ファイナンス 2018年1月号 Vol.53 No.10
21/60

1はじめに2016年7月 都内某ホテルにて、中国の高校生の長期受入事業の10周年記念レセプションが開催された。2005年に反日デモが頻発。翌2006年から開始されたこの事業は、毎年、中国の高校生を日本に招き、約1年間、一般家庭にホームステイなどしながら、日本の高校で日本の生徒と高校生活を送るプログラムである。中国全土から中国の文部科学省に相当する教育部が選抜し、毎年、30人程度が北は北海道から南は沖縄まで、全国各地の高校に散らばっていく。日中関係で何かがあると続かなくなることが多い中、このプログラム、日中関係が非常に厳しい時期でも継続して実施。10年経つと現役・修了生は300人を超える。10代で来日した彼らの将来は長い。あと50年経てば、OB、OG含めて2,000人近くになる。優秀な若者が、日本好きになって戻って、活躍し、その子供や孫も増えていくことになる。なぜ、このようなプログラムを実施しているのか。1972年の田中角栄総理の日中国交回復交渉の際、当時、大使館も何もない北京でロジの実務を担当し、その後、外務省中国課長、アジア局長、中国大使を歴任し、現在、このプログラムを実施している国際交流基金日中交流センターの阿南惟茂所長は語る。「今年は日中平和友好条約締結40周年。日本と中国は大事なパートナーであるにもかかわらず、日中関係は当時期待していた状況ではない。日中関係は80年代中頃は非常に良かった。そういう時代には、両国は思想、政治、経済、社会も違う。何もかにも違うから互いに尊重しないといけないというのが両国の政治指導者の決意だった。出発点が全く違う中で、全く違う割には仲良くできるじゃないかと、どこかに共通点を見出そうとしていた。その後、お互いに付き合いが深くなったがゆえに、互いに遠慮がなくなった。それは、将来に向かって、必ず通らなければならないプロセスとしてやむを得ない面もある。日中関係は国交正常化以来、政府間の関係が非常に大きかった。その分、民間のパイプが細い。日米関係は、政府の関係はもちろん、それ以上に戦前から民間の日本人が現地に溶け込む努力をしてきており、民間の関係が日米関係ではしっかりしていた。日中関係ではそういった草の根の部分が弱い。そこで、日中の民間同士の交流を深めることが重要。そのためにも、民間の、特に若い人たちに交流してもらうこと。我々が実施しているプログラムが日中の民間外交の一つのモデルになればよいと願っている。」この年末にも1986年の中曽根総理の訪中などSpot03平和友好条約締結40周年を迎える 日中の民間交流~中国人高校生のホームステイ留学から歌舞伎北京公演まで~国際交流基金  吾郷 俊樹10周年記念レセプションにて、左から第1期から第9期までの日本で企業や大学に通うOB・OGによる現況報告。ファイナンス 2018.116SPOT

元のページ  ../index.html#21

このブックを見る