平成24年6月22日
財務省
グローバル化の進展や新興国の台頭、情報技術や金融技術の高度化などにより国際的な資金フローが益々拡大する一方、世界金融危機に続き、欧州債務危機が発生するなど、国際的な資金フローの変動による世界的な金融危機がより頻繁かつ深刻な形で起きています。
当研究会では、将来における日本とアジアの安定的な成長と発展に向け、国際的な資金フローに関する構造的な課題を検討することを目的として、中長期的な視点に立って、国際的な資金フローの全体像の把握と基調的な資金フローの変動要因の特徴、金融セクターの果たすべき役割、マクロ・プルーデンス規制のあり方など、横断的なテーマを幅広く取り上げることとし、貝塚啓明・財務総合政策研究所顧問を座長に、平成23年10月から同24年2月にかけて8回にわたり、専門家や実務家の参加を仰いで議論を行いました。
今般、研究会での議論を踏まえ、研究会の成果として、研究会メンバーの執筆による報告書を取りまとめました。1.報告書の各章の表題と執筆者名、2.報告書の各章の要旨、3.研究会メンバー等は別紙のとおりです。
なお、本報告書の内容や意見はすべて執筆者個人の見解であり、財務省或いは財務総合政策研究所の公式見解を示すものではありません。
【連絡先】
財務省財務総合政策研究所研究部
総括主任研究官 吉川 聡
研究交流係長 澤村 智博
電話: 03-3581-4111(財務省代表)
(内線) 5223, 5348
(別紙)
(役職名は2012年5月現在)
第1章 | 過剰なマネーと国際金融危機 |
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貝塚 啓明 財務総合政策研究所顧問(研究会座長) 上田 淳二 財務総合政策研究所財政経済計量分析室長 | ||
第1部 国際的な資金フローの現状 | ||
第2章 | 過剰流動性とリスクマネー |
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市川 眞一 クレディ・スイス証券チーフ・マーケット・ストラテジスト | ||
第3章 | 国際的な資金フローの現状 |
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吉川 聡 財務総合政策研究所総括主任研究官 澤村 智博 財務総合政策研究所研究交流係長 内本 憲児 財務総合政策研究所研究員 吉川 浩史 財務総合政策研究所研究員 | ||
第2部 国際的な資金フローに関する分析 | ||
第4章 | 対外不均衡と国際資金フロー:グローバル・インバランス論を超えて |
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松林 洋一 神戸大学大学院経済学研究科教授 | ||
第5章 | 対外インバランスと評価効果の非対称性−「富の移転」に関する日米比較− |
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岩本 武和 京都大学大学院経済学研究科教授
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第6章 | アジア域内の資本フローの特徴・貿易建値通貨選択について |
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清水 順子 学習院大学経済学部教授 | ||
第3部 国際的な資金フローに関する課題に対応する政策 | ||
第7章 | 世界金融・経済危機後のマクロ・プルーデンス政策のあり方について |
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祝迫 得夫 一橋大学経済研究所教授 | ||
第8章 | 資金のミスアロケーション促進の仕組みとしての【ユーロ】 |
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竹森 俊平 慶應義塾大学経済学部教授 | ||
第9章 | 通貨体制の選択と経済安定 |
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嘉治 佐保子 慶應義塾大学経済学部教授 |
