ファイナンス 2017年12月号 Vol.53 No.9
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連 載|日本経済を考える銀行の金融引き締めによって政府の利払い費が増大し、更なる物価上昇の発散過程に突入するリスクがあると指摘している。また、そもそもインフレ率の上昇自体は経済政策の目的ではなく、シムズ提案についても国民の厚生水準の改善に資するかをコストやリスクと比較考慮する必要があると主張している。塩路悦朗一橋大学教授は、FTPLが成り立つ世界では政府・中央銀行がインフレを制御できないおそれがあるため、本来日本にとって回避すべき状況と断じた上で、それを逆手にデフレ脱却に活用するシムズ提案を斬新と評価している*14。一方で、財政規律の放棄が限定的であることを人々に信認させられなかった場合、物価のコントロールが難しいFTPLの世界から回帰できなくなる危険性があると警鐘を鳴らしている。宮尾龍蔵東京大学教授はシムズ提案の課題として、一時的なFTPLのレジームへの移行が財政ファイナンスのレジームと同一視されることで、国債の直接引き受けやヘリコプターマネー政策を可能とする制度変更や法改正に繋がる危険性を挙げている(宮尾,2017)。また、具体的にFTPLに近い政策レジームに移行するための方法はシムズ提案の消費税増税延期に限られないとした上で、子育て支援支出や恒久減税・年金資産増加といった、より踏み込んだ財政赤字策の可能性にも言及している。渡辺努東京大学教授は、財政当局のアナウンスメントに対する信認の問題は中央銀行を含む政策当局全般にあてはまる問題であることを指摘しつつ、シムズ提案に対する最大の懸念として、物価上昇が達成されるまでの限定的な財政規律の放棄が信認された結果、その後の財政規律の遵守を予想する家計が結局は消費を控えてしまう可能性を挙げている(渡辺,2017)。また、FTPLが想定するメカニズムは経済の需要側に働きかけるものであり、企業の価格設定行動が経済の総供給曲線(フィリップス曲線)を平坦化させている場合、シムズ提案が機能し、総需要曲線をシフトさせることができたとしても物価上昇につながらない可能性について言及している。以上のように、シムズ提案に対しては様々な課題や懸念が指摘されている。その中でも、家計の政策に対する認識は多くの識者に共通する懸念となっている。FTPLの物価上昇メカニズムは、家計が政策を正しく認識した上で合理的に行動することによって機能するため、この点に注目が集まるのは自然である一方、その指摘が識者によって少しずつ異なっている点は興味深い。各識者による家計の政策認識に関する懸念は以下のようにまとめられる:(1)そもそも財政規律の放棄(非リカーディアン型ルールへの移行)を信じない可能性(池尾教授)、(2)財政規律の放棄が一時的であることを信じない可能性(塩路教授)、(3)財政規律の放棄が一時的であると正しく認識された結果、財政規律は結局守られると解釈され、家計が行動を変えない可能性(渡辺教授)である。これらの可能性は理論が想定する合理的な家計の将来予想と現実の人々の期待形成メカニズムのギャップに起因するものであり、家計の期待形成についてFTPLが機能する前提が厳密には成り立たないならば、理論に基づく政策が意図した効果を発揮するには困難が伴うことを示唆している。また、制度変更の技術的な問題によって財政ファイナンスにつながる可能性(宮尾教授)、企業の価格設定行動に依存してFTPLが機能しない可能性(渡辺教授)も異なる視点からの指摘として重要であろう。4.まとめ本稿ではFTPLの理論的な要点や関連する実証研究の結果を概観し、FTPLに基づく政策に対する直近の研究者の見解を紹介した。FTPLは、財政規律を重視しない非リカーディアン型財政政策ルールとインフレ率に対する反応が小さい受動的金融政策ルールの組み合わせの下では財政政策が物価水準に影響を与えることを示す理論である。日本を対象としたFTPLに関する実証研究では、*14)日本経済新聞平成29年3月15日朝刊。ファイナンス 2017.1247シリーズ 日本経済を考える72

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