ファイナンス 2018年1月号 Vol.53 No.10
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なぜ協定の署名式をIMFの道路の向かい側で開催したのか (2014年10月)秋のIMF・世銀総会は、188か国(当時)の財務省、中央銀行関係者が一堂に会し、IMFC(国際通貨金融委員会)や合同開発委員会を初めとする主要会議が開催されることに加え、民間金融機関、シンクタンク、学会関係者なども含め、数千人規模の参加者のある会議です。そのため共同議長国のミャンマーと日本は慌てて会場探しをしましたが、会議の10日前では、収容人数と使える時間(早朝から真夜中まで連続して使用)の関係で苦労したと聞いています。テロやデモへの警戒から、IMFと世銀のある数ブロックは外部との交通を遮断して厳重な警備に当たります。従って、その警備地域の中で会場を確保しないと更に不確定要素が増します。10月10日午前開催を目標にしましたが、それはIMFの意思決定機関であるIMFCの開催日だからでした。当然IMF本部の建物の会議室が一番込み合う日でした。ようやく見つかったのがIMFと道を隔てて隣に位置する世界銀行本部の建物の会議室でした。建物の奥に位置する分かりにくい会議室で、その部屋にたどり着けるエレベーターは1基だけ、他のエレベーターで当該階に上がっても構造上その会議室には辿り着けません。その不便さから予約が入っていませんでした。早朝から深夜まで使えることはしつこいくらい確認しました。当日は、分かりにくいエレベーターに間違いなく大臣を案内できるよう、共同議長国とAMROで手分けして、世銀の各玄関と地下通路に案内の人間を立たせました。会議場の入り口では、アセアン事務局と当オフィスで、大臣もしくは署名権限者の到着を確認します。C国の外務省もその大使館員と思われる者を派遣して、手続きを監視しています。時間と場所は前日の夜に再度連絡し、了解の返信メールのない国には携帯電話で確認を取りました。会議開始10分前には一人を除く総ての大臣が会場に到着。その大臣の随行者に携帯で連絡するが繋がりません。署名式の後にはそれぞれの大臣の会議、面談、昼食が予定されているため、終わりの時間は厳守するよう求められています。その国の関係者がいたので取りあえず大臣席に座らせ、間違っても署名はしないように伝えます。5分遅れで署名式を開会、各大臣の署名は5分ほどで済み、所長の挨拶が終っても、その大臣は現れません。事前に打ち合わせておいたとおり、議事進行係の方から「署名ありがとうございました。大臣は退4444席されて構いません444444444」との連絡をしてもらいます。形式的に署名式を開会のままとして、その大臣を捕まえてその日のうちに署名してもらうためです。八方手を尽くして大臣を探し回りましたが捕まりません。その大臣の国では政治情勢が複雑化しつつあり、大臣の立場が危うくなっているとの噂が頭をよぎりました。B国訪問以来、すべてが順調だったことの反動が来たのかと不安になりました。重苦しい空気が漂い始めたところ、丁度1時間遅れでひょっこりその大臣一行が会場に到着しました。開口一番「署名式って言うから、財務大臣が全員同時に揃うのかと思っていたよ。こうやって一人一人署名させたのではメディアなどへのインパクトが弱いだろう。事情はあるのだろうけど。」とのこと。「貴大臣の遅刻のような事情を想定してこの形式にしたのですが」と内心思いましたが、大臣の後ろの事務方の困惑した顔から時差の計算間違いなどが伺われました。*1)実は9月の初めの時点で、B国以外にも国内的調整の残っている国があったり、実際の署名の紙を用意するASEAN事務局との意思疎通が混乱したり、片手では数え切れぬほどの障害が残っていました。AMROオフィス内で手分けして働きかけていたのですが、B国が署名可能の知らせが伝わって以降こうした障害が次々と克服されていきました。やはり自分の国が署名式を止める立場に陥るのは避けたい、との心理が働いたものと考えています。*2)設立協定の最後の部分「以上の証拠として、下名は、各自の政府から正当に委託を受けてこの協定に署名した。2014年10月10日にアメリカ合衆国ワシントンで、英語により原本1通を作成した(後略)」の読み方です。ファイナンス 2018.128国際機関を作るはなし ASEAN+3マクロ経済リサーチ・オフィス(AMRO)創設見聞録 連 載|国際機関を作るはなし

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