財務総合政策研究所

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3.第三回研究会(1211日)

(1)国別報告「マレーシア」

(財)国際通貨研究所専務理事
篠原興

 マレーシアは1957年の独立以来、40年間経済発展の中にあり、その間、マイナス成長は1985年の1年間だけで、翌86年が低成長であったので、この2年間が歴史的に言えばややスタグネーションの2年間だった。そして、この85年、86年の不況の寄与を境にして、それ以前とそれ以降ではかなり中身が変わってきている。それはマハティール首相以下の為政者たちのかなり確信犯的な意図的な変革と言えるのだろうと思う。独立以降の30年弱は、どちらかと言えば一次産品と同産品の一次加工品に依存した経済体制を築いてきていたと思う。したがって、例えば石油価格が上下しても、ゴムが好調であるとか、ゴムが不調となってもスズが支えるというように、一次産品の相互の値動きが為政者の意図しないリスクヘッジの役割になって5〜6%の成長は約束されてきたとみられる。84年、85年頃では、輸出の3分の2が一次産品と同産品の一次加工品で占められていたと言える。一次産品の主なものとしては、原油のような鉱物燃料、材木、ゴム、スズ、パームオイル、胡椒であり、この6品目のうち原油を除く5品目は数量として世界一の輸出実績を持っている。こうした一次産品のリスクヘッジ機能が崩れたのが85年で、逆オイルショックと一次産品の双崩落にあってマイナス成長になった。このときに初めてマレーシアの為政者たちは、一次産品は多様化しているとはいえ、それらが持つ怖さというのをかなり主体的に計りまして、ブミプトラ政策と言われるマレーシア民族主義をかなり訂正するような形で外資導入を図り、産業構造の高度化、経済の高度化を意図的に図っていく。

  これが非常にうまく行き、88年〜90年の3か年間は日本からの直接投資がどんどん伸び、それが牽引して最近まで続くマレーシアの非常に高い経済成長の基調を作ったというような時代であったように覚えている。

 その中で彼らもとってきた1つの政策が対米ドルの安定的な為替相場維持、為替相場政策としてのドルペッグであり、タイほどドルに連動していたようには見えないが、大きくスコープをとって見るとやはり2.5リンギットぐらいでドルペッグしてきたということが言えるだろうと思う。ですから、マレーシアもタイと同じロジックの中にあり、95年の4月、5月にドルが80円まで下落するに従って、マレーシア・リンギットも輸出環境を好転させ経済成長を続けていた。ただ、タイと少し違う動きがあったのは、93年の暮れから94年来にかけて起きたマレーシア・リンギットの切上げ投機である。これは、それまで台湾・ドルであるとか、あるいはシンガポール・ドルであるとか、韓国・ウォンであるとか、これがそれぞれ二国間協議等々を通じて、アメリカから言われて多少なりとも切り上げていったという中で、マレーシア・ドルは二国間協議その他の場はなかったと思うが、市場の方で勝手に動いて、かなりな切上げ投機が起きてきたわけである。この切上げ投機というのはどういうことを意味するかと言えば、外貨を売ってマレーシア・リンギットを買って、マレーシア・リンギットの形で持っているということを意味する。マレーシアは大変強い管理法体系があるから、国内で非居住者がマレーシア・リンギットを買ってそれを積み上げるとエクスターナル・アカウントと呼ばれる特別会計の中でいくらぐらい積み上がったかすぐわかる。そうすると、これに対しては100%のリザーブをかける等、鎮めるような手を国内的には打った。

  そして、マレーシア・リンギットの資産をどうやって取れるかと言えば、シンガポールでマレーシアの株を買うという格好で、マレーシア・リンギットの資産は取れる。マレーシアとンシガポールは、両取引所が設立の経緯等から相互上場、相互取引ということが長く約束されている。すなわち、シンガポール市場で手続をとって上場すると、クアラルンプール市場でも上場されたことになり、クアラルンプール市場でも取引ができる。したがって、マレーシア・リンギットの切上げ投機のときには、マレーシア株が大量に買われる格好になる。シンガポールの中でマレーシア・リンギットが売り買いされるから、アジア通貨の中では非常に珍しくマレーシア・リンギット対シンガポール・ドルというのは、真ん中にドルをかませないで直に為替相場が成り立つというようなことが、アジアの通貨間の中では非常に限定的ではあるが行われていた。それから、その一部はシンガポール市場で非居住者が持つマレーシア・リンギットの残高というような格好で、言ってみればユーロ・マレーシア・リンギットというものが積み上がっていっていたということがあり、この辺はタイとはやや違った状況であった。

 95年の8月に82〜3円だったドルが突如として上昇に向かっていき、これもタイとよく似た状況であるが経常収支その他が逆転してくる。マレーシアとタイの差は、マレーシアは短期資金の流入には非常にきつい規制をかけており、これは、日本で言えば80年の12月になくなった前の前の管理法体系に非常に近いつまり、不要不急の外貨借入などは、中銀は許可しない。その代わり、外貨資金がどうして必要なのか、なぜドルでなければいけないか、円でなければいけないかということを論理的に説明すれば中銀は当然のことながら許可を下ろす。マレーシアでは短期資金の流入・流出に対してはもともとからかなりきっちりしたコントロールが加わっていたが故に、タイと違う点は1年未満の短期資金取入れ残高が外貨準備を超してしまうという状況を招来せずにすんでいたということが言えると思う。そして、ドルペッグしていたが故に、天井まで切り上がってしまった自国の通貨を調整すればよかった。そのときに、マレーシアはどこかの国の政府のように、「我が国はこんな経常収支の赤字は耐えられない。よって我が国に対しての経常収支の黒字産出国の通貨を切上げさせるということは、通貨政策上プラスである」という説明をして切り下げておけばよかったが、そうしないうちにタイ・バーツがフロートし、マレーシア・ドルが売られた。その売られ方の中では投機筋がかなり加担したかもしれないということは言える。それは、ユーロ・リンギットの存在があり、これは投機筋にとってみれば、ドルを担保にして、マレーシア・リンギットを借りて、借りたマレーシア・リンギをスポット市場で売りドル資産にしておく。このマレーシア・リンギットの借り、その他通貨の資産、このポジションがベア・スペキュレーション、切下げスペキュレーションである。それとともにシンガポールで取引が可能なマレーシア株の先売りをして、この株が下がったからというのでまた通貨のリンギット売りを呼んで、どんどん切り下げさせた。こういう操作が可能なような状況にマレーシア・リンギットはあったということが言えると思う。

