ファイナンス 2017年6月号 Vol.53 No.3
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ス、そういったものについてどう考えるかということだと思います。そういうことを思って、そのまま、鏡のように絵に写していけばいいのです。今うけるにはどうしたらいいかとか、今この絵を売るにはどうしたらいいかとか、それも非常に大切なことなのですが、あまりそういう余計なことを考えておりますと、絵描き家になってしまう可能性があります。その前に、人間になっていけばいいのではないかなと思います。植物とか自然といったところから発想した絵は強いですね。▶神田 私も門外漢ながら関心をもっていた独立美術協会について、『絹谷幸二自伝』等で触れられています。フランス美術からの独立、日本油絵の独立、フォービズムを標榜し、具象絵画の拠点たる機能、様々なミッションがいわれていますが、先生は独立美術協会のミッションをどう定義づけられていますか。▷絹谷 独立美術協会は、日本人の絵を描きたいということなのですね。だけど絵を描くには、フランスやいろいろなところで勉強しなければならなかったところ、ちょうどその頃に戦争があり、油絵の世界が、少し辛い時期もあったのです。そういう中で新表現主義や野獣派が生まれました。当時は欧米列強の進歩の度合が早かったものですから、追いつけ追い越せと先輩たちは切磋琢磨したのだと思うのですが、科学やそういう分野と同じように、独立美術協会の作家達も、そういう流れにのって、あまり進歩のないものでは東洋の寝りに入っては戦後の日本発展はない、と考えると同時に、日本人のアイデンティティを絵に塗りこめていきたいという想いが強かったと思うのです。私もイタリアに留学しましたけれども、イタリアは今でこそ沈滞しておりますが、百年位前までは、ヨーロッパの人たちもみんなイタリアに留学していて、西洋の西洋たるところだったのです。アメリカも元はイギリスの人達、そのイギリスの人達も元ローマ人といった趣がありまして、私は、ぱっとみただけで、アメリカはイタリアを大きくしたような一つの相似形なのだなという想いがしました。ベニスの大運河とジュデッカ運河が真ん中にあって、ニューヨークと同じだなと、摩天楼が教会の鐘楼にかわっているだけなのだなと思ったのです。やっていることも商業活動で同じですしね。ヨーロッパに在外研修でいかせていただいたことがありますが、大抵むこうに行くと浮かれる人が多いのです。でも、私は奈良で生まれたせいか、仏様の教えとか素晴らしい世界を見ているものですから、ミロのビーナスをみても、あちらの合理性に出合っても、余裕がありましたね。私たちは全然、戦争に負けたからといって、人間として何も負けていないのだという気持ちがありました。▶神田 私は日本の伝統芸術も大切にしておりますが、洋画は外来の基本に服して戦って、世界の土俵で高く評価されており、洋楽やスポーツ同様、日本民族の誇りであり、国際社会で名誉ある地位を占めることに貢献していると思います。その成功には日本独自の要素との結婚があると思うのですが、先生は、地形と気候が複雑に入り組むことから生じた、人間も自然の一部という自然観を日本、アジアの特徴とされています。ただ、多少、地中海性乃至西岸海洋性気候は温厚ではあるものの、欧州にも自然の多様な恵みがあります。寧ろ厳しい環境の中東で生まれた一神教が抽象性の要因とも思われるのですがいかがでしょうか。28ファイナンス 2017.6連 載|超有識者場外ヒアリング

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