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安倍 基雄

一 世 代

中国財務局長(昭和52年6月〜54年7月)

安 倍 基 雄

 財務局発足三十年と言うが,これで財務局も「一世代」を経たこととなる。もちろん,戦後発足する前にも色々の名称で,時には国税と合同した形で存在したわけだが,ともかく,現在の機構での財務局としても一つの区切りにきたわけである。

 「一世代」を三十年であると知っている人は多いが,「世代」の語源を知る人は少ない。大字典で「世」を調べてみると次のように記してある。

 「會意(二つ以上の概念を結合して一つの意味をあらわすもの。象意ともいう)三十年を一世とす。故に十を三つ合せたる十十十を本とし,これを曳長せる貌。転じて一戸主,一王朝,一王者の代。又は時,歳,生涯,時勢,或は又代を重ぬる代々の義とす。」

 つまり,もともとが,三十年が一つの区切りとして世という字となっているのである。ついでに世と代との差を調べると,世とはその三十年間の初めから終わりまでの間に重点があり,代は前の代が去り後が続くという更代に重点があるようである。

 他方,欧米でも三十年が一つの区切りになっているようだ。英語のゼネレーションがその典型とも言える。

 考えてみれば三十年を一つの区切りと扱うのは,理にあっているものと言ってよい。

 昔の人が一本立ちになる年令は,恐らくは十五〜十六才,武士で言えば元服の年であったと思われるが,人生五十と言ったように平均寿命の短かった時代,三十年も活躍すればせい一杯と言うところであったと思われる。特に,昔は世の中の区切りは一つの王,或は支配者の交替と言うところにあったであろうから,王が位について次の王に位を譲るまでを三十年と考えることは,ごく常識的なように思われる。語源にあるように一戸主,一王朝,一王者の代と言うのが,これを示している。

 一寸振り返ってみると明治は四十五年だが,大正は十五年,合計して二で割れば,ほぼ三十年,昭和になって既に五十年を超えたが,戦前の昭和の二十年と戦後の三十年,何となく三十年毎に一つの区切りがあるようにも思われる。明治維新から約三十年後に日清戦争が,第一次大戦がその約二十年後,大東亜戦争がその三十年後,不思議と二十乃至三十年が大きな事件の間隔ともなっている。

 何も脅かすわけではないが戦後三十年余,つまり一世代経過した今日,我が国の周辺も次第に騒しくなってきた。北方領土にソ連が基地を建設したり,イラン王政が崩れ石油問題が再び楽観できなくなったり,友好条約を結んだ中国がベトナムとドンパチと始めたり,キナ臭い事件が各地で発生し始めている。1980年から始まる「世代」は,二十世紀から二十一世紀にかけての世代である。何か,このままではすまないことが起こるような気がしてならない。一時もてはやされた「ノストラダムの大予言」によれば,今世紀末に大きな破局の起こることが予言されていると言う。

 しかし,これからの三十年を暗いものとのみ考える必要はない。終末思想はキリスト教の発生以来の思想である。また,シュペングラーの「西欧の没落」が論ぜられてから既に久しい。色々と論じられている間に紆余曲折はあるものの,人間社会は確実に前進している。

 とは言っても,これからの一世代が容易な時代でないことには変わりはない。人間の歴史は一口で言えば科学技術の進歩に,どのように社会機構が適応してきたかの歴史と言ってもよい。農業生産を中心とする経済の発展段階に最も適応した社会形態が,中世の封建制であるとしたら,商工業の発展に伴って新たに絶対王制の国家が生まれ,次いで行われた産業革命が資本主義に基づいた近代国家を創りあげた。この過程において数々の革命,戦争が行われたが,これらはある意味において新しい諸条件に相応した,新しい社会体制に移行するための陣痛であったとも言える。

 今や人間の科学技術の知識は人を月に送り,地球の表面を一挙に破壊し尽くす力を持つに至っている。こうした力をコントロールできる,いわばこれに適応できる社会機構へ移行すべき時期が,これからの数世代と言うことができる。この移行をスムーズにやれるか否かに,人類の存立がかかっていると言うことができよう。そして,今からの一世代が科学技術と社会思想とのギャップが一番甚しい時期,つまり,暴発的な戦争や社会的な混乱が発生しやすい時期に当たると言うことができよう。陣痛では済まない,母体そのものの存続さえもが危険にさらされる時期と言うべきなのである。

 財務局の「世代」論議が,大分,大きな議論となってしまったが,財務局発足三十年に当たり,我々は,財務局,大蔵省,日本,世界へとその輪を広げて,これからの三十年を静かに考えてみる必要があるように思われるのである。


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