財務総合政策研究所

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新聞発表


平成15年6月20日


「平成14年度中国研究会」報告書



I


.研究会の趣旨等
.中国は目を見張る高度成長を続けており、2020年までにGDPを4倍にするという目標を掲げているが、その一方で、デフレ傾向等マクロ経済上のリスクに加えて、拡大する政府債務(偶発的債務を含む。)、深刻な不良債権問題、民営中小企業の資金調達難や、農民の貧困問題といった構造問題的なリスクから成る、中国経済の持続的な成長にとって桎梏となり得る種々のリスク要因を国内に抱えている。
 また、中国は対外的には、2000年にアセアンとのFTA締結を主唱して以来、東アジア地域全体の経済統合の将来的な実現に向けて、積極的かつ迅速なイニシアティブをとってきており、世界各国から大きな注目を浴びている。


.財務総合政策研究所では、このような中国経済の内外を巡る状況を踏まえて、中国経済のリスク問題と、中国・アセアンFTAに関わる問題という2つのテーマを取り上げ、平成14年度の中国研究会(座長:中平幸典、国際経済研究所副理事長;他のメンバーは別添参照)において、昨年10月以来、議論・分析を重ねてきた。その際、外国の関連研究者を累次に亘って研究会の会合に招聘して、母国政府の公式見解に囚われない外国人研究者の忌憚のない意見も聴取した。


.今回、研究会の成果を踏まえて、研究会メンバー、外部スピーカー及び事務局の分担執筆により、報告書をとりまとめたが、特に、現下のホット・イシューである中国・アセアンFTA、ひいては日本のFTAへの取組みぶりについては、各国研究者の評価が報告書に種々盛り込まれている点がユニークであり、東アジアの地域統合に向けた流れの中で、日本の今後のFTA戦略を考える上でも、貴重な情報を時宜を得た形で提供するものと考える。

II

.報告書の主要なメッセージ
.中国経済のリスク要因に係る報告書の部分のポイントとしては、
[1] これまで継続的に取られてきた積極財政は早晩、政策転換を迫られるであろうこと、
[2] 中国の金融監督当局が採用している国有銀行の不良債権処理に係る「グローイング・アウト・ポリシー(P.3参照)」は注意を要すること、
[3] 国有銀行も含め国有企業の改革に当たっては、「集団公司リスク(P.4参照)」への対処も含め、民営化等を通じたコーポレート・ガバナンスの徹底が求められていること、
[4] 民営企業の資金調達難を克服して非国有部門の発展成長を促すべく、貸出金利の自由化に加えて、地元に密着した健全な民営銀行を設立すべきこと、
[5] 国有企業改革の進展に伴う失業者の増加にあわせて、社会保障の制度整備に係る財源確保が早急に必要であること、
[6] 持続的な経済成長の一つの鍵となる農民の貧困問題と地域的な所得格差問題の解消のため、農業の生産性向上や内陸部の経済発展を図るべきこと、
などを分析・主張している点が挙げられる。


.また、中国・アセアンFTAに係る報告書の部分の主なポイントとしては、同FTAについては、中国がアセアンとの交渉において農林水産分野にかかる「アーリー・ハーベスト」を前倒しでオファーしたリーダーシップを高く評価する外国人研究者が多く見られた。
 その一方で、同FTAは途上国同士のFTAでWTOの関連規律を免除される結果、自由化のレベルが低くなる可能性、あるいはアセアン諸国がFTAによって中国と経済的に一体化する中で、中国の不良債権問題の圧力等が強まると、中国経済の変調の余波をアセアン諸国が免れないリスクを指摘する研究者もあった。このことから、中国はWTOのコミットメントを実現させると共に、アセアンとのFTAでは質の高い自由化を行うことに加えて、経済構造改革を通じて経済の安定化を図ることが必要となる。


.さらに、アセアン諸国等の研究者からは、日本に対し、中国がアセアンとのFTA交渉において「アーリー・ハーベスト」で示したようなリーダーシップを発揮することへの期待が示された。そのためには、個々のFTAの経済的メリット・デメリット等について、日本政府がなるべく具体的に説明し、広く国民の理解を得ることが肝要との見解を報告書では取り上げている。

III

.報告書の概要
 以下では、各研究会メンバー・外部スピーカーが執筆した諸論文のカバー・ノート的な位置付けにある事務局論文の内容を中心に、報告書の概要を紹介する。

(1)

