのが右ということになっている)側から、あまり改革・開放を進めないように圧力がかかってきている。中国においてブルジョア階級が復活し、やがてブルジョア独裁へ至るという内容の、4次にわたる「万言書」が最近出版された本の中に全文載っている。中国は、そういう圧力に依然として大きく牽制を受けている「政治優先の社会」である。

 今年開催された全人代で憲法が改正され、今までは私営企業は社会主義を「補充する部分」であるという言い方だったのが、「社会主義の組成部分」と言い換えられ、認知されたことは、大きな変化だ。しかし、もともとは「私営経済」ではなくて「私有経済」という文章であったのが、議論のプロセスで修正されて「私営経済」になった。私営経済というのは、所有権の問題から見ると甚だ頼りないものであり、完全な私有制擁護とまでにはいかない程度の改正であろう。


 [2] 中国経済の課題と問題点

 中国は95年に出した文章の中で、計画経済から市場経済への転換、粗放経営から集約経営への転換、この2つの転換が重要課題であると言い始めた。計画経済から市場経済への転換というのは、改革・開放が始まって以来ずっと言われてきたことであるので、別段珍しいことではない。しかし、ここに粗放経営から集約経営への転換というのが加えられた。これも前からいわれていたが、ここまで格上げされたのは、この直前に発表されたクルーグマンの「幻のアジア経済」の影響ではなかろうか。日中間のある会議でその点を尋ねようと考えていた際、中国側から「クルーグマンの指摘も道理がある」と発言してきた。ただ生産要素を投入し、成長していくというだけでは生産増に過ぎない。生産性の向上を図らなければならないという点に気がついてきたという状況にあることを示唆している。

 これらの考えを下敷きに中国は経済発展を続けてきており、相当長期間にわたって2けた成長を示してきた。98年の成長は8%が目標であったが、 7.8%成長を実現した、という発表になっている。しかし、朱鎔基が訪米時にウォールストリート・ジャーナルと記者会見した際、公然と「この 7.8%という数字には水増しがある」ということを言っている。一級行政区(省、自治区、直轄市で、全部で32ある)のうち、新疆以外の31区はすべて8%以上の成長を記録したという報告を出した。しかし、それは高過ぎるというので、 7.8%におろしたというのが実情のようであり、社会科学院あたりでは、それでもまだ高いとして、7%から 7.2%であろうと推計したといわれている。したがって、中国における統計の信頼性は低く、統計に基づいて議論をすると結論が間違ってしまう可能性がある。

 その数字が当てにならないということの1つの証拠として、貿易統計の数値を示したい。98年の12月の中国の輸出、輸入はともに、1月から11月までに比べて格段に増えている。駆け込みということはもちろんあったかもしれないが、これは水増しであろう。

 昨年3月に朱鎔基総理が就任したが、その際3つのスローガンを掲げた。「一つの確保」これは、成長率8%、物価上昇率3%以内、人民元を切り下げないということ。「三つの達成」は、国有企業改革、金融改革、行政改革である。それから、「五つの改革」として、食糧流通、投融資、住宅、医療、財政税制を掲げ、そのうち特に「三つの達成」は3年で達成させるという決意を示した。

 この「三つの達成」のうち、行政改革は国務院の所轄官庁を40から29に減らし、定員を半減するというプランであり、手をつけ始めている。それから、金融改革も始まっている。内容は、不良債権の整理、「商業銀行」の独立。商業銀行と称しながらも中央から地方に至る国務院の命令系統の中に組み込まれており、上級から命令があると、赤字企業であっても貸さなければならなかったため、これを独立させようとする試みである。また、中央銀行である中国人民銀行が、各省ごとに支店を統合し、中国全体で支店を9つに統合することにより、各省政府との結託防止策をとることにした。


(A) 国有企業改革

 一番困難なのは、国有企業改革である。中国経済の大家であった一橋大学の村松祐次先生が指摘した重要なポイントであるが、革命前、中国の伝統的な経済においては、家族の単位を超えると著しく能率性が下がる。この家族というのはかなり広い範囲で、血縁関係ぐらいの意味であるが、家族以外は信用できないという歴史的経験があり、それを超えると途端に能率が下がる。革命後、改革・開放政策を実施するにあたり株式会社制度を導入したが、その際、「血縁関係にない人間と一緒に企業ができるのか」という話があったようである。中国人の伝統的思想に従うと、大企業を設立することはほとんど不可能となる。しかし、日本が旧満州において建設した重工業や、国民党政権が重慶で建設した、いわゆる官僚資本を軸にして社会主義国有企業を発展させた。つまり、その軸によってはじめて家族の単位を超える企業を作った点、あるいは、特に大中型企業におけるスケールメリットなどの点で、国有企業にはプラスの面があったわけである。

 しかし、計画経済が機能しなくなるにつれて、国有企業が非常にお荷物になり始めた。ここで、国有企業の直面する経済問題について述べる。小宮隆太郎先生が「中国の企業というのは日本の国立大学みたいなものだ」と述べている。利益を上げることを目標としていないという意味である。ノルマの達成が非常に重要な目標であって、コストの概念すらなかった。赤字が出ても、財政補填により維持されていた。この国有企業に市場経済を適用しようと思っても無理な話である。しかも、企業は、学校、住宅、医療、商店等、非生産部門を多く抱えている。1つの企業が1つの「単位」と呼ばれて、そこから出たくなければ、一生出なくても生活できるというものであった。また、今まで国有企業を定年退職した人に対しても、勤めた年限や、党員である場合に革命に対する貢献を勘案し、働いていたときの賃金の 100%から70%ぐらいまで年金として支払うという非生産的なことをやっていた。それでは、市場経済にはとても対応できるはずはなく、今、リストラを始めている。日本の新聞にも出てくる下崗(シアガン。一時帰休、レイオフと訳されているが、事実上は、景気が回復したとしても職場へ復帰する可能性のないレイオフである。)という現象である。

 失業率は公式の統計では 3.1%である。ところが、この 3.1%というのは、都市部に限られており、しかも、その中で、男性は16歳から50歳まで、女性は16歳から45歳まで(中国は男女同権であると言う人がいるが、ここで何故女性だけ45歳かというのはよくわからない。大変な男女差別が存在する。)を労働人口とし、職業紹介機構に登録している人のみを基礎として算出している。したがって、現実の失業率は5ないし6%である。それから、下崗(平均賃金が500元ぐらいとすると、100元ないし200元程度の手当の支給を受け、企業の再就職センターで再就職を待っている人々で、再就職率は50%あるかないかであろう。)は、千何百万人と言われている。多くの人は自分で商売を開始しており、事実上の失業になる。さらに、農村には1億 5,000万人と言われる過剰労働力が存在する。それらを含め、通常の国の失業率に換算すると、実質的には20%以上だという説もある。

