財務総合政策研究所

サイトマップ

団塊の世代を巡る議論について思うこと

大臣官房企画官 星屋 和彦

団塊の世代が大量退職期を迎えるいわゆる2007年問題を間近に控え、団塊の世代についての議論が活発になっている。財務総合政策研究所においても、社会学、経済学、政治学、文芸界等、様々な分野の有識者の方々を招いて、団塊の世代の考え方や行動について議論しており、示唆を受けることが多い。
(団塊の世代とは)
  「団塊の世代」とは、1947〜49年の戦後ベビーブーム(当時の出生率4.4)により生まれた世代であり、出生時で806万人、2005年現在でも680万人に達している(人口の約5%)。このわずか3年間の人口が前後の世代と比べて突出して多くなっている(約1.5倍)という数の多さが「団塊の世代」の本質である。欧米でもベビーブーム世代というのは存在しているが、日本との違いは出現期間の長さという点である。
  この世代に「団塊の世代」という名称をつけたのは、1976年に同名の小説を出した堺屋太一氏であり、鉱物学の「塊(ノジュール)」という言葉に由来するという。それまでは「全共闘世代」、「ニューファミリー世代」といった名称で呼ばれていたようであり、「団塊の世代」と命名されたのは20代後半の時期であるが、出生当初から数の多い世代として認識され、社会に様々な影響を及ぼしてきた世代である。また、数の多さ以外にこの世代を規定するのは、その親が戦争という大きな出来事を経験した世代ということである。彼らは前後の世代とは異なり、貧しい社会から豊かな社会までを人生の歩みの中で経験してきた初めての世代であり、考え方や行動にも特徴がみられると言われてきた。戦後民主主義教育、学生運動、高度経済成長、オイルショック、バブル経済等、戦後日本の経済社会とともに歩んできた世代である。
  しかしながら、団塊の世代の特徴や評価についての議論は、肯定的なものから否定的なものまで時代とともに大きく揺れてきた。団塊の世代は、例えば、自分へのこだわりがあるとか、付和雷同しやすいとか、いろいろな言われ方をしてきたようだが、ある意味で矛盾する要素がひとまとめにされ特徴づけられてきた。ある識者の方が言っていたことで示唆に富むのは、「世代論」とは何かという問いかけであり、「そもそもある年齢層を一つの世代としてひと括りにして論ずることにどのような意味があるのか。むしろ、命名することによって一定の方向に導いてしまうこともあるのではないか。」ということである。そういった意味では、団塊の世代の特徴についての議論は集約しなくてもかまわないのかもしれない。この世代の名称が変遷し、最後は「団塊」というニュートラルな名称に落ち着いたのはそれなりに意味があるということだ。
(団塊の世代の退職と経済等への影響)
  経済の世界の議論でいうと、団塊の世代に関する議論の中心は、その大量退職に伴いプラス・マイナス両面で経済財政にどのような影響があるかということである。通常言われているのは、退職金や余暇時間をあてにした(特定分野の)消費の拡大、労働力人口の減少や家計貯蓄率の低下に伴う成長率の低下、企業の人件費コスト低下に伴う企業収益の改善や若年雇用環境への好影響、熟練労働力の喪失による技能・技術の伝承の問題、年金・医療等の社会保障支出の増大と現役世代の負担の問題(いわゆる「2012年問題」)等である。
  これらの議論は、一面的な議論もあり、また、特定分野のミクロで見るかマクロで見るか、短期で見るか中長期で見るかで姿は変わってくるので注意が必要である。また、単純に数の多さからくる帰結として概ね確かな議論と、数字だけではわからない議論もある。大きな塊が労働市場から退出し社会保障給付の対象となるのは確かなことであり、これによりいずれ労働供給や国民負担・財政に影響が及ぶこともかなり確実である。しかしながら、団塊の世代の退職に伴い消費がどうなるかといった議論は、個人の考え方・行動やライフスタイルに影響される面が大きく、団塊の世代が現在抱いている意識をどう見るかで全然違った結論になりうる話であり、なかなか確かなことは言い難い。ミクロでは特定分野の消費が盛り上がるかもしれないが、マクロで見れば可処分所得の減少を消費性向の上昇でどれだけカバーできるかということにもなる。いずれにせよ、企業収益や技能・技術の伝承への影響も含めて、定年退職に伴う経済へのインパクトについては、以前から想定され準備も可能であったことも多く、また、高齢者雇用安定法の施行により相当程度緩和されている面もあることに留意が必要である。大事なことは、労働供給の低下や負担の増大といった確実に予想される事態にどう対応していくかではなかろうか。
  「世代論」とは何かという問いかけが思い出されるが、元々個人間の大きな差異を捨象してひと括りに論ずるのは無理があり、その延長線上で経済の議論をするのにも限界があるということではないか。もちろん、逆に言えば、確かな数字だけで議論すると重要な要素を見落としてしまうことにもなるのだが。
(団塊の世代の現在の意識について)
  今後の団塊の世代と経済社会との関わりについて展望する際に大きな鍵を握ると思われるのは、団塊の世代が現在抱いている意識をどう見るかということであろう。どうもいろいろな議論を聞いていると、二つの大きな違った意識があるように思われる。一つは、人生の終盤にさしかかって経済不況を経験し、子育てにも失敗しニートの団塊ジュニアを抱え、挫折感・喪失感が広がっているという意識であり、もう一つは、青年期にアイデンティティ・価値観の追求に挫折したが、退職を機に再び自分探しとか社会貢献とかに目覚めつつある意識の、二つの意識である。団塊の世代は一つの「塊」からこの二つの意識(或いはグループ)に分裂しつつあるのではないか。このどちらの意識に注目するかで、ものの見方、結論は全く違ってしまうが、両方とも現実を表しているのではないか。
(今後への期待)
  団塊の世代は、いろいろな意味で注目され時代を切り開いてきた世代であり、その自負も強いように思われるが、他の世代の彼らに対する視線は殊のほか厳しいようである。団塊の世代の中で、社会のために何か役立とう、何かを残そうと考えている人たちに対して現役世代が望むのは、いわゆる「逃げ切り」世代となるのではなく、持続可能な社会保障制度への移行も含め、現役世代の負担を少しでも緩和できるような新たな高齢者モデルを生み出していって欲しいということではなかろうか。