中国経済のリスク要因の体系的整理
 中国経済のリスク要因に関する事務局論文では、現下の中国経済が抱える様々なリスク要因について、マクロ経済上の短期的なものと構造問題上の中長期的なものとに整理した上で、それらのリスク要因がその原因あるいは政策的な対応において如何に有機的かつ相互に連関しているかを、体系立てて分析している。こうした形を採ることで、得てして局所的に捉えられがちな中国経済に係る各種の問題に関し、包括的・整合的な理解が可能となるよう意を払った。

[1]マクロ経済上のリスク要因及び政策課題

(a)デフレ傾向
 1998年以来、消費者物価上昇率が0%の近傍を上下している中国の状況は、少なくともデフレ的な傾向にあることは確かであろう。その要因については、(イ)技術進歩等に伴う生産性の向上とコスト低下が指摘される一方で、(ロ)民間内需の不足等を背景とした供給過剰、あるいは(ハ)不十分な金融政策等を挙げる向きもある。いずれにせよ、デフレ傾向は高成長にとって早晩制約になり、マイナスに働く可能性がある。

(b)民間投資、個人消費の伸び悩み
 現在のデフレ傾向の背景として、供給面の伸びに比べた需要面の不足の問題が取り上げられている。この問題は、民間の内需不足に端的に現われており、自律的な民間需要の成長がどこまで可能かというリスクを投げかけている。
 具体的には、不良債権処理等に伴う国有銀行の消極的な貸出姿勢から、民営企業の多くが事業資金の逼迫に直面しており、民間投資拡大の制約要因となっている。また、家計部門では、都市部の中産階層において耐久消費財、住宅を中心に消費に力強さが見られる一方で、国民の約6割を占める農民の所得は伸び悩んでいることに加えて、都市内部においても国有企業改革に伴い、失業者や一時帰休者が大量に発生している。こうしたことが、個人消費の全国的かつ持続的な成長にとりボトルネックを形成している。

(c)内需を下支えした財政政策
 1997年のアジア通貨危機を契機として、98年以来継続的に採られてきた中国の積極財政については、第1部第8章の賈康論文にもあるとおり、民間内需の不足等に伴うデフレ傾向等のリスクに対処しつつ、高成長を下支えする面で相当程度の効果を発揮したと評価できる。しかし、短期的にとられるべきケインズ的な財政拡張政策を、中長期的に続けることには無理があり、遠からぬ将来のある時点で、財政当局は積極財政路線の転換を迫られよう。

(d)金融政策のあり方
 デフレ傾向にかんがみ、金融緩和を通じた政策対応も近年採られているが、物価引上げ効果は十分に発揮されていないと見られている。こうした中、金融当局に対しては、(イ)金融システムの健全化に注力して、国有銀行の資金仲介機能を回復させることにより、金融政策の波及メカニズムを十分回復させるべきとする見方と、(ロ)更なる金融緩和を大胆に行い、マネー・サプライをより速く増加させることに努めるべきとする見方とがある。

[2]構造的なリスク要因及び政策対応

(a)国有銀行の不良債権問題
 中国の不良債権比率が国際的に見ても非常に高い水準となってしまった原因としては、国有商業銀行が貸出に際し政府の意向を重視せざるを得なかったことに伴い、厳格なコーポレート・ガバナンスが不在であった点に加え、市場経済化という急速な変化に対応できず、国有銀行の経営管理や信用リスク管理の体制に不備があった点等が挙げられる。
 2003年3月末時点での四大国有商業銀行の不良債権比率は24.1%と発表されているが、中国の金融監督当局は、この比率を毎年3〜4%ずつ低下させ、2006年末までに15%以下とする方針を打ち出している。しかし、この方針は、経済成長に伴い銀行の新規貸出が伸びる中で、この新規貸出が不良債権化することなく、既存の不良債権が全体の貸出に占める割合が下がっていくことに期待する、楽観的な「グローイング・アウト・ポリシー」とも言え、既存の不良債権の処理を怠ることにも繋がりかねないとの見方がある。
 このため、既存の不良債権の積極的な処理を政府が介入しつつ進める一方で、新たな不良債権の発生を防ぐ観点からは、低効率・低収益の国有銀行の経営を徹底して改革することで、銀行のガバナンスや貸出規律を強化させつつ、効率的な金融システムを構築することが不可欠となろう。

