財務総合政策研究所

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6.シンポジウム(3月12日)

「通貨・金融危機を踏まえてのアジア経済の展望 経済支援のあり方」

(1)経済支援のあり方 開発援助

東京工業大学社会理工学研究科教授
渡辺利夫


 [1] はじめに

 アジアは、経済危機の真っ只中にあり、ODAというのは少しのんびりとした話となるのかと思うが、過去2年ぐらいの間に私自身が関係してきたODAに関する仕事との関連で、日本のODAをどういう方向に持っていったらいいかということについての私見を述べたい。

 一昨年、外務大臣の諮問会議の1つとして、21世紀におけるODA改革懇談会という組織が外務省内に設けられ、河合三良氏が座長で、私もメンバーに指名された。承知と思うが、一昨年の6月に財政改革についての閣議決定がなされ、すべての歳出項目で対前年比を上回ることはないということになった。ODAについても、集中改革期間においてはまさにそのとおりであり、3年連続で減額していくことになった。平成11年度のODAの一般会計予算を見ると、すべての歳出項目中最大の削減率であり、例えば、公共事業予算は7%減であるが、ODAについては10%を超える減少となった。こういう時代状況の中で、ODAに関連する仕事を持っている人たち、もちろん外務省の経済協力局などもそれに入るが、そういった人々の間に非常に強い危機意識が生まれてきたと思う。そして、そういう志が反映した結果、先ほど言った懇談会という形になった。

 財政改革については、閣議決定が既になされており、財革法の成立に向けて全体の雰囲気がそう盛り上がっているなかで、ODAの増額をしろというような要求はもちろん通るものではない。そこで、ODAの質の向上を徹底していかなければならないという、ある種の理論武装というか、思いのたけをもってこの懇談会に、私は臨んだ。確かに、振り返ると、ODAは防衛予算と並び、着実な予算増を認められてきており、この予算増をベースにして援助メニューを多角化する方向に動いてきた。このため、効率性の向上、あるいは業務の見直しという議論はあったにはあったが、どうもこれが本気になれなかった。逆に言えば今、こういう時代状況の中でそれを徹底してやるということには大いに意味があると思い直して、その議論に臨んだ。

 懇談会では、多くの議論があったが、その中で最重要のポイントは、国別援助計画の充実ということである。報告書のこの点に関する文言を読んでみると、「ODA改革の基本は、個々の国についての国別援助計画を充実させることであり、その上で、援助予算の制約の中で重点供与国や重点分野をより明確にしていく必要がある。」というものである。国別援助計画は、JICAを中心に行われており、10年ほどの来歴をもっている。私自身も数年前、バングラデシュについて、この国別援助研究会をやったことがあり、石川滋先生は最近、ベトナムについて、恐らくは今までの国別援助計画の中で最も優れたものを、出されている。そして、ここ1年半ばかりは、第2次の中国国別援助研究会の仕事をしており、以下、私のやった仕事の関連で中国を事例に国別援助計画、つまり、国別援助の方針、対中ODAの方針ということについて述べる。


 [2] 第一次中国国別援助研究会

 まず、第1次国別援助研究会についてふれると、大来佐武郎先生が座長で、89年にJICA内部に設置され、最終報告が出たのが91年12月であった。第1次研究会が発足した89年は、6月4日に北京で天安門事件が起こった年であり、この市民、学生に対する中国政府の対応に、西側が非常に衝撃を受け、中国に対する公的資金の供給には非常に強い制約が課せられた。対中の海外直接投資も大きく減少し、中国の対外解放政策に赤信号が灯された時期である。しかも、この時期、中国のマクロ経済は大変不安定性を示していた。改革、解放が始まったのは79年であるが、そこに至るまで大変な高成長が続いており、この高成長がインフラのボトルネックに逢着する。そして、建国以来最高のインフレ率になってしまった。しかし、当時の中国にはインフレをコントロールする財政金融メカニズムは限られており、残されているのは、直接的統制、つまり、賃金とか、物価とか、銀行貸出を統制する、言ってみれば行政的なコントロール(これは中国の一番お得意なもの)であった。これにより、インフレは制圧されたが、同時に成長率が非常に落ちてしまい、いわゆるオーバーキルの状態にこの年陥った。まさにこの時期に、第1次の研究会が発足したわけであり、対中ODAの方針というものも自ずと決まった。その方針は3つほどあり、1つは、改革・解放路線支持、もう一つは、経済安定とインフレ抑制、それから、インフラボトルネックの解消という当時の中国の現状からすれば、時宜を得た提言であったと思う。

 そして中国は、90年を少し超えるあたりで調整を大体終え、92年春節に、有名な南巡講話というのがトウ小平によって出され、以来再び中国は超高成長路線に乗っかって今日まで突っ走ってきた。この間、インフレの再燃があったが、適切な引締め政策が功を奏して、96年以降は低インフレ・高成長という望ましいパターンが続いていると言っていいと思う。92年以降、天安門事件後の中国に対する国際的な逆風もおさまって、最近は若干減速が見られるが、非常に大きな対中投資ブームが現出しており、その面でもほぼ順調と評価できる。このように、大来先生の第1次研究会の中国の現状分析、並びにそれに基づいた政策提言の正しさは、事実によって証明されたと評価してもよいと思う。特に、経済発展のボトルネックであったインフラのボトルネック解消という面で、この間の日本のODAは、率直に言って非常に大きな貢献をしたと言っていい。


 [3] 第二次中国国別援助研究会

 第1次研究会が提言をして以来、ずいぶん長い時間がたっているが、また別の問題があらわれつつあると言ってよい。これは高成長にもかかわらずというよりも、むしろ高成長の結果とも言いうるものであり、したがって、従来のものとは多少なりとも違った対中ODAアプローチをしていかなければならないと考えている。冒頭に言ったように、何よりも日本自身のODA資源が底を突いてきていて、日本側の要求からしても、新しいアプローチを編み出さなければならない、こういう時点に我々は来ており、第2次研究会では、いろいろな知恵をめぐらしてきたわけである。

 これまで日本の対中ODAの多くは、エネルギー供給部門(電力中心)と運輸部門(鉄道、道路、港湾)、つまり産業インフラ部門、これに重点的に向けられてきた。これは、中国の改革・解放以来の高い経済成長がインフラの供給率、増加率を大きく上回って、スムーズな経済発展を阻むボトルネックになってきたからであるが、このボトルネックというのは、中国の成長があまりに高過ぎることによって起こっているところが少なくなく、インフラの供給力に応じた経済成長率それ自身を抑制していくという中国の努力は多分に必要である。しかし、これは我々の言うべきことではなくて、中国のやるべきことである。加えて、中国のインフラの建設能力は現在では決して低いものとは言えない。ちなみに、長江で今建設中の世界最大の出力を持つ三峡ダムの技術あるいは資金のほとんどは国内から供給されており、もちろん、外国からの資金や技術の協力もあるがこれは極めてマージナルなものである。ましてや、道路、鉄道、港湾、発電所といったインフラであれば、中国が経済成長率をもう少し抑制するという条件が満たされるならば、国内で供給可能だと我々は判断している。もしそうであれば、日本のODAはこのような中国の自助努力によって建設可能な分野からは、一挙にというわけにはいかないが、少しずつ身を引いていく。そして逆に、中国の自助努力によっては困難な産業発展上あるいは生活福祉面からみてどうしても必要な分野に、日本のODAを集中投入すべきだ、というのが我々第2次研究会の基本的な精神である。

 こういう精神に基づいて、我々は、新しく対中援助の分野を、今までとは違って、もう少し重点化、集中化していこうということとなった。そして、その分野として設定されたのが次の分野である。1番目が、アブソリュートポバティー、つまり絶対貧困の解消、2番目が、環境保全、3番目が、農業・農村開発、4番目が、制度化された、あるいは規範化された市場制度の確立である。そして、特に絶対貧困の解消、環境保全というところに重点を置いた。これらは共に巨大なテーマで、これに対応する日本のODA資源自身が縮小していく局面にある。エイド・ファティーグ、援助疲れという言葉があるが、日本だけは、欧米先進国の中でその例外的存在であったかのように言われてきたが、日本自身もファティーグについにかかってきている。むしろ、他の先進国よりも深刻かもしれないとさえ思わる。そういう意味で、重点プロジェクトのモデル化、それから、モデルへのODA資源の集中投入、それから、モデルの周辺への開発効果のスピルオーバー、こういった3段構えで対象にアプローチしていくことが必要ではないかと考えている。例えば、絶対貧困の解消という面で言えば、貧困救済のためのモデル農村をつくっていく。環境について言えば、環境開発のモデル都市構想をつくり出していくことが必要だろうと思う。

 貧困救済については、今日述べる時間がないが、1つの例として、環境モデル都市について、話を進めたいと思う。


 [4] 日中環境モデル都市構想

 中国の環境問題は、大気汚染、水質汚濁、固形廃棄物の処理(生活並びに産業のごみ処理)、いずれの分野からみてもこれは聞きしにまさる状態である。中国の今の高い成長率が続き、なおかつ相当の政策的努力が傾注されない以上、取り返しのつかない悲劇が中国の全土で発生するとみなされるだろうと思う。エネルギー消費の増大に伴い、大気を例に言うと、硫黄酸化物、窒素酸化物、二酸化炭素などの排出量が劇的に増加を続けている。承知のように、硫黄酸化物は酸性雨の原因となって、国内はもちろんのこと、海外にも深刻な影響を及ぼしている。日本の酸性雨被害の4割は中国に淵源をもつものだという、かなり信頼に値する推計があるほどである。中国政府もようやく、環境問題の重要性についての認識をもつようになってきているが、中国の地方政府、あるいは企業、あるいは住民にとってはまだ、経済開発の優先度が圧倒的に高い。環境保全は、その意味では副次的な重要性しかもっておらず、中国は貧困からの脱却が最大の課題となっている。

 環境問題が深刻化した要因を5つ挙げる。1つは、中国は、承知のように重化学工業路線を建国以来しいてきており、重工業化率は、長い期間開発途上国のスタンダードを大きく上回ってきた。2つ目には、重工業部門の立地構造であるが、これは毛沢東時代の国防上の必要性からして、内陸部に設置されており、そうした立地構造は現在でも、基本的には引き継がれているという問題がある。3つ目には、重工業の1次エネルギーは、その豊富な産出量を反映して石炭である。4つ目には、石炭の利用効率は、旧式機械・設備の故に際立って低い。それが故に、単位生産に要する石炭消費量はおのずと大量にならざるを得ない。例えば、中国の鉄鋼工場における粗鉱生産1tを生産するに必要な石炭消費量が1.6tと、日本の0.8tの2倍となっている。5つ目には、石炭が主要なエネルギー源であるが、その石炭の硫黄含有率はかなり高く、それが故に硫黄酸化物の排出量は既に許容範囲を大きく超えており、酸性雨などや健康被害が続出している。

 これらの要因から、大気汚染が内陸部を中心に広大な中国全土に及んでおり、到底、日本のODAがこの問題のすべてに対応できるはずもない。そこで、ODAを供与すべき地域を前提して、ODA資源を集中的に投入する。そこで実現される環境保全の仕組みを周辺諸都市に波及させていくようなメカニズムを何とかして作っていくというのが、日中環境開発モデル都市である。この都市の典型が、重慶直轄市であり、貴陽(貴州省の省都)である。こういったところをモデル都市にして、日中共同して総合的な環境対策をここで展開することとなる。


 [5] 環境保全メカニズムの波及

 そして、モデルとして設定された都市がクリーンになったところで、その仕組みというものを周辺に及ぼしていくメカニズムを創出するということとなる。そして、その基本的メカニズムは次のような5段階のものになろう。1番目は、適切な環境基準値を設定して、汚染発生源に対して、その汚染の防除を義務づける。2番目に、基準値を適正なところに設定することにより、環境関連機器に対する内需が創出される。3番目には、この内需に応じて低コストで中国の実情に見合う汚染防除機器の生産を促す。このあたりに日本の技術あるいは資金の協力が必要だというメカニズムにもなろうと思う。4番目に、その結果として、環境対策投資が経営合理的なものになる。5番目に、最終的には広大な内需を目指した環境関連産業の設立。そして、それに伴うマクロ経済効果が同産業に波及。こうしたメカニズムがうまくスムーズに展開するかどうかが、そのモデル都市構想の成否を握るポイントだと思う。