 また、中国が直面する経済問題の一つとして、経済成長に伴う産業構造の転換がある。どこの国でもそうだと思うが、紡績が一番最初に構造不況産業になる。中国では、紡績のほかに機械、石炭、軍需、軽工業、化学工業等々が不況業種である。赤字にもかかわらず、これらの産業は、必要不可欠であるため、赤字は累積し続ける。このように赤字企業が半分、それから、潜在的赤字企業が3分の1と言われており、この国有企業改革は、極めて厳しい問題となっている。


(B) 農村問題

 農村は、改革・開放の最初はよかった。しかし、請負制は、所詮小農経済(日本流に言うと「五反百姓」。しかし、5反を一括で請け負わせるという形ではなく、場所によって地味の差を加味し、平等を期するため1筆ずつ、幾つかに切り細分化しており、数筆に細分化された形で請け負っている)である。80年代から「規模の経済」といわれ始めたが、こうした状況ではどうにもならない。一方、農村地域でも、より儲かる工業を行う、いわゆる郷鎮企業(英訳タウンシップ・インダストリー)が存在している。郷鎮企業は、「郷」とか「鎮」とかいう末端の行政単位が経営している企業となっているが、実態は私有企業もいろいろ入っており、それを一括して郷鎮企業と言っている。郷鎮企業の発展は、雇用吸収力にもなり農村における潜在失業が相当吸収された。一説では1億人吸収したと言われるが、すでに限界であり、これ以上は不可能という話もある。

 一方、長年、中国では農村戸籍と都市戸籍に分かれていた。農村戸籍は、農村である以上、食糧は自給自足とされた。日本流に言うと「飯米農家」というようなものがあるが、それらを全部含むのが農村戸籍である。都市戸籍は、配給が受けられる状態であった。自由化が行われていない段階で、この戸籍制度によって、農村から都市への人口移動は非常に厳重にコントロールされていた。しかし、金を出せば米が買えるという改革・開放時代になってくると、鎮(小都市)への移動を認める戸籍制度改革につながり、流動人口が都市に殺到した。戸籍を大都市に移せないため、闇の子供、「黒孩子」と言われるものが生まれ、大問題になっている。

 郷鎮企業の発達はこうした様々な問題を負っている。

 また、郷鎮企業は基本的に資金が不足しており、農業から資金を調達することとなる。それによって郷鎮企業が発展し、地方が金を稼ぐこと可能となる反面、農業の状態は次第に悪化してきた。現在、農村問題は中国において大変重要な課題になってきている。 それにもかかわらず、郷鎮企業工業が工業生産に占める割合をみると、個体企業(7人以下を雇用)、私営企業(8人以上を雇用)、そして外資関連企業が伸びており、国有企業はそのパーセンテージがどんどん減っているのが現状である。そういう状態の中で農業が大問題になっている。なお、ちなみに、個体企業と私営企業をなぜ7人と8人で分けるのかと質問したところ、「『資本論』にそう書いてある」とのことだった。

 昨年の秋に行われた15期3中全会は専ら農業問題(今年の人事配置も重要課題であった)が討論された。3中全会というのは非常に重要な会議である(普通、中央委員会の全体会議は、5年間の任期の中において五、六回開かれるが、3回目ぐらいになって実質的な審議ができる。それ以降は、あまり役に立たない)。重要な決定は今まで3中全会で行われることが多かったが、そこで農業を取り上げた程に農業問題が大きな問題になっている。


(C) 外資の導入

 外資導入の面では中国側に様々なマイナス要因がある。浦東地区は、旧上海地区ではもう再開発できないから開発するということで多くのビルが建設されていたが、旧上海地区のほうも古い建物をどんどん壊して再開発している。その結果、空室率が70%に達することとなている。解決策は外資頼みしかないということになるが、最近の規制や外資の進出を阻害する様々な問題によって外資は及び腰である。また、ユーゴスラビアの中国大使館爆撃事件について、中国は強硬な態度を取っている。一方、「中国は実に安全である。中国人は実に親切にしてくれる」という外国人観光客のインタービューシーンを北京放送で映し、外資が流出してしまうのを防止しようとするなど、様々な緩和策を取っている状態になっているわけである。


(D) 中央政府と地方政府の関係

 中国は、かつて過度の中央集権が行われており、それを是正するために地方分権を行った。しかし、本来中国に統一市場ができたことはない。中華民国ができる以前(1911年の辛亥革命より前)の伝統社会のころは省よりもさらに下の規模でマーケットができ、マーケット間の仲介者がいた状態だった。それが現在、大体、省ぐらいの単位まで統一市場ができるようになった。それは、中国が32ぐらいの別々の市場により構成されていることを意味している。このような中国社会の実情から、交通不便なところでも地方市場が存在し得るという状態で、技術水準の低い郷鎮企業も成立し得た。従って、統一市場化が進行し交通が便利となり、運賃も安くなると、郷鎮企業はつぶれてしまうということになる。 

 地方分権の結果、「攀比」といわれる省及び地区の間の競争関係をもたらしている。中国全体から考えれば、ある省または地区に工場が1つあればよい状態であるにもかかわらず、省、地区同士の競争により、いわゆる重複建設というむだが生じてくる。過剰生産施設でフル稼働ができない状態が当然出てきてしまい、さらに、水増し報告がなされて成果を上げたことになってしまうわけである。

 ソ連も同様であるが、古い帝国の版図の上に国民国家をつくろうという試みを、今、中国が行っている。それが非常に無理なものであるということは、70年続いた社会主義ソ連が簡単に分裂してしまったことを見てもわかる。


 [3] 政治化した諸問題

 経済問題が原因で、デモ、ストライキ、暴動、テロが多発している。失業問題、社会保障制度、国有企業改革の行方などに対する懸念が至るところで出ている。

 それから、公表されていない統計数字が香港の雑誌に掲載されたので紹介したい。記事によると中国の年間交通事故死者数は17万人であり、これに対し、民用自動車は1,219万両(日本にはおそらく5,000〜6,000万両あり、交通事故による死亡者は約1万人)である。日本の5分の1ぐらいの車両数で17倍死んでいる。1台当たりの死亡者が日本の80倍になっている。