(b)国有企業改革
 国有銀行の不良債権問題の根本的な解決のためには、その裏返しとも言うべき過剰債務を抱える国有企業の改革を併せて推進しなければならない。1990年代以降、市場競争の激化とともに国有企業の経営が悪化したが、その背景には社会政策的な負担(雇用、年金・退職金、住宅、医療等)を負うことの見返りに、国からソフトな予算制約を享受できたことがある。
 特に、朱鎔基前首相が国有企業改革を重点政策に掲げて以来、国有企業のリストラや民営化(基幹産業における外資の導入も含む。)を通じた本格的なコーポレート・ガバナンスの改革が行われつつある。こうした試みを有効たらしめるには、まず、国有企業を社会政策的な負担から解き放つ点を徹底した上で、真の民営化を実現する必要がある。
 具体的には、第1部第5章の渡邉論文が指摘するような「集団公司リスク」(注)にも留意しつつ、国の出資比率を大幅に引き下げ、民間株主を主体に据えることが適当と考えられる。
(注) 「集団公司リスク」:「集団公司」は中国の上場企業の持ち株会社であるが、そうした持ち株会社の場合、中国政府が未だに株式の過半を所有しているか、または筆頭株主となっていることが多い。「集団公司リスク」とは、政府の意図を体現する集団公司によって、その傘下にある上場企業の経営が歪められるおそれを指す。

(c)民営企業の発展の制約要因
 国有企業改革の進展に伴い、民間部門、特にその大多数を占める中小規模の民営企業が将来の中国経済を担うことが見込まれている。他方、現状では、一般に企業規模が小さい民営企業自身に担保が不足していることに加えて、貸出金利に上限規制があること等が影響し、金融機関は民営企業への貸出に消極的な姿勢を示している。このため、民営企業には十分な資金が回らず調達難が生じているところが多く、その最大の経営問題は資金調達難であると言っても過言ではない。
 中小企業向け融資の拡充へ向けた方策としては、(イ)第1部第4章の童論文が提唱するような地元に密着した信用組合型の民営銀行の設立、(ロ)貸出金利の自由化に加えて、(ハ)民間ベースの中小企業向け信用保証機関の設立等が必要と考えられる。

(d)「三農問題」
 中国の沿海部には急速に発展を遂げている都市もあり、人々も豊かになってきているが、それはまだ国民の一部であり、農民を都市住民に比し冷遇する伝統的な「二重の社会構造」の下、中国における都市部と農村部との所得格差は年々拡大している。農民の貧困問題に端的に現われている三農問題の根元的な原因として、農村部では大量の余剰労働力を抱えている結果、労働生産性が低いことが挙げられる。
 取り得べき政策対応としては、(イ)限られた政府財源の中、「選択と集中」に留意しつつ、これまで都市部に偏っていた政府の公共投資を農村部に傾斜的に投入していくことが必要となる。また、(ロ)大都市における農民の受入れ条件の整備と、地方における都市化を推進し、農村の余剰労働力を吸収することも重要である。更には、(ハ)中長期的な視点から、第1部第7章黒岩論文でも示唆しているように、農民に対する教育水準の向上を図ることによって、農業自体の生産性を向上させると共に、中国経済の産業構造の高度化につなげることが考えられる。

(e)財政・税制上の構造改革
 中国の財政赤字の対GDP比は、上述の積極財政に伴い、近年急速に拡大し、2002年には国際的な警戒水準とされる3%に達している。高度成長が続く中で財政赤字が増加し続けていること自体が、経済成長の持続可能性の点から問題であるが、こうした財政状況を、将来的に更に悪化させ得る要因も存在している。第1は、「隠れた債務」の存在であり、その主なものに、不良債権の処理に伴う財政負担と社会保障基金の積立不足がある。第2は、直接税の比率が低いことに加えて「予算外予算」の存在もあって、歳入の対GDP比が低く、中央政府が効果的な経済運営を行う財政基盤が弱いことである。
 以上のような財政状況の下、限られた財源を効率的に配分することが中国政府にいよいよ求められているが、上記のような農民の貧困等所得格差の問題を抱える現下の中国にあっては、所得再分配に意を注ぐことが特に重要となる。
 中国では、94年に「分税制」を導入することで中央財政の財源強化を図るとともに、この財源を基に中央から地方への財政移転システムを機能させることを目指したが、これは各地域の財政力格差を十分是正するまでには至っていない。この政府間財政移転システムについては、第1部第9章内藤論文や同第6章阮蔚論文でも示唆されているように、「過渡的財政移転」(中国の地方交付税交付金制度)の透明性を高めることに加えて、各行政府レベルで重複している所掌事務の見直し・明確化を行うと共に、地方政府の統廃合や多過ぎる公務員数の削減を通じた行政改革を行うなど、抜本的な見直しも検討の視野に入れる必要があると考えられる。
 また、政府による所得再分配機能の強化のみならず、強固な歳入基盤の確保のためには、税制構造の改革も重要となるが、国民の納税意識の啓発を含め、個人所得税等の徴収強化が制度・執行の両面から必要になるだろう。