 今述べたメカニズムは、中国でも部分的には動き出しており、その典型例として注目したのは電気集塵機である。大気汚染を例に述べると、中国の大気汚染は硫黄酸化物と煤塵の2つによって代表されるが、近年において、硫黄酸化物の防除率は発生量の23%にとどまっているが、煤塵の防除率は近年で94%に達していて、ほぼ解消されている。それは、国産の電気集塵機が低コストで大量供給が可能になったからであり、どうして大量供給が可能になったかというと、発生源にその防除を義務づけたからである。つまり、84年に、煤塵の主要発生源、10万キロワット以上の火力発電所に対して、脱塵装置の設置を法的に義務づけ、これの施行を厳しく要求したということである。これによって、電気集塵機の内需が非常に大きく広がっていった。これは技術的にはさしたるものではないが、ポイントになる技術をアメリカとスウェーデンから中国のエコビジネスが導入した。そしてその企画から製造について成功し、これはもう輸出段階に入っているというメカニズムがある。こうした、低コストの電気集塵機の国内大量供給を可能にしたメカニズムが、汚染水の処理、あるいはごみ処理、固形廃棄物の処理等にもうまく活かせないか。そして、最終的にはこれが脱硫というところにまで活かすことができないかと思っている。

 石川先生などがずいぶん以前からやられていたインターメディエート・テクノロジー(中間技術というか、当時はアプロプリエート・テクノロジーつまり、適正技術──先進国のそれほど高度なものではなく、開発途上国の実情に見合う、先進国のスタンダードからすれば非効率的ではあるが、しかし、その分だけコストが非常に安い)、こういったテクノロジーの必要性は、環境分野ではどうしても活かされなければならない。そういうものでなければ、周辺モデルがモデルとして終わってしまう。

 開発途上国援助についても、今まで、モデル構想というのは何度も出てきているが、これが本格的に展開され、結果的に成功したというケースは非常に少ない。その原因は、分野によっていろいろであるが、大ざっぱに言うと、新たにモデル地区なり、モデル対象に導入された技術というものは、伝統的な技術に比べれば高度で複雑なもの過ぎるということが1つあると思う。つまりその技術が体化された機械なり、設備なり、あるいはインプットというものが値段が高い、扱いも難しい。その設備なり、機械なりの管理維持がなかなか難しい。したがって、開発途上国にそれらを導入するインセンティブは少ない、ということがどうやらポイントではないかと私はみている。そういう過去の経験に照らして言えば、特に環境の面では、インターメデエート・テクノロジーと言うと曖昧な表現であるが、そういったものを編み出していかなければならない。中国というのは大変厄介な国であるが、同時に、個人ミクロで言えば大変知恵のある人間の住んでいる社会であり、そういったことをだんだん編み出していける可能性はあるだろうと思う。


 [6] 日中環境開発モデル都市構想日中専門家委員会

 1997年の秋に、当時の橋本総理が中国を訪問し、当時の国民総理・李鵬氏と会い、21世紀に向けての日中環境協力について合意をした。その合意の内容は2つあって、1つは、中国の100前後の諸都市に環境モニタリングネットワークを作り、そのモニタリタングネットワークの技術協力や資金協力を日本が行い、そして、これらの諸都市を東アジアのモニタリングネットワークとリンクさせるという構想があって現在、それは検討されている。そして、もう一つは、日中環境開発モデル都市構想である。それ以来動いており、中国側からプロフェッショナルが10人ちょっと、日本側からも10人ちょっと選ばれて、日中専門家合同委員会をつくって、私が日本側の座長となった。来月には、合同委員会が東京で開かれて、そこで最終プランを両国政府に進言することとなっている。そして、モデル都市として、最終的には4月に決まるが、重慶の環境汚染発生源の非常に集中しているエリア、貴州省の省都貴陽、それから大連となる。対象分野は、大気汚染となるが、条件の整ったものについては水質汚濁も含まれることとなる。

 最後に、中国の環境汚染あるいは環境破壊を押しとどめていくことは容易ならざる課題であるが、このテーマに日中共同して取りかかっていき、いささかなりともシステマティックな窓口が開かれたということで、中国のことを考える人間の一人として、多少なりともの自負をもっているということである。



(2)経済支援のあり方 金融支援

国際通貨基金アジア・太平洋地域事務所長
斉藤国雄


 [1] はじめに

 私のテーマは「金融支援のあり方」となっている。これは、突き詰めれば国際通貨体制をどうするかというテーマにもつながり、今まさに喧々囂々論議されているところである。今回は、現体制はどうなっているか、それを少しでも改善するにはどうすればいいかというところにフォーカスを置いて報告したい。そして、金融支援とは何か、金融支援はどうあるべきかということについて、私なりの考え方を整理して述べ、その過程で、金融支援は経済支援、開発援助とどう違うか、あるいは両者をどう関連づけるべきか、そうした問題についても考えてみたいと思う。


 [2] 金融支援の形態

 まず初めに、ここ数年実施されてきたいろいろな形の金融支援を、具体例を挙げて展望することから始めたい。金融支援は、資金源からいうと大きく分けて3つあり、金額の大きい順に第1位がIMF、第2位が世銀、アジア開銀等の地域開発銀行、第3位が日本等バイラテラルの資金である。第1位のIMFの貸出しは、金融支援では一番大きく、IMF自体の資金だけではなくGAB(一般借入取極)あるいはNAB(新借入取極)を発動して、借りた資金を使って支援を行うものを含む。後者については、最近では、去年のロシアの例がある。第2位の世銀、アジ銀等の地域銀行については、その全体のローンというわけではなく、クイックディスバーシングスローン、セクターアジャストメントローン、プログラムローンと呼ばれ、準備期間が比較的短く、かつディスパースメントの早いものが対象になるものである。第3位のバイラテラルの資金については、これは2つのカテゴリーに分かれるが、まず最初のカテゴリーは、数カ国の協調融資であり、これの例としては、去年のタイ、インドネシア、韓国が一番我々の記憶に新しいところである。第2のカテゴリーとしては、基本的には1カ国でやる方式である。これもまた3つに分けられるが、1つ目は、一番制度として完備している輸銀のIMFとの並行融資である。これは根っこのフレームワークはでき上がっており、その個々の国への適用については比較的早く輸銀とIMFで協議でき、また実行できる体制ができていて、我々IMFの方では非常に感謝している。2つ目は、これは世銀、アジ銀のクイックディスバーシングローンに、日本の輸銀あるいは基金がコファイナンシングをする方式である。3つ目は、その他ということで、例としては、メキシコが95年に危機に陥ったとき、アメリカの財務省が一国ベースで出した。あるいは、小さな国の例であるが、パプアニューギニアがIMFと取り決めをしたときに、オーストラリアの財務省が融資をした。さらに、もう1つの例としては、92年か93年だったと思うが、インドがIMFから借りたときに、日銀とバンクオブイングランドが金担保で融資をした、そういう例がある。

 資金源から分けると以上の3つであるが、別の見方からすると、金融支援の中にはブリッジファイナンシングを入れてもいいと思う。これは危機の最中、IMFの資金が出るまで待てないということで、IMF融資実施までの1日か2日の間をブリッジファイナンシングする。これは97年12月、韓国の例があり、日本銀行がブリッジファイナンシングを非常に短期間行った。また、そのほかの例としては、債権者によってはアリアがあると貸せないという状況を回避するために、短期間のブリッジファイナンシングをするという方式であり、カンボジア、ベトナム等についてそういうケースがあった。

 金融支援の1つの形態としては、パリクラブを通じての公的債務リスケ、あるいは民間債務のバランタリーベース、あるいはIMF等が中に入り民間債務のリスケ等がある。これも金融支援の一形態であり、重要な部門だと思う。

 実際の金融支援は、いろいろな資金の組み合わせである。最もよく見らるパターンは、IMF主導型とでも呼べるが、それはまずIMFの資金を中心として、世銀、アジ銀、バイラテラルの資金、さらに必要に応じてブリッジファイナンシング、債務のリスケを加えてパッケージを作るという形である。具体的な例としては、タイの例があり、これは国際機関3つに、アジアの国がIMFとのいわば並行融資をしたものであり、これは完全に実行された。インドネシア、韓国についても、第2線準備としてバイラテラルのアレンジメントがあったが、これは実行されなかった。このように国際機関3つとバイラテラルという組み合わせが多いが、ほとんどバイラテラルは日本であり、つまり、輸銀や基金となるが、その四者構成が一番よく見られる形である。

 IMF主導型でないパターンとして、これは数は少ないが、世銀主導型あるいはアジ銀主導型の金融支援もある。これはいろいろな事情で、IMFがプログラムを作らないときに、世銀、アジ銀がセクターアジャストメントプログラム、つまり農業部門、工業部門、金融部門の構造改革のプログラムを作り、世銀なり、あるいはアジ銀なりを中心としてバイラテラルを加えて金融パッケージを作るというものである。ここで付け加えると、この場合も、一応IMFの非公式な了解が必要となっている。しかし、これは私見であるが、世銀、アジ銀等の融資及びそれに伴うコファイナンスは、融資実行までに時間がかかることがあり、その意味で、金融支援の目的にそぐわない面があると思う。また、逆に、世銀、アジ銀の融資は、非常に開発支援に近い性格ももっているので、経済安定から経済再建、経済発展へのつなぎに大きく資する面があると思う。

 金融支援のもう1つの形として、国際機関を介さない金融支援があり、これは二国間スワップ、あるいはレポアレンジメントである。ただし、これまでに発動されたものは非常に小規模で、インドネシアの危機の当初、日本、シンガポールがスワップを支援したのが1つの例である。また、アジアの中央銀行の間でレポのアレンジメントがあるが、これ未発動である。それから、宮澤構想の一部も非常に金融支援の性格の強いものであると理解しているが、特に最近、韓国との間で合意のあった日韓スワップは、また未発動ではあるが、これも金融支援の1つの形だと思う。


 [3] 金融支援の定義と目的

 次に、金融支援の定義、目的ということに焦点を当ててみたい。金融支援の対象国は、国際収支上困難に陥った国、あるいは国際収支危機に陥った国である。そこが、いわゆる開発援助と一線を画するところだと思う。

 さらに、目的は、危機収束、経済再建のための政策調整を支援することで、その手段は、中短期の外貨融資を行い、外貨準備を補強することと定義できる。具体的に述べると、金融支援は2本立てで、1つは経済調整および構造改革のための政策の作成、実施である。これはIMFの場合ではIMFプログラム、世銀、ADBの場合はそれぞれのセクターあるいは構造改革プログラムである。もう1つの柱は、狭義での金融支援、つまり中短期の外貨融資と整理できると思う。

 もう少し、詳しく述べると、金融支援の目的は、2つある。第1は、支援パッケージの作成、実施、あるいは実施するという強い意思を表明し、同時に外貨融資を行って外貨準備を増やす。その一連のアクションのアナウンスメント効果をねらう。政策はまだ実施されたわけではないが、その実施について意思表示があり、またIMFを中心としていろいろなところから資金が入って外貨準備が増えることになれば、市場筋は安心する。そういうアナウンスメント効果が非常に大きな目的の1つである。第2は、もっと実質的な問題で、外貨融資を受け、その資金を利用して、短期債務の返済を滞りなく行う。同時に、我々がよく言う政策支援をする。政策支援というのは、具体的な例としては、そうした融資がなかったときは財政再建のために補助金を大幅に削減しなければいけないが、融資を受けると、補助金削減が少なくてすむ、というようなことを指している。

 また、別の見方をする、金融支援の目的は、為替市場、金融市場の安定であり、経済の安定である。経済安定は、当然、それに続いて経済再建、経済発展があり、経済安定から経済発展につなげる、すなわち、金融支援を開発支援にうまくつなぐということが、特に後進国の場合は重要であると思う。


 [4] 金融支援の特徴

 次に、金融支援の特徴を4つに整理する。第1の特徴は、経済あるいは国際収支危機の打開のための政策調整を支援する、あるいは政策調整を行うこと、つまり、IMFプログラム等の採用が支援の条件となっていることである。また、IMF資金あるいはIMFとの並行融資は、いわゆるトランシェに分かれていて、それぞれのディスバースメントは政策目標が達成されていることが条件になっている。

 第2の特徴は、あくまで危機対応のための支援であるから、支援パッケージの作成、あるいはディスバースメントが非常に短期間に行われる。オーソドックスな開発支援というのはプロジェクトの準備等時間がかかるが、この点は開発支援と金融支援の1つの大きな違いだと思う。

 第3の特徴は、その資金額が非常に大量であること。タイの場合は170億ドル、韓国は580億ドル、インドネシアは420億ドル、そういう大きな金額をインボルブした。金利は商業ベースであり、返済は短期あるいは中期ということとなっている。但し、ブリッジファイナンシングは、超短期となる。また、金融パッケージに入っている世銀、アジ銀等のローン及びそれへのコファイナンスは長期である。

 第4の特徴は、借り手側の立場、交渉力が圧倒的に弱いということが言える。その理由は2つ考えられるが、第1の理由は、借入れ要請が遅れがちである、つまり、危機発生後、相当の時間を置いてIMFに、借入れ要請が行われることである。典型的な例としては、借入国は国際収支が弱くなっているにもかかわらず、為替レートを高めに維持しようとする。あるいは、ドルペッグを維持しようとする。その結果、使用可能な外貨準備を使い果たし、また国の借入能力いっぱいまで民間銀行から借り入れている。つまり、借入国は経済的にも、また資金繰りの面からも行き詰まった状態になって、IMF以外に頼るところがないという状況で、支援要請をする。そういう情勢であるから、当然、借入交渉は非常に弱い立場から始めることになるというのが一般的な例である。第2の理由は、世銀、ADBを含めて他の国際機関、バイラテラル等もそれぞれの貸出し、あるいは貸出し再開の条件として、IMFとの合意を挙げていることだといえる。また、公的債務、民間債務のリスケもIMFとの合意が条件とされていて、借り手側としては、IMFとの合意がなければパッケージもできない、リスケもできないという状況である。

