ファイナンス 2017年6月号 Vol.53 No.3
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して、絵で指し示して知らしめるといった、伝達性があると思います。特にヨーロッパの場合、或いは古代の場合、文盲といいますか、言葉が通じない外国の方も、沢山いたわけです。そうすると、絵で気持ちを伝達するということにもなります。それから、私共人類が言葉を持ったという点は、他の動物達と違ったところですが、絵でも、そういうことが言えます。両者は、人の心を震撼させる上で、不可欠なものですので、絵の中に言葉が、あるいは、アルファベットがあっても、差支えないのではないかと思っております。ご指摘の通り、かつて天使ガブリエラが受胎告知をするときに、言葉が口から出ておりましたし、京都には、阿闍梨さんが説教されている、口元から仏様が立体になって出ている像もあるわけです。それから漢字自体が実は絵なのです。例えば「幸二」の「幸」という字は、土を書いて、ここにちょんちょんとあり、そして下に棒みたいのがありますが、これはサスマタなのですね。最近小学校などにも置かれておりますけども、悪漢が入ってきますと、そのサスマタで捕まえるのです。そうすると、捕まえられなければ幸せと、こういう意味があるわけです。あるいは「武士」の「武」という字があります。この棒は牛が引っ張る棒なのであり、跳ねているところが鍬なのです。鍬で田畑を耕せば、食料が満足にとれて、戦いが止まるといった意味合いもあります。又、ま逆に農民が鍬を持って反乱すると、これを止めるためには武力がいる、というまちがったとらえかたもあります。そういった風に言葉自体がまず、絵からきているということですから、絵も字も別々のものではないということなのですね。そこで、私は、そういう字を絵の中に取り込ませてきたのですが、若い頃は、漫画だといわれたこともありました。でも、そのおかげで、私の後の世代の現代作家達が、新しいジャンルを切り開いているのです。絵のもっている進取の気があったから、絵の中に言葉を書かせて頂いたと、こういうことなのですね。▶神田 言葉には多くの概念が宿っており、また、絵は見るものの想像力を逞しくさせます。ところが、IT革命で便利になった分、テレビ普及で、小説を読んで空想する楽しみと想像力を鍛える機会が激減し、ネット急拡大により、多元的で深度のある思考能力を喪失したり、断片的なバーチャルの世界に閉じこもりかねないリスクが高まっています。また、先生は、以前、近代絵画は哲学を併せ持つなど、表面的な視覚を超え、人間の深層心理をも穿つ巨大な領域へ進歩したと観察されました。他方、私には、音楽が哲学を失ってリズム感だけとなり、映画も興行成績を求めて大衆に媚びるよう結論まで変える思想のない時代となり、IT化で知的作業まで機械に頼って益々、痴呆化が進行し、バーチャルと現実の区別も判らなくなるかもしれないような危惧を感じます。先生は、情報革命の美術、ひいては人類への影響をどうみておられますか。▷絹谷 確かに現代文明はいろいろな意味で、便利にはなってきているとは思いますが、やはり最後に残るのは、石に刻んだ楔文字だろうと思います。流行と不易というものがあり、確かにそういうことも大切ですし、これからますますコンピュータの世界が広がっていくと思います。その一方で、石に穿たれた楔形文字や、フレスコ画のような壁に描かれた絵、そういった人間として、生物として動物として、何ら変わらないものも同時に細胞のうちに古代からずっと持ってきているわけですね。ですから、片方だけ偏重しますと、少し重しがとれて浮いた世界に入っていくのではないかと思います。人間の本質とは何なのだろうとか、自然と人間とのかかわりはどうあるべきかといった太古の人たちが抱いた想い、そういったものも繰り返し、私達の手先や血筋、体の中に充填していかないと、形骸だけが歩いているというような、軽いものになってしまいかねません。例えば、コンピュータが故障したらどうなるのだろう、電気が切れたらどうなるのだろう、今までの情報が一挙に消滅することも考えられます。そうした時に、果たして火打ち石があったと気づく人がいるかなと思います。コンピューターのチップ24ファイナンス 2017.6連 載|超有識者場外ヒアリング

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