 こうして、通貨が急激に切り下がってきたときに、彼らはどういう政策をとるかと言えば、IMFと相談しながらであるが、マレーシアはIMFには行かないで、もし、行った場合につくであろう条件を自分で判断した上で、それを展開し世界のマーケットの好感を呼ぶという方法をとる。これは昨年の12月の第3週の終わりぐらいに次のような発表をした。つまり、それまでの予算では7%を超えない成長を98年度は考えるということになっていたが、12月の緊縮後は2%から3%の経済成長、また経済成長を低下させるために、財政カットをするという話を出すわけである。

 私は、その発表日に、クアラルンプールにおり、翌日、大蔵次官とアポイントが取れていた。そして私から、株価が下落しており、したがって、これが民間の信用縮小を呼びなどということで、黙っていても経済はコントラクションを起こすのだろうから、これ以上財政を切ったらまずいのではないかという議論を吹っかけてみた。そのときの大蔵次官の答えは、「エコノミストとしては、その意見に100%賛成する。ただし、これは政府の民間に対するメッセージの一種であると思い、この政策はポリティカル・アポインティーズとしては賛成をする」と言っていた。つまり、そのメッセージというのは、「政府も不要不急の投資は一時サスペンドするから、民間の方も不要不急の消費投資は差し控えてほしい」、というものである。それで、「ISバランスのIの方を縮小することをもって経常収支そのものの回復を図りたい」という説明であった。

 そのときの説明の前提になっている98年の経済成長は、2〜3%のプラスだったが、それが蓋を開けてみると第1四半期は2.8%、第2四半期が6.8%ということになった。それに加えて、この政策が発表された瞬間には市場は多少の好意を見せて、マレーシア・リンギットは多少戻ったが、相場はその後ジリジリと売りこまれていく。売りこまれる度にエコノミストの方からは、「マレーシアもアジアである、アジア的であるが故にマレーシアも売られている」と言われる。こういう声にかなり不満であったマハティール首相から今年の予算教書の中で、「実態をわかっていない」という感じのメッセージが、出ている。一国の予算教書の中にロングターム・キャピタル・マネージメントの話なども含めて、固有名詞入りであげつらっているわけです。また、その中にマレーシアが追い込まれていった状況と、その背後にあったグローバリゼーションであるとか、あるいは市場主義的な考え方とかいうものに対する彼らの非常に激しい不満というか憤りというのが非常に素直に出ているような気がする。

 IMFが言うとおりにやっていたら、どれもこれもみんなうまくいかないということで、ISISが、いろいろなキーワードを使って世界中のウェッブ・ネットワークから3,600本もの論文を取り寄せた。それを全部読んだ上で、固定相場に復帰し固定相場維持のために必要な手を打とうということを書いたのが6本あった。この6本を中心にしていろいろなことを考えていって、8月の初旬に決めたのがマレーシアの新しいパッケージである。

 これは8月5日か6日の御前会議で決まった。それまでに御前会議は26回開かれており、出席者はマハティール首相、ダイム特別大臣、アンワール大蔵大臣、ノルビン・ソピーISIS所長、それから、多分、中銀のフォン副総裁が時々入っていた。

 これが、マレーシアの政変というやや劇的なイベントを伴いながら発表されるのが9月1日、2日であり、これに対して非常に厳しい論調が広がった。

  私は10月20日過ぎにニューヨークとワシントンにおりまして、こうした論調の元といえるマネーセンター・バンクやシンクタンク、あるいは国際機関の人たちと、この問題について議論しようと思っていたが、そのときまでに、これらの人々の理解が進んで、マレーシアに対する同情が非常に広まっており、議論にならなかった。

  今後のマレーシアについては、予算教書に当面する課題と予算の戦略ということでここに述べられている。これに加えて、原油や一次産品の価格が今少しずつ動きつつあるような気がしていて、これがもしかすると来年のマレーシアのパフォーマンスを大きく左右するのではないかということもある。

  それから、この予算教書、あるいは9月のパッケージ等を見て、ともかくぬくぬくと集中治療室に飛び込んでしまった。そして、冷たい風が当たらなくなったからといって、集中治療室でみんなでさぼり合うのではないかという心配をする人が何人もいる。ただ、これはこの予算教書のなかでも、近代化と改革の努力というのはきっちり続けるということを何回も書いている。金融界で言うならば、ダナモダルト、ダナハルタという2つの特別目的会社を作って、これを中心に公的資金を注入しながら近代化を押し進めていくということを約束している。また、マハティールが80年代後半に国営企業でブミプトラであれば何でも許されるということはないのだと言って、国営企業、公的機関を締め上げ、必要とあればブミプトラを切って中国人を登用していくというようなことをこれまでもやってきており、マハティールやその仲間というのは、こういうことを約束したらギリギリやっていくという、これはそういう意味で集中治療室に入って改革をさぼるというわけではないなというふうに見てやりたいと思う。