 そのような社会不安要因が存在する中で、中国は「安定第一」ということに非常に関心を持っている。ユーゴスラビアの中国大使館誤爆事件後、胡錦濤がわざわざ全国に向けて放送した内容をみると、「全国各地で広範な大衆が盛んに座談会や集会を開いた」、「一部都市では学生、大衆が米国の駐中国外交機関の近くでデモ行進をした」と述べている。座談会や集会は、中国指導部のコントロール下で開催されるものである。それに対して、デモは指導部がコントロールし切れなかったので、やむを得ず許したというものであることが、明瞭に述べられている。

 なぜそうなったかというと、1995年に中国は終戦50周年を機会に愛国主義教育キャンペーンをやり過ぎた。大衆の怖さを中国指導者は知らなかったためにキャンペーンをやり過ぎてしまった。尖閣列島のときも同様だったが、大変な騒ぎが(特に政治意識の強い学生などの間で)起こる。尖閣列島のときは、大学のキャンパス内ではいくら騒いでも外へは出さないというコントロールができたが、今回は大義名分のためコントロールできなかった。したがって、「自分たちはあまり支持していないのだ」ということを暗に示唆し、かつ、その後で、こういうものは「法律に基づき保護する。」「これら活動が法に従い秩序正しく行われるものと確信している。」と述べる。つまり、確信していないからこういう言い方となっている。「過激な行為を防止し、機に乗じて正常な社会秩序を乱す者が出るのを警戒し、社会の安定を断固確保しなければならない。」とも言っており、それぐらい警戒している問題であり、このような仕組みになっているわけである。中国は、一部で考えられているほどすばらしい状況で発展しているわけではなく、多くの問題がある。


 [4] 中国の将来

 中国の将来はどうなるかというと、イ.21世紀の超大国になる。ロ.21世紀にまずまずの状態に達する。ハ.経済混乱(デモ、スト、環境汚染)が続くが、大きな問題とならず、ある程度の発展が続く。ニ.経済混乱がひどく、特に中央、地方関係が悪化し、必ずしも分裂するとは限らないが分裂主義的な遠心力が働く。という4つのシナリオが予想される。そのうち、イとニのシナリオは極端な例だと思われる。実際ロとハのシナリオの中間ぐらいに落ちつくのではないか。

 2050年に、中国の一人当たりGDPが4,000ドル(4,000ドルという数字をひところ使っていたが、93年末から大国主義的傾向が強くなり、この数字は使われなくなった)が実現された場合、日本のGDP総額と等しくなるためには、日本の一人当たりGDPは5万ドルが必要となる。人口増加の程度が推測できないため、中国は日本より上になる可能性もある。額では日中ともにほぼ等しくなった際、質的にはまだ日本が上だとしても、どちらが東アジアのリーダーになるかという問題がある。

 現在の中国指導者にとって、日中のどちらが東アジアのリーダーになるかということは非常に重要な問題である。そのような問題に巻き込まれないようにするためには、様々な対話のチャンネルを増やして、話し合うことにより、不毛な競争が抑止される方向に持っていかなければならない。

 最後に、WTO加盟交渉で、中国側はかなり譲歩している点を指摘したい。しかし、朱鎔基や呉儀などのWTO加盟に非常に熱心なグループは依然として前向きであるが、李鵬などは、加盟目標は今年中とは限らない、時期未定であるということを言って事実上先延ばしにしようとしている。これは中国の体制内で、WTO加盟に関し、論争が生じてきていることを示している。



(3)人民元の制度と動向

大和証券投資信託委託(株)主任研究員
林康史


 [1] はじめに

 人民元に関して、現行制度、94年の元レート一本化の意味、97年のアジア通貨危機問題、それから、99年までの現状、そして今後の人民元切り下げの有無について述べる。前回、飯島委員が、人民元切り下げはある、というお話をされていたが、先に結論を言うと、人民元の切下げはないと考えている。また、先に感想を述べると、中国は本当によくわからない国である。中国の大連の大学では多くの人が「中国は70年代の日本に似ているでしょう」と言っていた。しかし、何か明治時代の日本と現代が共存しているような国という印象を持っている。


 [2] 中国の外国為替制度の推移

 中国の五千年の貨幣史の話をするだけで数日を要する。したがって、戦後の部分を簡単に述べたい。


  (a) 中国の外国為替制度のクロノロジー

 時代区分としては、中国建国(1949年)以前の中央銀行(中国人民銀行)が設置された48年から、53年ごろまでが「混迷期」。53年から73年までは「固定相場制時代」。この時代は、中国とソ連がデノミネーションをするなど、厳密には固定相場とは言いがたいが、ハードカレンシーに対しては固定相場であったということで固定相場制時代と名づけてよいだろう。その後6年間が「バスケット制時代」。そして、79年から94年までが「『改革・開放』政策下の管理制時代」。そして、94年以降(現代まで。「制度改革期」)と区分した。


  (b) 人民元相場の変遷

 1948年に中国人民銀行が設立され、建国前の49年5月のレートが1ドル=80元、その10か月後の翌年3月に4万 2,000元となっている。これは戦後の日本と酷似した状況で、インフレが非常に昂進していた状況にあった。

 殊さらこれを述べた理由は、現在でも中国ではインフレに対する恐怖感が非常に強くあり、当時のインフレの話がまだ尾を引いている。51年から、元とルーブルの交換レートを決定し、63年には、東欧12か国と非貿易支払決済協定締結を行うなど様々な動きがみられた。その後、バスケット制時代となる。

 ここで一つだけ加えると、円と元というのは実は語源的には同じ意味である。円は、要するに丸いということだが、「元」の旧字も「口」の中に「員」を書く漢字であり、つまり、韓国と日本と中国はもともと同じ漢字の通貨単位を使っているということだ。


  (c) 外国為替制度改革

 94年から外為制度改革が始まり、レートは一本化された。このレート一本化が、実質的な人民元の切り下げであったのかが一つ問題になる。そして、それによってアジアのほかの通貨が影響を受けたのかどうかである。昨年11月29日付日経新聞で、朱鎔基がレートの一本化は為替の切り下げではなかった旨の発言をしている。これをもう少し詳しく調べると、国有企業の外貨上納義務部分(2割)以外は公定レートでなく市場レートを適用していた。国有企業にとってその2割分が、切り下げあるいはレート一本化によるメリットだった。外国資本が輸出の3割近くを占めていたため、それも含めて勘案すると、切り下げの幅は実は5%にも満たないと言われる。すなわち、94年の中国元一本化が通貨不安のスタートではなかったという可能性が高い。

