ファイナンス 2017年8月号 Vol.53 No.5
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話が行われるようになっている事態は、アメリカの政治を学生時代から何十年も勉強し、時には称賛し、時には批判してきた我々にとっては、怒りよりも悲しみの方が先に立つ状況だと思います。アメリカの民主主義の伝統、三権分立について考えると、トランプ大統領が移民の問題について大統領令を出したときに、すぐ裁判所が介入しましたが、そのような例はますます出てくると思います。何らかの形で三権のチェック&バランスが回復するだろうし、またしてほしいというだけではなくて、しなければならないという感じを持ちます。▶神田 グローバリゼーションと国家主権の緊張も『戦争と平和の谷間で』において示唆されたように、より深刻化しています。国家は、ひと、もの、かね、情報が国境を越えて自由に動くグローバリゼーションと、地域主権、民族主義、NGOのプレゼンス向上といったディスインテグレーションの双方に引き裂かれる感があります。もともと、少なからずの国境が、ある時期での力関係を固定化したり、植民地支配の残滓と都合にすぎなかったり、或は分割統治の意図であったり、極めて不合理なものであり、国家アイデンティティーの基礎が歴史的・文化的に不在の場合があります。欧州でもスコットランド、カタルーニャ、バスク等々、少なからずの独立運動が強くなり、既存主権国家の遠心力が働いているともいわれます。『「独裁者」との交渉術』でも紹介されたように、EUバダンテール委員会がクロアチアとボスニアの新憲法が少数派の保護を規定するまでは他の国々が国家承認すべきでないと勧告したにもかかわらず、ドイツが強引にクロアチア独立を承認し、その後、大混乱となりましたので、人為的な部分も否めません。また、明石さんは、スリランカの連邦国家構想を示唆されたことがありますが、プラバーカラン(LTTE指導者)も乗ってこず、実現しませんでした。私の大学院の先輩のメイ英首相はハードBrexitを唱えだし、困惑しています。主権国家と民族の関係をどうお考えでしょうか。▷明石 主権国家論そのものを論じるのは大それたことなので、PKOの経験を参照して説明しましょう。とにかく冷戦が終わって90年代に入って世界中がほっとしました。1992年の1月1日に国連の新しい事務総長としてブトロス・ガリが就任し、首脳レベルの安保理事会を開催しました。その時に事務総長が“Agenda for Peace”という報告書を出したのですが、冷戦時代の激しい国家権力の対立や国家を越えたイデオロギーの対立から世界はやっと解放されたんだ、これからは国家連合の発達した段階として、国連が本来の機能をやっと発揮できるんじゃないかという期待がかなり強かったのです。92年に始まったカンボジアにおけるUNTACは今年がちょうど25周年ですが、92年、93年くらいまでは国際政治に関してどちらかというと明るい希望の方が強かったのです。しかし国連はカンボジアでは一応の成功を収めましたが、アフリカのソマリアでは非常に激しい民族対立、より正確には部族間対立がありました。アイディード派という極めて強力な武器を持った部族と国連、アメリカが率いる多国籍軍との激しい対立があり、UNOSOMⅡが現地に派遣されましたが、95年に、結局撤退してしまいます。その次にルワンダに国連は300人程度の弱体なPKOを派遣しましたが、ツチ族とフツ族の民族間の血で血を洗う殺戮が行われ、国連は手も足も出ませんでした。ブトロス・ガリ事務総長がPKOの強化を安保理にアピールしましたが、賛成したのはアフリカ諸国だけで、実際に軍備や輸送手段を持っている欧米の国々はそっぽを向くという悲惨な状況で、国連は本来やるべきことを全く出来ないままに終わってしまったのです。ルワンダとほぼ時を同じくしてバルカン半島に、国連としては非常に強力な4万人以上の兵力をもったUNPROFOR(国連保護軍)が現地に派遣されました。実は、国連としては本来それに参加したくはなく、事務総長も、アメリカの元国務長官のサイラス・ヴァンス特使も、民族紛争の中に国連が入っていくのは、平和のないところで平30ファイナンス 2017.8連 載|超有識者場外ヒアリング

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