(2)

東アジアにおける地域統合の動きと中国:中国・アセアンFTA
 最近の東アジアにおける地域統合の動きの中でも、中国・アセアンFTAは、その経済的・政治的なインパクトの大きさにより、特に各国から注目を浴びている。このFTA交渉はこれまでのところ、中国側の強いイニシアティブによって非常に迅速に進められてきており、今後における東アジアの地域統合の帰趨を占う上で、その進展状況からは当面、目を離せない状況にあると言える。
 以上のような現状に照らし、中国・アセアンFTAについては、研究会で外国の関連研究者と研究会メンバーとの間で忌憚のない意見交換を行った。報告書は、こうした各国研究者の評価を盛り込むと共に、事務局論文では、財務総合政策研究所で別途行った計12の国・地域(中国、先進アセアン5カ国・ベトナム、香港・台湾、韓国、インド及び米国)の外国人研究者約30人に対する意見聴取の結果に基づき、このFTAを熱心に推進している中国側の立場に加えて、このFTAがアセアン各国に及ぼし得る経済的・政治的な影響等について、外国人の見方を具体的に紹介している。その上で、これら他国の研究者が東アジアの地域統合の文脈において日本に期待している役割等に照らして、日本が今後、アセアンや韓国等他国とのEPA(包括的経済連携協定)を進めるに当たって留意すべきと考えられる点について、筆者の見解を述べている。

[1]中国・アセアンFTAの当事国の思惑・見方

(a)中国側の思惑
 中国以外の諸国の研究者からは、同FTAは、中国にとって経済的な意義よりも、政治的ないし地政学的な意味合い(米国とライバル関係にある中国の安全保障の確保等)の方が強いとの声が大勢を占め、また、中国がこのFTAから得る経済的なメリットは、アセアンの域内市場の規模に照らすと、さほど大きくないのではないかとの評価が多く見受けられた。
 一方、中国の研究者からは、第2部第2章の張論文にもあるように、同FTAについては、上記のような安全保障上の側面を有するのみならず、東アジア地域の全体をカバーする将来的なFTAに向けた第一歩として中国側は位置付けている等の見解が示された。

(b)アセアン側の見方
 アセアン側としては、中国とのFTA構想が中国側の強い働きかけにより短期間のうちに具体化してきた経緯から、このFTAが自国に与える経済的なインパクトについて十分咀嚼できていない。また、アセアンの研究者からは、一般的な内容の分析の域を出ないにせよ、中国・アセアン間の貿易構造を見ると、特に繊維、電機や機械の分野等製造業を中心に総じて競合的であり(相互に労働集約的な製品を輸出)、中国とのFTAの結果、安価かつ良質な中国製品との競争に打ち負けて、国内産業が大きな痛手を被ることを危惧する声が強かった。
 それにも拘わらず、アセアン側が中国とのFTA交渉を開始することに合意した要因としては、アセアン側が特に関心を有する農林水産分野の「アーリー・ハーベスト」を、中国側が当初の段階から約束したことに端的に表れているように、中国がこのFTAの締結に政治的に強くコミットしていることが明らかな点がまず挙げられた(ちなみに、アセアンの研究者の中には、このアーリー・ハーベストの内容を期待以上であるとしつつ、評価する者が少なからず見受けられた。例えば、第2部第3章のチャロンポッブ論文参照)。また、近年、中国へ顕著にシフトしている外国直接投資を再びアセアンに引き寄せるためには、中国経済と一体化する方がむしろ得策であるとの判断が働いた等の見方も示された。

[2]東アジアにおける地域統合の今後のあり方

(a)中国及び日本が主導する形での進展
 第2部第7章のボールドウィン論文によれば、欧州統合の経験(すなわち、市場規模が相対的に大きいEECにEFTAが吸い込まれるような形で、EUという単一の地域統合が実現)に照らすと、経済力があり、国内市場も大きい経済大国が一旦ある地域においてFTA等の形成に向けた確固たるイニシアティブをとると、この地域における経済統合に向けた流れは、域内各国がこの特定のFTA等に言わばドミノ倒し的に雪崩を打って参加する形を通じて、不可逆的なものとなる(「ドミノ理論」)。そして究極的には、地域全体が経済的な影響力の強い国を中心とした単一のFTA等に収斂すると考えられる。
 東アジア地域においても、とりわけ中国がアセアンとのFTAの実現に強くコミットしている状況に照らすと、こうした流れは既に始まっていると言え、中国と日本とがアセアン等を巡って、言わば域内統合の主導権を競うような形で展開していくことが見込まれる。この関連では、中国や日本の動きに刺激されて、韓国、インド、更には米国やEUまでもがアセアンに対し、FTAの締結を打診していることは注目される。