(役職名は2012年5月現在)
貝塚 啓明 財務総合政策研究所顧問(研究会座長)
上田 淳二 財務総合政策研究所財政経済計量分析室長
第1章では、各章での議論の導入として、近年の国際的な資金フローの変化の特徴とその分析の視点、さらに今後の政策のあり方に関して、研究会の議論及び各章で議論される主要な論点を提示する。
国際的なマネーフローの変化を概観すると、ブレトン・ウッズ体制の終焉後、マネーの国際間移動は飛躍的に拡大している。特に、2000年代に入ってからは、米国への資金フローの流入の顕著な増加と、欧州域内の各国における資金フローの顕著な拡大が生じている。こうした変化の背景には、家計や企業の金融資産の蓄積が進む一方で、収益性の高い新たな投資機会の拡大が進まなかったこと、1980年代から90年代にかけて新興国において様々な危機が生じたことなどが挙げられる。また、資金運用主体の時間的視野がより短くなる傾向にある中で、規制強化の下での「シャドーバンキング」と呼ばれる活動の活発化も、国際的な資金フローの量的拡大に影響を与えてきた。また、運用主体間の競争が激しくなる中で、技術進歩によって情報伝達や取引の実行に要する時間が短縮されることによって、ホームバイアスの縮小、資産配分の考え方の変化、裁定行動の活発化やリスクに対する感応度の高まりなどが顕著となっている。
2000年代においては、米国の住宅価格の高騰と国際的なマネーフローによって、米国及び欧州の金融機関の高い収益が支えられてきた。そのため、金融危機を経て、世界経済の成長が回復軌道に戻るか否かを考える際には、米国がどのような回復過程をたどるかが最大のポイントとなる。但し、米国の対外ポジション及び政府の財政収支を見ると、長期的な視点から、それらの維持可能性は決して楽観を許さない状況にあり、米国の経済運営に対する規律が働かない状態が続く場合には、将来の不安定性の種が残る。他方、アジア諸国においては、域内諸国の間の非対称性が極めて大きく、国際的な金融市場は未だ成熟した段階には達していない。今後、過度な変動や楽観と危機の繰り返しを避け、実体経済の調整速度と調和のとれたマネーフローを実現できる仕組みを構築していくことが多くの諸国にとって有益と考えられる。
情報技術・金融技術の高度化や市場の発展は、投資家の将来に向けた予想という主観的な要素の役割をより重要なものとしており、予想の変化が、様々な金融商品の価格変動につながるため、様々な意味で不確実性が増している。そうした中で、国境を越えた取引が安定的に行われる金融システムを確立するためには、マクロ・プルーデンスの観点からの政策や、為替レートの安定性、伝統的な財政政策や金融政策のあり方に関しても、今後、様々な議論が必要とされる。政府による正しい情報開示や、金融市場における質の高い情報生産活動に加え、「将来への予想」が適切に形成されるために、各国において、維持可能なマクロ政策が将来にわたって実施することができると信頼されていることが重要であることは言うまでもない。
市川 眞一 クレディ・スイス証券チーフ・マーケット・ストラテジスト
国際金融市場においては、リーマンショック、ユーロ危機を経るなか、リスクマネーの急速な縮小が起こった。米国連邦準備制度理事会(FRB)、欧州中央銀行(ECB)、日本銀行など主要中央銀行が相次いで非伝統的政策を採用、大量の流動性を供給したものの、信用乗数の低下によって吸収され、実体経済にマネーの循環しない状態が続いたのである。これは、リアルエコノミーにおいて世界経済に対し大きな超過需要を創出する一方、バーチャルエコノミーではドルにより国際金融市場からそのファイナンスを行ってきた米国の経済メカニズムが、機能不全に陥ったことがその主たる背景だったと考えられる。加えて、2012年11月の大統領選挙を控えた政治的対立により、米国経済が「縮小均衡」に陥ったとの懸念が広く金融市場を支配した。
しかしながら、2012年に入って、米国経済は着実な拡大の過程に回帰したようだ。バランスシート調整が最も厳しい場面を脱しつつあることで、「雇用なき回復局面」の終盤に入ったと見て良いだろう。ユーロ圏のソブリン問題は続くものの、米国経済の成長ペースが速まれば、金融市場においてリスクを取る動きはさらに勇気付けられるだろう。これは、過去の歴史を振り返ると、米国大統領選挙を中心とした世界的な景気循環サイクルが、引き続き機能していることを示すからだ。