 しかし、こうしたことを総合的に展開していくのに十分なお金があるかと言えば、不足している。2つの金融改革のための特別目的会社を創って、これの資金調達のためにマレーシアは海外で外債を出そうとしていた。先ほどから述べてきた状況のとおり、マレーシアの格付けはずうっと変わらなかった。去年の今頃、韓国が、2週間の間に4段階と3段階と7段階落ちたことがあるが、そういうことから比べれば非常に安定的な格付けできていたのだと思う。それは政府の公的な債務や民間債務又は短期債務の方も、コントロール可能な中に入っているということであったのだろうと思う。しかし、特別目的会社の必要資金としての外債発行のためにダイム特別大臣とアンワール大蔵大臣がロードショーに出かけようという2日前に、格付け機関が2つ格付けを落とす。それでこの予算教書のなかでも「故意に意図的に格付けを下げた」と怒っていると思うが、格付け会社は違う説明をするであろうが。何が言いたいかと言えば、やはり海外の資金は必要なのだろうと思う。ただ、こういう状況で公募債のような格好で普通民間市場から調達ができるかどうかわからないなという感じがする。そこで私は、こうした資金を円でもあるいはドルでもあるいはマレーシア・リンギット建てでもいいから、マレーシア国債を宮澤プランの一部として、日本の外準の中で買ったらどうかと思う。


(2)国別報告「フィリピン」

 一橋大学商学部教授
小川 英治

 フィリピンは84年からIMFの主導のもとで経済運営が行われており、ちょうど卒業しようというときにアジアは通貨危機となった。今回、IMFの支援を受けた他の国、特に韓国、タイ、インドネシアとどういう違いがあるかということに関心があり、比較しながら報告する。


 (1) アジア通貨危機の特徴とフィリピンとの比較

 まず1つはマクロ経済パフォーマンスが良好であった。特に財政面、金融面、そして金融面では特にこれはマネーサプライである。2つ目に金融部門の脆弱性。3つ目には短期資金が流入した。これは特に注意すべきなのは、95年以降に急激に入ってきているということである。これらの国のバブルのピークは94年あたりであるが、バブル終了後に短期資金が大量に入ってくるというところはフィリピンに限ったことではないが、興味深い点と思う。それから、4つ目は、事実上のドルペッグをとっていた。5つ目は、金融危機が併発したということである。こうしたアジア危機の一般的に言われている特徴と照らし合わせながらフィリピンについて報告する。


 (2) IMFの金融支援と経済パフォーマンス

  [1] 製造業生産指数成長率とインフレ率

 IMFの金融支援が入った84年以降のインフレ率と製造業の生産指数の伸びの推移をみると次のとおりとなる。まず、84年には緊縮的なコンディショナリティーが課せられ、それ以前の状況に比べて両指数ともに低下している。もちろんIMFが金融支援に入る前には、金融危機が発生し、債務の不履行が発生していた。しかし、85年頃から相当なマイナスまで落ち込んだために、86年11月に金融支援の見直しがなされ、成長志向型の再建計画が出され、その後は生産指数の成長率が伸びてきた。しかし、やはりインフレ率が上がり、生産指数の伸びが30%ぐらいまで上昇したことから、89年3月には、抑制ぎみになって、その後はこの状況が続いている。ただ、特徴的なのは、92年3月に公共部門の赤字の縮小があった後に、94年6月にはIMFの8条国に移行する、あるいはフィリピンの金融市場の自由化を進める、あるいは国際化を進めるということがこの時期に起こってきた。そして、97年に通貨危機が発生した。

  つまり、IMFの金融支援が入って、初めの頃は非常に厳しいコンディショナリティーから成長率の低下、そして緩和と相当フラクチュエーションしたが、その後は比較的安定している。

  [2] 経済成長率の要因分析

  次にアジアの経済成長が技術革新で起こったのか、あるいはただ単に資本が蓄積して起こったのかというところをみる。ここでは、教育や資本蓄積では説明しきれない1人当たりの経済成長率の要因を全生産要素の成長率としてみている。そしてこの部分を技術革新ということで考える。フィリピン以外は、全体の成長率は非常に高く、そして技術革新の部分が大きいか小さいかは、人によって見方がいろいろあるかと思う。成長率の半分ぐらいは技術革新であったといえる。

 それではフィリピンはどうかと言うと、まず全体の成長率はマイナス、そして技術革新のところは全く伸びてなく、むしろマイナスになっているという結果になっている。これが、IMFが入ったからマイナスとなったのか、あるいはIMFが入らなくてもマイナスだったのかというのはちょっとわからないが、これはやはり今後の1つ研究テーマである。製造業生産指数成長率でみると、はじめは変動し、その後は10年ぐらいして安定化していたわけであるが、成長率に対してはもしかしたらネガティブな効果があったかもしれないということである。


 (3) 通貨危機までのマクロ経済パフォーマンス

 フィリピンの実質成長率をみると、88年以降、世界平均と比較すると上下しているが、他の東アジア諸国に比べれば成長率が低かった。これは、フィリピンが緊縮的な政策指導の下で中立を守っていたということで低かったという可能性もあるし、あるいは先ほどの技術革新などがあまり進まなかったということもあるかもしれない。

 次に、インフレ率をみると、90年頃に比べると、収まってはいるが、通貨危機が発生した時期では、他の国に比べるとやはりフィリピンのインフレ率が高いという状況になっている。よって、時系列で見るとフィリピン自体は最近のところでパフォーマンスはよくなっているが、他の東アジアと比べるとそれほどでもないということである。

 次に経常収支については、他の国に比べて特別に悪化しているという状況ではなく、むしろ良い方であり、これはIMFの指導の下で優等生だったと思う。

 次に公的部門と民間部門の収支をみると、まず公的部門については、タイ、マレーシアは黒字であるが、フィリピンは若干財政赤字があるが、特別大きいということではないと思う。

