ファイナンス 2017年6月号 Vol.53 No.3
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いもの好きというか、今描いた絵が一番高いという感じなので、作品の画家が死んだら安くなりますが、ヨーロッパでは、逆に、若い時の絵とか、死んでからでも絵の値段はあがるのです。流通面でもそうで、外国の人は例えば若冲の絵でも、最初に買った時も若冲の絵だと思って買ってないのです。誰の絵かわからないのだけど買った、好きだから買い進んでいったとなるのですが、日本の場合は少し違って、良いから買うというのが多いのです。その場合、誰がそれを証明するのかという問題があります。ヨーロッパの場合は、それが美術館だったり、博物館だったり評論家だったりしますが、こうした評価するシステムが日本にはなく、風評くらいの感じなのです。だから、ニセ絵もいっぱいでるわけです。それからオークションについても、日本の場合は、要らなくなった絵を処分するための場なので、お父さんが買った絵はわからないからとオークションに出して、その結果、偽物だとか言われてタダみたいになってしまうことがある。日本には鑑定のシステムもありませんが、海外では、例えばシャガールの絵の場合、鑑定家にみてもらって、もしその絵が偽物だと判断されると、その絵は鑑定機関が回収してしまうのです。没収されるリスクがあるので、危ないものを扱っていた場合、出せなくなる仕組みなのです。私たちが学生の頃、先生「あまりたくさん絵を描いちゃいけない」と言われました。しかし、ピカソは1日に36枚絵を描き、それを365日、90歳代まで膨大な数を描いておられる。それでいて、あの値段を保っているというのは、オークションがしっかりしているからだと思います。オークションでピカソの絵は、年間1、2点しか出せず、ほかの絵は出させないので、この1、2点の絵画をピカソの絵を持っている人達が競り上げていくわけなのです。1点か2点ですから、追っていけるわけですね。そして、オークションであがっていくことによって、何万点という絵全部の価値が急激にあがるわけです。ひとの生き方▶神田 先生は唯摩経の不二法門を引かれつつ、双眼の重要性を説いておられます。奈良出身で仏の世界の造詣が深い先生が洋画を追及されたアンビバレントな姿勢が説得力を持ちます。私は高校時代、最後の弁証法世代だったかもしれず、もともと一体であったものが一見、反語的に現象しているものを双眼が止揚させるものと理解していました。更に先生は、沢庵宗彭の「夢」を引証されつつ、人間は仏や極楽浄土を信じることで救われてきたとされつつ、他方、奇跡ともいえるこの地球こそが極楽浄土であり、死んだらおしまいと知るべき、と仰ったこともあります。若干、混乱したのですが、先生の世界観、死生観についてご教示ください。▷絹谷 簡単にいえば、信じるということなのです。私は興福寺というお寺のすぐ下で生まれました。池に水をはって、ハスを植えて、魚が泳いでいる。もしあなたが極楽にいったら、こんな世界なのだよということを具現化しているのがお寺であったりするわけです。あるかないかもわからない、浄土の世界はこういうものだよ、といって指し示している、あるいは、そう思い込ませているのです。死んでしまったら、信じようとしている世界はあるかどうかわからないのです。いってみれば模型みたいなものですね。私の京都近代美術館の展覧会の題名は、「絹谷幸二 色彩とイメージの旅」です。その「イメージ」というのも、あるかないかわからない世界なのです。色彩も、私共はあると思っていますが、実はないのです。光線はあるのですが、それを私たちが見て赤だ、と思っているだけの話なのです。お坊さん達は、色即是空、色というのは形であり、形あるものは壊れるという風に言うのですけれども、私から言わせれば、色即っていうのだから、色なのですよ。色というものは、空であり、実はないものなのです。それを頭の中で、変えているわけなのですね。色即是空、空即是色は、私の死生観になっています。ところで、大昔、男達は、洞窟に住んでおり、ファイナンス 2017.633超有識者場外ヒアリング63連 載|超有識者場外ヒアリング

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