 住友生命総合研究所の試算によると、94年に実効為替レートで人民元が大きく減価している。これは公定レートを基礎として試算しており、減価の影響がほかの通貨にあらわれていないことがよくわかる。なお、中国に関してはCPIベースで実質化を図っている(中国における物価の意味は、ほとんどないと思われる。上海と西安では、多分10分の1ぐらい物価が違い、平均を出すことの意味を見出し難いが、とりあえずCPIベースで試算)。93年以後の韓国ウォンの推移と比較しても、94年時点の人民元の一本化は、為替レートの切り下げではないという朱鎔基の説は正当と考えられる。


  (d) 為替変動の影響

 変動相場制のもとでは、為替レートの影響が2年後に経常収支にあらわれるとされている。95年に円高に反転し、ちょうど2年後の97年になって日本の貿易黒字の急増が問題になる。それと同時にアジア経済が不安定化し、アジア通貨にフロート制が導入されていく。それからちょうど2年経過したのが今年である。この2年間のタイムラグを考えると、今年、中国が不安定になる可能性は非常に高い。それは、経常収支がかなり傷むことによる。

 では、なぜ中国経済は順調に推移したのかについてであるが、結論から言うと、資本市場を開放していなかったということに尽きる。中国大連の大学の関係で、昨年、中国の人民元の資本市場開放を策定するという研究プロジェクトの一員に選ばれた。そのプロジェクトは、今年から2年間、開放スケジュールを研究するということであったが、現在では既に2000年に資本市場を開放するという計画はなく、おそらくしばらくはこのまま管理強化を継続する方向で行くのだろう。

 昨年、中国は人民元を切り下げるかわりに、マレーシア型の管理強化政策を採用した。98年の8、9月頃、貿易に関して決済にICカードの提示義務を設け、特に10万ドル以上の輸入には事前許可制を導入し、外貨借り入れの早期弁済を禁止した。さらには、所在地の銀行の使用義務(これは後ほど撤回されるが)等の規制を行った。

 なお、密輸防止のために税関に 6,000人の精鋭部隊を送り込むなども行っているが、そのような手段を矢継ぎ早に打ったということである。


  (e) 現在の外国為替管理制度

 現在の外国為替管理制度は、為替の変動を前日の中値から上下プラス・マイナス 0.3%の幅におさめるというものである。人民元の切り下げがあるとした場合、変動幅を拡大するという形での切り下げが考えられる。


 [2] 最近の中国経済と人民元


  (a) 成長率7.8%の意味

 98年の経済成長率7.8%をどう見るかについてであるが、福建省では11%超の数字を報告しているということもあり、真偽の程はよくわからない。

 98年の実績を踏まえ、99年の成長率は7%の「見通し」という表現(「目標」ではない)となっている。「見通し」となった理由として、達成する自信がないからだという見方も可能であるが、地方に対して「目標」を掲げると、また水増し報告が生じるため「見通しであるので、事実の数字を報告するように」ということではないかと思う。現状、外需が悪化していることもあるので、中国経済はこれからはかなり厳しい時代になるだろう。


  (b) 外需の圧迫〜輸出の鈍化

 98年の日本の輸入をみるとアジア諸国全体で下落しており、中国がアジア諸国に輸出シェアを譲ることは少なくとも今年はないだろう。むしろ、輸入する側である日本、アメリカ、ヨーロッパの景気次第と思われる。


  (c) 内需の不振

 内需に関しては、中国経済の5割を占める個人消費も不振で、総固定資本形成により昨年の中国経済は維持された。おそらく、今年もそうした状態で維持されるのだろう。


  (d) 人民元の切り下げ問題

 中国の人民元切り下げ問題を考えるときに、経常収支の問題、輸出競争力の問題、香港ドルに与える問題、アジアの問題という視点からのコメントに分かれる。要するに、経常収支と輸出競争力からは、切り下げる必要はない。香港ドルとアジア通貨危機の視点からは、切り下げることはできない。したがって、結論は「ない」として論じられている。

 昨年の円安傾向の中で、ロシアの問題、今年に入ってはブラジルの問題などが発生し、その都度、人民元を切り下げるといううわさが出た。マーケットに参加していた立場から、非常に興味深い事実が観測される。マーケットで流れるうわさは、1つは、「あいまいでないといけない」。だから、中国がターゲットとして適当なのである。かつ、もう1つは「重要でなければならない」。確かに世界で2番目の外貨準備高を持っている国である。つまり、あいまい、かつ重要であるということで、中国がうわさに上るということになる。

 それでは、なぜ何度もうわさが出るのか。マーケットは、はっきり言うと何でもいいのである。98年夏までは、円安だから元安になるのだと言っていたが、その1カ月後には、元安だから円安になると因果関係を逆転させていた。結論からいうと、私は「リスクシナリオ・ラバー症候群」と呼んでいるが、要するに、危機的な話のほうがメディアも取り上げやすいし、読者も面白がるということだろう。 

新聞では、「昨日、上海のセンターで元への介入があった」という表現がよく用いられる。固定レートで、前日の平均値からプラス・マイナス0.3%に押し込めるという並行操作をし、毎日介入しているのである。なぜ、メディアが介入と大騒ぎするのか、よくわからない。し かし、確かに元の切り下げがありそうな雰囲気もある。朱鎔基も「大変だ」と言いつつ、「みんなで我慢しよう」と言っている。これは、1つのパフォーマンスではないか。

 こうしたことが、うわさの背景だ。

 しかし、そのうわさが自己実現に結びついて切り下げるかというと、答えはノーである。 切り下げによる場合は基本的に2つのルートが考えられる。1つは、マーケットワイズに切り下げを迫られる場合であるが、その可能性は、現行制度から考えて、ないと言える。香港ドルが先行する形で、元が切り下げられる可能性は若干あり得るかもしれない。

 現場の人間として、私の考え方の1つは、ある立場の人に成りかわってみるということだ。私がソロスだったらということを考えるわけである。私がソロスだったら、中国元には全く手出しをしない、香港ドルに対しても触手は動かない。動いても自分が負ける可能性があることを彼がするとは思えない。しかも、去年からヘッジファンドも傷んでいるので、やはりアタックはないだろう。

 もう1つの切り下げのルートは、政治的な判断として切り下げることがあるというものだ。そこでのポイントは、経済状況と政治環境である。

 結論は「利弊権衡」ということである。要するに、プラスのメリットとマイナスのデメリットをよく考えて選ぶという中国語である。メリット・デメリットを考えていけば、切り下げがあるかないかは判断できよう。今、中国が急務としていることは、経済改革、財政基盤の拡充等であって、そのためには政治的安定、社会的な安定が非常に重要である。したがって、結論としては、政治面からは切り下げはない。