 ここで少し注釈をつけると、IMFがこれだけ力をもっているということを、新規加盟国にはなかなか理解してもらえない。私が経験したところで、例えば、モンゴリアは1991年に加盟したが、その段階で、マーケット経済に移行し、国を発展させるためには、海外からの資金が必要となった。その場合に例えば、海外の学者グループからそのネットワークを使って資金を調達する等の提案があったり、あるいはモンゴリア側からも、民間銀行等へのアプローチが行われた。しかし、いわゆる金融支援という形の大きな資金をモビライズする話になると、責任ある機関つまり、IMFの反応を確認することが必要となり、最終的にIMFに要請したという経緯がある。

 もう1つ注釈を付け加えたいのは、IMFと付き合うとどうしても交渉力の点で自分たちが非常に弱く、できれば避けたい。そういうことが、また借入要請が遅れる、危機が悪化する原因となる。そのあたりの考え方が、後ほど述べる国際通貨体制、国際金融体制あるいは金融支援のあり方を変える必要があるという議論にもつながっている。


 [5] 金融支援の技術的問題点

 金融支援の技術的問題点を、4つ述べてみたい。第1の問題は、いわゆる国際収支ギャップの測定である。支援パッケージの額は、国際収支ギャップによって決まるが、ギャップの大きさはパッケージによる市場安定の効果、つまり、IMFを中心とする融資が市場をどれだけ安定化して、資本収支がどれだけ改善するか、その見方によって大きく変わる。また、ギャップを決めるにあたっては、どれだけ支援を得られるか、つまり、サプライサイドの方の判断も大きく影響するということで、機械的には非常に決めにくいという問題がある。典型的な後進国のCG(コンサルタンティブグループ)では、ある程度、メカニカルにファイナンシングギャップを測定することができるが、金融支援の場合の資金必要額の測定には時間もかかりいらいらするという状況になり、テクニカルに非常に難しい問題がある。具体的な例を言うと、97年8月に東京でタイ支援国会議があった。そのとき、IMFスタッフは当初、140億ドルぐらい支援国に依頼したが、実際には、100億ドルぐらい集まるかなと思っていた。最終的には支援国のプレッジは170億ドルということになった。このように支援額の設定は、非常に難しい面がある。

 第2の技術的問題点としては、プロシージャーの難しさであり、具体的には、バイラテラルで支援パッケージに参加する国とどういうふうに付き合っていったらいいのかという問題である。いわゆるIMFプログラムは、IMFと借入国の交渉によって決まるが、このときのIMFというのは、マネージメントとスタッフで、理事会は直接の交渉担当者ではない。しかし、最近のケースでは、IMFの出す資金に比べて、バイラテラルからの資金が非常に大きくなった。そしてバイラテラルの方から、日本を含め、もっと交渉内容を報告してほしい、あるいは交渉の条件もできれば相談してほしい、という希望があり、また、それをやっていないことに対する不満がある。これにどのように対処していくかというのが、IMF、及びIMF参加国両方が抱えている問題である。

 第3の問題点としては、プログラムの妥当性がある。プログラムの厳しさについては常に議論のあるところであるが、厳し過ぎるという批判は、通常、借入国と深い関係のある国、例えば、アジアについては日本、ラテンアメリカについては米国からなされることが多い。ただ、プログラムの交渉の過程でIMFスタッフおよびマネージメントとうまく連携がついていれば、プログラムができた段階では特に批判はない。この場合、もしプログラムがうまくいかないと、バイラテラルといえども、IMFと一緒に責任をとることとなり、ともに批判の対象になる。もっと一般的に述べると、我々IMFの内部の者にしても、IMFのプログラムの妥当性、コンディショナリティの妥当性というのは常に頭の痛い問題で、内部的には、定期的にこれを審査している。最近も、アジア参加国のプログラムの審査を行い、これは公表している。

 第4の問題は、今回の危機にあたって特に顕著になったが、民間債務にどう対処するか。あるいは、貸し手側から、民間債権の回収の動きがあるときに、IMFおよび借入国はどう対処するかという問題である。これは、今はG22、今後はG33になるが、そういうところを中心とするアーキテクチャーの議論の1つの目玉である。一番の極論は、例えば、インドネシアが危機になったとき、IMFは強権を使って民間債務の支払いを向こう1カ月、あるいは3カ月止めてモラトリアムをIMFの権限で発表実行せよ、というものである。そういう議論が、1つの極論であるが存在する。ここで難しいのは、そういう具合に民間債務のモラトリアムが明確な形で出来ることになると、借り手側──この場合はインドネシア──にモラル・ハザードを起こすことであった。危機にあたって、民間債務を払わなくてすめば、何もIMFとまじめにプログラムを交渉する必要ない。それから、将来危機になっても、そういう具合にしてもらえるとなると、政策努力にいま一つ力が入らない、そういうモラル・ハザードである。逆に、民間債務に対して何もしないとなると、今度は貸し手側にモラル・ハザードを起こす。IMF資金が、例えばインドネシア、韓国に入って、その資金が、民間債務の返済に充てられることとなれば、貸し手側は安心していい。危機の一つの原因は貸し過ぎが原因だと言われているが、貸し手側は、貸した資金は必ず返ってくることとなると、ますます貸し込むこととなる。そういう意味でのモラル・ハザードがある。したがって、これは非常に難しい問題で、ただいまのところは合意はなく、いろいろな国際会議の場で議論が続けられている。


 [6] 金融支援をめぐる論争

 次に、金融支援のあり方についての論争を3つ紹介する。

 1つ目は、金融支援の改善策として、支援額増額の議論がある。先ほど、私は、支援額はずいぶん大きいと言ったが、これを借り手側からみると、まだまだ全然小さい。したがって、支援額を大幅に増やすべきだという意見がある。これについては、IMFはいわゆるサプルメンタル・リザーブ・ファシリティを1997年12月に導入し、また、資金面からも増資の完了、あるいはNABの発効等によって一応対応してきているというのが、IMFの考え方である。しかし、もっと金融支援の額を増やすべきだという意見は根強いものがあり、これは後ほどもう一回述べたい。

 2つ目は、米国の国会の一部等で、金融支援はもう全部やめるべきだ、あるいは大幅に減額すべきであるとの議論があった。この議論は、米国のIMF増資承認の過程で起こった議論であり、その論拠は、金融支援は借入国側に政策のあやまちを繰り返させるという面があり、そういう形でモラル・ハザードを起こすということである。事実、この25年の歴史をみても、ドルペッグを無理に維持し、その結果として資本流出が起こる、外貨準備の低下が起きるというパターンは、何度も何度も繰り返されてきている。今回の危機も、21世紀型と言われており、確かに新しい面もあるが、古い問題の蒸し返しという面もあり、そういう意味で、金融支援は停止すべきという意見が出たのだと思う。ただ、金融支援が全くないと、危機国の経済調整は全面的に市場に委ねられ、その調整の痛みは大変激しいものとなる。もちろん、市場に委ねるということはレートがものすごく下がるということであり、それはそれなりに経済調整の効果はある。もう1つの問題は債務問題への対応ができないことで、当該国にも、世界金融制度全体にとっても大変な悪影響を及ぼすことになる。したがって、金融支援を停止する、あるいは大幅に減額するという議論は、あくまで少数説で、現実性はない議論であると思う。

 3つ目は、金融支援には政策条件、いわゆるコンデイショナリティを付けるべきではないという議論である。この議論の行き着くところは、IMFを最後の貸し手あるいは世界の中央銀行──無条件に大量の融資をするという意味での世界の中央銀行──に改組すべきであるということである。しかし、これも少数意見と言える。そしてこの無条件で大量に資金を供給するというラインの延長として、いわゆるアジア通貨基金の議論がある。これには、いろいろなパターンがある。最も広く議論されているのは、IMFと並行して、あるいはIMFを補完する形で何らかの地域取り決め、つまりアジア通貨基金を設立すべきだという議論であり、非常に根強いものがある。


 [7] 金融支援のあり方─若干の問題点

 結論として私が述べたいことの1つは、現行の金融支援の方式にはいろいろ問題があるものの、当分続くということである。先ほど紹介した、IMF廃止、あるいはIMFの世界中央銀行への改組という考え方の実現性は薄いと言える。また、アジア通貨基金設立の議論も根強いものがあるが、これが近い将来、来年、再来年、という単位で実現するとは言い難い。現行制度が続くということは、IMFのプログラムと、IMF資金を中心とするファイナンシング・パッケージの二本立てで危機に対応する方式が続くということである。日本の立場から見れば、IMF等の国際機関への第1位、第2位の出資国として、またバイラテラルベースでの最大の貢献者として現行の金融支援体制を続けて支えていくことになる。

 2つ目として、現行方式が続くとすれば、これを改善する必要がある。これはまさに先ほど述べたG22等のニューアーキテクチャーの議論で、これは金融支援のあり方を変えるという面をたくさん含んでいる。具体的提案の例を二つ挙げる。1つは、IMF活動の透明化つまり、IMFの内部の意思決定の状況およびそのデータをもっと公表し、また主要債権者との連絡を密にする、という提言である。もう1つは、民間債務のリスケにどう対処するか、危機において民間部門をいかにベールインするか、ということだと思う。この2点とも合意に向けて議論が進んでいると思う。

 3つ目を私が強調したいのは、金融支援の柱は、政策調整、構造改革、いわゆるIMFプログラムである。政策調整、構造改革は、支援受け入れ国にとって危機収束、経済再建のかなめである。また、こういう政策調整なくしては、融資による市場安定の効果は出ない。俗っぽく言うと、政策調整なくては資金がいくらあってもレートの安定はできないと言い切れると思う。また、日本等の支援参加国の立場からすれば、政策調整による経済安定、さらに、それに続く外貨準備増加等が唯一の債権回収の保証である。金融支援には一部の例外を除いて担保はなく、したがって、政策調整により経済が回復することが債権回収の唯一の保証となる。繰り返しになるが、これに対する反論は、危機は一過性のものであり、大量の資金の供給があれば、政策調整なしで十分乗り切れるというものであり、危機に陥った国は一度はこの議論をする。しかし、こういう議論はあくまで借り手側の議論で、このベースで貸し手側が資金供給に応じた例は、私の覚えている限り、そして、少なくともアジアに関してはない。

 最後に、日本の立場からすれば、政策調整、IMFプログラム等の作成にいかに有効に関与していくかということが当面の課題だと思う。外部から見ていると、この面で、日本当局のここ数年間の進歩は目を見張るものがある。しかし、同時に政策論争の根本というか、裾野を広げる努力が必要だと思う。具体的に言うと、大使館、輸銀、基金、JICA等、海外にいる方は、現地の政策論争にもっと積極的に加わる必要がある。その場合、文化論、長期の経済戦略等も良いが、日々の泥臭い政策問題に焦点を当てて、そのレベルでのフォーカスが必要であると思う。また、そういう政策提言は、当事者感覚、臨場感あるいは現実性のあるものでなければ効果がないのは当然のことだと言えよう。

 繰り返しになるが、日本は現在の金融支援体制のかなめであり、IMFとしては、いろいろな面で引き続きサポートをお願いすると同時に、日本のますますの活躍を期待したい。



(3)アジア経済の今後の展望

一橋大学名誉教授・青山学院大学名誉教授
石川滋


 [1] はじめに

 今日の世界経済の中での途上国の位置づけは非常に大きく変わってきている。アジア諸国のこれからの動向をみようとすると、そのような非常に変化した国際経済情勢のコンテクストの中でこれを評価しなければいけないだろうと思う。その変化は、1つは、世界経済の構造的な変化、もう一つは、援助政策に関する国際機関はじめ国際援助コミュニティーの見直しの作業が急激に進んでいることである。そのような中で、今回のアジア危機の位置づけあるいは後始末の問題も非常に大きな影響を受けると思う。そのようなことについて、2、3の重要な考慮事項と思うものを述べたいと思う。

 世界の開発途上国の開発政策の善し悪しは、これまでは開発経済学が説くところの開発の必要条件が満たされているかどうかで判定されていたが、現在ではその状況からずいぶん変わってきた。従来であると、成長の諸要件は整っているかどうか、それから公正の面ではどうであるか、成長の諸条件にしても、経済システムの状況はどうであるか、資本蓄積という面からみてどのような状態にあるかといった条件が慣例的に挙げられた。この国は成長がうまくいきつつあるとか、問題点を残すといった判定、これは今日もなくなったわけでなく基底にはこれがあると思うが、それよりも新しく追加された条件が今日においては非常に重要なこととなっている。

