ファイナンス2017年11月号 Vol.53 No.8
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東アジアの財務省、中央銀行は、外部から講師を招いて、その時々の関心事項について、その首都でセミナーやシンポジウムを開くことがあります。この時期AMRO所長にも声がかかることが増えました。本音ではシンガポールに留まって経済サーベイランスや国際機関移行準備などに集中したくても、任期延長の話があると断り難いものです。AMROや自分の専門性とは関係なく、時間の許す限り出張して回っていました。第二回で述べたように、各国のサーベイランス(経済の調査・分析)に関しては辛口にする方針を貫いて来ました。それが任期延長を支持しない方の理由になる可能性もありました。日本と中国と問題国の分析に注力するということだけでも32×2+α%の64+α%の国を不愉快にさせることを意味します。任期延長だけを考えれば賢い作戦ではありませんでしたが、これだけは譲りたくない、と頑固に考えていました。ぎりぎり最後の局面になれば、キャスティング・ヴォートを握る国が任期延長支持の引換えに何らかの条件を提示してくる、というのが当時の自分の見立てでした。何が条件になるのか、誰に仲立ちを頼むのか、そもそもどの国がキャスティング・ヴォートを握るのかなどに思いを巡らすこともあり、こういうのがどす黒い孤独というのかとも思いました。その世界の入り口を覗き始めた頃に、日本の家族が相次いで入院し、それどころではなくなりました。日本の留守宅で家族の入院が 相次ぐ自分は単身赴任だったのですが、この時期自分と家内の両親のうち2人の体調が崩れ、入院が続きました。自分たち夫婦は共稼ぎの上いずれも一人っ子で、妻に大きな負担がかかりました。間の悪いことに次男まで盲腸を拗らせて入院しました。数えてみると、5年間で合計12回の入院がありました。同時期に2人入院の事もありました。AMROの仕事の面からは任期を延長して課題をやり遂げたいものの、家庭的には任期延長どころではない状況になりました。この言い方でもやや不正確で、家族が入院している間は任期延長どころか、直ちに所長職を辞して帰国したい日もありました。逆に、家族の状況が落ち着くと、ぜひこの仕事を仕上げたいと思う日もありました。振り子のように気持ちが動いていました。任意延長を望んでいるのか、望んでいないのか一貫しません。各国から問われた場合には、ASEAN+3の皆さんの意向に従いますと答えていましたが、正直な心境でした。所長の任期が延長される (2014年春)この間、ASEANと日中韓も、所長の任期延長の問題には入らず、次長やチーフ・エコノミストを仮に増やした場合には、どういう選考方式が望ましいかを延々と議論していました。共同議長から、自分が任期延長を望むのかどうかと意向を確認されたのが、2014年に入り、任期末の3か月くらい前だったと記憶します。日本は2014年の共同議長国だったため、中立的な立場を堅持するよう十分な注意を払っていました。その時点では、東京の家族が小康状態だったことから、サーベイランスの組織の強化と国際機関への移行準備を仕上げるため、任期延長を求めたい、と回答しました。その後、共同議長より各国に対し、まず所長の業績に満足しているかどうかを尋ね、その結果を踏まえて任期延長に賛成するかが話し合われたそうです。その段取りが幸いしたようで、自分には内容は知らされていませんが、長い議論の結果、全加盟国一致、無条件で任期延長が認められました。自分の任期延長を望まない国は、一定数の不支持を集められなかったことになります。業績へ満足しているかに関しては、今後所長として何を改善すべきかについての当局の意見とともに、後日集計表が届けられました。リーダーシップ、専門知識などの個別の評価項46ファイナンス 2017.11連 載|国際機関を作るはなし

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