 WTOの問題もあり、今年10月は建国50周年である。それから、マカオ返還が今年12月20日である。マカオは、経済規模でいうと香港の15分の1か20分の1であり、重要性に劣るとしても、返還前には人民元の切り下げは行うまい。これらを前に人民元切下げによって発生するリスクを負担できるのかということである。たとえ、人民元の切り下げが経済的に必要であるとしても、メリットとデメリットを比較した場合、ないだろうということが言える。 人民元のレートについて、もう一つ考えなければならないのが、ファンダメンタルズから考えて人民元はほんとうに過大評価なのかということだ。人民元相場の推移を見ると、97年を100とした場合、94年以降、物価が上昇していく過程で、人民元の実効レートが増加していく。しかし、98年の1〜3月をピークに、現在、97年と比べて10%ぐらい増加している可能性はあるが、98年以降、アジア通貨が安定したということと、及びデフレ傾向にあることから、今は、実効レートとの乖離は10%程度である。その意味では、現実とレートに乖離があるかというと、一般的に思われている程にはないだろう。

 さらに、人民元の切り下げは、輸入が傷むこととなる。輸出の振興策としては、増値税の還付率を引き上げる等の代替手段がある。むしろ、増値税の還付率を上げたほうが、短期的には、直接投資も逃げないと言える。今切り下げると直接投資も逃げてしまう。朱鎔基が5月に訪米した際[投資しても大丈夫。切り下げはない」と言っていたが、確かに投資面を考えると、切り下げはダメージがかなり大きい。増値税の還付も、長期的な意味では関係ない話になるのだろうが、短期的には切り下げよりもいいだろう。97年に元を切り下げることには意味があったとしても、現在アジア通貨は、各国ともフロートに入ったため(マレーシアは別だが)、今切り下げたところで、輸出のメリットもすぐに解消されてしまう。

 それから、中国は、現在、輸入した商品を加工して輸出するという体系に入っている。そのため10%切り下げても、実際、輸出に効果を有するものは5%だということになってしまう。

 中国の外貨準備高は、世界第2位の1,466億ドルである。確かに誤差脱漏が非常に大きいが、この数字が半分だというほど信頼性が低いこともない。

 さらに、対外債務残高もかなり多く、増加傾向にある。私が中国人の立場になって考えると、とにかく借金を返した後で切り下げるという行動をとると思われるが、中国の対外債務の85%ぐらいが長期のため、すぐには減少しない。また、過去、対外債務が大きく削減された直後にレートを切り下げた例はない。

 これは日本人には意外にわからない感覚であるが、中国人には、インフレに対する恐怖感がある。「切り下げたら暴動が起こる」と中国の友人は言う。その理由は、外国人が考えている以上に、自分たちの通貨が弱くなり、インフレが発生することに対して中国人は恐怖を感じている。

 また、朱鎔基がどう考えているか。中国は大国であるという意識より、むしろ大国願望、大国でありたいという意識が強いのではないか。そして、大国になるために何ができるか。切り下げることのメリットはそれほどないから、「大変だが、切り下げはしない」と言っているほうがいい。彼らの考え方の背景は「百年国恥」を挽回することだ。

 朱鎔基は、切り下げないと繰り返し言っている。先ほど、岡部委員の話にあった昨年3月の全人代の「一つの確保」、この中の1つに、人民元を切り下げないということが盛り込まれている。それから、国民に対しても「切り下げない。我々は優秀な民族だ」と今年の全人代でも言っており、やはり切り下げはないと思う。

 朱鎔基の政治的地位が不安定であるという説があり、核開発技術スパイ疑惑の問題で、朱鎔基に罪をかぶせて解決を図るという話が、香港あたりで出ている。野村総研の関氏によく電話をかけてくるチャイナウォッチャーは、99年1月に失脚するのは間違いないと言っていたそうだ。しかし、実際にはそうはならなかった。朱首相は昨年就任したばかりで、代わりとなれる人物がいないというのが現状であろう。

 総括として、基本的には、中国が通貨を切り下げるメリットは輸出に関し多少はあると思われる意外には、今のところないと言える。



(4)質疑・討議


〔 篠原委員 〕 林委員の人民元に対する考え方とは、同意見である。二、三点補足したい。ヘッジファンドは負ける戦をやらないだろうという点については、私は、それよりも戦を仕掛けられないと考える。戦いを仕掛け武器がない。マレシーア・ドルに対しては、シンガポールに存在した(香港にも存在していた)「ユーロ・マレーシア・ドル」的なものを武器にヘッジファンドは動いた。これを調達して、借りポジションを作り、それで売却する形にして、投機ポジションを作っていた。ところが、「ユーロ人民元」は存在しない。したがって、ベア・スペキュレーションを仕掛けようと思っても、仕掛けられようもない。

 付け加えると、朱鎔基にとっても江沢民にとっても、人民元の切り下げを実施するあるいは実施しないことは大した問題ではない。むしろ、中国は、為替レートにより影響を受けることのない国家作りを行い、今日に至っている。昭和40年代初期の日本と同様な状況で、1ドル=360円を維持しようと思えば維持できる管理体制を作り上げ実行しているに過ぎない。つまり、中国に関しては、現在まで(アジア危機の間も全然変化ない)為替の需給は経常収支のしりがきれいに反映されている状況にあり、切り下げる、切り下げないという議論の余地はない。

 「中国元が切り下げられると、自国経済はもっと窮地に陥るかもしれない」というアジア諸国の発言に対し、クリントンが、「中国が人民元を切り下げないのは偉い」言ったわけである。「これは政治的にいろいろな格好でイシューになるかもしれない。『中国元は切り下げない』というメッセージは、何か価値があるのではないか」ということで中国側の要人の発言となっているのではないか。


〔 林 委員 〕 ポジションを唯一作れそうな可能性があるのは、ノンデリバリー・フォワードである。現在、元が1年先のノンデリバリー・フォワードで5〜6%ディスカウントとなっている(98年夏に元切り下げが騒がれたころにも、闇レートで5%ディスカウントだった)。なぜ5%に留まるかというと、それ以上は意味がないからだ。相場で遊んでいる分には5%で十分だという感じだろう。ノンデリバリー・フォワードは、単に、相手方がポジションをノン(呑)でいるだけであり、マーケットに対する影響力はなく、実体経済に対する意味はない。そういう意味で、通貨アタックをする武器はないということだ。


