ファイナンス 2017年6月号 Vol.53 No.3
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など、手で相手方に渡しただけで静電気が流れ、内容が消えてしまう事があります。奈良の維摩さんの教えなのですが、私は、相反する概念はそれぞれ別々ではない、一つのものの部分なのだということを肝に銘じないといけないと考えております。新しいことと古いこと、或いは甘いと辛い、男と女、水と油といった、相反する概念は、私達の体の中に水と油があるように、或いは遺伝子の中に過去と未来があるように、その二つは全く別物ではないと思います。善と悪もそうですね。私達の心の中にも、明るい気持ちと暗い気持ちが同居しており、悪い気持は身体の細胞を破壊し、命を縮めますので、明るく生活しなければならないでしょう。そういうものを双眼でとらえていかないといけないのです。▶神田 先生はアフレスコの第一人者でいらっしゃいますが、これについて。有難くご恵贈頂いた『絹谷幸二自伝』の中で、漆喰が生乾きの間のジョルナータ(一日分)に取り掛かっている間は席も立てない過酷な創作環境を紹介されています。まさに、体力、気力が必要だったために、楽な油彩画に流れてしまったのでしょうか。運輸手段の発達で足腰が衰退してしまったように、技術革新の中で、肉体的には怠惰に向かう合理的な進化の過程ともいえます。しかし、先生は、忘れられた技術や感性の中にこそ、次の創造につながる道があると信じ、極められました。『群れない生き方』の中で、石灰に始まり、石灰に帰っていく炭酸ガスの輪廻の話をされ、その思想的ロマンは大いに共感するのですが、アフレスコの芸術の創造との関係について、もう少し敷衍してください。▷絹谷 簡単に描いて、絵さえできればいいということであれば、確かにフレスコ画は労力がかかるだとか、高いところに登って足場を作って、その現場で書かなければいけないという大変なことがあります。しかしながら、書くという喜びの中には、それ以上のことがあるわけです。出来上がった絵だけであれば、アクリルで書こうが、吹き付けで書こうが、印刷しようが、色々と方法はありますが。フレスコ画がもっている大切なことに、炭酸カルシウム(CaCO3)というものがあります。フレスコ画の壁の材料である石灰岩(CaCO3)の中には、今、一番問題になっている炭酸ガス(CO2)が入っています。石灰岩に炭酸ガス(CO2)がない状態は生石灰(CaO)ですが、それに水(H2O)がかかりますと、消石灰(Ca(OH)2)になります。その消石灰と砂を混ぜて壁に塗ります。そうすると、水が外に出て行って、空気中の炭酸ガスを吸って、もとの石灰岩に戻ります。鍾乳洞とか私達の祖先が住んだ洞窟は石灰岩なのですが、その中で、ポタポタと水が落ちていき、鍾乳石がだんだんと成長していきますね。そして石灰岩の中にある、無色透明なものがどんどん溜まっていくわけなのです。アルタミラの壁画にもあるように、私達人類がそこに住んでいたことを考えると、石灰岩の洞窟こそが、ひょっとすれば私たちの母体であったのではないだろうかと思われるぐらいのものなのですね。その洞窟の石を焼いて、生石灰にしてから、水をかけて消石灰にし、それを砂と混ぜて壁に塗って絵を描いたということなのですが、絵を描きますと鍾乳石からポタポタ落ちてできたような無色透明なもの、つまり、アニドリデカルボニカ(無水炭酸塩)がでてきて、絵の具を閉じ込めてしまうのですよ。もう見事なものなのですが、それが乾ききってしまいますと、透明の被膜の上に絵の具を載せても、絵の具には接着剤が入っておりませんので、だーっと落ちるわけなのです。ところが、乾く途中であれば、空気中の炭酸ガスをずっと吸っておりますので、カルボニカが顔料の上部に出てフィックスします。そして、炭酸ガスを吸って石になる、その刹那に顔料が壁の中に入っていくのです。つまり、非常に科学的なものなのです。そういったことを大昔の人は知っていたということなのですね。しかもその石が、今世界中で問題になっている炭酸ガスを抱えてもってくれているということは、絵を描くということ以上に楽しいことなのです。そういう瞬間を共有できて、壁と語りあえるファイナンス 2017.625超有識者場外ヒアリング63連 載|超有識者場外ヒアリング

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