昭和20年に小笠原諸島及び沖縄諸島は米軍に占領され,昭和21年1月29日のG.H.Q.覚書により,北緯30度以南の沖縄,宮古,奄美各群島(昭和26年,北緯29度以南に改正)及び東京都下の嬬婦岩の南の南方諸島(地理的には小笠原群島,西ノ島及び火山列島並びに沖の鳥島及び南鳥島)における日本政府の行政権の停止が指令され,米軍による直接占領行政が行われることになった。
昭和26年9月8日,サンフランシスコで調印された平和条約で,これら日本本来の領土も,合衆国を唯一の施政権者とする信託統治制度の下に置くことに同意した結果,平和条約発効後も米国の施政権下に置かれることになったが,同年12月5日のG.H.Q.覚書により,鹿児島県大島郡十島村の一部が平和条約の発効をまたず一足先に,更に昭和28年12月24日に締結された日米間協定により,奄美群島の施政権が日本政府に返還され,米国の施政権下に取り残された小笠原諸島及び沖縄諸島の施政権も,前者は昭和43年6月26日,後者は昭和47年5月15日全面的に返還された。
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| 昭和28年12月25日,奄美群島日本復帰 |
これら返還された各諸島の面積を参考までに掲記すれば,次ページの表のとおりである。
領海12カイリ,漁業専管水域200カイリの新時代を迎え,その返還の意義は大きく評価される。更に,これら諸島から,12カイリを超える海域に日本領土とみなされる多数の無人島あるいは岩礁等の実効的支配について,しかるべき具体策を講ずることは今後の課題であろう。
| 面積の比較 | ||
| (単位:km2) | ||
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イ 小笠原諸島の土地事情
佐藤・ニクソン会談で小笠原諸島の返還が合意され,日米両国が調印した「南方諸島及びその他の諸島に関する日本国とアメリカ合衆国との間の協定」の発効により,昭和43年6月26日に米国から日本に返還された。
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| ジャングルの中,旧軍施設の現地調査 (昭和45年1月,小笠原諸島内で) |
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| 小笠原諸島内国有地の現地調査 (昭和54年1月) |
本諸島には戦前約8,000人が居住していたが,南方における戦況の悪化に伴って,軍属として残留した以外の者は内地に強制疎開させられ,その後米国の施政権下に入り,昭和21年10月に欧米系の帰化人を祖先とする135名が帰島を認められたにすぎなかった。戦時中,本諸島には相当面積の宅地や耕地があったが,戦中・戦後を通じ,これらの土地の様相も大きく変わり,米軍施設,道路等を除き,旧集落地も完全に山林,原野に埋没してしまった。先に帰島を認められた人々も,その住宅等の区域を明確に区分することなく,戦後全く新しく建設された米国の生活様式による集落であって,その敷地の多くは他人の所有地であった。施政権が返還されるに当たり,前述したように特定の地域以外はジャングルの状態で,これを現地に即した土地の境界を確定することは困難で復興事業の実施に当たっては障害でもあり,早急に地図の整備が必要であった。そこで,昭和43年度以降,東京法務局が主体となり,東京営林局,関東財務局及び東京都等関係機関がそれぞれ資料を提供し,現地測量の立会い,あるいは必要に応じて島民の立会いを求めて境界復元のための測量を実施した。既に述べたように,先に帰島した人たちの使用している土地の多くは他人の所有地であったから,生活秩序を維持するための一定の範囲で賃借権が認められた(小笠原諸島の復帰に伴う法令の適用の暫定措置等に関する法律第9条)。国有地に関する賃貸借契約は締結されたものの,民間においては地主が当該土地の返還を要求する等法定賃借権者との対立があり,土地問題に対する難しさが浮き彫りにされている。
ロ 小笠原諸島の復興計画と国有財産の転用
小笠原諸島の返還に伴い,昭和43年6月に「小笠原諸島の復帰に伴う法令の適用の暫定措置等に関する法律」が,また昭和44年12月に「小笠原諸島復興特別措置法」が制定され,この2法が小笠原諸島行政の重要なよりどころとなっている。
復興計画の対象は当面父島と母島とし,硫黄島は不発弾の処理及び遺骨収集状況との関連から方途を検討することとなって,昭和50年5月,国立公園地区から除外され,環境保全法に基づき原生環境保全地域に指定された。
復興計画の期間は5か年とすることが閣議決定された(昭45.7)が,同島の地理的自然的諸条件からくる種々の障害により更に5年延長され,実施期間は昭和54年3月31日までとなった。この間,同島所在の国有財産の転用は次のとおりである。
| 事業(施設)名 | 数 量 | 備 考 |
| 交通施設の整備 | 76,485.55平方メートル | 都・村道,港湾等 |
| 産業基盤の整備 | 65,368.78平方メートル | 農業・漁業施設等 |
| 生活基盤の整備 | 103,201.23平方メートル | 都営住宅 水道,福祉施設等 |
| 文教施設の整備 | 22,775.06平方メートル | 小中学校施設等 |
| その他の施設整備 | 17,264.65平方メートル | 支庁舎,職員住宅施設等 |
| 計 | 285,095.28平方メートル |
なお,昭和43年度以降処分したものは,東京都に対する農事試験場施設91,861.92平方メートルのほか,19件20,449.75平方メートルである。
イ 米国の施政権下における国有財産の管理
沖縄は米軍の占領後,昭和47年5月の復帰時まで米国の施政権下に置かれ,沖縄における国有財産の管理は米軍の占領と同時に公布された「財産の管理」(米国海軍軍政府布告)に基づき,財産管理官により行われてきた。
その間,財産管理官は,嘉手納・那覇及び読谷に所在する旧陸海軍の飛行場等米軍が必要としたものは米軍に,また琉球政府が公用地,公共用地として必要としたものは,同政府に対し無償使用を認めたほか,農用地または住宅敷地等として私人等に対する使用を認めてきた。
ロ 復帰後における国有財産の管理処分
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| 沖縄本土復帰調印式 |
昭和47年5月15日,沖縄の日本復帰に伴い,財産管理官が日本政府所有財産として管理していたもの,米国の資産で日本政府が譲り受けることになったもの,及び琉球政府の財産で国の事務事業に供するもの等を,国が国有財産として引き受けた。
普通財産の管理処分事務は,新たに設置された沖縄開発庁沖縄総合事務局の財務部が所掌することとなった。
復帰後の普通財産の管理処分は,国有財産法等のほか復帰に伴う特別措置としての「沖縄の復帰に伴う特別措置に関する法律」と沖縄の振興開発を図るための「沖縄振興開発特別措置法」にのっとって行われてきているが,特別措置として処理したものに次のようなものがある。
これらの普通財産のうち旧軍用地については,国会で審議の対象となり,調査の必要が生じたので,昭和48年以降,関係省庁の協力を得て沖縄総合事務局財務部の総力をあげ,買収地に関する調査を行ってきた。そして昭和53年4月17日,大蔵省から衆議院予算委員会に「沖縄において,戦時中旧軍が取得した土地は,私法上の売買契約により正当な手続を経て国有財産になったものと判断される」という調査の結果を資料として提出し,この問題に一つの区切りがつけられた。