むしろ、今後、政策面で念頭に入れて置くべき課題は、将来、新たなバブルが発生する可能性ではないだろうか。実体経済において景気が拡大するとしても、当初は懐疑的な見方が根強いため、金融政策の正常化は遅れることが予想される。その時間的なズレは、過剰流動性としてバブルの温床となるだろう。また、資産運用におけるファンドの巨大化、機関化、さらには評価期間の短期化が、本来、長期的視点に立ち市場の安定化に寄与すべき性質の資金をも、ボラティリティを拡大させる役割へと変えたのである。
経験的には、米国の大統領が再選されると、その2期目において経済のバブルは拡大する傾向が強い。過去30年の間、2期8年の任期を全うしたレーガン、クリントン、ブッシュ(子)の3米国大統領が、党派に関係なくいずれもバブル崩壊の前後で退任時期を迎えたことは、単なる偶然の一致とは言えないだろう。
特に、足下の世界経済を見ると、新興国の高成長が続いてきたことによって、資源の需給関係は構造的に逼迫しつつある。何らかの事件を契機として、過剰流動性が資源マーケットに流入すれば、石油などの価格高騰が各国にとり新たな挑戦となる可能性は否定できない。政策当局は、1つのリスクシナリオとして、今からそうした事態に向けた備えをはじめるべきではないだろうか。もちろん、バブルを発生させない努力も重要だが、市場経済である以上、予防措置には限界がある。むしろ、日本としては、次のバブルを「想定内の条件」として、それにどのように対処するのか、早い段階から頭の体操をしておかなければならない。
吉川 聡 財務総合政策研究所総括主任研究官
澤村 智博 財務総合政策研究所研究交流係長
内本 憲児 財務総合政策研究所研究員
吉川 浩史 財務総合政策研究所研究員
国際的な資金フローは世界経済のグローバル化の進展により大幅に拡大した。2000年代に拡大ペースが加速した国際的な資金フローは世界金融危機を受けて急激に縮小したが、再び拡大の動きを見せている。ただ、世界金融危機以降はリスク回避の傾向が強まっており、資金フローが安全資産に向かう動きが顕著になっている。
国際的な資金フローの拡大を背景にグロスの対外資産・負債は大きく拡大している。他方、ネットの対外資産・負債(対外純資産・純負債)については多くの国において同一方向に拡大する傾向が見られるなか、2000年代にはグローバル・インバランスの拡大などを背景に大きな対外純資産又は純負債を有する国の顔ぶれが多様化している。対外純資産・純負債ポジションを決定する各国の資金過不足の状況に目を向けると、家計部門の資金余剰と企業部門の資金不足が縮小する傾向が見られ、その縮小の速度が一致しないために財政収支や対外収支の不均衡が生じる傾向にある。
G20では「強固で持続可能かつ均衡ある成長のための枠組み」の下、公的部門及び民間部門の貯蓄、対外バランスに着目し、日本を含む「継続した大規模な不均衡」を有する国に存在するインバランス(不均衡)の原因や背景の分析を行った。インバランスの是正には、財政再建、生産性の向上、競争力の強化、社会的セーフティネットの整備などの構造改革の断行が求められる。
大幅な経常収支の赤字を有する米国は、英国を中心とする欧州との資金のやり取りが大きく、特に世界金融危機直前に欧州との資金フローが急拡大していた。今後の米国の資金フローを巡っては財政赤字の動向に注目されるが、政治的な対立が続くなか、財政政策の先行きは不透明な状況にある。また、米国の金融資本市場では、確定給付型企業年金から確定拠出型企業年金への制度的移行のなかで投資信託が拡大するなどの動きが見られる。
欧州(ユーロ圏)では、2000年代においてリジョナルな(地域的な)インバランスが拡大し、これを背景とする域内の北から南への資金流入の拡大がギリシャの財政問題に端を発する欧州危機につながる結果となった。危機からの脱却には痛みを伴う財政再建や構造改革、財政統合をどのように進めるかなど課題も多い。
世界金融危機の影響が軽微であったアジアでは、黎明期にある金融資本市場においても投資家が育ちつつある動きが見られる。アジアへの銀行与信が大きい欧州の危機は当面の懸念材料だが、成長期待が高まるアジアへは欧州以外の地域からの与信供与も見込まれ、影響はあまり大きくないと考えられる。