 そして民間の収支は、危機の直前のあたりでISバランスが悪くなっている。

 次に為替相場であるが、危機以前のフィリピンは、やはり90年代に入ってからは少しアプリシエーションしており、タイ、マレーシア、韓国と比較するとフィリピンの方がアプリシエーション率は大きい。これは、インフレが他の国より高かったということも影響している。

  次に、輸出成長率をみると、韓国は95年から急激に低下してくる。また、タイも95年から輸出成長率が下がってきてマイナスになる。つまり、タイも韓国も危機の前あたりで輸出成長力がマイナスまできているというところが、実物経済の方からいって危機の原因になっている可能性がある。フィリピンはそれに比較しまして、為替相場は切り上がっており、輸出成長率も、95年から少し低下してはいるが、ただ、それでも水準は10%程度の成長率は維持しており、タイや韓国に比べると貿易面ではそれほど悪化していないとみれる。

  次に、外貨準備をみると、フィリピンは他の国に比べて水準は低かったといえるが、減少してはなかった。

 通貨危機が発生するまでのフィリピンのマクロ経済パフォーマンスは、経済成長率やインフレ率は、他の危機に陥った国より悪化していたが、特に貿易収支面ではむしろいい状態にあったということは言える。


 (4) 通貨危機とその影響

 次に通貨危機後の状況を他の国と比較する。

 まず、為替相場の動きであるが、通貨危機以後は、タイやマレーシアと同じような影響を受けており、97年7月から低下し、今年の9月末には元の相場の6割程度のところで推移している。

 次に株価の動きも、マレーシアやインドネシアと同じような動きになっているが、ただ、最近、上昇しており、他の国より若干改善している。

  次に、GDPの成長率(%)をみると、98年IQ及びIIQは、インドネシアで7.9、16.5、韓国で3.9、6.5、マレーシアで2.8、6.8そして、タイが16.8、15.8ということで、相当大きく落ち込んでいるが、フィリピンについては1.7、1.2とそれほど落ち込んでいない。

  輸出成長率は他の国がマイナスになっているのに比べて、フィリピンも伸びは低下しているが、98年IIQでまだプラスの14.4%であり、フィリピンへの通貨危機の影響というのは、それほど実体面では大きくなかったと思う。

  次に、金融危機がタイ等で発生しているが、短期金利の動きをみると、世銀のスティグリッツなども言っているが、通貨危機が発生したときに、瞬間的に高金利にして投機攻撃を防ぐということは必要であるが、それをあまり長く続けると、今度は国内の経済にダメージを与える。しかも、タイやインドネシアなど国内で金融の問題が起こっているところで、さらに金利を高くすると、貸し渋りの状態がもっとひどくなって実体経済に悪い影響を及ぼすということが起こってくる。例えば、タイは、20%を超えるような金利を1年間続けるということで、経済成長率を低下させていくということになったと思う。フィリピンも最近は15%程度に下がってきているが、危機前の10%程度と比較すると、高い金利が続いているといえ、金融収縮、銀行の脆弱性の問題が出てくる、という問題があると思う。

  次に、信用収縮の関係で、民間部門の信用成長率をみる。タイ、韓国、インドネシアは、ともに伸びがマイナスとなっており、フィリピンも短期金利が上がって信用収縮が発生しているということになっている。しかし、ここで説明がつかないのは、GDP成長率、あるいは輸出成長率が他の国ほど落ち込んでいないというところであり、その乖離の原因は何なのかというところが問題になるかと思う。


 (5) 金融部門の脆弱性と資本流入

  金融部門の状況を民間部門の信用のGDPに対する大きさでみる。この指標は、その国がどの程度銀行に頼っているかということを表しているが、一昔前はどの程度金融部門が発達しているかという指標に使われていた。例えば、日本を見ると95年で118%と非常に高い比率になっており、あるいはタイも98%と大体GDPと同じ程度。そして、韓国でも61%ということで、大体東アジアの国々は高いといえる。ただ、フィリピンについて見ると38%と、他の国に比べて相当低い状況になっている。この理由については、いろいろ言い方はあるが、一昔前で言えば銀行部門があまり発達していない、そして最近の言い方では、フィリピンの金融はあまり銀行に頼っていないということが言える。よって、フィリピンでは、信用収縮が起こっても、それほど銀行に頼っていない又は、銀行部門が発達していないので、それほどGDPに影響しなかったのではないかということが推察される。また、不良債権比率や対外債務比率をみてもフィリピンの銀行はともに、他の国に比べると相当低くなっている。よって、高金利で信用収縮があったとしても、GDPの与える影響がそれほど大きくなかった理由というのは、ここにあるのかなというふうに思う。それでは、フィリピンでは、歴史的に銀行の問題がどうだったかというと、一橋大学の奥田先生の研究によると、銀行が未発達であったというトーンで書かれていて、自由化は一生懸命するが、なかなか銀行が発達しなかったというような状況だということである。

 次に資本移動の問題をみる。資本移動全体では、フィリピンは他の国に比べれば水準は低く、83年、91年はネットでマイナスになっている。ただし、92年それと96年は高くなっており、危機の起こる間近のところでは他の国と同様にフィリピンに資金が入った。次に短期資金の大きさをみると、フィリピンの短期資金は全体に比べると、半分ぐらいであり、短期資金の比率が比較的高くなっている。

  次に資本移動の動きを時系列的に見ると、IMFの指導の下で8条国に移行し、また、金融の国際化、自由化が進んでくる94,5年あたりから資金がフィリピンに大量に入ってくる。そして、特に96年の危機の直前に大量の資金が入ってくるということは現実に起こった。その要因は、証券投資も多いが、いわゆる、国際収支表の「その他投資」の中の銀行部分、つまり外国の銀行からの融資がこの直前に大量に入って危機の後にサッと逃げていくということが起こっているように思う。

