財務省 採用案内 2013
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2年間の米国留学を経て、91年に旧大蔵省証券局の流通市場課に配属されました。係長の仕事の基本は、案件を起案し、それをペーパーなどの形で組織的な意思決定につなげていくことです。折しもバブルの崩壊が始まり、証券市場は大きく低迷。さらには証券会社による損失補てん事件なども発生し、目前の懸案の処理に忙殺されました。加えて、数年来の課題であった証取法の抜本改正も予定通り法案提出ということになり、それこそ目の回るような忙しさ。「人使いの荒い職場だなぁ」と嘆きつつも、初めて案件を任されるのは嬉しいものです。 93年には千葉県の館山税務署に赴任。小さいながらも出先機関の長となり、同じ職場で働く仲間の仕事ぶりをしっかりと見せてもらうことに。第一線で働く職員の苦労が直接肌でよくわかりました。地元の皆さんとのふれあいは特に印象深く、現実経済の実感や当時の大蔵省に対する思いなど、忌憚のない意見をきくことができました。 95年からは青森県庁に出向。最初は農林部の農業経済課で県下の農協などの監督にあたりました。農協合併などをめぐっては、担当課長として地元の方々とひざ詰め談判することもありました。議会答弁を求められる場面もあり、最初は随分と緊張したものです。その後、財政課に異動となり、予算編成作業に携わることとなり、予算という器を通じて県政全体を大づかみに捉えることができました。重要な案件については知事の政治判断を仰ぐこととなりますが、その辺の呼吸もまた重要なポイントです。 ここまでで、ほぼ10年。約半分は海外や地方で過ごし、随分といろいろな経験を積み、得がたい知己も得ることができました。 98年に本省に復帰し、中小企業予算を担当しました。全体からすると比較的規模の小さな予算ですが、「貸し渋り」といわれる状況下で、とても神経を使いました。その後、異動した法規課では、消費税の福祉目的化をめぐって様々な議論がありました。2000年には厚生労働係で医療予算を担当することとなりましたが、当時の医療保険財政は極めて逼迫し、保険料の引上げ、患者の自己負担の増、医療機関の診療報酬マイナス改定を同時に行わざるを得ない状況でした。予算規模の大きさもさることながら、「医療」という言わば人の命にかかわる問題です。ただ予算を切ればよいというものではなく、知恵と胆力を試される予算編成でした。証券局流通市場課係長 「昭和」の時代に入省してから、ほぼ四半世紀。数えてみたら24年の間に21のポストを経験しました。今思えばそのどれもが懐かしく、一つとして退屈なものがなく、そこで得られた経験は今の自分にとって大きな財産です。主なものを並べてみましたが、これだけたくさんのポストです。おそらく最初の方は何の脈絡も感じられないかもしれません。ただ、時を経るにつけ、だんだんとつながりが出来てきたと自分では実感しています。 実際、私よりももっと多様なポストを歩んだ人物も珍しくありません。それだけ財務省の仕事は多彩であり、それゆえ多彩(かつ多才)な人材を必要とする職場であるということです。こうした特性は財務省の仕事を魅力あるものとし、そこに働く人間もまた魅力的な集団とします。良き仕事と良き人間関係に恵まれて、振り返ってみれば、いつも笑顔で仕事をしてきたような気がします。日本の未来のために、一緒に仕事をしませんか。step.1step.2step.3step.4館山税務署長青森県に出向主計局主計官補佐27Career Path財務省職員のキャリアパス新川 浩嗣主税局税制第二課長[昭和62年入省]

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