松林 洋一 神戸大学大学院経済学研究科教授
第4章では、昨今注目を集めている「グローバル・インバランス」と呼ばれる現象について、いくつかの分析例を紹介するとともに、その発生要因を考察する。あわせて経常収支と対をなす国際資金フローのダイナミズムを様々な角度から展望する。
1990年代後半以降、各国の対外不均衡は、従来とは異なる新しい動きを見せ始めている。このような現象は「グローバル・インバランス」と呼ばれ、世界経済に対しても、少なからず影響を与えていると考えられる。グローバル・インバランスとは、その言葉がイメージするように、世界経済全体を包み込むきわめて壮大な現象であるという感が強い。したがってその発生メカニズムを理解する際には、どのようなアングルから、どのような分析枠組みのもとで考察すべきなのか、という問題に直面する。そこで本章ではグローバル・インバランスと呼ばれる現象について、いくつかの多面的な側面から検討を加え、その発生メカニズムを明らかにしている。2000年代以降、経常収支赤字国、黒字国ともに構造的要因および資産価格の高騰にもとづくその他要因が、グローバル・インバランス拡大の重要な要因となっていたことが明らかにされる。
各国間の資金取引は、基本的には資金余剰国から資金不足国へのファイナンスとして捉えることができる。グローバル・インバランスの拡大は、中国、日本などの資金供給国から、資金需要国である米国へ巨額な資金が流入していたことを示唆している。また欧州域内では、ドイツを中心とする経常収支黒字国が、経常収支赤字を肥大化させていた南欧諸国に資金を供給するというリジョナル・インバランスが発生していた。さらに2000年代に入り、米国と欧州の間では、おもに英国を経由する形で、巨額なドル資金の流れが形成されており、この資金フローは米国の住宅価格を高騰させていた可能性が高い。このように昨今の国際資金フローの特徴を精査する際には、インバランスというネットの動きのみならず、グロスの視点からの考察もきわめて重要となりつつある。
岩本 武和 京都大学大学院経済学研究科教授
過去20年以上の間に、グロスの対外資産・負債が、両建てで(とりわけ先進国において)飛躍的に拡大したこと、換言すれば、双方向での国際資産取引が爆発的に拡大したことに伴い、アカデミズムにおける対外インバランスの分析も、ネットのフロー分析からグロスのストック分析が重視されるようになってきた。とりわけ一国の対外バランスシートが肥大化した結果、国際投資ポジション(IIP)から発生する「評価効果」や、為替レートが経常収支調整に及ぼす伝統的な貿易経路だけでなく、ストックとしての対外インバランス調整に及ぼす追加的な「評価経路」が重視され始めている。第5章では、2007年以降の世界金融危機を挟んだ1995年から2010年までを対象とし、日米のIIP構造や対外収益率格差の違いなどを分析することによって、日米の評価効果が完全に非対称的であることを示し、貿易収支の縮小と所得収支の拡大という経常収支構造に転換しながらも、今なお米国とは対照的なIIP構造を持つ日本にとっての示唆を考察している。本章の分析・考察は以下のようにまとめられる
日米の国際投資ポジション(IIP)を比較すると、米国は双方向での対外資産取引を拡大してきたのに対し、日本は一方向での対外資産取引を拡大してきた。米国はグロスの対外資産・負債を両建てで増加させ、対外バランスシートに大きなレバレッジがかかっていた。
日米の評価効果を比較すると、米国の対外純資産(NFA)には巨額のキャピタルゲインが付加され、経常収支赤字が継続・累積しても、2000年以降NFAは安定ないし改善しているが、日本のNFAにはキャピタルロスが発生し、経常収支黒字が継続・累積しても、NFAは悪化することさえあった。
日米の対外収益率構造を比較すると、米国はキャピタルゲインに依存し、日本はインカムゲイン(所得収支)に依存している。米国は、対外資産を資本性金融商品(直接投資や株式投資)で、対外債務を負債性金融商品(債券や銀行融資)で保有しており(低金利で調達し高収益率で運用)、ハイリスク・ハイリターンの資産運用をしていることが、純債務国でありながら対外総収益率がネットでプラスであるという「法外な特権」を享受できた要因である。