 90年代になって貿易勘定、経常勘定の自由化、さらには資本勘定の自由化など、グローバライゼーションの線に沿う国内経済の対外統合の度合いを評価基準として、少なくとも追加的に極めて重視する新しい動向が現れてきた。この傾向の背後にある問題は、先ほど述べたように、1つは、世界の経済構造の変化であり、もう一つは、国際援助コミュニティーにおける援助政策の極めてドラスティックな見直しの傾向である。前者について述べると、今日の国際化は、1つには、途上国の貿易のGDPに対する比率が70年代以降、急激に増加していることからもわかる。貿易財でみると、貿易財の対外貿易に対する依存度は30%から40%の間まで上昇している。また、資本の方はもっと激しく対外経済に対する依存度が高まっているわけで、場合によっては、GDPの100%を超えるというようなこともありえる。その一方、ODAの比重は相対的に急激に縮小している。20、30年前までは、ODAの占める途上国に対する資本の流入は、70%〜80%を占めていたのが今は、1/4近くにまで縮小している。金額で言っても、これは最近の世界銀行の数字であるが、実質ODA額(世界全体)が、1991年の700億ドル前後から、97年には460億ドル、つまり1/3減少している。一方、民間資本の途上国に対する流れは、先ほど述べたように、急激に増大している。そこで1つの考え方は、途上国は援助に対する依存をやめて、国際資本の流れ、あるいは国際貿易の流れにいかにしてアクセスするか、そのアクセスの仕方を工夫すべきであり、そうすれば、途上国の経済成長、経済発展は保証される、という考え方である。

 もう一つ、援助コミュニティーの見直しの流れとしては、端的に述べると、これから先、援助は、良い政策をとった途上国に集中的に与えるべきである。少なくともマネーとしての援助は、良い政策をとった途上国に与えるべきであって、良い政策をとらない途上国に対してはマネーは与えない。しかし、そのかわりにアイデアを与える。アイデアは何かというと、国際化の流れに沿って発展を図ることであり、国際貿易に対してアクセスする。国際資本の流れに対してアクセスするということは、国内経済の統合の状況が如何であるかは、ひとまず後回しにして、まず国際統合の流れにベネフィットを受けるようにシステムを変えることである。それがよい政策であって、そのようなよい政策をとる国にマネーとしての援助を与えるべきである、というのが1つの援助政策の流れの中の重点的な動きであろうかと思う。

 私の報告は、「アジア経済の今後の展望」を課題としているが、問題を絞るために、今述べた動きを背景として、1つには、アジア諸国の経済の最近の動きを途上国の経済発展の善し悪しを測る基準として、慣例的な開発経済学の基準に対して新しく加えられた国際化の基準でみるとどうなるかをみることとする。もう一つは、対途上国援助の見直しの動きについて、特に世界銀行、IMFの動きを中心にして考察してみたい。私の結論的なところを述べると結局、アジア経済あるいは途上国一般の今後の展望は、国際援助コミュニティーの見直しの結果がどのように動くかに関わっている面がかなり大きい。とくに世界銀行の見直しがどのような方向に行くのか、IMFがどのような形で見直しの方向に動いているのかということである。


 [2] 開発政策の新基準によるアジア途上国の3郡

 アジア諸国を新しい基準でみた場合に3つに分類して比較・考察するのが良いと思う。ただし、アジアNIESは今回は省略し、第1はASEAN諸国、第2は中国、それから第3はベトナムその他のLLDC諸国の3つのグループの国に分けられる。

 第1のASEAN諸国は、貿易自由化、対外金融の自由化、資本勘定の自由化は既に完了しており、その結果として通貨金融危機が起こった。さらに、非常に重要なことであるが、インドネシアやタイにおいては、債務超過の企業あるいは金融機関のリストラの問題が出ている。これがどのように動くかということが、ここでは非常に問題であり、恐らく、通貨金融危機が一過性のものであるかどうかという議論を超えて、このリストラの動きが今後のASEAN諸国の経済を、これまでのASEAN諸国の流れとは非常に違った形に動かしていくだろうと考えられる。

 第2の中国は、貿易自由化に対しては努力しているが、WTOにはまだ参加できていない。経常勘定では既にIMFの8条国化したが、資本勘定は閉ざしたままであるだけでなしに、これは今開けてはいけないのであり、これによりアジアの通貨金融危機からのアタックを防ぎ得たということを明言している。

 私の最大の関心は第3の国々であり、その中の代表はベトナムである。そのほか、後に続くものとしてカンボジア、ラオス、ミャンマー。LLDCといえばバングラデシュも入るが、バングラデシュはかなり違った趣きがあるので、これは省く。そして、これらの国々はまだ、ASEANの発展段階に照らしてみると、その1960年代、1970年代の段階であり、国際社会に入ることが遅れたので、ほとんどその当時の状態のままで開発のプロセスに入る順番を待っているというところである。ベトナムの状況は、極めて初歩的な、あるいは萌芽的な近代工業をもっている段階であるが、この国が今日における国際化の流れでどのようになっていくであろうかということは、現在50近くあるLLDC諸国の前途を占うような重要な意味をもっていると考える。


 [3] アジア途上国3郡の評価


  (a) タイ

 3つのグループに分けて考察するが、その代表としてタイ、中国、ベトナムをとりあげる。まず第1にタイであるが、タイと中国は、その開発を在来の基準に沿って言うと、おおむね順調な発展を遂げてきており、この発展は、ある意味では、立派な成果だと思う。しかしながら、今日、国際化の動きの中で非常に大きいチャレンジを受けており、これまで果たしてきた順調な発展というものはどのようにとらえたらいいのであろうか。開発の初期条件からみた特徴としてタイは、他のASEAN諸国も同様であるが、土地資源が豊かで、労働力稀少型の経済である。一方、中国の方は、土地不足・労働力過剰型の経済で、経済発展の初期の歩みとしては後者の方がはるかにきびしく、前者の方が容易である。タイは、その有する国内的な資源条件が非常に恵まれていて、土地が豊かである。タイは、1856年の対英ボーリング条約で、初めて国際社会に出たが、その当時は、タイの現在のコメ輸出の基地である中央平原はジャングルで覆われていた。そのジャングルがその後の100年間、1950年代にかけて、外部からのコメの需要の拡大・発展に応じて切り払われ稲作田に変っていく。そのような輸出需要に対する供給の極めて敏感な反応の中で発展してきた。しかしながら、50年代になり、米需要の増加が少しずつ鈍化してくると、コメの代わりにメイズをつくる、タピオカをつくる、あるいはケナフをつくるということで代替的な輸出農産品をつくり出していく。やがては、それが農産加工品にかわり輸出を支えるという具合で、極めて弾力的な経済の対応が行われた。その結果、1960年代には、工業化のための前提条件ができる。そして、同じく弾力的な政策運営によって繊維工業はじめ家電・農機具・スペア部品などの工業が生れた。さらに1980年代、一時はオイルショックの影響もあったが、東部臨海工業地帯を中心としてある程度の輸出産業の基地をつくり、また石油化学を中心とする重化学工業地帯ができた。このような政策というのは、自然条件に恵まれたところもあるが、タイ政府の極めて柔軟な状況の変化に応じてそれに適応するやり方があったせいであろうと思う。その経済が1991年に始まる金融の自由化、それから、同時並行的に輸入代替から、かなり徹底した国内産業の規制緩和、並行した資本の自由化という急激な開放政策の下でブームに入り、それが、外部環境の変化もあるが、今回アジア通貨金融危機の引金を引いた97年7月のタイの危機をもたらしたということである。

 今後必要なことは、破綻に瀕した企業(あるいはその前に金融機関があるが)のリストラをどのような形でなし得るかということである。私は、最近、バンコクを訪問したが、大臣の経験もある重要な役割を演じている人など私の昔の友人に会って感じるのは、これまでタイの経済は、新興のインダストリアストが、成長のロコモティブの役割を果たしてタイの経済を引っ張ってきた。それらの人々が大多数、自信を喪失している。その自信を喪失している背景として、タイの企業の支配権、所有権が今日どんどん外国企業の手に移っているということである。例えば、ミラポンというタイの副首相によると、金融機関及び民間企業の資本不足を補填しなければならぬ状況の下で、これらの企業の所有権がどんどん外資に売られている。このままでは、アメリカなどの資本が生産設備を極端な安値で買収することになる。一方で、タイの製造工業の大規模な調査では、設備の稼働率は極めて悪く、これは資本不足と関連している。問題は、このような金融危機以後の状況に対して、援助政策の見直しがどのように関わっていくかということである。実際にタイの経済学者や政治家が述べていることを統計的あるいは実証的に裏づけるのは、必ずしも容易ではない。合併・買収という動きがどのように展開しているかということについては、残念ながら、データを得ることはできない。しかし、多くの企業が資本参加の形によって欧米(これには日本の企業も少し含まれているが)が資本参加の度合いを高めていることは、いくつかのデータがあるので明らかである。

 問題は、このような合併・買収という動きを国際化の中で出てくる経済的なエフィシェンシーの議論でどのようにとらえるかということである。恐らく、アングロサクソン的な考え方でいうと、企業の合併・買収というのは、企業の持っている経営資源がより効率的に活用される手段であり、資本参加も同じような意味をもつということであろう。しかしながら、その議論がタイの場合にどのように適用できるか。タイのように破産的な状況が一挙に大量に出てくる場合の問題点については、スティグリッツが、最近の議論の中で言及している。それから、問題として感じるのは、そのような事実が、あるいはナショナリズムの発揚を通じ、あるいはそれでなくても企業家たちの全面的な自信の喪失ということを導く場合に、この問題はどう扱ったらいいかということであり、タイの問題は、今や、そこにかかっていると言ってもいいのかもしれない。


  (b) 中国

 中国の話は、主として1970年代の終わりに始まった経済改革、あるいは対外解放の時期に限定して述べたいと思う。このいわゆる改革・解放というのは全般として非常にうまくいったと思う。実体経済の面で解放以降、目立った成果としていつくかのことが挙げられるが、その1つは、農業の生産性の突破である。あの異常な低生産性・過剰労働に苦しめられていた農業が、解放以降、生産性を急激に上昇させ、1990年前後には1人当たりの穀物生産が大体160のところでピークに達して、それから後は次第に減少しつつある状況である。したがって、中国は今や食料不足の段階は乗り超えた。シュルツが言うところの、これは農家問題の段階にあるといってよい。つまり、農業に釘付けにされていた資源を非農業の方に移していく、いかにしてそれを上手に移すかということを考えるべき段階にある。ところが、実際にはこれがうまくいかない。食料生産が増大すると、すぐ値段が激落し、逆に不足すると、すぐ暴騰するということで、食料行政は極めて難しい状況を続けて改善がない。しかしながら、その生産性の突破により、結果的にであるが農業余剰を工業化の方に、回すことができた。1つは、農村部内における工業化、これはいわゆる郷鎮企業、あるいは一般的に言う農村工業化で、輸出産業を支えたし、経済全体の成長も浮揚させた。しかし、それだけでなく、近代部門の浮揚を助けることもできた。

 近代部門においては、今日直面している問題は、FDI(直接投資)とくに工業でのそれとの関係をどうするかということである。輸出の8割以上は製造工業品であるが、その中で技術的に高次のものは、今日においてもFDIに依存することが非常に大きい。中国自身が、この状況をいかに変えるかということを考慮し、あるいは苦慮しているのが現状であろう。しかし、ここまで実体経済の面で中国が前進してきたということは評価しなければならないし、それと同時に、貨幣的な側面において、中国がこれまで実現した進歩というものも見逃せない。これを資源配分でみると、経済計画時代の資本蓄積のための資金循環は、次に示したような関係で進んでいた。これは資本蓄積の一番土台である国営企業、その生産所得が要素所得に分配される。そして、その分配のところを押さえていたわけである。つまり、利潤、税を可能な限り極大化し、そして、賃金は公定とし、労働・雇用の人数もコントロールする。こうすると分配所得の中の賃金収入部分は極小化して、古典学派の経済学が言うように、これは全部消費に回る。計画当局はここからの貯蓄を期待しない、貯蓄は利潤・税のところに期待するということであった。実際に家計所得からの貯蓄はほとんどなく、賃金収入はみな消費に回る状態であった。最低水準の消費がそれを賄った。こういう状況では、金融機関の役割というのは、財政の金庫番にすぎない。財政は、そのような計画の動きにアコモデートする形で財の配分、資金の配分をやってきたということである。このような経済であったことから、市場化する際には、資金の流れを大幅に転換しなければならない。そのような転換が84年から92、93年にかけて着実に進展してきて、今日に至った。そのプロセスは、その転換の結果分配所得で貯蓄を賄うのではなくて、市場を通して賃金収入が与えられる。その賃金収入は家計所得になって、家計の貯蓄として貯蓄に回るという、マーケットメカニズムを通ずる動きになっている。しかも、この結果においては、今日の家計所得は国全体の40%近く、国民経済全体でも40%近くの貯蓄を賄うことが可能になっている。これは非常に大きい成果であろうと思う。