〔 菊地委員 〕 「アメリカ要因」と「中国要因」を分析していたが、アメリカ政府や中国政府が具体的に考えていることと、実際に生活している中国人との間の意識がどのように乖離しているのか。アメリカが民主的な中国を要望しているが、中国人はどう考えているのか。各国とも、為政者の発言と、実際の国民が持っているイメージなり実態とはかなり違っているのではないかという気がするが、実際はどうか。また、アジアとの関係についても、中国社会一般の人たちの考え方がどうなのかをお教えいただきたい。


〔 田中委員 〕 政策決定者と国民が同じ考え方を持っているかどうかは全くわからないし、おそらく違うであろう。

 中国の場合、メディアがまだある程度コントロールされており、コソボとか対米関係に関する報道の仕方をみていると、メディアの中に迎合傾向が非常に強くある。こういうレトリックは有効だということで、キャンペーンをやり始める。それがピュアな形で回る。そうすると、若い学生などは(普通の生活をしている中国人の大人はそう思わないかもしれないが)、それが事実だと思い始める。先程私が引用した文章は、もしかすると、学生の何人かは本気でとらえているかもしれない。

 中国のコソボ問題報道と、朱鎔基のWTO関連の対米譲歩というのは、客観的に見て全くちぐはぐである。中国大使館爆撃事件が起きる前から中国でのコソボの報道は、「自意識過剰」の典型で、すべてを自国との関連でとらえている。したがって、コソボの問題がなぜ起こったかという背景分析を全然しない。それで、「NATO軍が国際法違反をして爆撃したのはけしからん」ということばかり報道している。ミロシェビッチの悪行や、コソボの難民の苦労とその背景にはほとんどふれず、爆撃の報道ばかりする。後で修正しようと思うが、理屈も何も合わない修正しかできないのだろう。だから、その場合、矛盾が存在する。中国の場合、キャンペーンにしろ、その修正にしろやり過ぎてしまうということの危険はある。

 アメリカの場合は、大統領がやり過ぎの報道をしようと思っても、まずできない。その逆で、反大統領派や、メディア自身の自己回転、特にモニカ・ルインスキー・ケースは、国民はあまり気にもしていないのに、メディアは報道することがあるから、これはまたこれで一つ違ったダイナミックスだろう。


〔 岡部委員 〕 中国の政策決定が今や多元化しているという言い方ができる。指導部だけとっても、毛沢東やトウ小平の時代には、意見の違いはたくさん存在した。しかし、毛沢東なりトウ小平なりが「これで行く」と決断したら、それで一本化できた。しかも、毛沢東はトウ小平よりさらに偉大であるから、大衆運動も自由自在にコントロールし、スイッチを入れたり切ったりすることができた。

 ところが、トウ小平の影響力が次第に失われ、江沢民が自ら決断しなければならなくなった。しかし、同時に、対外政策の決定に関与する人々の範囲が拡大し、江沢民ひとりでは決断できなくなった。学生や世論(世論という言葉は中国に当てはめていいかどうかは問題だが)などが影響力を持ち、指導部が考えていることとは異なる動きが出てきてしまう。そのようなコントロールの効かない多元的な動きを全部つけ合わせて合理的に解釈しようと思うと、「中国脅威論」などの話になってしまう。今や中国は昔のような一元的政策がとれないと考えるべきである。

 エピソードを2つ申し上げると、南沙群島の、フィリピンが占拠していると称していたミスチーフ礁に、中国が、漁民の避難施設と称し、実は軍事施設ではないかと思われるものを建設する疑惑事件があった。フィリピンの北京駐在大使館が外交部に抗議に行ったところ、外交部はその事実を知らなかった。それが、まさにコントロールの効かない多元化の一つのあらわれである。

 もう一つは、中国は一人っ子政策を実施しているが、その一人っ子が今や成年に達し、兵隊にとられる年代になっている。ある共産党員で相当の地位にある人が、「もし自分の息子が台湾海峡で戦死するぐらいだったら、台湾なんか要らない」と言った。このような状態が中国に既に存在している。


〔 小松委員 〕 米中関係が不安定化していくというときに、国内経済政策はどのような影響を受けるのか。今の市場化という政策の流れは、米中関係の変化によって影響を受けないのか。

 本日の話から、中国の経済システムの中には、やはり社会主義経済と市場経済という相入れないものがあるように思う。銀行の抱えている不良債権問題は、常に後ろに人民銀行が控えていて支援してくれるというメカニズムがある。国営企業の不良資産の問題も同様である。社会主義経済では、本来、金融市場の中で片づけられなければいけない問題の解決を先送りすることになる。漸進的改革の中では、社会主義経済と市場経済が存続し、矛盾が拡大していくのではないか。


〔 田中委員 〕 経済政策が対外関係の不安定化とどう関係するか。これまでのところは、経済政策に悪影響を及ぼすようなところまで対外関係が不安定化しそうになると、必ず中国側が腰砕けになる。したがって、アメリカや日本のことを怒ってみても、最後は、仕方がないという話になってしまう。おそらく、政権がそれなりにしっかりしていれば、同様の対応が繰り返されるのではないか。

 ただ、今の社会不安等が、極限にまで達し、その腰砕けをする権力すら転覆してしまった場合、経済に影響があると言える。政府が続いていれば、おそらく、経済政策の市場化という方向は続くのだろう。


〔 岡部委員 〕 4つのシナリオのうち、現状は3に近い。つまり、何とかやっていく、腰砕けで逃げているという状態。その次へ行くとすれば、それはシナリオの4に移行する、つまり混乱状態で、地方が求心力を持ち、うまくいけばそこで連邦制になる。李登輝が「七つの中国」と言った。うまくいけば、途中に混乱期間があって、結果は連邦制という解決策があり得る。

 ただ、後戻りはおそらくあり得ない。計画経済で一番大きな問題は、経済発展のレベルがある程度に達したときに、需要を全部予想して、ノルマで供給を需要に合わせていくことが、できない状態になることである。したがって、市場に任せるしかない。一時、市場ファンダメンタリズムが中国ではやったが、まさにそういう物の考え方は、一部の人を除いて非常に強くあるため、後戻りという選択肢はおそらくないだろう。


〔 大村課長 〕 「三つの『脅威』」に関し、おそらくこの「脅威」とは、アメリカなどが受けとめる「脅威」と、東アジアにおけるASEAN諸国の「脅威」の受けとめ方は少し違うと思う。一方、「四つの危機」の最後の危機だけは経済問題である。経済問題については、ASEAN諸国は、脅威もさることながら、リーダーシップの欠如といった受け止め方が非常に大きかったのではないか。特にアジア通貨危機の際、だれもリーダーシップをとってくれない。日本は一生懸命支援したつもりではいるが、アメリカは様々な思惑が重なり、日本の足を引っ張ろうとする。中国もこういう話になると、なかなか乗ってこない。

