ファイナンス 2018年1月号 Vol.53 No.10
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すれば台湾に非常にダメージを与えられるだろうと。恐らくそういう思いで中国は韓国にアプローチをしたのだろうと思います。そのようなことがあって、北朝鮮と中国の間には裏切った、裏切られたという認識があったことは間違いないと思います。中国・ソ連が、韓国と国交正常化をしたことによって、自分たちだけ核の傘を提供されているかどうかわからなくなる。だとすれば、自分たちが一方的にアメリカの核の脅威に晒されている状態じゃないかと。これを解消するためには、自分たちが自前で核を持つしかないのだというロジックです。(3)第一次、第二次核危機と2つの教訓第一次核危機というのは、1993年の3月に北朝鮮がNPT(核兵器不拡散条約)からの脱退を宣言してからなのですけれど、その頃から「北朝鮮にとって核保有は明確な目標であって、単に時間稼ぎをしてきたのだ」という見方があります。でも私は、さすがにそこまでないだろうなと思います。この時点では恐らく、将来の核開発・核保有と現状の体制維持のようなものを交渉で何とか取引できないかと考えたのだろうと思います。第二次核危機以降は、恐らく核保有そのものが目的化してきたのだろうと思うのですが、北朝鮮からすると、二つの教訓、すなわち「イラクのフセイン大統領とリビアのカダフィ大佐」というものがあったわけです。ブッシュ政権のイラク戦争は、御案内のとおり、イラクが大量破壊兵器を保有しているということで開始されたわけですけれども、結果としてそれはなかった。北朝鮮の立場からこれがどう見えるかというと、本当は(イラクは)最初から(大量破壊兵器を)持ってないということはアメリカはわかっていたはずだと、だからやったのだと。(イラクが)持っていればあんな攻撃はできなかったはずだ、というのが彼らの理屈です。それから2つ目は、リビアのカダフィ大佐の例です。2003年末に核放棄を宣言したカダフィ大佐は、後にアラブの春で民衆から攻撃を受けて、最後はアメリカもそれを歓迎するというような状況があったわけです。北朝鮮から見ると、やはりリビアのカダフィ大佐も核を放棄するからあんなことになるのだと。核さえ持っていれば、あんなひどい末路はなかったはずだというのが彼らにとっての教訓ということになるのだろうと思うのです。だからこそ是が非でも、アメリカ本土への核攻撃能力を獲得するのだというのが彼らの目的であって、最終的にはそこが目標であると。これを手に入れることができれば、対米抑止力であると同時にアメリカとの交渉力の源泉になるという思いが恐らく彼らの中にはあるのだろうと思います。では現状はどうかというと、李容浩外相が国連演説の中で「核戦力完備の最終門から数歩のところまで来た」という言い方をしております。国際社会の北朝鮮の核ミサイルについての評価も、本当に近いところまで来たのではないかと言われております。4.北朝鮮との交渉可能性(1)「恐怖政治」の意味そうなってくると、果たして北朝鮮は交渉が可能な相手なのか、というような印象があろうかと思います。これは金正恩委員長がいわゆる恐怖政治というような表現をされておりまして、頻繁に人事異動が行われたり、あるいは張成沢という自分の義理のおじを処刑したり、それから今年の2月には金正男という自分の実の兄がマレーシアで殺害されるという、そういう事件が起こるわけです。これはもちろん事実としてはそうですけれども、その背景等が韓国によってかなりの脚色がなされているというのが事実です。これは韓国からすると、分断国家ですから、北朝鮮をどういうふうにイメージづけたいのか、ということがあるのだろうと思います。我々もやはりもう少し捉え方を変えなければいけないのだろうと思います。それはどういうことかと言いますと、北朝鮮の恐怖政治というのは、単に金正恩が気まぐれで人35ファイナンス 2018.1連 載|セミナー

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