金融危機前までの日米の評価効果も非対称的であり、米国の評価効果がプラス(マイナス)に動いた時は、日本の評価効果はマイナス(プラス)に動いている。これは日米間の富の移転を意味するかどうかわからないが、為替レートの動きから類推できることは、ドルが減価すれば、外貨建てで保有している米国の直接投資や株式投資などの対外資産に為替差益が発生し、それがキャピタルゲインの源泉になっているという「評価経路」である。
清水 順子 学習院大学経済学部教授
世界金融危機以降、流動的となっている国際金融市場の動きをいち早く分析し、的確な政策を行うためには、様々な視点から現状を分析することが重要である。第6章では、日本とアジアを取り巻く国際資本フローと為替相場をテーマに、以下三つの事象を取り上げる。第一に、近年のアジア域内の資本フローの特徴とそれに伴う為替相場の動きを様々な指標を用いて比較・検討することにより、リーマンショックに端を発する世界金融危機がアジアの国際資本フローや為替相場に与えた影響を分析する。第二に、日本企業がアジアに対してどのようなアジア域内の貿易建値通貨(インボイス通貨)選択をしているか、その特徴についてまとめる。日本の製造業にとっての最終消費地が徐々に米国からアジアに移りつつある今日に、日本企業の視点からアジアにおける望ましい通貨体制や域内金融協力を推進するためには、アジアに多く展開する日本企業がどのようにインボイス通貨を選択し、為替リスク管理を行っているのか、という点を明らかにすることは重要な論点となる。第三に、日本円の産業別実効為替相場の動きを紹介する。
以上の三つの視点から得られた結果は以下の通りである。第一に、リーマンショックに端を発する世界金融危機はアジアにおける国際資本フローに大きな影響を与えたが、アジア各国の為替制度や資本規制の違いにより、域内の為替相場や金融市場は非対称な影響を受けていることが様々なデータから示唆された。日本、中国、韓国、およびASEAN加盟諸国による経済関係強化に向けた取組みが推進されるとともに、域内の経済サーベイランスの必要性が高まっている今日、本章で示されたAMU乖離指標、EMP指数やFSI指数などを応用して、アジア各国の為替制度や為替政策を反映し、アジア通貨の動きと為替政策をより的確に反映できるアジア独自のサーベイランス指標の作成が急務である。第二に、日本企業の米ドル偏重のインボイス通貨選択は主にアジアに展開するプロダクション・ネットワークを前提とした合理的な選択であり、このような選択をしている大規模な企業の行動が日本企業のインボイス通貨の選択を特徴づけていることが明らかとなった。したがって、日本企業がアジアに展開したプロダクション・ネットワークが円滑に機能するためには、域内為替レートの安定が必須条件となり、そのためには域内での為替協調政策に真剣に取り組む必要があるだろう。第三に、日本円の産業別実効為替相場の動向を見ると、昨今の急激な円相場の変動が産業毎の実質実効為替相場に与えた影響には差があることが示された。このように産業別の実効為替レートを見ることにより、産業別の輸出競争力の違いを政策に反映することが可能となるだろう。
祝迫 得夫 一橋大学経済研究所教授
世界金融・経済危機の経験は、個々の金融機関が直面するリスクのみに注目した伝統的なミクロ・プルーデンス規制だけでは、深刻な金融危機を防ぐのに不十分であることを明らかにした。そのためより一般均衡的な視点を強調した、マクロ・プルーデンス政策・規制の重要性が高まっている。マクロ・プルーデンス政策の目標は、実物経済の景気と循環的な金融機関のリスク・テイキング行動が生み出す負の外部性を内生化し、金融危機を予防するための行動をとるインセンティブを金融機関に与えるように制度設計を行うことによって、資産価格バブルの発生を抑制することにある。
マクロ・プルーデンス政策・規制が内包する困難としては、特に以下の点が指摘される。第一に、規制当局がリアルタイムで資産価格バブルや金融システムの異常な過熱を判断・識別するという作業は、現実の政策問題としては決して簡単なことではない。第二に、インフレーションと景気のトレードオフに関する伝統的金融政策と、マクロ・プルーデンスのための金融政策の長期的な目標は相互に整合的なはずであるが、短期的には両者の間に相反が生じる可能性が十分にある。したがって、中央銀行が明示的にマクロ・プルーデンス政策にコミットすることによって、伝統的金融政策に関する独立性を脅かす事態が発生する危険性をはらんでいる。