  つまり、フィリピンでも他の国と同じように高金利になっていたが、それがGDPや輸出成長率に悪い影響を及ぼしていなかったのは、実はあまりフィリピンでは銀行が活躍した数字になっていなかったということがここでいえるのではないかと思う。タイや韓国の場合は、銀行の脆弱性の問題がある中、資金が外国から入ってきて、それをうまく使いこなせなかったということで危機が発生したと言われているが、例えば中国の場合、不良債権の問題は非常に深刻な問題がある中で、問題が発生しないのは、資本規制しているからということだと思うが、フィリピンの場合は資本は大量に入ってくるが、銀行が活躍するのにはまだ未発達だったというところで、それほど被害が大きくなかったと言えるかと思う。


 (6) ドルペッグと貿易収支

  次に、ドルペッグがどういう影響を及ぼしたかについてみる。まず、今回危機に陥った国々は事実上ドルペッグだったということで、どれほどドルにターゲットを置いた為替政策をやっていたかという世銀に行かれた河合先生の分析によると、タイなどは8割程度という値であるが、フィリピンは大体100%ドルにターゲットを置いていたという結果が出ている。しかし、貿易収支に与える効果というのは、ドルペッグをすることによって円安、ドル高の影響をもろに受けることになるわけである。円安・ドル高でドルペッグをやっていれば、円安、ペソ高になるわけで、それが貿易収支に悪い影響を与えたということになるので、もう少し円にウエイトを高めていれば貿易収支が悪くなくなっていたのではないかということが言える。そこで、貿易収支の安定化を目指してバスケット・ペッグの中でのドルのウエイトを計算し直すと以下のとおりです。これは、伊藤先生との研究の結果であるが、前提として、日本とアメリカからある比率で原材料を輸入してきて、日本のマーケットで日本と競争していて、アメリカのマーケットでアメリカと競争しているというライバルとどういう価格付けをして貿易するかというモデルを作って計算したものである。よって、単に輸出や輸入の比率だけではなくて、そこにプライシングも考えて計算したものであるが、これによると、ドルの比率が6割〜7割という値が貿易収支を安定化させるという結果が出ている。100%ドルにペッグするのではなくて、逆に言うと3割ぐらい円を考えたバスケット・ペッグにしていれば貿易収支は安定化が図れただろうといえる。

 (7) ドルペッグと資本移動

 次にドルペッグと資本移動についてみる。フィリピンの国際収支統計のなかの投資収支の「その他投資」を取り出して金利差やGDPで回帰分析した上でシミュレーションした結果が以下のとおりとなる。現実の「その他投資」の資本移動の動きと、もう少し円にウエイトを置いて、円の動きをもっと小さくしてドルの動きを大きくしたらどういうシミュレーションの結果とを比較すると、もう少し円にウエイトを置けば、資本流入がこれほど、特に90年代のところで入ってこなかったのではないかということで言える。よって、貿易面でも資本移動の面でも、ドルペッグではなくて円にウエイトを置いたバスケット・ペッグにしておく必要があっただろう、あるいは今後もあるだろうと言える。



(3)質疑・討議


〔 斉藤委員 〕 マレーシアが9月に実施した措置というのは、マレーシア側から見ればリンギットの投機を受け、その投機圧力の下でどうしても国内金利が高めになる。あるいは下げようと思っても下げられないということが原因だったと思う。

 そこで非常に個人的に興味を持っているのは、その投機がどの程度のボリュームだったのか。今日も話があったように、シンガポールにある在外マレーシア・リンギット勘定の残高が急激に増えていって、それを使ってマレーシア・リンギットの売りボジションを作った。それでは、マレーシアからシンガポールにどれぐらいリンギットが流れたのか?マレーシアの方では、マレーシア国内金利が8〜9%のときにシンガポールでは20%の金利であり、月に10億ドル単位で流れており、絶対に止めなければならなかったという話を聞く。一方、シンガポールの方では、リンギット勘定はあったが、そんなに大量なリンギットがシンガポールにあったわけではなく、金利も確かにシンガポールのリンギットの預金金利は高かったが、それもせいぜい2、3%であり、シンガポールとマレーシアの関係を考えれば、そんな差がつくばずはないと言っている。どちらかと言うとシンガポールの方が正しいと思っているが、篠原委員の感触をお聞きしたい。

 もう一つ、非常に技術的なことだが、シンガポールにあるリンギット預金を外国人は借りて、それを売ってドル資産をとってくる。リンギットがシンガポールで売られたとき買い手は誰だったのかという疑問があり、そのあたりも聞きたい。

 第2点は、もう少しマクロの話であるが、現在のマレーシアの政策の一番の関心事は、資本規制をいつやめるか。固定為替レートをいつやめてフロートに戻るかという事だと思う。資本規制はいいのか悪いのか、あるいはそういうことが実施できるのかできないのかという議論は、私の立場からは非常に簡単で、長い目で見れば悪いに決まっている。短期間、2,3か月を超えて続ければ、必ず抜け穴ができて、実施できなくなる。たがら、これはある時点でやめなければいけない。いわゆるイグジッド・ポリシーをどういうふうにやるかというのが、マレーシア政策当局者を含めて今の一番の関心事であると思う。


〔 篠原委員 〕 実は、シンガポールに私どものの支店がありまして、マレーシア・リンギットの在外バランスを受けてきた金融機関の1つであるが、それからみるとマレーシアの言い方よりはシンガポールの言い方の方が実態に近いと思う。マレーシアの方は月に10億ドル、あるいはシンガポールだけで200億リンギットぐらいのバランスがあったというような言い方をするが、予算書の中にも出ていたと思うが、海外にあったリンギット・バランスの意味をなくしたために、帰ってきた資金は17億リンギットとか25億リンギット程度であり、現実はそんなに大きくなかった感じはする。しかし、ある種の経常取引があって、その上にスペキュレーションも入った需給があって、一応均衡に動いているときに、ほとんど完璧にアディショナルに需給バランスを動かすような動きがあると、量的に大きくなくても相場というのは急激に動いていってしまうということがあり、マレーシア・リンギットの場合も大きな金額ではなくても押し下げていく力はあったのだと思う。

