ファイナンス2017年11月号 Vol.53 No.8
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2013年はバーナンキ議長の発言を契機とする市場の混乱が続いていましたが、AMROの所長の任期は一年後の2014年5月まででした。AMROの方針について各国から了解を取るために何を考えていたか(2013年)所長の任期に関しては、まず3年間とした上で、必要があれば2年の延長を認めるのが、初代の所長を選ぶ前の決まりでした。任期末である2014年5月の1年前の2013年半ばから各国の間でいろいろな思惑が入り乱れるようになります。まずAMROの意思決定構造について説明しておきます*1。AMROの意思決定にあたっての投票シェアは、ASEANが全体で20%と定めた上で、残りを日本と中国が32%、韓国が16%としていました*2。ASEANは各国毎に投票シェアはありましたが、ASEANとしての発言力を確保するために、大きな問題に関してはできるだけ一体として行動するように努めていました。従って多くの場合一つの投票主体と見ることができます。物事の決定に当たってはまずコンセンサスを求めるようにするが、コンセンサスが形成されない場合は投票権の3分の2が必要というのが決まりでした*3。こうした意思決定方式の下で、日本出身の所長として何か物事を進めようとする時には、案件ごとに以下のようなことを無意識のうちに考えていました。日本当局は32%の投票力を持って所長(自分)を支持してくれることを前提にしても、中国(32%)、ASEAN(20%)、韓国(16%)のうち二つは自分の提案に支持を取り付けないと、3分の2が確保できません。逆に言うと、中国、ASEAN、韓国のうち反対を一つに留めることができれば自分の提案は通ることになります。自分が所長だった間、この構造は常に頭の片隅にありました。何か新しいことに取り組みたい場合、中国とASEANと韓国のうち二つが同時に反対しないよう、工夫を重ねる必要があります*4。自分の在任中、一度だけ、2013年春に日本当局の提案とAMROの方針が大きく齟齬を来たしたことがありました。AMROの方針に日本の支持(32%)が得られないということは、中・韓・ASEANの総ての支持を確保しないと3分の2にはなりません。自分が頭を抱えるほど心配したのは、日本政府と正面衝突したくないからというよりは、この意思決定の構造からでした。中・韓・ASEANのいずれかが機を見るに敏であれば、極めて効果的なAMROへの武器を手に入れたのも同然でした。具体的には、国別レポートの書きぶりなどそれぞれが重要と考える問題について当方へ要求を伝える際に、「国際機関化に関する今度の日本提案は興味深いですね」と囁くだけでよい訳です*5。小さなオフィスであったこともあり、一人一人のスタッフがオフィス全体の状況を理解していました。オフィスが窮地にあることが伝わると、レポートの率直さが失われることを最も危惧しました。前々回頭を抱えるほど心配しつつも「平常心を保つように努めました」と書いた所以です。幸いにして、日本提案は会議での議論の後尻すぼみとなり、AMRO(カンパニー)としての致命的なこの弱点を突かれずにすみました。国際機国際機関を作る はなしASEAN+3マクロ経済 リサーチ・オフィス(AMRO)創設見聞録その9、所長任期の延長 (2013年夏~2014年春)根本 洋一44ファイナンス 2017.11連 載|国際機関を作るはなし

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