(b)北東アジアFTA構想
 韓国の研究者等からは、日本はアセアンとよりも先に、まず経済的な意義がより大きい韓国とのFTAを早期に実現して、その対象に農業分野も含めることにより、東アジア地域における今後のFTAのモデルを提供することが重要だとの意見があった。すなわち、東アジアの中でも経済力があり、国内市場も相当に大きい日本と韓国とが手を携えて、貿易自由化の度合いが高く、したがって、統合に伴う経済的な意義も大きいFTAを形成できれば、「ドミノ効果」とも相俟って、日韓FTAが東アジア地域における経済統合の中核を成す可能性が高いとの見方である(第2部第7章ボールドウィン論文)。

(c)アセアンとのFTA交渉の進め方
 日本とアセアンとのFTA交渉については、アセアン全体と並行して二国間の交渉が進められているが、これについては「スパゲッティ・ボウル」効果(注)を回避する等の観点から、アセアン全体との将来的なFTAの姿と整合的な形でアセアン各国との二国間でFTA交渉を進めるべきとの意見も示された。
(注) 「スパゲッティ・ボウル」効果:個々のFTA毎に内容が異なる原産地規則等が並存する結果、民間業者の貿易コストがむしろ高まってしまうこと

[3]東アジアの地域統合における日本のあり方

(a)域内統合の文脈における日本に対する要望、期待 
 各国の研究者から、アセアン諸国としては、貿易構造が競合する中国との間ばかりではなく、補完的な日本(日本は資本集約的な産品を生産)との間でFTAを結ぶことに経済的なメリットが少なくないとの評価が見られた。しかし、中国のようにアセアンとのFTAの締結に強くコミットしているかどうかが、農業分野の取扱いを見ても日本側の姿勢からは必ずしも定かではない。このため、現状ではアセアンとして中国とのFTAに傾斜しており、いずれにせよアセアンとのFTA交渉において、日本は中国に比べて出遅れているとの見方が多かった(第2部第6章チョン論文)。
 東アジアの地域統合の文脈における日本に対する要望、期待として、日本が東アジアにおける経済統合のハブとなり得るだけの経済的な実力を有する点に照らせば、現在のような受身ではなく、大国として中国のようにリーダーシップを示すべきであるとの声が強かった。この関連では、小国の集まりであるアセアン諸国が、日本とのEPAに前向きに臨むインセンティブが働くようにするためには、大国である日本は、アセアン側が比較優位を有する農業や専門家サービス(看護士、介護士等)等の分野を積極的に市場開放すべき立場にあるとの意見が総じて目立った(第2部第4章アリーフ論文、同第5章トゥバグース論文)。ただし、外資に経済成長の多くを依存する経済構造のアセアンの場合、国によっては、こうした農業分野等の市場開放以上に、日本からの直接投資がEPAを通じて増加することに大きな期待を寄せる向きも見受けられた。

(b)日本が結ぶべきEPAの内容に関する国民的な議論の必要性
(事務局論文筆者の独自見解)
(イ) 日本が地域統合を選択する必然性
 メンバーシップの太宗を途上国が占めるようになったWTOにおける貿易交渉は、途上国の声を尊重することが不可欠となっている。しかし、現状を見ると、途上国側が関心を有する農業や専門家サービス分野の自由化交渉は、捗々しい進展が見られていない。この結果、途上国の側でWTOの種々の貿易交渉に積極的に参加する意思が減じるおそれがある状況にあっては、多岐に亘る分野の交渉結果がパッケージとして妥結される仕組となっているWTOを通じた多国間の貿易自由化に、早期には必ずしも多くを期待できない可能性が多分にある。そうであれば、日本としても、自国の経済的な利益を確保する観点から、他国との地域統合を志向するのは次善の策として必然とも言える。

(ロ)

