ファイナンス 2017年12月号 Vol.53 No.9
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フリカ開銀では、1,200人の銀行のたった一人の日本人。初めてのマルチの世界。全身全霊で、アフリカのため日本のために頑張る。気分はオリンピック選手です。これが、向いていたのでしょう。その後、IMFを経てアジア開発銀行に行く時には、明確に、国内の仕事を立派に出来る同期はたくさんいる、でも、明日から世界のどこででも働ける人間はそうはいない、自分の比較優位はここにある、と思うようになっていました。さて、将来ある皆さんのキャリア設計です。今や10年後に何が起きているか誰にも分からない時代になりました。アジア開発銀行で教育の議論をする時、コンセンサスになっているのは、「10年後に必要なスキルは今や誰にも分からない」です。そんな時代、キャリア設計って、そもそも無理なんではないでしょうか? 一方、私の同期は今年で、財務省に35年お世話になっているわけですが、海外勤務一回は3年、全体の10%にも満たない期間です。しかも、diversityで書いたように、向き不向きはやってみないと分かりません。深く考えずに飛び込んでみては如何でしょうか?この部分、第一稿を書いてから我が同期にも聞いてみました。私よりはるかに立派なアドバイスが来ましたのでご紹介させてください。同期No.1、海外勤務で学んだことは、必ず日本の仕事で役に立つということ。例えば、私は2000年7月に、金融庁国際課に帰って来ましたが、1年2か月後、9.11の際、徹夜でニュージーランド、オーストラリアから取引所を開けるか情報を取りましたが、ワシントンD.C.の経験は本当に役立ちました。同期No.2、彼の意見も似ていますが、今や国内派・国際派というのは存在しない。現在の国際社会では、誰もが国内・国際両方の経験が必要。同期No.3、海外では、結果に責任がある代わりに、時間管理は本人の自主性に任され、休みも取れるし、ワークライフバランスも実現できる。これは、全くその通りです。チームが死ぬほど忙しい時に、young金井君が、investment bankerの彼女(彼女の方がやっと休みが取れました)と休暇でハワイに行くとしましょう。出がけに、同僚達に何て言われると思います? 正解は、全員心から笑顔で、「Have a nice vacation!」です。チームの仲間の生活は、お互いに心から尊重する、何と粋だと思いませんか?次は、日本に忘れられないかという、もっと現世利益の心配、人間ですから当然ですよね。これは、私自身の経験から一発回答出来ます。時は、1993年初、場所はアフリカ開銀のあるアビジャン、日本との時差は9時間です。当時私は、アフリカ開銀勤務をもう1年伸ばすか1993年夏で帰るか悩みに悩み、小さい子供達の健康リスクを考えて帰任を選択、思いのたけをファクスにして地球の裏側東京の人事担当課長にお送りしました。そして、何と30分後、今でも鮮明に覚えていますが、課長直筆の、安心して帰って来い、というファクス返信が来たのです。異国の地で触れる暖かい人情ほど涙の出るものはありません。海外勤務に行かれる皆さんのことを、日本が忘れることは決してありません。4.行きたくない国に行けと言われたら?さて、悩みは尽きません。行きたくない国に行けと言われたら、です。例によって、私自身の経験から。留学前、私は、Harvard Law Schoolを舞台とする1973年のPaper Chaseという映画が大好きで、アメリカに留学したいと熱烈に望んでいました。そして、受けた内示は、英国留学。正直がっかりしました。アメリカの学生はオープン、英国の学生は無愛想、アメリカの教室は活気があって丁々発止、英国での勉強は図書館でひたすら文献を読み込む。正直言えば、留学後もこだわりがあって、呪縛が解けたのは、アフリカ開銀の時にHarvard Business School 出身のアメリカ人と仕事で真っ向やりあって、完全に勝った(と思った)時でした。そして、正気に帰ってみると、自分が英国、ヨーロッパの考え方をごく自然に理解できることに気がつきました。二年の英国留学中に、身体の中にワインのように醸成されたこの何かには、その後ずっと助けられています。さて、ある日皆さんと同僚が人事担当者に呼ばファイナンス 2017.1233海外ウォッチャーFOREIGN WATCHER連 載|海外ウォッチャー

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