ファイナンス 2017年12月号 Vol.53 No.9
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その時点で総選挙の時期も見通せない状況で、このままでは2016年春までの2年間のうちに国際機関化を実現するのは困難との認識がASEANと日中韓の当局の間にひろがっていました*1。B国に戒厳令が引かれる (2014年5月末)そうした中2014年5月20日にB国陸軍により戒厳令が引かれ、22日には憲法が停止されました。その後7月22日に暫定憲法の公布、8月8日暫定議会の招集と続きます。暫定政府の発表によれば、翌2015年には新憲法案を国民に諮り、その憲法の下での総選挙を経て、2015年末か2016年には民政に復帰するとのことでした。ASEANと日中韓の当局者は、このクーデターによりAMROの国際機関化が一層遅れるだろうと一様に悲観的でした。暫定政府の発表通りだとしても、新憲法の下での議会の発足は一年半後となり、財務大臣による署名は早くて2年後の2016年の前半、各国の議会手続きに1年はかかるとして、AMRO(国際機関)の発足は早くて3年後の2017年年央ということになります。その見通し通りだとすると、2016年5月までの任期中に国際機関化の実現は無理ということになります。この時期中国の高官より自分に向かって、「貴方の2年の任期中に、国際機関化に向けて一歩でもよいから前進できるよう、もし可能であれば(協定の文言を確定する)署名式までは辿り着け4444444444るよう444、何とか知恵を絞ってほしい」と要請があったことを覚えています。自分は2年間の任期延長が認められた以上、B国の国内情勢を受動的に見守るだけでなく、どうにかして国際機関化の協定の手続きが加速するべく工夫したい、と考えていました。自分の任期延長に何らの条件が付かなかったことには意気に感ずるものがありました。ASEAN当局から示された信認にできる限り答え、ある程度のリスクを覚悟してでも新しい発想で攻めてみたい、という気分でした。日本で入退院を繰り返している家族のことを思っても、ただ待つというのは耐えられない選択肢でした。B国のクーデター直後の2014年6月の時点では、自分の頭の中に3つの選択肢がありました。(次ページ図2参照)一つ目は、上で述べたASEANと日中韓の当局の見方と同じく、B国の政治情勢の混乱が収まるのを待つ、というものです。すべてが順調に行ったとしても国際機関の設立は2017年年央以降となります。憲法の国民投票が遅れればその分だけ国際機関の設立は遅れます*2。二つ目は、B国を条件付きで見切るというものです。ただ見切ってはB国の誇りが傷つきます。その*1)背景を説明します。AMRO設立協定について各国国内で議会の承認を求めるためには、協定案を事務的に合意(2013年11月に合意済)の後、各国の財務大臣などによる署名を経ることで最終的に文言を確定することが必要となります。通常の国の場合、議会の承認を求めることなく、一般的には内閣の決定で財務大臣などが署名することができます。文言確定後、協定の締結について改めて議会の承認を求めるためです。B国だけは状況が異なりました。当時のB国の憲法では、最終的に大臣間で文言を確定するための協定への署名についても、議会(上院と下院)の承認が必要とされていました。ところが2013年12月9日にB国の下院は解散され、下院総選挙は成立せず、B国の財務大臣の署名の承認が得られない状態が続いていました。B国としてAMROの国際機関化に反対しているわけではないのに、憲法上の制約から財務大臣の文言確定の署名ができず、そのために他の12か国が協定の議会承認手続きなどの国内手続きに入れないという状況でした。*2)現実に新憲法の国民投票は、当初の暫定政府の見通しに比べ約1年遅れて、2016年8月に実施されました(2017年4月公布)。総選挙は、本稿執筆時点(2017年11月)では当初の見込みに比べ約3年遅れの2018年11月頃と伝えられています。頭の体操ですが、B国の総選挙が2018年だとしても、財務大臣などの署名による協定文書の文言の確定は2019年5月の会議が最速です。2019年の日本の通常国会には間に合いませんから、翌2020年6月に通過したとして、国際機関化は2020年秋で、実際より少なくとも4年半遅れとなっていたところでした。ファイナンス 2017.1227国際機関を作るはなし ASEAN+3マクロ経済リサーチ・オフィス(AMRO)創設見聞録 連 載|国際機関を作るはなし

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