 ただ、問題は、中国の場合、国営企業改革、それから、先ほど述べた金融機関の成果として貯蓄を家計から動員することには成功したが、それをユーザーの間に配分する仲介機能においては問題を残している。今、中国の経済を構成している主要な経済主体は、企業を中心としてみると、銀行を中心とする金融、財政、労働等がある。それらの間の関係というのは、市場的な関係のほかに、もう一つ非市場的な関係が重なっていて、企業は労働者をその企業一家のファミリーとして支える慣習があり、それを脱することができない。その企業がたまたま利潤を上げると、財政が、通常の税金というルートを通じてでなく、強制的に収奪する。そのかわりに、企業は金融から、いわゆる柔らかい予算制約でいくらでも金が借りられる。その金融に対しては、財政は、政策金融で助けてやる。今日、金融機関の行っている貸付の1/3は政策金融だと言われている。さらに、政権がそのような全体の関係を支えているというような非市場的な関係があって、今日の中国経済の仕組みを構造的に支えているということがある。

 中国の場合に、全体として市場経済化、一般的に言って国内経済統合というのは、そのような関係で順調に進んだが、大きな問題が残っている。その大きい問題としては、企業の大幅な赤字の問題であり、同時に金融機関の赤字の問題である。それから、全体として慣習的な諸要因によって縛られていて、改革のテンポがどうしても遅くならざるを得ないということである。

 そのような状況の下に、もし国際化による対外統合の強い要請があるとすると、あるいは中国が国内の統合の成果を過信して早いテンポでの対外統合を望んだとすると、ここには期待する対外統合と、国内的な統合から生れる可能性としての対外統合とのギャップが出てくる。


  (c) ベトナム

 ベトナムについて述べたいのは、この対外統合と国内統合の現状とのギャップがまだあまりにも大きいということである。もし、ベトナムがそのような点において、外からの強い要請を受けて、それに従わなければならないとか、今日、ベトナムは自分で奢りをもって対外統合に出ようとはしていないが、いずれしても、そのギャップが今後のベトナムの動きを支配するであろう。


 [5] 国際援助コミュニティーの対途上国経済援助見直しの動き

 国際援助コミュニティーの対途上国経済援助見直しの動きは、日本政府及びOECF、JICAにおいてもみられるが、ここでは、極めて影響力の強いIMF及び特に世界銀行のそれに限定してみたい。

  (a) 構造調整貸付等

 第1に、援助見直し論の先駆者として、世界銀行の構造調整貸付(SAC)、IMFの構造調整制度(SAF)、拡大構造調整制度(ESAF)がある。世界の途上国の多数が、第1・2次石油危機以後の状況の下で、持続的な国際収支危機に陥ったことがあり、その出来事が非常に大きな契機となって、IMF、世界銀行の新しい政策が出てきた。そのエッセンスは、救済貸付をする条件として、途上国がそれまで依拠していた統制主義的な制度・政策を廃止して、市場経済的な制度・政策に移行することを求めたことである。これはレッセフェールの提案で、世界銀行では、その後の見直しの中で少しずつ現実的な修正が出てきた。それは、1991年の世銀レポートにおけるマーケットフレンドリーの政策であるとか、1997年の同レポートにおける非市場的なコーディネーションの許容などである。しかし、市場化・民営化・貿易自由化という主張は変わっていない。それから、IMFは経常勘定の自由化の唱導に続いて、97年9月には暫定委員会の合意により、資本勘定の自由化を憲章に組み込むように、つまり当初のブレトン・ウッズの考え方をかなり大幅に、言ってみれば進歩的に改定するという決定を行って今日に至っている。

  (b) 投資プロジェクト

 世界銀行の動きにはもう一つ新しいところがあり、それは、構造調整のために今まで目立たなかった投資プロジェクトの重要性を蘇がえらせたことである。これまでは、マクロのコンデショナリティとしては制度改革を求めていたが、改めて投資プロジェクトの重要性を蘇らせた。その政策文献としては、1998年のAssessing Aidがあるが、実務的には既に、92年のワッペンハンス・リポートを背景とする投資プロジェクトのポートフォリオマネージメントの実施がある。このAssessing Aidは、事実問題として、OEDを中心として進んでいるポートフォリオマネージメントの政策調査局の次元における追認だと感じるが、いずれにしても、このポートフォリオマネージメントは、Assessing Aidが主張しているように、個々のプロジェクトの評価を、従来のプロジェクト・アナリシス、BCアナリシスのような個別プロジェクトの資産増加効果でやるのではなくて、一国単位でのプロジェクトのポートフォリオでみて、開発にどのように効果を与えたかということで評価しようということである。その開発の効果のいかんによっては、ポートフォリオの中身も変える。つまり、個々のプロジェクトの興廃がポートフォリオによって決められるということである。そのためには、ポートフォリオ全体をみる基準として、CAS(カントリー・アシスタンス・ストラテジー)、国別援助戦略というものが非常に重要な役割を演じてくる。その例としてベトナムに対して最近のCASは次のようなことを言っている。もし、ベトナムに対する各種のプロジェクト・プログラムがうまく進んだならば、ハイケースでお金を貸す。標準的なケースでは5億8,000万であり、ハイケースは8億程度、そしてうまくいかなかった場合は2億8,000万。うまくいかなかった場合には、お金のかわりにアイデアをあげる。アイデアというのは、政策を改善するということである。そういうようなことが、その1つのあらわれとして出ている。

  (c) Comprehensive Development Framework

 世界銀行の最近の動きとして、レシピエントの開発政策のほとんど全分野にに関して、包括的な調査・支援を与え、かつそれをすべての国際援助機関、ドナー国、さらにはその他関係者の緊密な協調の下で進めようという発想である。これは、私は世界銀行の非常な善意に発するものと思うが、最近の動きとして、世界銀行はそのような望ましい目的に対して急ぎすぎるのではないかというような懸念も、多少もっている。


 [6] おわりに

 チーフエコノミストのJ.スティグリッツが、UNCTADで行ったプレビッシュレクチャーは大変にエンカレッジングなものであり、強い共感を覚える。ここでは、途上国が市場経済の発展において未成熟であるということを前提にして開発計画を考えなければいけない。開発というものは、そこに根を置かない限り、現実的になり得ないということを主張している。これは世界銀行の主流派の考え方、特に80年代以降の考え方とかなりコントラスティングであったが、スティグリッツの議論は、そういう意味で非常に我々に近いので、それが実際に世銀の現実政策となれば話が非常にしやすくなると思われる。しかし、このスティグリッツの議論が[5]で述べた3つの流れにどのように絡むのかということについて、まだよくわからない。いずれにしても、これがどのような形で見直しの流れに結びつくかということは、先ほど述べた、途上国のそれぞれがもっている問題点、なかんずく、ベトナムその他LLDCが持っている問題点を考えるときに、それらの将来に非常に大きいインパクトを与えるだろうと考えるわけである。


(4)質疑・討議


〔 篠原委員 〕 アジア通貨基金(AMF)設立の議論は根強いものがある。ただ、斉藤委員が述べられたのは、多分、IMFをめぐる議論の中の無条件で資金を大量に供給するという線上の枠組み機関としてAMF設立というものがあるのだろうと認識されているのではないかと思うが、これまで私は、AMFの議論をいろいろなところでしているが、そういう形でのAMF構想として語ったりペーパーにしたりしたことはない。むしろ、政策調整、IMFで言うコンディショナリティーに類するものは、これはこれでAMFはAMFの言葉でやるのだろうと思う。

 問題は、今次のアジアの3か国に対するIMFのコンディショナリティーの作り方は、世界中で議論を呼んでいることは確かであるが、この中でアジアのいくつかの国に、あるいはアジアの多くの国に共通な特質、美質というものをうまく心得、計算に入れた上でのコンディショナリティーの作り方というのはあるのではないかと思う。したがって、このAMFの議論というのは、来年、再来年でき上がるということではないと思うが、何とか作り上げていきたいという強い希求は持っており、AMFがどういう考えで、どういうコンディショナリティーを作っていくのかという、言ってみればかなり骨太な理論、枠組みというのも一緒に作らなければいけないだろうと思っている。もしかすると、IMFよりもある意味ではきついコンディショナリティーを作り得るだろう。それはお互いにお互いのことが、もしかするとIMFよりはよくわかっているからそういうことになるかもしれない。その代わり、IMFだったら絶対やらないかもしれない枠組みを作って提示する。例えば、マレーシアがやっているような実験を、アプリカブルな国にはそういうことをしなさいということを言うかもしれないというようなことも含めた構想として、今、考えているということである。


〔 北村次長 〕 今の点に関連するが、国際金融機関、特にIMFが中心になって金融支援を行なうときの政策調整、コンディショナリティー、これは果たして各国際機関で1つの体系というようなもので、すっきりしたもので打ち出せるものかどうか。短期の場合には各国際機関がコンセンサスを持ちやすいと思うが、長期の、特に中長期の構造問題になった場合に、果たしてどの程度コンディショナリティーについてコンセンサスが成立し得るのか。「いろいろな意見があってしかるべき」という議論もあるのかもしれない。そういう中で篠原委員が1つの考え方を示したわけであるが、いろいろなコンディショナリティーがあってしかるべきなのかもしれないが、しかし、それがまたあいまいな形になるとタブル・スタンダードになってしまうという問題がある。そのあたりの問題をどういうふうに考えたらいいのか。

 それから、石川先生の非常に大事なお話の中で、長期、中長期の問題の1つとして、構造問題にかかわると思うが、国内貯蓄をどういうふうにモービライズしていくかという点に関連して、中国では貯蓄の40%を家計からモービライズしているという話があった。これからの市場移行国あるいは発展途上国の安定した経済発展を考える場合に、いかにして国内貯蓄をモービライズして、それを生産的な企業活動にチャネルしていくかという点に関して、中国の40%はかなり成功した例なのだろうと思う。例えばロシアを含めて市場移行国で、中欧諸国を別にして大変な失敗をしてしまっている。そういう中でベトナムあたりをどういう基本的な構想で、一種の構造問題に取り組もうとしているのか。あるいは中国が成功したと考える場合に、その基本的な要因は何であったのだろうかという点について聞きたい。


〔 佐藤アジア開発銀行前総裁 〕 石川先生の最後のポイントは、大変重要な問題だろうと考えており、その点につきまして若干コメントさせていただく。

 私は、事実の問題として、ウォルフレンソンがコンプレヘンシブ・ディベロップメント・フレームワークと言っても、そう簡単に世銀全体が動くとは思っていない。スタッフのレベルの意識としては依然として昔ながらのプロジェクト・ファイナンシェアーであり、ハードウェアにお金を貸すのが本来の仕事だという意識が極めて強い。私が総裁として苦労したことの1つは、ADBにも、ワッペンハンスが批判したようなアプルーバル・カルチュアー、要するに貸出量をマキシマイズするというビヘイビアがあるが、それをいかに抑えるかということだ、マキシマイズすべきものは貸出量ではなくて、ディベロップメント・インパクトではないかということを終始5年間言い続けてきた。しかし、スタッフとしてはそういうビヘイビアにどうしてもなりがちだということは依然として世銀にもADBにもあるので、ウォルフレンソンがコンプレヘンシブと言ったからといって、すぐに世銀の動き方が変わるとは私は感じていない。

 ただ、ウォルフレンソンが言う方向というのは、私は個人的には正しい方向だろうなと思っている。これだけ民間資金が大量に、流れる世の中になったわけであり、いわゆるハードだけに特化してきたいままでの開発援助というのがどれだけその国の成長に寄与したのかなということを考えますと、大変お寒いところもある。確かに政策としてオープンネスを採用してきた国が、いままでのASEANの国のように成功したことも事実であり、国際的な援助機関としてはやはりその国の、被援助国の政策、制度のあり方に関心を持たざるを得ないという、そのことは間違いなく正しい方向だと思っており、実はウォルフレンソンがそういうことを言い出すに当たっては、私を含めたいろいろな議論が背景にあったということだろうと思う。

 私も、最後に石川先生が述べられたことは大変共感した。全体的な社会構造の転換というものなしにレッセフェールの政策だけを押しつける問題点については、これは、スティグリッツの言にかかわらず、まだまだワシントン・コンセンサスの中にあると思うので、そこはよく見ていかなければならない。そして、実はそこを深めていこうと思い、ADBでは一昨年の12月に研究所を作り、いろいろ違ったディベロップメント・パラダイムを比較研究するため、原座長にも教えていただき、また、吉富さんに所長になっていただいた。したがって、あえて言えばそういうワシントン・コンセンサスに対するアンチテーゼと言うとちょっと強すぎるのかもしれないが、ブレーキの役割を日本ないしADBが果たしていくということをやっていきたいと感じている次第である。


