ファイナンス 2017年6月号 Vol.53 No.3
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▷絹谷 その通りだと思います。一神教と多神教の違いは大きく、これは大命題です。一神教の聖書の中に、“You must say simply, Yes or No”という記述があります。あなたはキリスト教を信じるかどうかをYesかNoかで言わないといけない。コーヒー飲むか、紅茶を飲むかを先にYesかNoかで言わないといけない。どうしようかな、ジュースがいいかなといった曖昧な答えは、許されない、これが私の一番、向こうに行きました時のショックでしたね。維摩さんがおっしゃっているのは、相反するものさえも一つのものの部分であり、例えば善と悪ですら別々のものではないということなのですが、そういうものは一神教の世界では決して許されません。でも私は次の世紀にこういう一神教の世界で、果たして、幸せになれるかどうかというのがいつも頭の中にあります。今起こっているいざこざをみますと、私どもが神仏合体とかそういうことをやってきて、キリストも認め、イスラムも認めているというこの社会こそが僕はユートピアでないかなと思うのです。信教の自由の中で、幸せに暮らそうとしているこの世界、それから清潔さにおいても、時間の正確さにおいても勤勉さにおいても、あらゆる面で、世界に冠たるものがあると思います。素晴らしい塩梅の配分を財務省でやっておられるということも、犯罪のなさ、安全な国という点でも、食べ物はおいしくて、比較的他の国に比べたら平等であるという点とかね。あらゆる点において、わが国は非常に磨きあげてきていると思うのですね。その根幹の中には、やはり、一神教ではない、胸襟を開いている世界があるのではないかなという気持ちがしますし、それはやはり日本の国の風景が、水が、空気が美しいということが心に届いているからなのではないかなと思うのですね。▶神田 先日、お招き頂きました絹谷幸二賞贈呈式では、受賞された西村有さんとサブリナ・ホーラクさんの作品の素晴らしさはもとより、先生も仰った通り、その初々しさに感動を覚えた次第です。先生は、絹谷幸二賞について、終了してしまった安井賞への恩返しとして若い人に冒険できるような機会を与えるといったことを目的に、費用は出すが選考に口を一切出さないルールで始めたと仰っていました。この賞は規格外の絵が多いといわれ、絵画の進化に素晴らしいことだと思いますが、規格外だからこそ、安易な基準もなく、選考が困難だと推測されます。選考の方法はいかなるものか、また、それも具体的には選考委員に任せているのであれば、選考委員の選び方はどのようにされておられますか。更に伺うならば、そもそも、芸術の世界でいかに評価というものが可能なのか。つまり、芸術では皆と同じ答えを出すことは間違いです。先生はその中で断固として信念を曲げずに闘ってこられ成功された。しかし、ひとつの答えがない時に誰がどのように芸術家ひとりひとりの魂を評価することが可能になるのでしょうか。▷絹谷 私は、全て毎日新聞社さんにお任せきりで、評価をされる方を選ぶこともしていないのです。評価する人たちも3年ごとくらいに変わっています。それから、評価という点なのですが、絵の世界が他と違うところは、1+1は2という皆と同じ答えを出したら間違いということです。それにもかかわらず、皆と同じような絵を書きたい、突出したくないという気持ちもあるわけなのです。しかし、そうであると、この絵とこの絵がよく似た同じ絵であれば、この絵は評価されても、それではこっちの絵は悪いのかというと、この絵とこの絵は、同じような絵なのだから、この絵も評価されてしかるべきなのだということになり、そういう絵が山ほどありますから、選ばれた絵が皆同じ絵になってしまいます。皆と同じというのがいいという尺度では測れない。また逆に、1+1=5という絵があった場合、皆と一緒じゃないので、特殊なのですが、そういう特殊な絵に対して賞を与えたらいいのか、みんなとおんなじような絵を描いている人の中で、うまい人だけを選べばいいのか、こういうことになってきます。審査の人達の哲学とか好みとかは色々あってその基準は変わってくるのです。入学試験で、もし、ファイナンス 2017.629超有識者場外ヒアリング63連 載|超有識者場外ヒアリング

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