他国とのEPA交渉における日本のオファー内容の重要性
 他方、日本の場合、農業分野等がネックとなって、中国のように対象品目等をスピーディーに提示しつつ、アセアン等を実利的に取り込むような形でEPA交渉を進めることができるかどうか定かではない。実際、アセアンの研究者の間には、日本の場合、農業分野の取扱いも含め、どのようなEPAをアセアンとの間で作ることを目指しているのか、余り明確ではないとの評価が見られた。しかし、上述したようにアセアン等の国々には、日本とのEPAを通じて、日本からの投資が多く流入することにより重きを置いているところがある一方で、自分達が比較優位を有する農業や専門家サービスの自由化を通じて、経済的なメリットを享受することにも関心を抱いているところが相当数ある点に留意する必要がある。
 仮に、今後のEPA交渉の相手国が日本のオファー内容に満足しない結果、EPA交渉が捗々しく進まなければ、日本は、WTOを通じた多国間のアプローチのみならず、地域統合を通じた二国間(ないし複数国間)のアプローチによっても、世界的な貿易自由化の恩恵に与れなくなってしまうおそれがある。こうした事態を招けば、米国やEU、更には中国等々主要な国々が積極的に参加する形で、世界的な規模で地域統合が進行する中にあって、日本は深刻な経済的痛手を被りかねない。

(ハ)

EPAの内容に関する国民的かつ個別具体的な議論の必要性
 一般に日本が貿易交渉において、中国のように具体的なオファーを前倒しで行うことがなかなか出来ない本質的な要因としては、自国が結ぶべき対外的な貿易取極の姿に係る国民的な議論がこれまで欠如していたために、国民の総意を反映した日本の採るべき交渉ポジションについて、政府の交渉者が明確に出来なかったことが大きく働いているのではないかと見られる。
 このため、日本として今後のアセアンや韓国等とのEPA交渉を成功裡に進めるためには、まず政府が予め広く国民に対し、個々のEPAの交渉を行うことの必然性や、経済的なメリット・デメリットについて、可能な限り具体的かつ平易に説明するように心掛けることが根元的に重要ではないかと考えられる。そして、そうした広報活動を積極的に行いつつ、個別のEPA毎に、そのあるべき姿に対する国民一般の評価、判断を仰ぐことにより、おおよその国民のコンセンサスが一体どの辺りにあるのかを探る。その上で、国民の利益を最大化できるようなEPA交渉のポジションを早めの段階で形成することは、日本政府の貿易交渉関係者が果たすべき責務ではないだろうか。


(付 録)各章の要約

第1部 中国経済をより良く理解するための視座

第1章 「中国経済のリスク要因の体系的な整理」
佐藤正之、木田勝也、田沼和則、外立美穂(財務総合政策研究所国際交流室)
 一見好調な中国経済は、その持続的な成長にとって桎梏となり得る様々なリスク要因も抱えている。こうした経済問題全般について、マクロ経済上のもの(デフレ傾向等)と構造問題上のもの(不良債権問題、国有企業改革、民営企業の成長制約要因、「三農問題」、財政・税制上の構造改革等)とに分けつつ、その原因や政策的な対応面で如何に連関しているかを体系的に説明している。

第2章 「全人代と今後の経済政策の方向性」
田中修(財務総合政策研究所客員研究員)
 2003年3月開催の全人代(全国人民代表者大会:中国の国会に相当)における、政府からの経済政策に関する報告等の内容を紹介しつつ、胡錦涛国家主席・温家宝総理が率いる中国の新政権による当面の経済政策の方向性(「小康社会の全面的な建設」に向け、経済の高成長を維持しつつ、拡大傾向にある個人・地域間の所得格差を是正すること等が重要な政策課題)を分析している。

第3章 中国の金融政策・金融システム(その1):
「中国の現在の金融政策における若干の問題」

夏斌(中国国務院発展研究中心金融研究所長)

 中国の抱える様々な金融に関連した問題(金融政策の機能不全、不良債権問題、国有銀行の経営改革、農村金融問題、未成熟な株式市場の市況低迷、民間分野の金融革新に合わせた金融監督体制の整備)の現状を中心に分析している。ちなみに、不良債権問題については、中国の当局による解決能力を肯定的に論じている。

第4章 中国の金融政策・金融システム(その2):
「中国の銀行制度改革と中小企業金融」

童適平(復旦大学助教授)

 今後の中国の持続的な経済成長は、民間の中小企業の発展にかかっているとの見方をまず示している。その上で、国有銀行の貸出姿勢の慎重化等を背景に、中小企業が資金調達難に直面している現状に考察を加えている。中小企業向け融資の改善に向けた方策としては、特に、地元に密着した信用組合型の民営銀行の設立を唱えている。

第5章 中国の企業システム:
「進む日中企業の提携に潜むコーポレート・ガバナンスの問題
−上場企業の『集団公司リスク』」

渡邉真理子(アジア経済研究所研究員)

 中国の抱えるコーポレート・ガバナンスの問題の中でも、特に、支配株主である「集団公司」に関連した問題を取り上げている。「集団公司」は、中国の上場企業の持ち株会社を指すが、その支配株主が政府になっている。こうした「集団公司」が、政府の意図を体現しつつ、傘下の上場企業の経営を歪めている現状を、個別事例に即しながら論じている。結論として、集団公司の民営化がなされなければ、上場された国有企業の民営化は完了しないと指摘している。