〔 吉富アジア開発銀行研究所長 〕 コンディショナリティーは、やはり今度のクライシスの本質をどうとらえるかということ抜きでは意味がないように思う。IMFのコンベンショナルなコンディショナリティーは、やはりカレント・アカウント・クライシスで、それはマクロ・エコノミックス・ファンダメンタルズが悪い。だからインフレと財政赤字をただせば基本的にはOKである。オープンネスは当然であるが、ところがそういうものが全部育って良好であるにもかかわらず通貨危機が起きたというところに今度の特徴がある。実際に、先ほど石川先生が述べられたように、インフローとアウトフローのリバースがGDPの10%とか15%になるわけである。もう一つはコンテージョンが世界的であったということもあった。そういう意味ではアジアの場合は明らかにキャピタル・アカウント・クライシスであり、したがって、IMFのクォーターと比較したときの資金の必要量を比べただけでも、コンベンショナルなカレント・アカウント・クライシスの場合にはいわばクォーターの範囲に収まるような資金量であり得るが、こういうキャピタル・アカウント・クライシスとかイクイディティー・クライシスになると、クォーターでは足りないということで膨大な量が必要になったということから、バイの援助や、セカンドラインなどができてきたわけだと思う。そういうわけで、やはりコンディショナリティーそのものを議論するのではなくて、危機の特質を今回どうとらえるかということが重要ではないかと思う。だから、コンディショナリティーで弾力的に考えていくというようなことよりも、思い切って危機の性格を明らかにする方がいいのではないかということである。

 パラダイムの議論というのは、確かにコンプレヘンシブなフレームワークが世銀から出てきたときに、ウォルフレンソンがよく言うように「これはバランスシートだ。左側はマクロでIMFだ、右側はみんな入っている、その他のものは入っている」、我々の言葉で言うと「インスティチューションズが入っている」。インスティチューションズや政府の役割がものすごく大きく入っている。それを2つと考えると当然ヒストリーだとかカルチャーの影響がそこに入ってくるのは当たり前であるから、そういう意味では左側の世界は見る人によってはネオクラスからエコノスミトの世界、ワシントン・コンセンサスの世界である。右側はいままでよくわからなかったけれども、開発経済学者の意見であると。そして、それを理論的に統一しなければいけないところにきているが、統一できるような人はどうもなかなかいない。両者の議論は全然噛み合わずに、両方とも責任があるというような時代に入っているような気がして仕方がない。そういうわけで、それはバランスシートであるから、やはり左も右もちゃんとあった方がいいのではないかなというのが私の極めて公平な判断であり、要するにサプルメンタリーである。サブスティチューションではないというのはきちんと押さえた方がよろしいのではないか。左側の押え方のときにも、よく言われるようにネオクラシカル一本槍と、それから、ニューケインジアン的に資本主義をどう見るか、例えば大恐慌を重視して見るのか、もっと一般均衡論的なものを重視して見るのかという非常に大きなスクールの違いがあって、ニューケインジアンはバランスシートの右側については、当然、より大きな関心を払いがちになる。それは均衡ではなくてシステムの問題点を洗い出そうとするからであり、それをディベロップメントと重ねる。おそらくそういう関係になっているわけであるから、そんなに全体が難しい話ではなくて、問題は、我々のエキスパティーズが、開発途上国経済をやっている人はマクロ経済をもっとやってもらうとか、インターナショナル・ファイナンスをもっとやってもらう。マクロをやってきた人はリージョナル・スタディーをもっとやってもらうとか、ヒストリーをやってもうとか、ガバナンスの話をやってもらうとか、そういう時代ではないかと思う。


〔 入谷国際金融公社東京駐在特別代表 〕 国際収支ギャップに対するコンディショナリティーとか、あるいは開発経済、世銀の構造調整とか、どちらかと言うとマクロ経済的な視点であるが、アジアのこのところの成長は、どちらかと言うとプライベートセクターの発展に支えられて急速に進んできた。そういう中で、国際収支の大幅な悪化、経済状況の悪化に伴って、ミクロ的な各個別の企業が非常に痛めつけられている。それに対して、いままで一般によく議論されるのはマクロ的にどう支援して、それに対してどう条件を付けるかということかと思うが、ここで、考えるべきはミクロ的な視点から個別の企業をどういうふうに支援して、それを通じて全体を回復させるかという観点もあるのではないかと思う。

 日本の政策、宮沢構想にしても、構造調整、あるいは国際収支対策という面で個別の支援についてはあまり考慮に入っていないように思われるし、制度的になかなか個別の企業への支援というものは、世界的にもあまりないのではないかと思う。

 世銀グループの国際金融公社は、昔から個別の民間投資に参加してイクイティーとローンをプロジェクト・ファイナンス・ベースで支援しているが、このアジア危機に関しては、むしろ個別の生産増強につながらないリストラにも乗り出している。経営が悪いから悪くなってしまったというところではなく、経済環境が悪化したから、今、苦境に陥っているが、経営は非常によい。経済が回復すれば回復の見込みが非常に高いという企業に積極的にリストラ投資をして、現にリストラも支援していく。そういうことをやって、韓国、タイで既にいくつかプロジェクトが成立しているし、これから近々アジア全体をカバーするという意味で、リストラ・ファンドを設けて、そこから個別の、本来ならば優良企業だけれども、今、一時的に苦境に陥っている企業のためにイクイティー投資を、あるいは直接投資的なローンを行なうということによって回復を助けていくという構想も着実に進んでいる。日本ではそれに類する制度というのはなかなか作りにくいかと思うが、この制度は、コンディショナリティーというような非常に難しい議論ではなくて、投資をすることによって5年後、7年後には着実に回復して利益を上げ得る、イクイティーを回復してキャピタルゲインを上げる、そういうことを目的にしているので、その点でモラルハザードも回避できる、または、経済合理性をそれによって確保することができるのではないか。今後の議論を少しミクロ的な視点にも広げていただきたいということで発言した。


〔 下村委員 〕 私は、近年の経済支援には非常に政治的な要素が強まってきているということが特徴として挙げられるのではないかと思う。80年代の構造調整は、経済的な側面に焦点が集中していたが、90年代になってから「ガバナンス」という言葉をキーワードにして相当政治的な面に視点が移るようになった。それはもちろん政治的なコンディショナリティーに国際機関が移ってきたということではないが、しかしブレトンウッズ体制も政経分離の原則から動きつつあると思う。石川先生が触れられた「開発のための管理能力のない国に対してマネーは出さない」、こういうところに政治的側面への傾斜が現れているのだろうと思う。そこで、斉藤委員に聞きたいのが、97年の8月にIMFのボードで新しい業務ガイドラインが通過して、それによって相手国の、融資対象国の政治的な側面も、ガバナンスに関連してということであろうか、視野に入れるということが認められた。それが実際に、特に最近の東アジアの緊急支援の中でどういうふうに出ているかということである。98年のインドネシアのケースをとってみると、98年の1月にはインドネシアでは既にルピアが切り下がったことによる輸入インフレで物価が高騰して相当社会的に不安定になり、治安情勢が悪くなっていた。そこで、IMFの条件どおり価格補助金が外されると相当社会的に危ない状況になると思われたが、結局、IMFが動かなくて、インドネシア政府は5月4日に価格補助金を外した。それで、承知のような暴動の激化を招いて、5月の末にスハルト退陣ということになった。そして、その1か月後の6月25日に、IMFは価格補助金の継続に同意した。ということは、スハルト退陣を見極めて価格補助金について柔軟な対応をとったということで、これは、政治体制あるいは政権を選別していくということを意味する。インドネシアでの個別の対処のよしあしは別にして、政権によって対応を変えていく姿勢は、インドネシアに関するIMFの政策の中で明示的に出ていない。斉藤委員の資料の中でも「透明性の改善に余地がある」ということを述べられているが、例えばインドネシアのケースについて、もし、ガバナンスの十分でない政権を排除するために補助金などコンディショナリティーの一部を機動的に使っていくという意図があるのであれば、それはある程度国際的に透明な形で公開されないと、非常に強力な力を持った国際機関によって恣意的に政権の淘汰選択が行われるということになりはしないかと思う。


〔 斉藤委員 〕 まず、ガバナンスの話であるが、指摘のとおり、97年頃から「これに正面から取り組め」という内部のガイドラインがある。ここで、ガバナンスというのは、基本的には政府の効率を上げることであり、政府および公共部門のアカウンタビリティーを改善することである。さらには、関係のあることであるが、政府活動、政策決定プロセスのトランスペアレンシーを増やすことが最終的な目的である。ただ、そうは言っても、具体的に何をするかということになると、なかなか難しい。一番難しい問題はコラプション、あるいは政府と民間の特定の人とのコルージョン(なれ合い)がある。また、インドネシア等ではネポティズムというか身びいきもある。我々スタッフとて、そういう問題に取り組むのは、当然のことながら難しく、インドネシアのケースでも、例えば自動車等に関する関税の特別措置を排除するとか、そういう形で取り組んできている。

 もう一つ指摘があったのは、例えば補助金政策等を使って、間接的に政権交代を狙っているかという問題である。これは正直言って、我々はそこまでは、考えていないと言えると思う。インドネシアの場合、交渉が実質的に1年間続いた訳だが、最初は先ほど述べたようにガバナンスの改善ということに取り組み、その後、インドネシア国内で政権交代への動きがあった。それに伴い社会不安、つまり、現政権への不満が出てきたが、これはインドネシア内部から出てきたと私は理解している。

 AMFの議論は、皆さん、勝手なことを言っている面が多いが、特に東南アジア等での議論で一番先に出てくるのは「金額はいくらだ?」、「誰が出すのだ?」ということである。この議論が意味があるのは日本からの提言であり、日本がカネを出すと言うときに意味がある。借り手側の議論としては、これは昔からあることで、あまり意味がない。日本が金額の提示だけでなく、あるいは金をどう集めるかということ以外に、コンディショナリティーをどうするかといった議論をするということは非常に心強いものがあると思う。

 それとの関連で、北村次長が指摘した「コンディショナリティーのタブルスタンダードが出る」という問題が当然出てくると思う。借り手側から見れば、IMFがうるさいことを言っているときにこっちに行ったら「甘い水」という状況が出ることが理想であろうが、これは当然しかるべく対処しなければならない。この問題は、現在既に発生しており、IMF、アジ銀、世銀等で一緒に金融支援をするときに、それぞれの機関から少しずつ違ったニュアンスを何とかして引き出そうと借り手はする。貸し手側としては、コーディネーションを勧めるということをやっており、もし、AMFができれば、当然そういうことがイシューになると思う。

 世銀を中心に、新しいアプローチをしているが、ワシントン・コンセンサスのアプローチ以外に何か別のパラダイムがあるのではないか。という意見が出された。これもまた非常に心強いことで、特に吉富インスティチュートで立派な考えが出てくるのを楽しみにしている。ただ、私の希望は、ワシントン・コンセンサスの中で、今、仕事が進んでいるのだから、その土俵で日本がもっと発言してもいいのではないかと思う。具体的な政策問題は、当面の財政赤字をどうするかとか、市場が荒れているときに金利をどうしようかとか、そのレベルの話になると思う。こういう問題は、パラダイムの問題ではないと思うが、そのレベルで、もっともっと日本の当局、学会の方は、影響力を増やしていいと思う。

 最後にコンディショナリティーですが、この場で私が「IMFのコンディショナリティーは正しかった」と言っても、あまり賛同されないので、あえて言わないが、吉富所長が述べたことは全く同感である。つまり今回の危機の原因の1つは、民間資本の移動であり、その対応には、大量の資金が必要であり、また、民間債務問題に正面から取り組まなければいけない。このあたりは吉富所長にも共通の認識をしてもらっていると言えるのではないかと思う。過去にさかのぼってみると、国際収支危機は確かに経常収支の赤字であったが、危機現象になるときは、輸出入のインバランスと同時に、最終的には資本取引のインバランスもあった。危機ということで輸出の売上げ代金が自国に送金されない。また、輸入代金の支払いを早めに手当てする、これは統計的には資本移動であり、そういう意味では、統計的にも、為替市場へのインパクトについても過去の危機も似たようなものであるが、ただ今回はスケールが非常に大きい、そして、コンテージョンが起こったということが、我々を含め、共通の認識である、と言えよう。