  そして、そのときに誰が買ったか。これは、当初はマレーシア中銀が必至になってやっていたが、離した途端にそれはシンガポールで売られて、シンガポールの相場というのはクアラルンプールに全く同時に出てくるから、それは当然のことながら逆サイドが出てくるはずである。つまり、それはリンギットがどこまでいくだろうかというようなことを見極めながら逆サイドの実需がぶつかっていたと言えるのだと思う。

  ただし、そんなに大きくなくても動くということと、それから、例えば200億リンギットがあったとして、それが全部売られたかというと、そんなこともないのではないかと思う。前述した帰ってきたリンギット・バランスは、華僑が持っていた。それは単純にそして事務的に言えば、シンガポールの本店にあった勘定がクアラルンプール支店の勘定に同じデポジターの名前で綴る、というような動きで帰っていった。シンガポール支店にあったリンギットは1ドル=3.8リンギットで計算してUSドルに9月2日から変わる。つまりリンギット・バランス3,800ドルあった人は、翌日からUSドル1,000ドルの預金があるということにする、となった。これは銀行がポジションを持ってしまうが、その逆サイドになっているリンギット・バランスは本支店のリンギット・バランスでクアラルンプールの支店の中に積み上がってエクスターナルのままになっている。しかし、そんな状況になっていても、銀行としては問題がなかった程度の額であったと言える。

 資本規制や、固定相場制をいつやめるか。マレーシアはこれまでもかなりしっかりした精妙な管理法体系の中で管理をしていた。そして今回は非居住者の持っているバランスをなくし、シンガポールでの株の取引をやめさせた。そして、株売却代金の国内保有義務を1年と定めた。株価が今年の3月、4月に戻ったが、あのときに欧米系のファンド等はほとんどが帰った。逆に日本のファンドは入ってきており、日系の証券会社などは今回の措置を怒っている。いつまで続くかということについては、わからないが、もしかするとそんなに遠くない時期に、為替の方が落ち着いてくると多少の調整はあり得るだろうと思う。ただ、リンギットのユーロ化は困るという点と、シンガポールでの株取引はやめるというのはしばらく続くかもしれない。これは我が国が円のユーロ化を延々と嫌がっていたというのとよく似たケースであるし、これがなくても外貨は入るし、その入ってきた外貨を有効に使った経済成長というのは考えられるのは、例えば中国を見れば明らかなことだろうと思う。固定相場については、いろいろなバランスからみて、1ドル=3.8リンギットではなくて3.5リンギットであるというような話も聞きますが、これはマレーシアのいろいろなバランスの中で、ある日、突然に調整をするかもしれない。また、このまましばらく続く可能性もあり、これは為替の上がり下がりが、いかにも生きるか死ぬかに近いような解説を市場の声として大騒ぎをするというのが、極めてアノーイングなのであり、これが収まればすぐに外すかもしれない。


〔 原 座長 〕 クルーグマンは、3年だと言っていたように思うが。


〔 篠原委員 〕 3年でもいいとは思うが、明確にみんなが何が起きているかということを理解した上でいろいろなことを判断するのならともかく、そうでなくて、表見的なところで判断して、これが不要な為替の動きを呼んでくるという状況だとすると、しばらくはこのままでいく。しかし、もしかすると、ある日、突然に1ドル=3.8リンギットであったのが、例えば40円=1リンギットとしてドルから外れるということすらあり得ると思う。


〔 小川委員 〕 質問の1つは、資本規制をするということはカントリー・リスクの1つだろうと思うが、そうすると、カントリー・リスクが高まったということで直接投資が減少する傾向にあるのかどうか。もう一つは、どうしてマレーシアはまたドルペッグであるのか。どうしてドルにこだわるのだろうというところを質問したい。


〔 北村次長 〕 資本規制といってもいろいろな中身があって、篠原委員の言われた非常に慎重であるリンギットのユーロ化などの資本規制というのはかなり長期的に続き得る話だろうと思う。それはなぜかと言うと、アメリカやドイツですら、自分たちの通貨がユーロ化するというのは非常に慎重だった。小国という立場で自分のところの通貨を守らなければいけないという意味では、スイスなりシンガポールは今でも自分の国の通貨のユーロ化は避けている。マレーシアでもそういう意味での小国というふうにみなせば、リンギットのユーロ化を避ける政策はかなり長い間、あるいは永遠に続けるかもしれない。そういう意味では、資本規制の中でもいろいろな種類があって、長続きすべき、あるいはしてもいいものと悪いものと、多分、場合分けの議論になるのではなかろうかという感じがする。その点に関連して篠原委員の論文のなかで、そういった通貨であるリンギットを日本が外準に入れるのは、違和感を感ずる。


〔 後藤委員 〕 マハティール首相は、ローカル通貨間による決済を提唱していたと思うが、今回の固定制がうまくいけば、これをベースにマハティール首相がローカル通貨間の決済の話を又出す可能性はありうるか。それと、正直言って、企業にとって1ドル=3.8リンギットが続く限りにおいては非常に計算しやすく読みやすいが、突然変更するというような政策のブレに対して企業としてどう読んでいくかというのは余計難しくなった。


〔 飯島委員 〕 マレーシア、インドネシア、シンガポールでの企業のヒアリングによると、今回の固定制については、ポジティブに受け止めている。ともかく将来の通貨の交換価値がわからないというこれまでの状況と比較すると、ポジティブに見ているところが非常に多かった。

