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ファイナンスライブラリー

評者 武田 一彦

ティモシー・P・ハバード&ハリー・J・パーシュ 著/安田 洋祐 監訳/山形 浩生 訳


入門オークション 市場をデザインする経済学
NTT出版 2017年4月 定価 本体2,400円+税


本書は、オークション理論のエッセンスや、オークションに関する学術研究の主要な成果を、初学者の方にも分かりやすく紹介・解説した、素晴らしいテキスト(入門書)です。(Timothy P. Hubbard and Harry J. Paarsch, Auctions (MIT Press, 2015) の邦訳です。)ゲーム理論、マーケットデザイン等を専門とする、気鋭の経済学者が監訳しています。
ゲーム理論の「不完備情報ゲーム(Games of Incomplete Information)」の枠組みと「ベイジアン・ナッシュ均衡(Bayesian Nash Equilibrium)」の概念を用いたオークションの分析は、ノーベル経済学賞を受賞したW. Vickreyにより1960年代初めに切り開かれた後、1980年代以降急速に発展し、実社会への応用を含め今日の華々しい成果につながっています。
この不完備情報ゲームの枠組みは、実社会で頻出する不確実性を伴う状況を分析できるという点でとても有益なツールですが、「期待」「予想」がモデル化されます。このため、オークションの分析も、しばしば、確率論が頻出する、数学的にテクニカルなものとなります。おそらく大学院レベル以上のトレーニングを受けた方でなければ、同分野の専門的な学術文献に限らず、標準的なテキストとされる書籍群にも、かなりの「敷居の高さ」を感じるでしょう。
実証研究を専門とする経済学者である著者らは、この敷居の高さが多くの読者を遠ざけ、実社会における重要性に比してオークションの分析が世の中に十分認知されていない、というギャップに強い問題意識を持ち、初学者にも理解し易く、しかも内容も豊かな書物を世の中に出すことで、ギャップを埋めようと試みます。本書はその試みに、見事に成功しています。
本書は、学術研究の数々の重要な成果や発見を幅広くカバーしながら、数式を一切使わず、エッセンスに特化した解説・紹介を行うことで、読者が同分野の研究成果を俯瞰し「大局観」を得ることを容易にしています。エッセンスだけに触れ続けることで、読者が実践的なセンスを身につけ易くする、という著者らの狙いも、上手く本書に反映されていると感じます。
評者は、2000年代前半、日本国債の「プライマリー・ディーラー制度」(「国債市場特別参加者制度」)や「非価格競争入札(第I・第II)」「流動性供給入札」「バイバック(買入消却)入札」等を制度設計しました。その際、市場関係者の方々との意見交換に加え、V. Krishna著のAuction Theory (2002)、P. Milgrom著のPutting Auction Theory to Work (2004)、P. Klemperer著のAuctions: Theory and Practice(2004)等の参照は、とても有益でした。ただ、これらは学術的に文句なく素晴らしい名著であるものの、著者も監訳者も指摘する通り、数学的なこだわりが少なくなく(特に前2者)、専門的知識を持つ方以外に勧めることは、かなり躊躇されます。オークションについて多くの読者が容易に理解できるテキストが必要、という著者らの問題意識に共感するのは、評者や監訳者だけではないでしょう。
オークションの実務は、学術研究よりも遥かに考慮要素が多く複雑です。理論や学術研究成果をいくら正確かつ広範に理解しても、そのまま実務に応用できることは経験上極めて稀です。ただ、それでも理論や重要な学術研究成果のエッセンスを理解することは有益で、実践的なセンスを正しく身に付ける、制度設計の際に創造性を発揮する、少なくとも大きな間違いを容易に回避する、といったことに役立つと思われます。(制度設計者等でなければ、さほど数学的に厳密な理解は必要ないかもしれません。)その意味でも、本書は多くの本誌読者に価値ある入門書と言えるでしょう。
最近では、オークションを含む「マーケットデザイン」に関する日本語の優れた書籍がいくつか出されています。いい時代になったなあ、という評者の呟きはさておき、その中の一つとして、本書の一読をお勧めしたいと思います。