〔 浅見東京三菱銀行常務取締役 〕 昨今、G7G10など官の立場から金融支援に伴うさまざまな問題が活発に議論されていて、私ども民間の立場から、この議論もいろいろな展開、いろいろな方向性を持って多様な議論をしているので、非常に興味深く見ている。これに対して、民間の側は、債権者としての集まり等はあるが実はそういった議論の場というのは必ずしも強固なものがあるわけではない。今日の石川先生の話で、ODAが減っており、経常勘定から資本勘定への移行が90年代になって顕著であるということから、資本の流れは民間資本が中心に動いているという状況にあると思う。統計によると90年代に入ると民間資金の流れが公的資金の7倍に達しており、これがおそらく80年代と違った現象であろうと思う。そうすると、今、金融支援という形で巨額の公的資金が出るというのは、一体何を目的に行われるのだろうか。民間の立場から申し上げれば、そういった国が早く市場に復帰し民間資金の流れを確保することではないかと思う。このような成功例として98年の韓国と95年のメキシコがある。しかし、官による巨額の支援にはモラルハザードの問題があることは承知している。Bail in / bail out のバランスをとる必要があるが、この問題が必ずしも十分理解されていない理由として、官民のダイアローグのなさにあるのではないか、という感じを私は非常に強くしている。


〔 菊池委員 〕 企業における人々の意識やノウハウや、技術についていえば、変化の速度がそんなに速くないと思う。これに対して国際金融の流れの変化は非常に速すぎて、結局、これが問題になっている。逆に見れば、経営者の技術や経営ノウハウなどの変化への対応の能力とスピードによって政策はやはり変わらざるをえないのでないかと思う。中国や発展途上国は今までの発展の仕方に制約された意識や技術・ノウハウを持っておるので、それが変革されるように絶えず市場経済化の方向で刺激していくというのはいいと思うが、ミクロの実態を無視してあまりにも急激にマクロ経済の目標レベルを上げてしまうとミクロ側の対応ができなくなっていろいろな問題が起こってくるというのが現実にある。それは今回の通貨の問題、為替の問題でも同じだと思う。

 そういう面からすると、マクロベースのいろいろな政策は、ミクロ側の実体を把握しその変革へのシナリオを描きつつ段階的になされるべきではないかかというのが、私の主張である。つまり、経営者は、設備投資をする場合でもどういう設備投資をすれば従業員も含めて総力的な力が発揮できるかということで、その方途とともに時間の問題を絶えず考えている。時間の問題とは、結局、石川先生とか斉藤委員の問題意識、つまりどのように時間を置きながらそれぞれの国に実態にあった目標とシナリオを描いて段階的に目標に近づいていくかということについての議論とも関連すると思う。

 渡辺先生の公害の問題であるが、中国の経営者が公害設備を設置するかどうかは、公害設備をしないために罰則を受けるということと、公害設備をすることでどういう負担と利益を受けるかということの2つの問題を考えてやっているわけであり、そういうことについての意識変革がどのように浸透するかによって、モデルができても従わない場合があり得ると思う。そういう面では、やはり市民とか経営者の公害に対する意識レベルがどのように変化し得るのかという問題も考えながらやらないと、本当の効果は上げられないという面があるのではないか。


〔 小松委員 〕 1つ目は、今日の話を聞いていて、金融自由化、資本勘定の自由化が今回のアジア危機の原因であり、したがって、対策としてはドアを閉ざすというか資本のフローを閉ざすということのようにも受け取れたが、私は、もう少しキメの細かい議論が必要なのではないかと思う。その理由として、金融自由化政策が今回の危機の原因になったどうかが必ずしも十分に論証されていないと思う。資本勘定を開放した国すべてが危機の対象になったわけでもない。したがって、過大な借入れが進んでしまったメカニズム、借り入れた国の側の経済政策なり金融資本市場の問題点をもう少し分析した方がいいのではないか。一方で貸し手の責任も考えなければならない。貸し手の国際金融市場にどういう問題があったのか。オーバーレンドした国際金融市場の問題も分析する必要があるのではないか。最近よく言われている市場のモニタリングとか、ウォーニングシステムとかそういったことも含めて、守秘義務だと言わずに、もう少し各国の金融機関の貸し込みの度合ももっとタイムリーに発表して意見交換をすべきではないかと思う。

 2つ目は、これも話を聞いていて、IMF対アンチIMF、または市場派対文明論者というふうに、議論が出てきたようにも思うが、そこに何となく危惧を抱くわけである。というのは、途上国で実際に経済運営をしている人たち、つまり中心になって経済改革をやろうとしている人たちと、どちらかと言えば既得権益を守っていこうという人たちがいる。経済改革を押し進めていこうとしている経済閣僚、経済官僚たちというのは、私の印象では、市場近代化、改革を進め、経済発展を進めていく中で市場の不完全性とか市場の失敗ということを何とか整備していこうと考えている。彼らはある意味で政治的に痛みを伴う経済政策を国内で実行していかなければならない。私も、いろいろな経済発展の段階とか文明論とかをもっと勉強すべきだということは全く賛成であるが、その場合、文明論という話だとだんだん個別化していって、例えばファミリー・ビジネスがいいのか悪いのかとか、クリアカットに答えが出てこない。援助国会議でこういう話が出てくると、結果としては一生懸命痛みを伴う経済改革をやろうとしている人たちをディスカレッジし、既得権益を維持しようとするグループをエンカレッジするという可能性もあると思う。したがって、市場派と言われる人たちも、文明論を重視する人たちも、経済改革を進めようとしている人たちを支援するという、もう少し現実的な政策の場での認識も必要ではないかと思う。


〔 石川一橋大学名誉教授 〕 中国の貯蓄率の問題について、家計貯蓄がこれだけ伸びたというのは、農家の所得が伸びた、都市労働者の賃金が伸びたということと無関係ではないと思う。逆にベトナムでなぜ貯蓄率が低いか。おそらく現在でもネットで10%になってないと思うが、私どもがアドバイスを始めた頃には貯蓄率はゼロだった。なぜそんなに低いかというと農業がうまくいってないからである。農業を取り出してみると、農民はほとんど自分が食うために食糧を作っているわけで、供出する率というのは10%かそこらしかない。それが、現在、中国では、先ほど述べたように生産性の突破で40%以上になっていると思う。そして、農業がよくなると食料の値段が安くなり、都市の家計も裕福になるので、都市の貯蓄も上昇することとなる。したがって、貯蓄率が上昇しなければパー・キャピタ・インカムが上がらないということと、パー・キャピター・インカムが上昇すれば貯蓄率が上昇するという因果関係の一番最初のところが問題なのだと思う。そのためにはいろいろな工夫が必要であり、ベトナムは制度改革によって貯蓄の能力を上げようとしている。 佐藤前総裁から話があったことに、私どもは全般通して同意している。ただ、世界銀行の今回のCDF、これは言ってみれば優等生の答案みたいにいろいろな条件を並べただけで、実際に世界銀行の内部の意見を聞いてみても、あまり熱心に賛同しているようには思えない。それよりも私が重視するのはポートフォリオ・マネジメントである。これは相当シビアなもので、主要な被援助国に対して現に厳しく実施しているし、ポートフォリオ・マネジメントの審査をする基準としてのCDFというのは、かなりコンプリヘンシブなものである。しかも、ウォルフレンソンの政策を実際にシリアスに実行する覚悟があるとすれば、国際機関及び日本も当然入るが、主要なドナーが、分業体制で実行していこうということである。これはもうそれだけで大変な威圧だと思う。また、先ほどから出ているように、まだ実行の準備ができていない国もたくさんあり、そちらの方がむしろ心配だと思う。ワッペンハウス報告については、アプルーバル・カルチャーが、本当に重要だと思う。実際にプロジェクトに関わった経験もありますが、これは直さなければいけない。しかし直すためにはおそらく人間の数が問題になると思う。世界銀行はその点どのように工夫しているか知らないが、日本の援助機関であると、1人が多くのプロジェクトを持っているので、非常に難しい。

 最後に感じたことを2点だけ述べると、1つはグラジュアリズムと急進政策についてである。これは時間の問題ももちろんあると思うが、実質は時間の問題ではなくて、急進政策の場合には、ちょっと言葉が悪いが手抜きしていることを実施しなければならない。それがなされなければ開発は進捗しないだろう。具体的に言うと、産業をどのように育成するかという話は世界銀行の話には出てこない。今回のCDFもそうであるし、ベトナムに対するCASもそうであるし、これは市場さえ整えれば市場がやってくれるはずだという考え方に基づいているが、その点は我々の経験は少し違うので、そこのところもしっかりやらなければならない。つまり、総じて市場経済は未熟であり、どうしたらそれが健全になっていくか、整っていくか、それをキメ細かく考えて、処方箋は作る仕事がある。それは時間の問題ではなくて本質的な援助ステップの問題だと思う。

 それからもう1つは、市場派対文明論の問題も、究極するところは世界銀行もIMFも我々も変わらないと思う。そのためにどのようなステップが必要と考えるかという問題で、文明論の方は、市場システムとかその他絡まるところの制度の問題が手当されなければいけないのではないか。先ほどのファミリー・ビジネスの問題もそうであるが、もちろん時間もかかることとなる。


〔 渡辺委員 〕 貯蓄率の高いアジアの中にあっても、最高の国はおそらくシンガポールだと思う。そして、それに次ぐのがおそらく中国だと思う。シンガポールの場合には、CPF(セントラル・プロビデンス・ファンド)、国民年金基金を中心とした国家貯蓄のウエイトが非常に大きいという意味で、これはやや例外かもしれない。だから、その例外のシンガポールを除くと中国は圧倒的に高い国内貯蓄率である。貯蓄は残差という方法で測るのでタンス預金もみんな入ってしまうこともあり、どうやらその辺の額は非常に大きいようである。中国が株式制の導入を党大会並びに全人代という党と国家の最重要会議を通じてオーソライズしたことは承知のとおりであるが、この最終的な狙いは国内の家計部門に膨大に蓄積されているであろう金融資産を株式市場を通じて吸収し、これを国有企業改革の資金に充てるということであるに違いないと思う。しかし、これは社会主義のすべてを否定するということにならざるを得ない。このため国家の指導部はマジョリティーを国家株、法人株とし、しかも国家株、法人株の市場における流動を許さなければ株式制を導入しても社会主義公有性は守られるというロジックになっているが、こんな理屈がそう通るわけではないし、もし、そうであれば株式市場が順調にワークするはずもなく、いずれ崩れるものと思う。差し当たりはそういうロジックを維持しておき、最終的には家計部門で、蓄積されている金融資産が、株式市場を通じて吸引されることに間もなくなるであろうと思っている。

 今日の石川先生の報告に非常に強いインプレッションを受けたが、特に中国の経済、経済主体間における非市場的な相互依存関係のみごとな図式化には感心した。こうした、言ってみればもちつもたれつの関係を政治権力構造が支えるという濃い構図である。石川先生の関心は、こういうもちつもたれつの関係の中にイクスターナル・インパクトが加わった場合、中国の経済像はどのように描かれるかということにあり、これに不安を混じえて先生は述べられたわけで、私もそのように思っている。私は、このもちつもたれつの構造がどうなるのかということに、やはり中国の将来の最大の問題があると見ている。もちろん、この構造があるが故に改革がなかなか進まないという観点を主張することはできるし、国有企業を自立的な経営単位にしていこうという動きがあるが、なかなか進まない。そしてその原因は、財政の構造、金融の構造にある。財政を見れば、中国の国家財政の相当部分が国有企業からの上納金もしくは上納税である。支出項目から見れば、非常に多くがこういう企業の欠損補助だという構造になっている。つまり、そういう意味で企業と財政の関係は非常に湿った関係の中にある。

 金融も同じで、中国の国有商業銀行が持っている不良債権の率、つまり貸出総額に占める不良債権は、政府は26%を少し超える程度と言っているが、ウォッチャーは30%を超えるのではないかという議論をしている。ここにも典型的に現れるのが国有企業と国有商業銀行との間のもちつもたれつの関係であり、そういう関係が依然として保たれているが故に改革がなかなか進まない。こういう側面は確かに紛れもなくある。しかし、他面から言うと、国家なり党が国有企業改革のイニシアチブを握っており、少なくともそれを発案し、強制的な力で進めていく最も重要な勢力であるということも紛れもない。より重要なことは、この改革に伴って生まれてくるであろういろんなコストを背負っていく主体がやはり国家なり党であるというところではないかと思う。

 実は、私が中国の将来について非常に心配しているのは後段に述べた機能がずいぶんと危なくなっているのではないかということである。そうすると、改革も下手をするとハード・クラッシュになりはしないかということを一番恐れている。国有企業改革がすべての改革の中心にあることは、承知のとおりであるが、この国有企業改革はどのように方針で打ち出されているかというと、大きく言うと2つある。1つは国有企業だけで6万数千社あるが、そのうち、ある部分をつかんでここに改革の手を集中する。その他の国有企業は市場の中に放り投げる。破産でも吸収合併でも、資産売却でも何でもやりなさい、という、これが社会主義かと思えるぐらいの荒っぽさであるが、ともかくそこからものすごい数の失業者が出てくる。もう一つの方針は、株式制の導入である。これによって、3人の仕事を5人でやっていた国有企業の少なくとも2人、優良企業では3人のクビが切られるということになり、ここからも膨大な失業者が出てくる。この改革のコスト、いわゆる失業者の大群の発生という最大のコストを誰が担うか。あるいはそこから生まれてくる社会的な不安定性なり政治的不安定性をだれが制圧し得るか。これは共産党機構、一党支配のメカニズムだろうと思う。ところがこのメカニズムは89年天安門事件の頃にはあったと思うが、今、それがあるかというと、それは非常に薄いものではないか。一党支配の末端機構が市場経済の中に溶けてしまっていないか。末端機構の党員の目はもう政治ではなくて経済、中央ではなくて地方の方に向いてしまっているということである。そして、こうした動きを加速させるのが株式制の導入ではないかと想像している。中国の党の公的文献によると、共産党一党支配といった言葉は使っていないが、共産党指導の政治的革新コアは国有企業内党委員会だと言われており、確かにそのとおりであった。この党委員会が株式制の導入によって溶けていく可能性は大だと言わざるを得ない。つまり、中国の国有企業の中で優良企業の多くは、この党委員会と経営者が協同しているケースであったのである。

