ファイナンス 2017年8月号 Vol.53 No.5
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明を発出した。かつて、OECD閣僚理事会は、政策実務の知恵袋として、直後のG7首脳会議に対し、世界経済の船頭役にふさわしい政策パッケージを実質的に答申する役割を担っていたものだったが、いつしかその工程も失われた。本年は、時系列上、約10日前のG7首脳会議の成果をOECDが息を潜めて待つ順序となった。先行するG7で米国の出方が特に注目された貿易のテーマについて、果たして、意外にも強い文言のコミュニケが発表された。これに勢いを借りて、OECDでは、むしろ、G7の文言を上回る野心的なコミットメントを目指し土壇場まで調整が試みられた。ところが、開幕直前の米国のパリ協定離脱表明という思わぬ逆風もあり、全体の歯車が微妙に狂い、すべての点については全会一致には至らなかった。議長声明における苦肉の表現である「おおむねのコンセンサス」にとどまった少数の項目を含め、貿易と気候変動については、全会一致の閣僚声明から議長声明に切り分けたものである。こうなった最大の背景は、新政権の実務陣容や政策の実施方針が固まらない米、下院総選挙当日にあたり本国から代表を派遣出来なかった英、国民議会投票を直後の週末に控え、公表文書の片言隻語に過敏にならざるを得なかったお膝元のフランス、といった具合に、本来ならば成果を牽引すべき老舗の主要国の国内政治が盤石でなく、さすがの閣僚といえども、為し得る政治的決断には自ずと制約あったことに尽きるだろう。他方、閣僚声明が一切出ない事態や、成果文書の特定箇所に異見を持つ国が一方的宣言を出すような泥仕合を回避することが出来たのは不幸中の幸いであった。次に、議長国の采配・カラーについて。本年の議長国デンマークは、毎年秋に開かれるOECDの高官級年次会合の議長も兼務しながら、グローバル化の負の影響への手当という骨太のテーマを3年越しで練ってきた。残り1年になって、英国のEU離脱国民投票、トランプ政権発足、欧州各国の選挙、相次ぐテロといった政治情勢の突風に煽られ、閣僚理事会の閉幕の瞬間まで不時着しかけながらも、OECDの戦略的転換期に相応しい集大成につなげた。副議長を務めた英と豪が、アングロサクソン流のバランス感覚と相場観を効かせ、極論を宥めつつ、意見を集約した名脇役ぶりに負うところも大であろう。最後に、日本の主張がほとんどすべて成果文書に盛り込まれたのは、日本政府代表部の各員が、これら鍵を握る国や事務局幹部と大いに気脈を通じ、全体の舵取りや個別論点の調整に陰に陽に汗をかいてきたためでもある。この関連で、グローバル化の功罪に関する論理で触れた点(⑦国民の間の貿易交渉の不透明さに対する批判や、貿易の利益に対する疑義)に関し、各国の貿易交渉担当者が集った事前の会合で、当局者を日々苛んでいるジレンマ、すなわち、国民に出来るだけ有利な結果を得るがための交渉の「秘匿性」の要請と民主主義の「説明責任」の要請について、大江博OECD政府代表部大使が、前職のTPP首席交渉官としての経験や教訓を共有・議論し、非常な好評を博した。•おわりにOECD本部の庭に一本の桜がある。2014年夏、OECDが東日本大震災で被災した高校生を招待した研修事業「東北スクール」の記念植樹だ。まだまだ一輪ほどの温かさ、の数だが、今年も春先の陽光を受け、可憐な花をつけた。OECDの事務局や各国代表部で働く同僚は、公共政策の改善を通じて、自分ではない誰かしらの役に立ちたいとの使命感を支えに、昼夜を分かたず献身している。閣僚理事会の喧騒が過ぎ去った後、昨年よりも確実に幹回りが太くなり、青々と葉を伸ばした桜の木に寄り添いながら、OECDという国際機関の存在意義、苦悩と挑戦、日本との絆を改めて思った。筆者略歴安部 憲明平成9年(1997年)外務省入省。在米国大使館、日米安全保障条約課、北東アジア課、国連政策課、在中国大使館等を経て、現在OECD日本政府代表部で勤務。ファイナンス 2017.8272017年閣僚理事会の概要と意義(後編) 〈戦略的岐路に立つOECD、グローバリズムの苦悩と挑戦〉SPOT

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