より政治経済学的な問題として、マクロ・プルーデンス政策・規制を行う権限を一つの機関に集中させるべきなのか、それとも複数に分散させるべきなのかという問題がある。一つに集中させる場合、現状では現実問題として中央銀行以外の選択肢はあり得ない。そうすると、マクロ・プルーデンス政策にコミットすることによって、中央銀行の独立性に支障が生じるという問題はよりシリアスな問題になる。一方、複数の規制機関に、民間の金融機関が用いている最先端の金融工学をリアルタイムで把握・理解し、それに対応する規制の運用を行うだけの能力を持った十分な人的資源を配置するというのは、先進国の現状を見る限り極めて困難である。加えて、複数の規制機関の間でどのように連携をとるか、特に実際問題として金融危機が起こってしまった時にどのようにそれを行うかも、また非常に困難な制度設計の問題である。
米英は中央銀行に権限を集中させる方向に改革を進めており、日本は日本銀行と金融庁の間で権限を分担する態勢をとっているが、どちらの方向性がより好ましいかについては、各国の制度の歴史的経緯もあり、簡単に答えが出る問題ではないだろう。
竹森 俊平 慶應義塾大学経済学部教授
国際的な資金フローの望ましい方向性を検討する上でユーロ危機の実態を捉えることは重要である。ユーロ危機については、加盟国の間に容易に解消できない国際競争力格差が存在することや、経済状況の異なる国々の間で共通の金融政策を決めることが政治的対立の原因となることなど、その根底に長期的、構造的な問題が存在することに留意すべきである。
国内向け投資と海外向け投資の動きに正の相関があるアメリカにおけるデレバレッジを受けて国際資本取引にもデレバレッジの動きが出ている。1930年代の大恐慌の後、アメリカの民間債務の規模(対GDP比)が当時の水準に戻るまで70年を要するなど、金融危機の影響が長期に及ぶこともあり、今回の金融危機により国際的な貸借が長期にわたり抑制される恐れがある。
「情報の非対称性」などによって大企業が資金を内部留保に頼るようになったため、金融機関はサブプライムローンや南欧などの「周辺」に市場を求めざるを得なくなった。しかし、「周辺」の市場にはリスクが多く、ブームの後に金融危機が生じやすい。金融危機の防止が金融市場の質の向上を図ることであるなら、「金融市場からの資金調達」の縮小に合わせて金融機関全体のバランスシートをダウンサイズ化する必要がある。
マクロ・プルーデンス規制の考え方に従えば、デレバレッジ期には自己資本比率の最低基準を引き下げることになるが、それは信用不安を招き逆効果となり得る。財政政策においても、信用危機に追い込まれた場合は不況期でも緊縮的な財政政策の選択を余儀なくされるが、マクロ・プルーデンス規制についても、その時の金融システムを取り巻く環境が通常のものか、危機的なものかによって処方箋は異なる。
経済状況が異なる国々の間で極度に為替レートの安定を図ることは重大な経済危機の原因になり得る。為替レートを固定化するとリスクが過小評価され、国際投資が膨張する。また、危機が発生すると「共通通貨」は金融政策に対する制約となって危機の連鎖を生むばかりか、経済回復の重大な障害となる。「共通通貨」は二つの側面でユーロ危機の深刻化につながった。ひとつは、ユーロ危機の発生そのものが「共通通貨」の存在に依っているという「事前的な側面」であり、もうひとつは、「共通通貨」が存在するために、ユーロ圏が17ヶ国について単一の金融政策しか採用できないこと、さらに金融政策は共通であっても財政政策は各国が独立に行うというアンバランスがあったという「事後的な側面」である。
嘉治 佐保子 慶應義塾大学経済学部教授
ユーロゾーン加盟国が金融政策の自律性を失ってまで共通通貨の導入を選択した重要な目的は、構造改革の促進であった。改革が進めば加盟国経済は望ましい方向に収斂するはずだったが、ユーロ導入後も改革は期待通りには進まず、加盟国間の非対称性が残った。このため為替レートの調整を必要とする状態が継続し、共通通貨は危機を迎えた。