第6章 中国の所得格差問題(その1):
「中国の農村・都市間の所得格差をもたらした構造的要因」

阮蔚(農林中金総合研究所副主任研究員)

 農村を都市より冷遇する中国の二重の経済社会構造を背景に、農村・都市間の所得格差が生じた。この所得格差を招いた構造的な要因として、大量の農村余剰労働力や、農家の重い税金・費用負担を指摘している。二重構造を是正しつつ、中国の持続的な経済成長を実現するためには、農民の都市への移動を阻んできた戸籍制度や、中央・地方政府間の財政移転制度を抜本的に改革することが不可欠である点を強調している。

第7章 中国の所得格差問題(その2):
「西部大開発の実施と経済格差是正に向けた政策対応」

黒岩達也(信金中央金庫総合研究所上席主任研究員)

 中国経済が高成長を維持するためには、改革・開放政策を中西部地域において深化させることもカギとなる。この点を、全要素生産性の面からの分析を織り交ぜつつ、論じている。こうした観点から、今後の西部大開発で求められる施策として、民営企業の育成による民間活力の導入と、教育・技術の普及等による人材開発の二点を強調している。

第8章 中国の財政政策(その1):
「中国における1998年来の積極財政−その背景と実施上の力点」

賈康(中国財政部財政科学研究所長)

 中国は1998年以来、財政赤字を伴う積極的な財政政策を継続的に実施している。この積極財政について、アジア通貨危機等その発動の背景を説明すると共に、インフラ整備等を通じて、中国経済の高成長を維持する上で不可欠な役割を果たしたとの評価を示している。

第9章 中国の財政政策(その2):
「分税制後の中国の政府間財政関係−財政移転を中心に」

内藤二郎(大東文化大学経済学部講師)

 中国の中央・地方政府間等の財政移転制度は、1994年の分税制導入により大枠が整えられたが、制度面の不備から地域間の所得再分配機能を十分果たせていない。この現状を具体的に検証している。制度改革の方向として、EUの例に倣い、中央と地方政府との権限の区分を明確化した上で、地方の独自性を生かす分権型の財政体制を構築することを提案している。

第2部 東アジアにおける地域統合の動きと中国:中国・アセアンFTA

第1章 「中国・日本のFTA戦略」

佐藤正之(財務総合政策研究所国際交流室長)

 東アジアにおける地域統合の動きの中でも、特に注目されている中国・ASEAN FTAに対する見方を、中国やASEAN諸国を含む計12カ国の外国人研究者から聴取した。その結果に基づき、同FTAを積極的に推進する中国の思惑や、これがASEAN諸国、ひいては東アジア全体の地域統合に与える経済的・政治的な影響を考察する。併せて、東アジア各国が地域統合の文脈で日本に対し期待する役割に照らし、日本が政策上留意すべき点についても論じる。

第2章 「東アジア統合の枠組みに基づく中国・ASEAN FTA」

張薀嶺(中国社会科学院アジア・太平洋研究所所長)

 将来の東アジア全体をカバーする地域統合に向けた嚆矢として、あるいは安全保障上の観点から、中国・ASEAN FTAを位置付けている中国の立場を紹介している。そして、FTAの大枠を定めた「中国・ASEAN間の包括的な経済協力に関する枠組協定」の具体的内容を説明している。また、ASEAN諸国は、経済成長を続ける中国とFTAを結べば、中国との相互貿易・投資の拡大を通じて、経済的な利益を享受するであろうこと等を論じている。

第3章 ASEAN地域の視点(その1):
「タイと中国・ASEAN FTA」

チャロンポッブ・スサンカーン(タイ開発研究所(TDRI)所長)

 タイは、中国と輸出構造が類似しており、幅広い産業分野で競合している。このため、中国の台頭はタイに経済面で重大な影響を及ぼす点を、定量的に分析している。中国・ASEAN FTAについては、中国が農業分野を前倒しで自由化対象とした点は外交上の英断と評価し、また、日本や米国等に対しASEANとのFTAの締結を促すメリットがある等と考察している。最後に、東アジアの地域統合に向け、域内の債券市場の創設等を唱えている。

第4章 ASEAN地域の視点(その2):
「マレーシアから見た中国・ASEAN FTA」

モハメッド・アリーフ(マレーシア経済研究所(MIER)所長)