  それから、シンガポールのディーリング・ルームを回ってきて意外に大きな交渉をリンギットのディーラーが占めており、リンギットの外における存在、シンガポールにおけるディーリングの存在というのは非常に大きかった。

  市場経済論からすれば、確かに市場均衡論、市場万能論というのがあるが、私はマネーの市場ということについては、決定的に違うベースで考えなければいけないと思う。マーケットが安定して動いていてもクロージングで極めて小さなディールが1つ成立したがために、クロージングが大きく変わるというようなことも重々マーケットではあり得るわけで、市場経済は必ずしも需給の均衡の場であるというふうには、為替については言えないのではないかと思う。


〔 深川委員 〕 最近、ブラジルもIMFから信用を受けるようになって、ブラジルはコンテイジョンの被害者であり、助ける必要があるという考え方がある。それではマレーシアもある種のコンテイジョンだから、投機に対抗してもしようがないと考えるのか。あるいはどこまでをコンテイジョンと見て、どこから先を本当に根本的に問題があったとみるのか、またどこで線引きするかについてどのように考えるか伺いたい。


〔 篠原委員 〕 資本規制により、カントリー・リスクが高まり、それにより、直接投資は減っているのではないかということについては、9月以降の直接投資の数字がまだ発表されてないのでわからない、論理的にはないと思う。つまり、直接投資に対する対応は、9月1日以降変わっているわけではなく、むしろ予算教書の中でも言っているとおり、直接投資は歓迎しており、インセンティブをこれまで以上に与えるかもしれない。

 なぜドルペッグを維持するかについては、当面はマレーシアの国の中は全部ドル中心で作り上げられている。これはインボイシングも決済もドルで、あまりないが外貨による貿易金融が必要とあればドルでやるという世界だったと思う。確かに、ドルペッグはややまずかったと、反省しているのであれば、なぜドルペッグを維持するのかという疑問もなくはないがこれは実務的な面だと思う。

  マレーシアリンギットを日本の外準に入れることの疑問点については、指摘のとおりである。支払い準備という意味からすると、マレーシアに向かって支払う以外に支払えない。ただ、投資や運用など外準の考え方を少しだけ広げるということも可能ではないかという気がする。

  ローカル・カレンシー同士の決済が必要というのはそのとおりだと思う。これまではシンガポールで行われていたマレーシアドル(リンギット)とシンガポールドルの直接取引以外はなかった。いろいろな障害はあるが、インフラ整備を行い、その整備を始めたら直接の為替取引、お互いの通貨を相互に使い合うということがうまくプロモートできないかということを考えており、遠からずそうしたペーパーをお届けできるかと思う。「アジア通貨集中決済機構」というものを考えたらいかがかと思う。慎重にかつ綿密に練り上げていかなければならないが、アジア通貨基金構想を作り上げていって、それにこの地域の人たちを呼び込むとしたら、アジア通貨基金の下部組織として、こうした決済機構を持つと良いと思っている。方向としては、域内貿易というのが3割以上あるので、全貿易の3割ぐらいは域内通貨でやるのは正しいだろうと思う。

 コンテイジョンだったのかどうかについては、実は連想ゲームという意味ではコンテイジョンだったと思うし、マレーシアもドルペッグを外さなかったということで、同じシンプトンが見えていた、だからアタックが来たということだろうとは思う。95年の8月に始まった協調介入と先進国間為替の相場の訂正、つまりドルの独歩安からドルの独歩高への時期がこんなに長くつづくということを最初から教えておいてくれたら、マレーシアやタイはとっくの昔に調節しただろうと思う。よって、アジア通貨危機の最大の根源は先進国通貨間の非常に身勝手な自国の論理だけでの大幅な為替変動にあっただろうと思う。

 マレーシアの固定制に対して企業はポジティブに受けている。またリンギのシンガポールでの存在は大きかった。そしてマネーや為替についての市場の問題というコメントについてはが、私へのサポートとして理解しておく。


〔 林 委員 〕 小川委員に対しての質問である。私は個人的には、通貨制度というのは歴史的に決まっているのではないかという感想を持っているが、すなわち、ドルペッグからバスケットに移行していくのだろうと思う。小川委員の話のなかで、3割ぐらい円をバスケットに入れればいいという話はわかるが、アジアが発展した1つのバックグラウンドとしては、やはりドルにペッグしていたというところの双方向性をもう少し考えてみる必要があるのではないか。すなわち、円安になった、ドル高になったというのであれば、ダーティー・フロートにするというような意見にも聞こえかねないが、そこの調整をどのように考えればいいのかということを聞きたい。


〔 飯島委員 〕 フィリピンに関して1つだけ気付いた点を、いわゆる輸出仕向け先の構成が全然違うということだけ1つ指摘しておきたい。フィリピンの場合対米輸出が34%ぐらいあり、欧州に対する輸出が十数パーセントということで、大方、欧米向け輸出が50パーセント近い。ところが、タイ、インドネシアあたりの場合は対米向けが17〜8%、欧州を入れたとしても二十数パーセントという数字である。つまり、フィリピンの貿易の相手国の仕向け先国の大きな違い、決定的な違いがバスケットのコンテクストに大きく影響している。それから、フィリピンが成長率がマイナス成長にまで至らずに、何とか維持できているというのは、対米輸出、対欧輸出が安定的であったことによると思う。そして、輸出の伸びも20パーセント程度あったことを指摘したい。


〔 篠原委員 〕 ドルペッグの良い面という話に一言だけ述べると、ドルペッグであったことの良い面というのは確かにある。つまり為替相場が安定的であったこと、経済成長をかなり押し上げたということもあると思う。したがって、小国にはダーティー・フローしかあり得ないと思う自国の通貨を自国のものとして責任を持って重要視する以上、これはダーティー・フロートをすべきであって、3.8リンギットを1ドルと固定するというのもダーティー・フロートの一局面と言えると思う。


