ファイナンス 2017年10月号 Vol.53 No.7
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•9年ぶりの音信年が明けて1992年、アレックス(前号参照、ルーマニア財務省の元官僚で筆者の友人)がIMFにいることはわかったので、日本理事室の後輩を通じてコンタクトを取ってみようと考えていた矢先、自宅に一通のエアメールが届いた。ワシントンのアレックスから初めての手紙だった。「親愛なるヒャッキィ、およそ10年も音信を途絶えさせていた者のことを信じてくれるだろうか?かつて君に手紙を送るのが難しかったことは理解してくれるだろう。ただ、1989年12月以降は、何ら弁解の余地はない。それでも君は理解してくれるものと信じたい。そうでなければ私はすべてを失ってしまう。まずは改めてこれまでの手紙やクリスマスカードにありがとうと言いたい。それらは今もまだ手元にある。ヒャッキィ、結婚おめでとう。私の方は、妻、そして娘とともに今ワシントンでの生活を楽しんでいる。IMF理事補の職が得られたのは、本当に幸運なことだった。最近IMFミッションで短期間祖国へ帰ってきた。何もかもが変わったが、まだこれから市場経済への移行に向けて長い道程が待ち受けている。しかし必ず良い方向に向かうと信じている。ヒャッキィ、これから私たちの交流を再スタートしてくれないか?私を許して、受け入れてくれるなら。」•渾身の一筆外国人との文通経験はほとんどなかったが、この手紙には、彼の心の叫びを感じた。これに対して私は、拙い英語力で来る日も来る日も呻吟して、ようやく渾身の一筆をしたためた。「親愛なるアレックス、お手紙ありがとう。今頃はさぞかしIMF年次総会に向けて忙しいことだろう。私はこの9年間、ずっとあなたとコンタクトを取りたかった。あなたからの返事はなかったが、1989年12月以前のあなたの立場は十分に理解しているから、あなたは決して詫びる必要などないよ。3年前のブカレストの惨状をTVで見て以来、私はあなたの安否を案じ、ただただ無事を祈ってきた。そのような中で昨年末、私が今勤務する経済企画庁を訪問したルーマニア政府のミッション・メンバーからあなたの無事とIMF勤務を聞いた。あなたがIMFに勤務していることを知って、私はとても嬉しい。まさにIMF研修所のFPPコースで学んだことを実践に移しているのだから。(中略)アレックス、私たちはこれからも末永く交流を続けていこう。ワシントンなら私もいつか必ず訪れる機会がある。また、あなたが東京に来る機会もあればと願っている。是非あなたに再会したい。」•ワシントン・IMFからロンドン・EBRDへ翌1993年、アレックスは91年に発足した欧州復興開発銀行(EBRD)職員のオファーを受け、祖国のブカレストを経て、ロンドンに転居したと知らせてくれた。彼にとっては、東欧の経済構造改革に貢献できる打ってつけのポストと思われた。ロンドン郊外で家族と幸せな日々を送っていると聞き、何よりに思った。結局、ワシントンでの再会は叶わなかった。皮肉なことに、翌1994年から95年にかけて、私は国際金融局金融業務課補佐として、日米金融サービス協議でしばしばワシントンに交渉に出向くあるルーマニア官僚との友情 ――政変を越えて(下)造幣局 理事長  百嶋 計Spot03ファイナンス 2017.1019SPOT

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