 中国・ASEAN FTAがマレーシアに与える経済的な影響を論じつつ、労働集約的な産業は中国との競争に対抗できない一方で、農業、天然資源産業やサービス業(観光、教育、建設、法律・会計サービス、輸送)等中国との間で補完性のある産業は、貿易・投資面で恩恵を享受できるとしている。加えて、日本が東アジアの地域統合の面で、農業や天然資源分野も開放しつつ、より積極的なリーダーシップを発揮する必要があることを指摘している。

第5章 ASEAN地域の視点(その3):
「ASEAN・中国FTA−ジャカルタからの視点」
トゥバグース・フェリダヌスティアワン(インドネシア戦略国際問題研究所(CSIS)
上席研究員)
 中国・ASEAN FTAの場合、ASEANと中国とのモノの貿易が競合関係にある点に照らし、関税撤廃の他、非関税障壁の撤廃、サービスや投資の自由化等が包括的に対象分野とならないと、ASEANにとって経済的利益にならないとしている。また、同FTAで農業分野が前倒しで自由化される点を特筆している。日本に対しては、FTAを含むASEANとの経済連携に係る交渉で、実質を伴うオファーを行いつつ、リーダーシップを発揮することに期待している。

第6章 北東アジア地域の視点:
「韓国から見たASEAN と中国のFTA政策」

インキョ・チョン(韓国対外経済政策研究所(KIEP)FTA調査チーム部長)

 最近の東アジアを巡る地域統合に向けた各種の動きを、中国やASEAN諸国も含め、主要国毎に概観している。また、ASEANとのFTA交渉において対抗している中国と日本とを並べ評して、日本は中国に比べると、農業分野の自由化問題に加えて政治体制の違いから、東アジアの地域主義の推進において主導的な役割を果たせていないと指摘している。

第7章 「ヨーロッパとの比較にみる東アジアの地域主義」

リチャード・ボールドウィン(ジュネーブ国際高等問題研究所教授)

 今後、東アジアにおける地域統合が辿り得る途を、欧州統合の経験から導いた筆者の「ドミノ理論」に照らし、考察している。すなわち、欧州では、市場規模が相対的に大きいEECにEFTAの加盟国が吸い寄せられる形で、EUという単一の地域統合が形成された。東アジアの場合、中国・ASEAN FTA、日本・韓国FTAのいずれかに域内統合が収斂する可能性が高い。両者を比較すると、先進国としてWTOルールを遵守する必要性から、高い自由化水準を達成する日本・韓国FTAの方が、東アジアの他国に適用・拡大し易く、域内統合の主流になる。

【連絡先】
財務省財務総合政策研究所 国際交流室
TEL: 03-3581-4111(代)、3581-4191(直)
際交流室長  佐藤正之(内線:5221)
際交流専門官  木田勝也(内線:5329)


 本報告書の内容や意見はすべて執筆者個人に属し、財務省あるいは財務総合政策研究所の公式見解を示すものではない。
 

(別 添)


「平成14年度中国研究会」メンバー等


(五十音順。敬称略。肩書は平成15年6月現在)


座  長


中平 幸典

(国際経済研究所副理事長)

メンバー


柯     隆

(富士通総研主任研究員)
木下 俊彦 (早稲田大学商学部 大学院商学研究科教授)
黒岩 達也 (信金中央金庫総合研究所上席主任研究員)
国分 良成 (慶應義塾大学法学部教授)
近藤 義雄 (近藤公認会計士事務所・公認会計士)
高原 明生 (立教大学法学部教授)
館 龍一郎 (東京大学・青山学院大学名誉教授)
田中 修 (財務総合政策研究所客員研究員)
土田 正顕 (東京証券取引所代表取締役社長)
中兼 和津次 (青山学院大学国際政治経済学部教授)
中川 聞夫 (国際協力銀行国際審査部次長)
真家 陽一 (日本貿易振興会海外調査部
 中国・北アジアチーム チームリーダー代理)
山上 秀文 (東京三菱銀行調査室室長)
山代 元圀 (Uni-Asia Finance Corporation 総裁)
渡邉 真理子 (アジア経済研究所研究員)

財務総合政策研究所(事務局):
岩下 正 (前財務総合政策研究所長)
河合 正弘 (現財務総合政策研究所長)
森信 茂樹 (前財務総合政策研究所次長)
法專 充男 (財務総合政策研究所次長)
佐藤 正之 (財務総合政策研究所国際交流室長)
木田 勝也 (財務総合政策研究所国際交流室国際交流専門官)
外立 美穂 (財務総合政策研究所国際交流室係長)
田沼 和則 (財務総合政策研究所国際交流室研究員)