欧州の長期的安定と繁栄には構造改革が必要であり、EUは「リスボン戦略」により改革を進めようとした。しかし、「開かれた協調」の下、目標設定の主体(EU)と政策決定・実行の主体(加盟国等)が異なっているため目標達成に対する責任の所在が明確でないこと、目標を達成できないことに対する公式の制裁がないことなどから改革は進まなかった。
欧州で改革が進まず、非対称性が縮小しなかったことは、ドイツと南欧諸国との間に存在する労働生産性や労働コスト、実質実効為替レートの格差のほか、各国における労働保護などに関する規制の状況の相違に現れている。また、輸出競争力の格差を一因としてユーロ圏内には経常収支の不均衡が存在しており、安定成長協定(Stability and Growth Pact: SGP)の不徹底などを背景に財政における非対称性も解消されなかった。
構造改革という、国内で不人気な政策を推進するには、ガバナンスの改善が必要である。欧州は、ガバナンスを改善するため「内政干渉」の度合いを強める方向で動いており、財政規律の強化やマクロ経済の相互監視を盛り込んだ法律の実施や、協定の締結を進めている。「相互依存の強まる国同士が平和的繁栄を維持するために国家主権をどれほど譲渡しなければならないか」は人類共通の課題であり、欧州は世界で最初にこの課題に正面から取り組んでいる。ユーロは危機を迎えたが、危機の結果として必要なガバナンス改革と構造改革が実現すれば、ユーロは成功だったと言えよう。
翻って、改革の歩みが遅い日本も「安易な逃げ道」をふさぎ、危機を防がねばならない。また、日本を除くアジアもいずれ成長率が低下して痛みを伴う改革が必要となる。固定レート制度や共通通貨を選ばないなら、経済連携協定(EPA)などが一つの選択肢となろう。必要な改革を実現し、経済の安定的繁栄を維持するためにどの手段を選ぶのか、どの程度強力な「経済統合」に参加する必要があるのか、真剣に考える必要がある。
研究会座長 | |
貝塚 啓明 | 財務省財務総合政策研究所顧問 |
メンバー(五十音順・役職は2012年5月現在) | |
市川 眞一 | クレディ・スイス証券チーフ・マーケット・ストラテジスト |
祝迫 得夫 | 一橋大学経済研究所教授 |
岩本 武和 | 京都大学大学院経済学研究科教授 |
嘉治 佐保子 | 慶應義塾大学経済学部教授 |
加藤 隆俊 | 国際金融情報センター理事長 |
河合 正弘 | アジア開発銀行研究所(ADBI)所長 |
清水 順子 | 学習院大学経済学部教授 |
竹森 俊平 | 慶應義塾大学経済学部教授 |
福田 慎一 | 東京大学大学院経済学研究科教授 |
松林 洋一 | 神戸大学大学院経済学研究科教授 |
<オブザーバー> |
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渡邉 賢一郎 | 日本銀行国際局審議役 |
報告者(五十音順・役職は報告時) | |
大山 剛 | 有限責任監査法人トーマツ金融インダストリーグループパートナー |
関 雄太 | 野村資本市場研究所研究部長 |
中尾 武彦 | 財務省財務官 |
中空 麻奈 | BNPパリバ証券クレジット調査部長 |
氷見野 良三 | 金融庁総務企画局参事官 |
宮地 正人 | 三菱東京UFJ銀行執行役員 アジア・中国部長 |
安井 明彦 | みずほ総合研究所ニューヨーク事務所長 |
財務省財務総合政策研究所 | |
稲垣 光隆 | 財務省財務総合政策研究所長 |
田中 修 | 財務省財務総合政策研究所次長 |
岩瀬 忠篤 | 財務省財務総合政策研究所次長 |
成田 康郎 | 財務省財務総合政策研究所研究部長 |
上田 淳二 | 財務省財務総合政策研究所研究部財政経済計量分析室長 |
吉川 聡 | 財務省財務総合政策研究所総括主任研究官 |
鈴木 浩史 | 財務省財務総合政策研究所研究分析官 |
澤村 智博 | 財務省財務総合政策研究所研究交流係長 |
内本 憲児 | 財務省財務総合政策研究所研究員 |
梅ア 知恵 | 財務省財務総合政策研究所研究員 |
太田 勲 | 財務省財務総合政策研究所研究員 |
柴田 啓子 | 財務省財務総合政策研究所研究員 |
高見澤 有一 | 財務省財務総合政策研究所研究員 |
松田 和也 | 財務省財務総合政策研究所研究員 |
吉川 浩史 | 財務省財務総合政策研究所研究員 |