〔 北村次長 〕 フィリピンの先ほどの説明の中で、銀行部門の貸し付けとGDPの比率をどういうふうに解釈するかという非常に難しい問題がある。銀行部門が非常に脆弱であるかどうかというのは、例えばタイの場合には相対的には銀行がある程度でき上がっていて、ノンバンクの部門がいろいろな動きを示したことによるのかもしれないので、なかなか難しい。今、例えば銀行部門の脆弱性というので一概に、我々の議論としては、市場経済移行国とか開発途上国は「銀行部門の脆弱性がある」という議論で一元的にすましてしまうが、それは何か別の見方で、銀行部門の強さ、弱さというような議論をもう少しキメ細かくIMFの方でやるのかということを聞きたい。


〔 斉藤委員 〕 フィリピンとIMFということで、銀行部門の問題と成長率が低かったということについて、述べる。フィリピンの現在の経済状況を考える上で、1980年代に何が起こったかということを頭に入れておかなければいけないと思う。1980年代のフィリピンはラテンアメリカのデッドクライシスと同じで、あれに付き合って大変な苦労をし、かつ、銀行整理をやった。つまり、銀行部門を小さくまとめて固くしたということで、そういう意味で銀行セクターが量の面でディベロップしてないという言い方ができると思う。しかし、資質の面では、不良資産が少なく、そういう意味では脆弱とは言えず、相対的にはむしろ強い銀行部門であるといえる。そして、現在では銀行部門の評価としては、やはりもっと質を見て、不良資産が多いかどうか、あるいはBISの資本比率が高いかどうか、そういう見方が中心になっていると思う。

  フィリピンは確かにIMFとの付き合いがものすごく長い国で、実は60年代から始まっており、その間、ほぼずうっとスタンドバイを続けて、そのスタンドバイがどれ1つとしてうまくいかない。フィリピンは、その昔は非常に、GDPというかパーキャピタル・インカムが高い国だったのが、我々と付き合っている間に何となく普通の国になり、アジアで一番下の国になってしまって、「IMFは何をしていたのだ」という危機感は確かにあるが、長い目で見てもフィリピンの低成長率をIMFプログラムに結びつけるというのは、ちょっとあまりにも短視眼なのではないか。IMFプログラムというときは確かに総需要政策を見ており、総需要政策はフィリピンの現状ではどうしても引締めぎみであったことも確かであるが、それ以外に、やはりフィリピンの潜在成長率が長い間のいろいろないきさつでどんどん下がった。そして、その潜在成長率すら達成できない理由が需要政策以外にもいわゆる国際収支の天井とかいろいろなコンストレイントがあった。だから、そういう意味で潜在成長率を達成すべく経済がフル稼動できる状況になかった。いろいろな経緯があったが、ちょうどアジアの他の国がうまくいかないときに、フィリピンはそういう条件が整ってきてうまく危機を乗り切れたというのが、私は、現状の説明としては一番妥当だと思う。

 ダーティー・フロートについては、これは1つ1つの国の立場からすればそういうストラテジーはあると思うが、これはもう明快に、みんながそんなことをしたら大変なことになってしまい、やはり広く受け入れられる政策とは言えないと私は思う。やはり、そういう意味では国際社会の一員として責任を果たしつつ、また、自分の国の経済を運営していくためには、健全な財政金融政策を運営していく。それが基本であり、為替レートはそれに従っていくものだと私は思う。


〔 小川委員 〕 ダーティー・フロートについてであるが、倫理的にダーティー・フロートはいけないというのもあると思うが、むしろダーティー・フロートができなかった理由は何なのか、どうしてドルなのかというところを考えたい。いろいろ自分自身で仮説は持っているが、実証していないので確たるものはまだない。その1つは、ドル建ての負債を抱えているために、ドルに対して自国通貨を切下げるわけにはいかないというところが縛りをかけていると思う。また、あるいは、世界中で使われる国際通貨がドルということもあるかもしれない。これらの問題は今後自分でも研究をしたいと思う。

 飯島委員の方から、フィリピンは他のアジア各国と輸出先が違うから、仕向け先が違うから、ドルの方が100%なのだということですが、それを考慮して計算した場合の数字であり、やはりフィリピンも少しは日本と貿易していますので、その分を入れるとドル100%じゃなくて、もう少し下げても、あるいは円の比率をもう少し高めてもいいのではないかということである。


〔 飯島委員 〕 フィリピンのバンキングは、日本のバンキングのような裾野の広い円錐形というのではなくて、裾野が狭くて背の高い円錐形である。いわゆるほとんどが財閥というのはちょっと大げさであるが、資産家系の銀行と色づけていいのではないかと思う。よって、今度の場合、ノンバンクとかファイナンス・カンパニーが大幅に倒れたが、これが裾野の方をカバーしているというような金融体制というか構造があると思う。


    座長    今日のフィリピンとマレーシアというのは東南アジアの島嶼部で、全くタイプが違う国だと思う。やはりフィリピンというのはIMFが入ったからではない。世銀のイーストアジア・ミラクルもフィリピンだけ外している。国民所得の統計を見ると非常によくわかるが、1960年ぐらいはパー・キャピタルがタイの倍あったが、1990年にタイが倍になってしまった。やはりそこに大きな経済の構造の問題があるように思う。

  一方、マレーシアというのは小さな国である。こちらは逆に一番IMFが嫌うような国家管理を平気でやる。こうしたやはり国柄の違いというのがずいぶんあるように思う。マレーシアの場合には特に、イスラムがあり、何か違う哲学があって、人口2,000万人ぐらいの小さな国であるから、やはりコントロールが利く国である。多分、フィリピンというのは絶対上からの言うことを聞かない国で、そこに決定的な差があるように思う。