 今、別の文脈でモデレイティズムとラディカリズムの議論が出ているが、トウ小平時代の実験的試行錯誤をくり返していく段階から、朱鎔基時代になって中国の改革は非常なラディカリズムの時代に入ったように私には見える。改革をソフトランディングさせるための政治的メカニズムと、この改革の競合の中に今、中国はいる。


〔 原 座長 〕 たくさんの問題がまだ残っているが、その1つは、やはり石川先生が述べられた資本勘定の自由化、そして、資本収支危機ということである。要するにグローバルな経済にどんどんアジアの国は統合されていっているが、一方、いろいろな国の発展段階とか文化、また、政治体制は、グローバルな短期の資金のマーケットから見るとよくわからない。つまり、今我々に問われていることは各国の国内にさまざまな条件があり、こういったものがどう折り合いがついていくのかという問題であろうと思う。

 石川先生が述べられたことで非常に気になることがある。私の昔からのタイの友人が非常にナショナリストになっている。先ほど石川先生が述べられたように、効率性基準でどんどん企業の買収が行われていく、それは全部外国人の企業であり、安く買いたたかれている。こうした動きの中でタイの友人で、みんな偉い経済学者であるが、全員非常に保守的になっている、ナショナリスティックになっている。それは中国、あるいはベトナムとは違うが、非常にオープンであったタイ、大体、外文明というか世界の資本主義にうまく適応して非常にオープンな国であったタイにナショナリズムというのが出てきている。どうもこの点は、これからのアジアを考えていくときに大きな問題になってくるのではないかと思う。別の言い方をすると、効率性至上主義というか、非効率な経済主体はつぶれていい、効率的なものに取り替えればいいのだという考えに対して、アジアの中の経済発展も社会の発展は、できたらそうではなくて非効率なものが自ら改革しながら自己変革を遂げていく方法である。つまり、社会編成に非効率なものはすぐ効率的なものに取り替えてしまえというフィロソフィーと、もっとグラジュアルにエボルブしていくのだというパラダイム、この対立になることがどこかにあるのではないかと思う。


〔 伊藤東京大学大学院総合文化研究科教授 〕 この場に唯一文化人類学の専門家として参加しているので、先ほどからグローバライゼーションとか国際的な危機、支援とか、カバナンスとか、非常にマクロな議論が中心であるのに対して、文化人類学も全く無縁ではないという自己宣伝を兼ねて一言述べたい。

 グローバライゼーションというと大きなシステムのレベルで議論されているが、実際にアジアの農村地帯の開発の現場で、今、進んでいる認識があり、その認識が共有されて1つの運動となっている。つまり、非常に個別のケースの経験が共有される形で、別な意味でグローバライズしているという視点を示したいと思う。これまでは緊急な状況での国家単位の、あるいは国際的な支援が主として議論されていたが、いわゆる開発人類学という場で問題になっているのは、実はそれ以前の、あるいはより一般的な、そして平常時において課題となる開発のあり方である。それは、要するに政府によらず、よりローカルな、そしてマージナルな人々、あるいは貧しい人々に直接投資するということである。その例としてグラミンバンクなどの試みは、国際的な金融関係の次元でもよく知られるようになっているが、こうしたマイクロ・ファイナンスとかマイクロ・クレジットというものは一つ一つは非常に個別で、小規模であり、従来ですとこれは大変不安定な、要するに経済学的には合理性を欠くものとしてビジネスの対象にならないと考えられていた。しかし、実際には決してそうではなく、彼らがむしろ自分たちの経験を踏まえながら主体的に管理能力を身につけ、そして計画を着実に進めていく。これが実は返済能力とかあるいは運営力の点でも信頼できる開発の受け皿であり、これに注目したマイクロ・ファイナンシャルなサポートが、実は最も健全で、そして基礎的なものであるということが、今、開発人類学においては大きな話題になっている。その一つ一つは、ケース・バイ・ケースの個別の地域の伝統に根ざした、あるいは女性の地位とか、エコロジカルな状況と組み合わさって、あまりにも個別的であって一般化が容易でないが、経済支援のあり方として、問題の所在としては非常に普遍性をもつに至っている。その辺の、いわばローカルな、きめ細かな配慮と、経験を重視しつつ、彼らの主導性、主体性を尊重し、それをエンパワーメントしていくというアプローチを国際的な巨大な組織、制度にどのように整合させていくかというのが、実はこれからのアジア、あるいはアフリカの経済支援の非常に重要なポイントだろうと思う。またそこに日本的な経験重視のアプローチとプラクティス・オリエンテッドな行動力を発揮できるのではないかと私は思っている。


〔 原 座長 〕 伊藤先生に1点だけ聞きたかったことは、なぜアジアで貯蓄率が高いのかということである。これは、石川先生の先輩に当たられる大川一司という大経済学者が、アジアというのは家族を大切にする社会であり、家族主義ということと貯蓄率という話を関連づけて話されていたことがある。例えば韓国にも頼母子講みたいなものがあり、東アジアの家族制度のあり方が貯蓄という行動につながっているという経済学者の勝手な仮説というのは、人類学の方から見たら正しいのかなということについて一言コメントがあればお願いしたい。


〔 伊藤教授 〕 それだけではなくて、いろいろ複合的なものだと思う。農業の集約性とか、いわゆるファミリー・ファーミングという小農経営システムの自立性、定着性、おそらくそういう要因と結びつく問題だと思う。


〔 佐藤前総裁 〕 先ほど、小松委員が述べられたポイントというのは、大変重要なポイントであり、ADBで大変悩んできた問題点でもあるので、ちょっとリアクトしたいと思う。確かに文明論的な開発へのアプローチというのは、いわばリフォーミストをディスカレッジし、レントシーカーをエンカレッジしてしまうかもしれないという、その議論はよくわかる。ただ、同時にフィリピンの現実などをみると、これは原座長の専門であるが、市場原理に立脚したような開発の考え方、いわゆるワシントン・コンセンサスのようなものは、フィリピン社会の持っている基本的な構造の問題にはメスが入れられない。つまり、市場というのは言うまでもなく私的所有権の神聖というものに立ってしまっているので、フィリピン経済の一番根本的な、構造的な問題は大土地所有であるが、そこにはメスが入らないのだと思う。先ほどの原座長の言葉であるとエボリューションという考え方、文明論というのはやや不正確な言い方だと思うが、そのアプローチの方がメスが入れられるのではないかという気がして、そういう意味で、むしろそのアプローチの方がレントシーカーをディスカレッジし、本当の意味での改革につながっていくという側面があるのではないかなという気がする。つまり、両面あるのではないかというのが私のリアクションである。


〔 関 野村総合研究所主任研究員 〕 原座長から「効率だけ追求していいのか」という問いかけがあったが、効率性は大変重要な問題であるのでこれを避ければなかなかワシントン・コンセンサスの土俵には乗れない。同じ土俵で議論するならば、むしろ問題設定としては、ワシントン・コンセンサス的政策は本当に効率をもたらすかどうかという形に変えた方がいいのではないか。これは小松委員の話ともつながるが、この場でいろいろ議論して、ある程度我々のコンセンサスは出ているように思われる。つまり、市場が不完全であるためワシントン・コンセンサス的政策は効率をもたらさない。経済学の用語で言うと「市場の失敗があるから」。特に今問題になっているのは資金フローの問題であり、市場の失敗を挙げてみると、ややマハティールの発想に近いのですが、コンテージョンの問題からもわかるように、投資家が本当に合理的かどうか。また、モラルハザードが過大融資につながっていないか。さらに、国内だったら銀行の取付け騒ぎのときには政府が介入せざるをえないのと同じように、国際金融システム全体にわたってリスクが発生する場合は、やはり何からの公的介入が必要なのではないか。それ以上に重要なのは、シークェンシングの問題ではないかと思う。たとえば、中国は国内のいろいろな問題を抱えながら、今回の金融危機において大した被害を受けなかった。なぜタイとこんなに対照的なのかと言えば、意図的かどうかは別にして、やはり国内の金融システムが未発達のままで資本取引の自由化に踏み切らなかったというところが大きいのではないかと思う。

 したがって、方法論としては、我々はワシントン・コンセンサスと戦うならば、やはり市場の失敗というところを特定する作業に力を入れるべきではないかということを1つ提案したいと思う。


〔 吉富研究所長 〕 市場の失敗という大きな話で括るから、ワシントン・コンセンサスと戦えないのだと思う。どういう意味かというと、先ほど出たようにバンコクの例で、効率か非効率かという議論をしたが、もう少し公平の面、つまり、効率以外のところも重視したらいいというようなディメンジョンの議論にすると永遠に解決しないと思う。そのブレークスルーをどうやってやるかというのがソーシャル・サイエンスだと思う。この問題であれば、具体的にバンクラプシー行動はどうなっているのか、という議論となり、クレディーターとボローアーの関係をどう変えるのか。それから、インディビシュアルなバンクラプシーのときと、ノンパフォーミング・ローンが非常に大きいシステミックなときの問題というのをどう区別するか。これはまさにマクロ経済学や、バンクラプシー行動をめぐるリーガルなフレームワークとの接点の議論になる。先ほどバランスシートで述べた左側のマクロのクレジット・クランチ的な議論ができる人と、右側のインスティチューショナルなビルディングアップ、その中に当然こういうルールなどが入ってくるわけであり、ルールなどがない社会であったのか、ないのであれば、どう作るのかという議論を戦わせれば、初めてどういう意味のエフィシェンシーまたは、ノン・エフィシェンシーを言っているのかがわかるわけである。そこをいきなり大きなやや哲学的論争に飛ぶから議論が煮詰まらなかったのではないかという気がする。

 同じことが、セービングについても言えるわけで、経済学にはダイナスティー・モデルというのがあり、ダイナスティーであればずうっとセービンクが高いかというと、戦前の日本は低かったというのが同じ大川先生の議論にあって、韓国であっても1962年に3%の貯蓄しかなかった。そういうオスタイライズ・ファクトみたいなものが歴然とあるわけであり、それを無視して、ファミリーとセービングとを結びつけると、伊藤先生が述べたように、いろいろなマルティプルファクターがあるということになってしまうので、やはりディメンジョンから抜け出すことの方が大事なのではないか。バランスシートの左側と右側を公平に議論するということで、十分成り立つわけである。それで、ネオクラシカルの最大の欠点は、そういうインスティチューショナルなビルディングアップのことを全然考慮しなかったと言ってもいいわけで、その典型的な例がロシアの失敗に現れている。あれはインスティチューションを全然考えないでやったことの典型的な例である。それでは、インスティチューションについて考えると、例えばスティグリッツにしても、フィナンシャル・リストレインという言葉を使うが、フィナンシャル・リストレインと言ったときに、ボンド・マーケットは育たない、なぜなら、ある程度金利をコントロールしているわけである。そうすると、今、アジアでは、この危機の後、ボンド・マーケットをどうやって育てるのかという問題があり、一方、コマーシャル・バンキングはドミナントだという事実はそう簡単には変わらない。そこで、先ほどのインフォメーション・インシンメトリー、市場の失敗の1つであるが、アドバース・セレクションとかモラルハザードを回避するには、フィナンシャル・リストレインが必要ですよという議論が一方にある。そういうディメンジョンでも既にバランスシートの左側と右側が交流しているわけであり、そういう議論に早く入っていった方がいいのではないかという気がする。そういう意味で文明論は必要なのだが、ディメンジョンの括り方が大きすぎて荒っぽいのではないかという気がしてしようがない。


〔 原 座長 〕 今の関先生と吉富先生の話が、今日のシンポジウムの1つのコンクルージョンのような気がする。是非、セカンドの大議論をADBインスティチュートで続けていただきたいと思う。

 最後に感想であるが、アジアのグローバリズムというのは、最近始まったことではない。つまり、アジアというのはずうっとグローバルに動いてきた地域であり、現在「海域アジア論」とか「ネットワーク論」として、非常に盛んになっている。これも文明論であるかもしれないが、これからのアジアの経済がどう動いていくかというときに、やはり歴史的なパースペクティブというものがどこかにあった方がいいのではないかと思った。