ファイナンス 2017年5月号 Vol.53 No.2
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以上のような経緯からAMRO(国際機関)の場合、ⓓの業務開始の後に、ⓐの国際機関設立準備の仕事が付加され、ⓑの設立協定の各国による批准、ⓒの国際機関へ移行、という変則的な誕生の仕方をすることになります(資料2を参照)。なお、今後は民間法人であるAMRO(カンパニー)と区別して、国際機関移行後の組織はAMRO(国際機関)と表記します。所長に就任する(2012年5月)マニラの財務大臣・中央銀行会議から戻り、程なくしてAMRO(カンパニー)の所長の職を引き継ぎました。それまでの1年1か月の間、顧問という形で魏所長を補佐してきました。とにかく人数が少なかったこともあり、またなるべく魏所長に外部の会議に出張してもらうために、サーベイランス(経済の調査・分析)から予算・人事の実務(銀行口座の開設や部内規則の作成など)に至るまで、できるだけシンガポールのオフィスに残り素案の作成をしていました。従って、オフィス内の業務で事実として知らないことは殆どなかったのですが、所長となって組織を動かすことになり、その責任を負うとなると、緊張感は別次元のものでした。当時のAMROは「お試し期間」にあるようなもので、成果が上がらなければ所長更迭、最悪の場合組織取り潰しの可能性もあります。10人のエコノミストが、それまでの各国の安定した職場を飛び出してAMROの立ち上げに参加してくれましたが、10人とその家族を路頭に迷わせられない、という重圧は意識していました。所長就任直後から、各国を訪問したり、会議で講演を求められたりする日程が目白押しでした。各国当局の意見を聴き、自分なりの当面の課題も説明したかったので、6月半ばからは7週連続で海外へ出張しました。多くの当局から早期の国際機関化を期待する声を聞きました。自分からは、国際機関を創設する以上は内容の充実したものとしたいことを説明しました。*4 理論の上では、まず簡単な内容の設立協定により国際機関を設立し、その後の必要に応じ規定を強化していくとの方式も可能です。ただ各国議会の承認を得て国際機関になった場合、その協定を直すには各国間で合意した上、協定で定められた一定数の国の議会の承認を再度取らねばならず、そう簡単に協定改正はできないという経験則もあります。最近の典型例としては、リーマン危機後の2010年に合意されたIMFの増資(85%の多数が必要)について、米国議会の承認が得られなかったため、2016年1月まで成立しなかったことが挙げられます。形だけを整えることを目指す東アジアの国は多く、例えばAMRO設立協定の書き振りについてもそうした提案が出されたことがありました(次号以下で述べる予定です)。*5 実際には内容の充実した国際機関設立協定が早期に合意できたために、民間法人であることによる重大な弊害は自分の知りうる限り発生しませんでした。ただ、中長期的に考えてもAMROが民間機関として法的に守られていたかについて、現在は慎重な見方をしています。仮定の問題として民間法人である期間が長期に及ぶか、または国際機関としての保護の内容の乏しいものになったとします。そうした状況の下で、例えばスタッフが逮捕されたり、オフィスの通信が傍受されたりの事件が発生したとしたら、明確な法的保護規定がないことについてAMROとして臍を噛む事態に至った可能性は十分にあったと考えているためです。*6 ASEAN+3(日中韓)財務大臣会議・中央銀行総裁会議共同ステートメント(2012年5月3日、於フィリピン・マニラ)。*7 ASEAN+3(日中韓)財務大臣会議共同ステートメント(2011年5月4日、於ヴェトナム・ハノイ)*8 多くの国においては、国際的な約束について、スタッフの不逮捕の規定など人権や税金に関しての内容を含む場合や政治的に重要な場合には原則議会の承認を得る必要があり、これらの事項を含まない国際的な約束は行政当局間の取極めでよい、という国内の仕切りがあります(日本では1974年2月の大平外務大臣の衆議院外務委員会での答弁のかたちで基準が示されています)。国による違いは大きいのですが、検討の当初から議会の承認を求めない内容にすると決めてしまうと、多くの国における国内の仕切りから、スタッフを逮捕しないとか、文書を押収しないとかについては、国際機関設立協定に盛り込めない可能性がありました。ファイナンス 2017.551国際機関を作るはなし ASEAN+3マクロ経済リサーチ・オフィス(AMRO)創設見聞録 連 載|国際機関を作るはなし

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