 岡部委員の話によると、GDPの総量としては中国は日本並みになってくる、質の面ではまだ日本は上だろうということだった。これから経済問題についてのリーダーシップの形がどうなるのかということを考えたときに、総量で同じであっても、例えば国民所得のレベルが非常に低い国、あるいは、規制色は薄れてくるとしても、かなりの規制を敷いている国というのは、支援策のリーダーシップはとりにくいだろう。今後、ある程度、経済的に安定し、規制色がなくなり、国際社会の問題にある程度関心を持ってくると、過度な大国意識がなくなり、アジアにおける全体的な支援の枠組みに中国がもう少しまともな議論で乗ってきやすくなるのか。あるいは、むしろ大国意識が前に出てきて、かえって話が混乱してくるようなことになるのか。そのあたりはどう見ておられるか。

 アメリカにとっての中国の「脅威」という意味が、はたから見ているとよくわからないところがある。政治的意味と経済的意味との両方があるのだと思う。北朝鮮の問題であれば、基本的には、韓国との関係で朝鮮半島やアジアの政治情勢が非常に不安定化するという面でアメリカの安全保障上の脅威となるのであろう。中国の脅威、安全保障上の問題をとったときのその「脅威」というのは、アメリカに対して直接脅威があるということか。やはり東アジア情勢が不安定化するという脅威なのか。

 経済問題も同様で、客観的に、中国がアメリカのライバルになるということは考えにくい。その場合の脅威というのは、やはり東アジアの経済の中で中国の位置が高まってくるため、中国とのパートナーシップを高めていかなければならないという意味の脅威なのか。アメリカに対する直接的な脅威と映っているのか。東アジアの中での不安定化要因としての脅威なのか。そこは政策者レベルの考え方で結構であるが、どちらの脅威かということでアメリカの対応もかなり変わってくるのではないか。そこを教えていただきたい。


〔 田中委員 〕 リーダーシップも非常に重要である。「脅威」がいろいろ発生し、様々な危機が生まれた原因の1つは、90年代に入って、この地域で、どの国もリーダーシップをまともにとることをしなかったことが一般化できるだろう。とる能力が一番あったのはアメリカであろうが、クリントン政権というのは対外政策に関して、気まぐれに1つの問題に関心を持つというのが特徴である。常に何かを並行して関心を持つことをしない。APECも、首脳会議を設置してはみる。そのときは関心を非常に持つが、しばらくすると忘れてしまう。忙しいと95年大阪でのAPECのように欠席する。あのときは、国内の財政問題で議会と対決していたが。

 97年の通貨危機は、私は結局は日本の問題だと考えている。日本のリーダーシップがうまくいかなかったということではないか。

 また、中国はGDP総量でかなり大きくなっているが、リーダーシップを果たす能力がない場合にどうなるか。この場合、今度のコソボ問題、ユーゴスラビア問題に対する中国の反応のようなことが起こる可能性はある。典型的な無責任行動である。ユーゴスラビア問題より少し前に、マケドニアが台湾と国交を結んだことに対し、マケドニアの国連平和維持軍の延長を拒否権を使って葬り去り、中国側が先に国連を軽視した行動をとった。にもかかわらず、NATO軍が国連安保理に言わずに空爆したと怒っている。その後、中国大使館が爆撃されたことで、世界中が、これで中国がミロシェビッチを説得してやってくれるかと期待すると、「もう関知しない」といった態度で、とにかくアメリカに対してのみ怒っているという話である。これはかなり無責任である。

 それから、アメリカにとっての脅威だけについて言うと、アメリカの政権、特にアメリカ海軍等は、中国はアメリカにとって脅威だと考えていない。軍事的に中国軍はそれほど強くないため、アメリカに対して脅威を構成しないと思っている。ただ、彼らは、中国情勢如何によって東アジアの状態が不安定化することを避けるため、いわゆるエンゲージメントという形で中国を取り込んでいかなければいけないと考えているのだろう。

 ただ、今回のコックス・レポートに出てきているような中国による核開発技術のスパイ活動の懸念が事実だとすると、あるいは、これを事実だと信じる人たちにとって、このレポートの内容を突き詰めて考えると、中国はアメリカに対してかつてのソ連のような脅威を構成するかもしれないという恐怖を与えつつある。というのは、中国が核弾頭を小型化する能力を持つと、今までは固定サイロからICBMを撃っていたものを、運搬手段の上に乗せる移動式のICBMが製造できて、そのICBMの上から、かつての多弾頭ミサイル(MIRV・1つに核弾頭を10個乗せて、それぞれ別々にターゲットできるようなもの)を中国が製造できるかもしれないからである。さらに、中性子爆弾をつくれるミサイル技術を持つことになると、距離的には今でもアメリカに届くのであるから、現実に、アメリカに対する直接攻撃の脅威という観測もかなり強まる可能性がある。まだ中国は、小型化した弾頭も、多弾頭化も実験していないが、このコックス・レポートでは、今年中あたりで中国は実験するだろうと言っている。これで腰砕けにならずに中国が実験を開始したとすると、ナショナル・ミサイルディフェンスというアメリカの動きは非常に強くなり、中国との間の冷戦的雰囲気を持つ人がアメリカの中で増える可能性はあるだろう。


〔 岡部委員 〕 ASEAN地域で安全保障に関する研究者から、日本の仮想敵はどこかという質問を受け、「特定の国という意味での仮想敵はない。日本にとっての一番大きな課題は、日本自身がこれからどういうふうに立ち直るかである」ということを繰り返し言ったのだが、理解を得ることができなかった。外から見た日本と中から見ている日本とでは随分違うということである。

 それから、「脅威」であるが、中国が一連の核実験をする以前の段階の話で、中国の某将軍が、フリーマンというアメリカの元国防次官に言った言葉として伝えられていることがある。その当時、中国のICBMはアメリカの西海岸には届くと考えられていた。「アメリカは、1つのロサンゼルスを失うことに耐えられるか。中国は、幾つものロサンゼルスを失うことに耐えられる」ということを言った。これは中国側がからすれば、「中国は既に最小限の抑止力を持った」という宣言であったととれる。そうだとすると、アメリカもそう簡単に安心はできないということになろう。


〔 河上室長 〕 「北京週報」という雑誌だが、これはどういうたぐいの雑誌なのか。ある程度、政府のお墨つきがあるようなものなのか。

 競争的協調主義については非常に興味深く思った。私自身、10年前、ワシントンに駐在したり、昨年までモスクワ駐在の経験を通し、全く同感である。アメリカは、少なくとも80年代は、2国間関係において、ソ日中の順であったろう。90年代に変化しているのは、中ロが同率の1位ぐらいで、日本は優先度の多少低い3番目ぐらいではないか。ロシアから見ると、80年代、90年代を問わず、米中、3、4がなくて日独仏ぐらいと思う。ロシアの場合、政府間委員会の議長のランクを見ると、優先順位がよくわかる。中国の場合、「戦略的パートナーシップ」、「建設的パートナーシップ」とか「友好的パートナーシップ」とか、いろいろな言葉を使い分けている。その修飾語の中に国としての2国間関係の優先度が含まれていると考えていいのか。あるいは、他に、ロシアと同じように2国間関係の優先度を見るようなヒントはあるのか。

 次に、「重層的地域枠組みの展開」について、今後はどういう方向に行くのか。10年、20年、50年後の「であるべき姿」、あるいは結果的に「なるであろう姿」として、どういう方向に行くのか。例えばヨーロッパと同様のNATOとかEU的枠組みができるのか。できるとすれば、それは何年後ぐらいになるのか。その中で、特に日中協力の役割についてどうお考えになっているか。「重層的地域枠組みの展開」、あるいは、グローバルな関係の中でも米中関係の不安定性が一番の不確定要因である。その場合、日本の役割は一体何なのか。


〔 田中委員 〕 「北京週報」は、かなり公的である。基本的には中国語の読めない人向けの公式週刊誌というような位置づけだと思う。最近の編集方針等はややリベラルになっているが、対外向けの宣伝誌で、おおむねは人民日報に載ったものの翻訳などを掲載している。 それから、競争的協調主義の場合、パートナーシップという言葉がいろいろ出てくる。相手がどの国についてどのような位置づけをしているのかを知るにはいいが、特に中国の用いる言葉の遊びのようなものに日本人が振り回されるのはやめたほうがよいと私は考える。中国側が用いる言葉の中でも少しでも高い地位に上がりたいなどという願望を日本人が持つというのは、いささか不健全であり、言葉の遊びは気にする必要はないだろう。


〔 河上室長 〕 結論としては、中国から見て、米ロ、3、4がなくて日本ぐらいだと思っていればいいか。


〔 田中委員 〕 そうだろう。中国人はアメリカを崇拝しているので、アメリカがとにかく1番だと思う。ロシアにとって米中と、すぐ中国にいくのかどうかはよくわからないが、ロシアにとってみると、やはりドイツなどヨーロッパのほうが大事なのではないか。

 それから、今後の地域的枠組みが20年、30年後にどうなるかは、よくわからない。しかし、APECは「2010年で先進国は自由化する」と言っているので、そのとおりになっていくとすれば、相当進むということだろう。その中で日中関係がどうなるかは、岡部委員の4つのシナリオのどれが実現するかによってだいぶ変化する。また、アジアがヨーロッパのようになるのであれば、やはり中国で安定的な民主制が樹立されなければいけない。そのためには、おそらく「七つの中国」ぐらいで安定的な連邦制のようにならないとうまくいかないのではないか。

 日本の役割は全くよくわからない。中国との関係は、リーダーシップなどといっても、日本は中国に「この地域では、パワーポリティクスという話で国際政治をするのは古いから、やめよう」と繰り返し言うことが、役目としていいところではないか。


〔 岡部委員 〕 最後の日本の問題に関して言うと、実はパートナーシップという言葉を提案したのは日中友好21世紀委員会である。中国の文献を見ると、大国間の関係で一番密接なのは同盟関係、その次はパートナーシップ関係で、同盟でもパートナーでもないのが、一番下のレベルの関係である。中国は、アメリカやロシアやフランスとは、みんなパートナーシップで、日本は、中国の用語の中で一番下のところにいて平気な顔をしている、自分たちの言うことを聞いてくれる国となってしまう。それを防ぐため、こちらから提案した。

 中国から日本を見ると、日本はやはり非常に重要なのである。重要であり、かつ、脅かせば何でも言うことを聞いてくれるという物の考え方があった。それでは平等な関係はできないため、私は日中間の話し合いがあるたびに、中国の対日政策を批判する役割をみずからに課している。私が批判的に言うと、中国側は私のことを非常に信用してくれるようになる。彼らには、なまじお世辞なんかを言ったやつは全然信用できないという考え方がある。したがって、日本も、いつまでも謝る、言われたとおり金は出す、そういうことはもうしてはいけない。対中政策の基本方針を策定し、それに基づいて動くということをしないと、日本の立場はなくなる。

 これは、同様にアメリカに対しても言える。アメリカは日本を非常に重視していると私は思うが、にもかかわらず非常に軽視されているように見える。それは、要するに、日本は、事前に何の相談がなくても、アメリカをすぐ支持するという受け身的であるということで無視されている。だから、少しぐらいここで強く出たほうが、むしろ同盟関係にとってはいいのではなかろうかと考えている。

 それから、詳細にはふれないが、アジアがNATOとかEU並みになるというのは 100年後と考えている。


〔 原 座長 〕 東京大学の東洋文化研究所で、今年、ある1人の教授が定年退官になった。中国の思想史(孔子、儒学、道教等)専門の先生だが、彼が書いている本の中で、「中国の思想の特徴は、他者に対して全く無関心なことである」と断言されている。それが、自国中心主義とか、様々なことにつながっているのではないか。田中委員が昔書いた名著「新しい『中世』」という本にも、日本が一番つき合いにくい国が中国だというようなことも書かれていたように思う。

 一方で経済の話だが、アジア開発銀行の「エマージング・エージア」では、1820年、19世紀初めに世界のGDPに対して占める割合が、中国は17〜18%だった。インドが10%で2位である。それが、産業革命が起こって1940年代ぐらいにアジアは沈没した。そして、またアジアが成長を始めて、もとへ戻りつつある。ADBは、1820年にアジアを合計すると全世界の57〜58%のGDP、2025年にそこへ戻るだろうと予想している。その時、一人当たりGDPではなく、国全体のGDPであるが、中国は14〜15%の大台になる。おそらく、21世紀半ばまでに、中国が非常に大きな経済的存在となることは間違いない。

 一方、一番近くにあって、他者に無関心である国とどうつき合っていくのか、これは非常に難しい問題だろう。